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マージャンのプレ・モダンとは何か? [2012年07月18日(Wed)]
最近、電車の中で「何かを読みながら眠っている」人が何を読んでいるかを観察しているという記事を書きました。「通勤の電車の風景:眠りながら書を読む人々 」を参照。

最近は、あまりそういう人を見かけないのは、熱心に探さないからかもしれませんが、運もあるのでしょう。今夜も隣の男性は週刊のコミックに熱中していて、眠りそうにありません。でも、もしかすると、どこかで眠りこけないとも限らないので雑誌の名前だけでも確認しておこうと思い、ちらりと覗いてびっくり仰天。『近代麻雀』とあるではないですか。麻雀はほとんどやったことがないので、こういう雑誌があることさえ知りませんでした。それにしても「近代の麻雀」とは一体いかなるものでしょうか。「近代麻雀」があるからには「脱近代麻雀」とか「プレモダン・麻雀」などもあるのでしょうか。近代化以前の麻雀と近代化された麻雀はどこが違うのでしょうか? 家に帰ってweb検索をかけても答えは見つかりません。

さらに驚いたのは、そのマンガ誌の作品の大胆なコマ割。1ページ3コマとか4コマは当たり前。1ページ1コマもざらにあります。しかも、アップに次ぐアップ映像。人の顔だけでなく「麻雀牌」のドアップ描写がこれでもかと続きます。手を抜くための手法なのかと思いましたが、あれだけ緻密に麻雀牌を描くのは相当な労力がいるはず。アシスタントにまかせれば良いのかもしれませんが、そこだけはものすごく手間暇がかかっているようです。

今、将棋のマンガにはまっているのですが、将棋のコマを一つひとつ描くのはずいぶん苦労するのではないかと観ていました。切り貼りなのかもしれませんが、20枚を切り貼りするのもたいへんですよね。芋版みたいなものでも作るのかな、などとしょうもないことを考えていたら、いつの間にか降りる駅に着いていましたとさ。
横浜で協働を考えるセミナーに参加してきました [2012年07月17日(Tue)]
2012年6月26日に、横浜市のNPOがイギリスの協働の最新動向を学ぶ勉強会を開いたので、その参加の記事を書きました。

7月17日は、その続編とでも言うべきセミナーがありました。:NPOサポートちがさき、びーのびーの、鎌倉市市民活動支援センター運営会議からの問題提起の後、ゲストの小山紳一郎氏が協働の評価を中心にあれこれ話をしてくださるという趣向。

イギリスの最新のナショナル・コンパクト※では「共有」が軽視される、というかほとんど記述されなくなった、ということに驚き、評価は財やサービスのコストパフォーマンスが重視される方向に動きつつあるという報告に「これは困った」と思ったものでした。日本の政治家は欧米の事例に弱いから「日本でも右ならえ」ということになりゃあしないか、という心配です。

で、今回のセミナーでは「目的の共有」が大事だとか「財やサービスの提供者」と「受益者」が分かれるのでなく、双方向性とか互酬性などの概念を再確認して来ました。

ただ、現実の問題として「仕組み・制度」化することの難しさも改めて感じてきました。

(この項目はさらに続きます)



※コンパクトとは、イギリスの政府(あるいは地方自治体)と市民セクター(サードセクターとか、ボランタリーセクターなどという言い方もある。厳密な区別は知りません)との関係を規定する協約とか覚え書きといった性質のもので、政府の代表と市民セクターの代表(アンブレラ型の中間支援組織)が署名するもののようです。
足尾鉱毒事件の傷跡 [2012年07月12日(Thu)]
7月11日、秋田に向かう機内でちょっとうたた寝をして目が覚めたら特徴のある風景がひろがっていました。「ここならわかりそうだ」。大きな湖と右手に立派な火山。そして、左(西側)に赤茶色の山肌がくっきり。
赤茶色の崩れた山は足尾鉱毒事件で裸になった山で、そこから一山越えた所にあるのが中禅寺湖。東の火山は男体山で間違いないでしょう。地上からは何度となく観た風景ですが、飛行機の上から見たのは初めてでした。水蒸気が多くてあまり良く見えませんが、何となくわかると思います。

足尾鉱毒事件の傷跡

忘れてはならない景色だと思います。
スカイツリーを見下ろした [2012年07月11日(Wed)]
2011年7月11日は秋田に出張。
羽田を飛び立ったら、スカイツリーが見えました。私の職場は比較的近くにあるのですが、まだ行ったことがありません。悔しいので、見下ろした写真を1枚。

スカイツリーが見える(はず)

真ん中のあたりに見えるはずなのですが、ちょっと厳しいかな。電子機器仕様OKのアナウンスの直後に撮影したのですが。
これがウワサの「白河ドッグ」 [2012年07月10日(Tue)]
7月7日(土)に、白河にボランティアに行って来ました。
白河産の食材だけでつくった、野菜を中心にした「白河ドッグ」。
中身はほとんど野菜だけなのですが、ドレッシングの味と良くマッチしておいしいです。
白河ドッグ

レシピは、福島県泉崎出身の料理家、本田よう一さん。
わが家のグリーンカーテンにゴーヤがつき始めました [2012年07月10日(Tue)]
月曜は暑くなりました。
気がつけば、壁際に植えたゴーヤに赤ちゃんのような実がついていました。今年はたくさん食べられると良いな。下の方の赤紫の実はラズベリーです。

ゴーヤの赤ちゃんが生まれました

うちは、真夏になるとゴーヤの勢いがあまり良く無いのです。水のせいか、土のせいか、はたまた西日のせいか。がんばれぇ〜。

白河の農家さんを訪ねました [2012年07月09日(Mon)]
白河には、足を向けて寝られない人が何人かいます。

農業を営む藤井さんもその一人。毎月、福島の野菜を通販で扱わせていただいています。今回、白河を訪ねたとき、畑を見せていただきました。

藤井さんの農場は森の中にあります。

藤井さんの農場は、山の中にあります。完全に無農薬の野菜を作りたかったので、近くに田んぼや畑が無い所を選んだのだそうです。

ユリ根を育てています。

寒冷紗の下で育っているのは、ユリ。まもなくユリ根の収穫が始まります。有機質の肥料を使った土はふかふかとしていました。

ジャガイモも何種類か作っています。もうすぐ収穫。

ジャガイモも何種類か作っているとのこと。奥の方が紫色のジャガイモになるのだそうです。ジャガイモの収穫もそろそろ始まります。

長なす。とろりと甘い。

ハウスの中では、ミニトマト、ナス、パプリカなどを育てています。長ナスは身がとろりと柔らかく、ほんとうにおいしいのです。

2ヶ月かけて熟させるパプリカ。

パプリカは実がついてから2ヶ月間かけて熟させます。ほんの少し黄色がかっていますが、収穫できるのは8月になってから。

パプリカの剪定。

パプリカは、1本から10個くらい収穫するのだそうです。摘果や葉の剪定をこまめにやらないといけないとのこと。ほんとうに手間ひまかけて作っています。

福島県白河市でアースデイ [2012年07月08日(Sun)]
7月7日(土)白河市でアースデイのイベントが開かれました。
環境で福島を元気にしよう!という心意気に共感してボランティアをやりに行きました。
私が代表をしている「福島の野菜を食べる会」で大変なお世話になっている料理家、本田よう一さんが、白河市の食材を使った「白河ドック」を販売するというので、そのお手伝いをするのが主なミッション。

アースデイ白河オープニング。市長あいさつ。

白河はあいにくの雨。オープニングは13時。白河市長の「環境で復興しよう」とのあいさつから始まりました。

白河アースデイに出展していた鎌田さん。

声をかけられて振り向くと、福島の野菜を食べる会でのボランティア、鎌田さんが出展、可愛いマスクと雑誌を売っていました。今日は、雑誌を1冊買いました。

本田よう一さんの「白河どっく」販売ブースに来た市長。

「白河ドック」は、野菜と豚肉に特製ソースであえ、パンではさんだもの。食材の一つひとつが素材を選んで作っていることがわかります。ブースには市長さんもお見えになりました。

白河どっくを食べる人

あいにくの雨のため、人出が少なくて残念でしたが、白河ドックを食べている人はとてもうれしそうです。

農家の女性後継者のブース。

お客さんが少ないので、お店番は現地の方にお任せし、ブースを観て歩きました。ここは、農家の女性後継者が自分の農場で採れた野菜を販売していました。トウモロコシは「めぐみ」という品種だそうですが、その甘いこと。お土産に買って来ました。


障がい者が耕す農園で採れた野菜や卵を売る直売所。
ここは、障がいを持った方が耕している畑で採れた野菜や卵、加工品を販売する直売所のブースです。お店の方によれば、精神障がいの方100人の雇用の場を作っているのだそうです。

雨で人が少ないのが残念でした。

雨で来客が少なく、売り子ばかり多くても仕方が無いので、白河どっくを家族のお土産に買って帰ることにしました。環境で福島を元気に!という主催者に共感しつつ、会場を後にしました。





国際会議での対話を進めるために [2012年07月07日(Sat)]
リオ+20から帰って来た方のお話で、もう一つ興味深い話がありました。

国連会議では、国連とメジャーグループと呼ばれる9つのグループ(産業界、自治体、NGO、労働者及び労働組合、科学的・技術的団体、女性、子ども・青年、先住民、農家)が、各国代表と共に議論します。各グループには代表団体が参加の取りまとめ役となるはずなのですが、NGOの代表団体がほとんど機能不全状態だったとのこと。

短期決戦型の国際会議では、交渉の方向性を見定め、それぞれのメジャーグループが素早く内部で意思決定し、それぞれの意見を交渉の場に反映させる必要がありますが、NGOではその機能が弱かったというのです。その原因がどこにあるのか、私には良くわかりません。ファシリテーターを務めるべき人材の問題だったのか、各NGOが合意形成に向けた努力を怠ったのか。いずれにせよ、国際交渉に意見を反映させるために必要な、意見をまとめるリーダーシップと他のメジャーグループや国の代表団とわたりあう交渉力が弱かったことは確かなのでしょう。

日本では、1992年のリオサミットの直後、NGOのアンブレラ組織が必要であるとの認識が広まり、市民フォーラム2001が誕生しましたが、10年間の活動の後に幕を引きました。気候ネットワークなど個別課題ごとのアンブレラができたので、前に進んでいることは確かですが、このような中間支援組織を支える仕組みが弱いことはまだまだ大きな課題であると思います。

リオ+20、NGOと政府の対話は誇るべき成果なんじゃないだろうか [2012年07月07日(Sat)]
7月4日に、リオ+20(国連持続可能な開発会議)に参加した人のお話を聞きました。
リオに行っている間は、交渉の経過をずっとウォッチし続け、メディアに対してブリーフィングを行い、政府とNGOとの対話の場を3回作ったとのこと。

今回のサミットでは、日本の野田首相、アメリカのオバマ大統領、ドイツのメルケル首相その他主要な国のトップが参加せず、最初から政治的成果が期待されていませんでした。けれど、協働という点では、20年前の地球サミットと比べて格段の前進だったとのこと。

日本から参加したNGOと政府がサミットの成果文書をめぐって対話する場が開けるということだけでも、大きな進歩ですし、そのことが交渉にある程度の影響があったとの評価は力強いものです。いずれ、そのような経過を総括したレポートが出ることを期待したいものです。
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