流れ去る時間・積み重なる時間 [2012年06月07日(Thu)]
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「時の流れ」という言葉が象徴するように、時間は、川のように流れ去り、元に戻ることのない一本の線としてイメージされるのが一般的な感覚だと思います。
ところが現代では、今の生活が過去や未来と連続したものであるとの意識さえ持ちにくくなっているような気がします。今の子どもたちは、自分の親や祖父・祖母の生活を思い描くことさえ難しくなっているのではないでしょうか。未来さえもが現在の延長線上に見えなくなってきているような気がしてなりません。現在と未来の不連続。つまり、いつか破局的な事象が起こってしまうのではないかとの意識が、3.11以降、より現実味を帯びているように思います。 現代の日本人がイメージする「時間」は、ダムで寸断されたような川なのかもしれません。 かつて、私たちの暮らしは「過去の蓄積」として意識されていました。滋賀県の嘉田知事のインタビューをしたことがあります。嘉田知事は、風景の中に時間を見る達人でした。風景をかたちづくる一つひとつのものは人の営為が産みだしたものであり、川の堤防の歴史を問えば、いつ・どこの・誰が・何をしたということを語る人がいたとおっしゃっていました。過去は、決して過ぎ去ってしまったものでなく、そこに蓄積されてあるものなのです。 また、かつては、現在と未来の連続性を体で実感する暮らしがありました。木を植える人は、自分が死んだ後も木が育ち、森となり、自分の子や孫の世代を豊かにすることを信じています。人生のはかなさを嘆くこともありません。棚田の石垣、川の堤防、全てがそうだったのでしょう。 過去の蓄積の上に現在があり、現在の営為が未来につながっていると感じられる暮らしは「持続可能な発展」そのものであると思います。そのような暮らしをする人たちは、時間を「積み重なっていくもの」としてとらえます。今一度、そのような実感の持てる生活へと向かうことが、持続可能な社会への道と言えるのではないでしょうか。 |



