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プールナ=スワラージが大衆の目覚めを意味するならば・・・。 [2021年06月09日(Wed)]
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 プールナ=スワラージとは、大衆の目覚めを意味する。もしそう考えるならば、それは彼らが真に自分たちのためになることは何かを悟ることであり、そしてその真の利益のために全世界に対抗してでも努力できるようになることです。
 ・・・


 
 「プールナ=スワラージの意味と目標は何か?(32)」という問い掛けをした後、ガンディーはまず、「プールナ=スワラージ」の意味について、「それは、大衆の目覚めを意味する」という見解を示します。確かに、自治を実現するためには多数のインド人民衆による自覚的な民族運動が持続的になされることが不可欠です。だから、「完全な自治とは、すなわち大衆の目覚めのことである」という表現になるのでしょう。
 では、「大衆の目覚め」とは一体どういうことなのでしょうか? ガンディーは、「真に自分たちのためになることは何かを悟ること」だと言っています。
 「真に自分たちのためになること」とは何でしょうか? 「ヒンド=スワラージ」の中にあった自分の義務を果たすのは、自分自身に奉仕することになるというような言葉から推察すると、恐らく「自分自身の義務を果たすこと」ということになるのではないかと思います。
 そして・・・
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