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 「下川わわわ大学」のイメージキャラクター
  「わわわだいがくん」
豪邸に住む一握りの富裕層と・・・。 [2021年06月22日(Tue)]
(46)
 乞食をするような者は誰もいません。労働者は、いつでも仕事を見つけることができます。このような政治が行われていれば、賭け事をしたり酒に溺れたり不道徳に耽ったりする余地はどこにもありません。階級間の憎しみ合いもありません。
 裕福な者は、自分の所有する富を賢明なやり方で社会に役立つように使おうとするでしょう。虚栄や世俗的な楽しみを貪るためにそれらを浪費するようなことは決してしないでしょう。
 ほんの一握りの富裕層が宝石で飾られた豪邸に住む一方で、何百万もの人々が日も差さず風通しもまったくないような惨めな掘立小屋で暮らしている。そんなことも絶対に起こりません。
 ・・・
 


 「もしも、非暴力に基づくスワラージが実現すれば・・・(45)」という話の続きです。
 そのような社会では、労働者階級が資本家階級から富を奪うことによってではなく、資本家階級が自発的に資産を供出して富の再分配が行われることによって、貧富の差の解消が図られるとガンディーは言います。
 つまり、重要なのは「どの階級が権力を握るか」でも「どのような経済政策によって所得格差の拡大を防ぐか」でも「いかなる政治制度によって効果的な所得の再分配を実現するか」でもなく、すべての国民が自らの市民的な義務を自覚し、それを実践するような道徳的な社会を創造することができるかどうか(44)にかかっているということだと思います。
 そして・・・
第199回楽しく学ぶ歴史ゼミの報告(7)とんでもない家系図。 [2021年06月22日(Tue)]
 9日の楽しく学ぶ歴史ゼミの報告の最終回です。
 
●三条天皇も、道長の次女、妍子と結婚していた。
●三条天皇は退位し、後一条天皇が9才で即位したが・・・。
●彼は、道長の三女、威子と結婚した。
●自分の孫と、自分の娘の結婚。
●それも、権力のため?
●この世をば わが世とぞ思う望月の かけたることも なしと思えば。


 次回は、明日、23日(水)です。
敵は、どこにもいない。 [2021年06月21日(Mon)]
(45)
 もしも非暴力に基づくスワラージが実現すれば、そこでは誰かが誰かの敵対者になるということはありえません。
 すべての人は、公共の目的のために各自が当然提供すべきと思われる金額を寄付します。
 読み書きのできない人はまったくいません。しかも、皆が絶えず学び続け、自らの知識をより深いものにしています。
 心身の不調や病気も、可能な限り減らされます。
 ・・・                   


 
 アヒンサーに基づく自治(41)に続いて、今度は「非暴力に基づくスワラージ」についてガンディーは語り始めます。しかし、この両者はほとんど同じ意味だと言ってよいでしょう。
 「非暴力」というのは、単に相手を直接的に傷付けないというだけではなくて、「相手を敵としない」ということです。もっと積極的に言えば、「他者の存在を否定するのではなく肯定する」「自己の感情や利益や目的を他者のそれよりも優先せず、自他の幸福を同時に追求する」ということ、つまり、「互いに助け合う社会」ということになるでしょう。
 だから、富者は進んで貧者の生活改善のために自らの資産を提供します。それによって、「非暴力に基づく社会」は必然的に高度な福祉社会になるということでしょう。
 そして、さらに彼は続けます。・・・
 
第199回楽しく学ぶ歴史ゼミの報告(6)三条天皇。 [2021年06月21日(Mon)]
 9日の楽しく学ぶ歴史ゼミの報告の続きです。
 
●一条天皇は位を譲って、まもなく亡くなった。42才。
●三条天皇は、花山天皇の弟。
●次は、一条天皇の子が皇太子になる。順序から言うと定子の子だったが・・・。
●道長は、強引に彰子の子(自分の孫)を皇太子にする。
●そして、目の病気にかかった三条天皇を退位させて、自分の孫を天皇にした。
●後一条天皇、外戚の道長が摂政に。

 そして・・・

                  (つづく)
今週の予定 [2021年06月21日(Mon)]
 今週の予定です。
 

 【楽しく学ぶ歴史ゼミ】
 第200回楽しく学ぶ歴史ゼミ
 日時  6月23日(水)
     12時半〜14時
 場所  西町キャンパス
 内容  刀伊の入寇と藤原隆家


【しもかわ読書会】
 しもかわ読書会6月定例会
 日時 6月27日(日)
    12時〜15時頃
 場所 モレーナ
 内容 未定「何かやりたい」という人がいたら、学長までお知らせください。


 すべて、誰でも参加できます。どうぞよろしくお願いします。
みんなが自分の義務を果たす社会では、自分の権利について考慮する必要はない。 [2021年06月20日(Sun)]
(44)
 ある国民にとってのスワラージは、各個人のスワラージ(自己の統治)をすべて合計したものです。それは、人々が公民としての義務を果たす行為を実践した結果以外の何物でもありません。
 そのような社会では、自分自身の権利について考慮する人は誰もいないでしょう。人々は、自分の義務をより良く果たすことだけを考えればよいのです。そうすれば、必要な権利はすべて求めなくても自然に手に入るものだからです。

                    (「ハリジャン」1939年3月25日)



 「人々が考えるべきなのは自分の果たすべき義務であって、権利については考えなくてもよい」というガンディーの主張の続きです。
 「権利について考えなくてもよいとは・・・それでは、権利が奪われた、あるいは未だ権利獲得が実現していない人はどうするのだ。もしも当事者が自らの権利を求めなければ、一体誰がその権利を回復したり実現したりしてくれるというのか?」と大いに反論したくなる人も多いでしょう。しかし、落ち着いてください。ガンディーがこう言っているのは、「アヒンサーに基づく自治においては・・・(41)」という前提での話なのです。
 アヒンサー(絶対的な非暴力、そして生命尊重)の精神に基づく社会では、誰も他者の権利を侵害しようとはしないはずです。それでも仮にある人の権利が十分に保障されていないという事実があったとすれば、無関心でない人であればきっとその人の権利を実現させようとするでしょう。だから、ガンディーはこのように言っているのです。
 そして・・・
第199回楽しく学ぶ歴史ゼミの報告(5)彰子。 [2021年06月20日(Sun)]
 9日の楽しく学ぶ歴史ゼミの報告の続きです。
 
●藤原道長は、娘の彰子を一条天皇と結婚させる。
●あれ、一条天皇は道隆の娘の定子と結婚してたんじゃ・・・。
●昔は、一夫多妻制だったのです。
●一夫多妻じゃなかったら、「万世一系」は無理だったでしょう。
●彰子は男の子を生み、道長はその子を天皇にしようと固く決意する。
●しかし、一条天皇の次は前の花山天皇の弟に決まっていた。

 そして・・・

                             (つづく)
権利の行使は、社会に奉仕するために。 [2021年06月19日(Sat)]
(43)
 けれども、真実と非暴力の道に従う者は必ずそのことによって敬意を受けるようになるでしょう。その敬意こそが、彼に権利をもたらすのです。
 自らが義務を果たすことによって権利を得た人たちは、その権利を自分のためではなく社会に奉仕することのためだけに用いるでしょう。
 ・・・



 「義務を果たさなければ権利はない」というガンディーの主張(42)の続きです。
 これは、もちろん「義務を果たしていると国家権力が認定する者以外には権利を与えない」という意味ではありません。この場合の義務というのは、人間社会や組織に対する義務ではなくて、真理に対する義務なのです。
 さらに、「権利というのは自らの義務を果たすために与えられるものだ」という見解も示されています。これは、恐らくマッツィーニと同様のことを主張しているのだと思います。
 確かに、みんながそれぞれに自分の権利を要求することばかりに熱中して他者の権利を尊重し、擁護し、必要ならば回復させるために最大限の努力をするという義務を果たすことに無関心であったとすれば、実際に自分の権利を獲得できるのは強者だけということになってしまうでしょう。
 そして、さらに・・・
第199回楽しく学ぶ歴史ゼミの報告(4)醜い権力争い。 [2021年06月19日(Sat)]
 9日の楽しく学ぶ歴史ゼミの報告の続きです。
 
●藤原道長は、兄・道隆の子、伊周と隆家の兄弟を排斥しようとした。
●叔父さんと甥の権力争い。
●臣下が行ってはならない大元帥法(だいげんのほう)を行ったという噂。
●東三条院詮子(せんし)を呪詛しているという噂。
●それで、伊周と隆家の兄弟は左遷されてしまった。
●権力者は権力のためには手段を選ばない。

 そして・・・

                 (つづく)
義務を果たさなければ権利はない。 [2021年06月18日(Fri)]
(42)
 公民としての権利が生じるのは、その人が属している国家に奉仕する場合だけです。そして、自分に生じた権利を正しく用いることができるのは、まさにそういう人々だけなのです。
 すべての人が、嘘をつく権利も暴力団のようなやり方に訴える権利も持っています。しかし、そのような権利の行使は社会にとって有害ですし、それを行う本人にとっても有害です。
 ・・・



 「権利について考える必要はない。考えるべきは自分自身の義務は何かだ」というガンディーの主張(41)の続きです。
 これは、基本的人権についての一般的な共通理解とは違っています。だから、「ガンディーは、人権思想を否定しているのか?」と思う人もいるかもしれません。しかし、冷静に考えてみれば必ずしもそうは言えないと思います。
 ここでガンディーが言っているのは、「公民としての権利」です。公民とはつまり主権者のことですから、「主権者としての自覚を持ち、権力の濫用を許さない」「自らも権利の濫用を厳に慎む」「他人の権利を尊重し、すべての人の権利が実現するように積極的に努力する」というようなことを彼は「国家への奉仕」と呼んでいるのではないかと思います。決して、「国家権力への奉仕」ではないはずです。
 ちなみに、「すべての人は人間らしく生きる権利がある」という考えは彼も表明しています。ただし、どんな手段でもそれを追求してよいとは言わないのです。
 そして・・・
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