• もっと見る
img003 緑背景.jpg

 「下川わわわ大学」のイメージキャラクター
  「わわわだいがくん」
食べられる植物の葉は、すべて利用すべき。 [2025年03月24日(Mon)]
(1404)
 さらに、この国の村で自生している植物の葉の中で食べられるものはすべて利用すべきです。それらの植物はインドの村の中で自生しているのですが、我々はまったくの無知あるいは怠け心のせいで、そうでなければ上流階級を気取ってお高く止まっているせいで、その葉を採って食べようとはしないのです。
 ・・・



 「村人たちが高価で手に入れられないようなミルクや果物や野菜を村の活動者は口にしても良いのか?」という質問に対するガンディーの回答(1401)の続きです。
 「村の活動者は、健康の保持と職務遂行に必要な食べ物を得る権利がある」とガンディーは言っていますが、別に高価なものである必要はないのです。
 「自生している植物の中で、食べられるものはすべて食べるようにしよう」と彼は言っています。また、自生している植物を採集するだけでなく、簡単な野菜の栽培も彼は勧めています。(935)
 それから・・・
 
容易に手に入る一般的な食べ物。 [2025年03月23日(Sun)]
(1403)
 私がここで言っている食べ物というのは、村におけるいくらかの労働によって手に入れられるものです。
 ミルクは、一般に入手可能な食べ物です。
 それから、インドナツメ、カランダ、マツリカの花などのたくさんの果物があります。それらは容易に手に入りますが、あまりにも手に入れるのが簡単なため私たちはその価値に気付いていないのです。
 ・・・



 「村人たちが高価で手に入れられないようなミルクや果物や野菜を村の活動者は口にしても良いのか?」という質問に対するガンディーの回答(1401)の続きです。
 「村の活動者は、健康の保持と職務遂行に必要な食べ物を得る権利がある」とガンディーは言っていますが、それはあくまでも一般的に手に入れられる食べ物であって、贅沢品や嗜好品は含まれないとここで念が押されています。
 インドナツメというのは、クロウメモドキ科ナツメ属の植物で、その実はリンゴやナシのような風味なのだそうです。インドでは、"ber"(ベール)と呼ばれているようです。
 カランダは、サクランボのような果物です。カロンダフルーツ、カリッサ、ベンガルカラントなど、いろいろな名前があるようです。
 マツリカは、、香料用植物として知られるジャスミン(ソケイ属)の1種です。漢字では「茉莉花」と書くそうです。花を食べたりお茶にしたりするようです。
 それから・・・
3月定例学問会の報告(1)安心でないJR。 [2025年03月23日(Sun)]
 昨日は、モレーナで3月定例学問会を開催しました。
 まずは、ぼくの個人的な報告から・・・

●前日、18時旭川発のJRで帰るつもりだったのですが・・・。
●和寒付近で設備点検のため列車が遅れますという放送が。
●踏切か何かが故障したのでしょうが・・・。
●お金がない、かわいそうなJR北海道。
●結局、18時の列車は運休になってしまった。
●しかし、次の18時41分の列車に乗れば下川に帰れる。
●と思って、待っていたら・・・

 ・・・

                     (つづく)
良心によって、自制的な生活を。 [2025年03月22日(Sat)]
(1402)
 ここで、彼の良心が試されることになります。
 彼は自制的で節度のある暮らしをしなければなりません。彼は、単に嗜好を満たすためだけの食べ物は一切口にしないでしょう。彼は贅沢を求めず、眠っている時間以外のすべてを奉仕の仕事に捧げるでしょう。
 もっとも、仮にそうしたとしても、彼の生活の仕方にけちをつける人が少しはいるかもしれません。そのような批判の声が自然になくなるように、私たちは実践によって自らの正当性を示さなければならないのです。
 ・・・

    

 「村人たちが高価で手に入れられないようなミルクや果物や野菜を村の活動者は口にしても良いのか?」という質問に対するガンディーの回答(1401)の続きです。
 「自らの健康を保ち、その任務を果たすのに必要な食べ物やその他の生活必需品を受け取ることは活動者としての権利であり、義務でもある」とガンディーは言っていましたが、もちろん、それは村人の理解の得られる範囲内においてということです。
 ですから、村の活動者は贅沢や華美を慎み、節度ある暮らしをしなければなりません。そして、村のために誠心誠意奉仕しなければなりません。そのような実践によって、村人たちの確かな信頼と支持を得られるようにしなければならないのです。
 それから、さらに・・・
 
必要な食べ物を受け取ることは権利でもあり、義務でもある。 [2025年03月21日(Fri)]
(1401)
 村の活動者が肝に銘じておくべき大事なことは、彼が村にいるのは村人への奉仕のためだということです。
 彼が自らの健康を保ち、その任務を果たすのに必要な食べ物やその他の生活必需品を受け取ることは活動者としての権利であり、義務でもあります。
 彼が比較的高い生活水準を得たとしても、そのことで活動者が村人たちから妬まれるとは私には思えません。
 ・・・
 
 

 これは、「村人たちが高価で手に入れられないようなミルクや果物や野菜を村の活動者は口にしても良いのか?」という質問に対するガンディーの回答です。
 活動者は、村のために奉仕するのが使命です。それにはもちろん、心身共に健康であることが必須の条件です。ですから、健康を保持するのに必要な食べ物を食べることは活動者の権利であると同時に義務でもあるとガンディーは述べます。
 しかし、当時のインドでは多くの村人たちが非常に貧しい食生活を強いられていました。(174)だから、村の活動者に対して「村人たちとまったく同じものを食べなさい」と要求するわけにはいかないのです。
 それでも、活動者が村のために誠心誠意奉仕していることが明らかであれば、たとえ彼が一般の村人たちより多少豊かな食生活を享受していたとしても村人たちはそのことで彼を妬みはしないだろうとガンディーは言っています。
 しかし、当然のことながら、活動者があまりにも贅沢な暮らしをしていれば、村人たちの理解は決して得ることができません。
 つまり・・・
2月定例学問会の報告(10)その他、地域の話題 [2025年03月21日(Fri)]
 2月定例学問会の報告の最終回です。
 
●モレーナのケーキについて。
●ゆきみち書房について。
●地蔵サイクルについて。
●すがもりについて。
●ウィークエンドスクールについて。


 「下川わわわ大学」の3月定例学問会は、明日、3月22日(土)です。
ソドムとゴモラ。 [2025年03月20日(Thu)]
(1400)
 彼は決して堕落することなく、誘惑の侵入に抗して岩のようにしっかりと立つでしょう。そして、その誘惑が村に入って来ないように努め、村人たちを守るでしょう。
 たった一つの清らかな魂があれば、村全体を救うことができます。一人のヴィビーシャナがランカーを救ったように、あるいは、ソドムとゴモラの町が、そこに一つの清らかな魂がある限りは破壊されるのを猶予されたように。
 ・・・

 
 
 「村へ行ったら、都市的な生活様式を村に持ち込まないようにせよ」というガンディーの話(1399)の続きです。
 要するに、物欲に駆り立てられて限りなく消費を追い求める都市的な暮らしを彼は堕落と考えているのです。
 ヴィビーシャナとは、インドの叙事詩「ラーマーヤナ」の登場人物です。兄ラーヴァナが正義に反する行動をしたため、これを改めるよう説得したが聞き入れられず、結局彼は自軍を率いてラーマ王子に投降し、兄に反旗を翻したそうです。そして、ラーヴァナがラーマに討たれた後、彼がランカー島の新しい王に任じられたのです。ちなみに、ランカー島というのは今のセイロン島のことで、スリランカという国名はこの「ランカ―」に由来しているそうです。
 ソドムとゴモラは、旧約聖書の創世記に出て来る悪徳の町です。聖書では、ガンディーの言うことに反して、正しい人が10人もいなかったためにソドムとゴモラの町は滅ぼされてしまうことになっています。
 それから・・・
村へ持って行って良いもの、悪いもの。 [2025年03月19日(Wed)]
(1399)
 彼が村へ行き、そこに住み着くに当たっては、都市の暮らしにおいて必要不可欠だったもののほとんどを断念する覚悟をしなければなりません。
 もしも村で暮らすのであれば、たとえ本来的には悪いものではなくても村に持ち込むべきでないものは持って行ってはいけません。ですから、そうしたものに当たるのは何かを正しく判別する必要があります。
 重要なのは、普通の村人の生活にとってそれが良い影響を与えるか悪い影響を与えるかです。
 ・・・

                 

 これも、村の活動者に対するガンディーの忠告です。恐らく、誰かの質問への回答として語られたものだと思われます。
 前に述べられていた、「村へ行ったら、都市の心を棄て、村の生活をせよ」(1367)と同じような趣旨だと思われますが、ここでは村人たちに対して悪影響を与えないようにということが強調されていますね。
 都市的な生活様式や都市的な感覚や価値観は、ガンディーにとっては是非とも遠ざけるべきものなのです。そもそも、彼は「都市の文明」に対する非常に痛烈かつ根本的な批判者だったのでした。(147)
 そして・・・
政治とは距離を取れ。 [2025年03月18日(Tue)]
(1398)
 村の活動者は、政治に関わろうとはしないでしょう。
 国民会議の議員になるのは構いませんが、選挙運動に参加してはいけません。彼は、身を粉にして自分の仕事に専念するのです。
 農村産業協会と紡ぎ工協会は、共に国民会議によって創設されました。しかし、その運営は国民会議から独立して行われています。
 このような理由で、これらの団体やその構成員は国民会議の政治的な動向には一切関わりません。それが、非暴力のやり方なのです。
 また、村の活動者は、村の中の派閥とも関係を持とうとしないでしょう。
                                       


 村の活動についてのガンディーの話の続きです。
 「日々の活動に関する日記を書きなさい」という指示(1396)の次は、政治との関わりについてです。
 結論を言うと、「村の活動者は政治に関わってはいけない。議員になるのは良いが、選挙運動に関与してはいけない」というのがガンディーの意見です。それだけでなく、「村の中の派閥にも入ってはいけない」と言うのです。やはり、村の活動者は中立的な立場でいる必要があるのですね。
 農村産業協会と紡ぎ工協会は、(1374)などで出て来ました。これらも、政治からは独立した運営を確保する必要があるとガンディーは言っているわけです。
 それから・・・
第251回楽しく学ぶ歴史ゼミの報告(11)室町幕府。 [2025年03月18日(Tue)]
 2月17日の楽しく学ぶ歴史ゼミの報告の続きです。
 
●朝廷軍を破った足利尊氏は、京都に入る。
●後醍醐天皇は、奈良県の吉野山に逃れる。
●吉野は奈良盆地の南、飛鳥のさらに南。
●南朝もあったので、鎌倉に幕府を持っていくわけにはいかなかった。
●室町幕府というのは、京都の中にある地名に由来する。
●3代将軍の足利義満が、室町に「花の御所」を作った。

 しかし・・・
                  (つづく)
| 次へ