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リオ+20で評判の悪かった「グリーン経済」 [2012年06月27日(Wed)]
1992年6月に開催された「環境と開発に関する国連会議(リオサミット)」から20周年にあたる今年、再びブラジルで開催された会議(リオ+20)は、盛り上がりのないままに終わった感があります。

国連の会議史上最大と言われる5万人が参加したそうですが、オバマ大統領をはじめ、欧米の首脳は欠席(日本の野田総理大臣も)し、期待された成果が得られなかったとの見方が多いような気がします。もちろん『われわれの望む未来』の採択やSDGs(持続可能な開発目標)に向けた一歩を踏み出し、失望だけではなかったとは思います。

webで検索をかけると「グリーン経済」についての記述が大幅に後退したという記事がたくさんヒットします。「グリーン経済」は今回のサミットの大きなテーマだっただけに、数値目標もロードマップも示せなかったことを失望する人が多かったでしょう。

「環境と調和した経済を目指す」「そのためのプログラム、目標値、ロードマップを示す」単純に考えると、反対する理由はなさそうですが、貧困問題に悩む途上国にとって、持続可能性は「環境・経済・社会」の3つの柱で成り立つものであり、「環境と経済」にフォーカスすることによって「社会的公正」の視点が薄れるという疑いを持ったということかもしれません。あるいは「環境と経済の調和」が経済発展の障害になる可能性を感じたのかもしれません。

環境NGOや先住民の人権を扱うNGOにも受けが良くありませんでした。

例えば、エネルギー源をバイオマスに転換することは、化石燃料や原子力への依存を減らすことになり、新たな産業を興すことにつながります。けれども、木質バイオマスの生産が、従来型の「工業生産的効率性」を追求して行われるならば、森は一面の単一樹種となり、伐採されるときは数百ヘクタールにわたる皆伐。木が切られた後は泥だらけになり、気候の厳しいところでは回復までに長い年月を要するかもしれません。また、森を生活の場とする先住民の暮らしの基盤を奪うことにもなりかねません。今の「グリーン経済」がほんとうに「持続可能な生態系の利用」につながるのか、疑心暗鬼になっているのです。

その理由の一つは「グリーン経済」が明確に定義されて来なかったことにあるのかもしれません。このままでは、自然収奪型の経済・格差助長型の社会がさらに進むことになるかもしれない。少なくとも、そのようなものではないことを明確に示せなかったのかもしれません。トウモロコシでエタノールを作った結果、穀物相場が上がって食料価格が上がる、といったことが無いようにしなければなりません。
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