ESD-Jの全国ミーティングの2日目。今日は午前が分科会。午後にまとめの全体会でクロージングという流れ。分科会は「生物多様性」「学校」「復興」と3つのお題で「コーディネーション」を考えるというもの。それぞれに、事例報告があり、参加者がコーディネーターに必要なスキルや育成の方法を考えるというテーマで、結構難度が高い。少なくともESDそのものが良く理解できていないワタクシのような者にとっては難題と言っても良いものです。
私が参加した分科会は「生物多様性」。事例発表は、沖縄は山原の生きものを守る活動を続けていらっしゃる久高さん、福井県中池見湿地を開発から守った笹木さんというお二人。久高さんのお話をお聴きするのは2回目、中池見は情報としては良く知っていたのですが、直接お話をうかがうのは初めてです。
2つの事例をお聴きするだけで1時間超。それから「ESDコーディネーターとは?」というテーマを掘り下げていくわけですが、二人のお話をお聴きすると、超人的なご活躍に目を奪われ、そこからスキルのエッセンスを引き出して一般化するとか、後に続く人材を育成していくなどということができるのだろうかと途方に暮れてしまいます。
久高さんは「写真家」ではありますが、自らの写真を広める「仕事」は、山原の自然のすばらしさを伝え、理解者・賛同者を増やす「コーディネーション活動」の一つですし、写真を撮ることを通じて、地元の人とのコミュニケーションを図っています。つまり、生活のほとんどを山原の自然のために費やしているわけです。また、笹木さんは専業主婦とコーディネーターをうまくバランスしているとおっしゃいますが、中池見のために費やしている労力は相当なものであろうと想像できます。このお二人を「ESDコーディネーター」のモデルとして一般化をはかる、なんていうことができるのだろうか?? それが、私の疑問でした。
もやもやとした思いを抱えて、全体会。3つの分科会での議論の報告の後、3〜4人のグループ作業。3つの分科会の人が必ず一人以上含まれるようなグループを作り「ESDコーディネーターとは?」というお題を考えるディスカッション。これもまた難題ですが「まあ、考えるプロセスそのものに意味があるのだろう」と持ち前の「いい加減」さを発揮して議論に加わります。私のグループには「学校」から2人、「復興」から1人、そして私が「生物多様性」という4人の構成でした。
他の分科会に出られた方とお話をするうちに、気づいたことがあります。
笹木さんや久高さんの活動は、はるかに高い山の頂のように見えますが、ご本人は「楽しんでやっている」「悲壮感は無い」とおっしゃいます。方や、行政・大企業が進める大開発、方や複雑に利権が入り乱れ、米軍演習所までが絡む複雑なことこの上ない沖縄開発。絶望的とも思える状況を楽しみながら、運動を繰り広げることができるのは、お二人にとって、そこが「生活の場」であり、運動は「日常生活」そのものだからなのでしょう。私のように80年代「自然保護運動冬の時代」に自然保護を仕事としていた者の目から見ると、驚くばかりのことなのですが、そのような活動を「特別のこと」としない意識の大転換が必要なのだと気づきました。
「復興」分科会の方からのお話がとても刺激になりました。あたりまえのことですが、東日本大震災からの復興は1年や2年で終わるものではありません。数年、もしかすると10年の単位で考えなければならない問題です。どんなに大変なことであっても「日常化と継続」が必要です。
そのように息の長いプロセスを動かすには「超人的なコーディネーション能力」のある少数の人が頑張るのは無理です。もともとあった地域コミュニティは単純なものではありません。例えば、消防団、婦人会、宗教的な「講」、共同作業の「結い」など、多種多様なコミュニティが幾重にも重なり合い、関係し合っていました。そして、それぞれのコミュニティごとに「コーディネーター」がいたはずです。
ESDなどと難しい言葉を使っていても、結局は「日々の暮らしの立て直し」なのですから、崇高な目標設定や、一人のコーディネーターが超人的な能力を発揮するような形では、その活動自体が「持続不能」に陥ります。
平凡な結論ですが、ESDのコーディネーターの役割は「平凡な暮らしの維持」であり、そのために必要な資源(人的資源が重要)を把握し、関係を構築する能力が求められます。そして、コーディネーターの育成とは、一人ひとりが「地域との関わり」を紡ぎ直すことであるのかもしれません。
「コーディネーター」という役割の人を育てるのでなく、地域の誰もが「コーディネーター的役割」を担う地域コミュニティの再構築が必要なのでしょう。
私のように「職場」と「職場を通じた人間関係」が一番重要な「コミュニティ」になってしまっていると、笹木さんや久高さんの活動を「超人的」と思ってしまい「登頂不能な絶壁」と見えるのですが、地域に根ざして生きる「生活人」に戻りさえすれば「コーディネーター」の壁はそれほど高いものではないはずです。「世話焼きオバサン」とか「地域の野球チームのキャプテン」で十分なはずです。そのような事例は今までさんざん観て来たはずなのに、自分で自分の中に「壁」を作ってしまっていたのでした。
壁を取り払ってしまえば、笹木さんや久高さんに学ぶべき点を抽出し、広めていくことはできるはずです。そのことに気がついたのは、このミーティングが終わる20分前でした。さて、これから、自分は何ができるだろうか、明日から自問自答がまた始まります。