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助成申請書の採点にうれしい悲鳴 [2012年05月27日(Sun)]
助成金の採点がやっとおわりました。今回はちょっと苦労しました。まず、直感を頼りに落選と通過を振り分けます。予定では3分の1に減らすはずでしたが、3分の2が残りました。精読の手間が倍かかったことになります。スクリーニングをかけた後、webをあたり、新聞記事検索で関連記事を探し、他の助成財団などのサイトをあたりながら、採点基準に合わせて点数をつけるわけですが、数が多いととても大変なので、スクリーニングの段階でもう少し落としておきたかったというのが本音です。

市民活動に日々尽力されている方々の申請に対して「落とす」とか「減らす」というのは適切ではないのですが、限りある助成金を有効に使うためには、全部通すわけにはいきません。また、競争によって活動がレベルアップしていくことも期待しているわけです。その点はご理解いただきたいと思います。

審査員の採点を集計すると、ずば抜けて得点の高い案件群と、得点の低い案件群に分かれます。どちらも、審査会ではあまり議論しません。時間がかかるのは、当選と落選のボーダーラインにある案件です。逆に言うと、そこに時間をかけたいので、ずば抜けて得点の高い案件と低い案件はあえて議論からはずすのです。もちろん、委員の1人でも「この案件は議論すべきだ」と主張する方がいれば俎上に載せます。

このように書くと「議論もしないほどずば抜けて得点が高い案件とはどのようなものか?」との質問が来ます。うまく説明できないのですが、オーラがあるのです。ありきたりの言葉で書くと「先駆性がある」とか「戦略的な事業体系」、「ニーズ・課題を確実にとらえている」などとなるのですが、そのような概念を超えて「すごい」と思わせる何かがあります。テーマとなる課題がしっかりと把握されている、そして、その解決策がしっかりと構想されており、実施体制も含めて「これはやってくれそうだ」との説得力があります。

審査会に行くと、他の審査員も同じように感じているらしく「この申請はいいね」「これは通しましょうね」くらいのやりとりで終わってしまうのです。今回も、私の中にはこのような申請書が2件ほどありました。他の審査員の方も同じような感じ方をしていただけたか、集計表を見るのが楽しみです。

「これは、重要な取組だ」「非常に魅力的で、インパクトのある活動を展開している」と直感しても、「無条件合格」にはならない申請が多いのが今回の特徴でした。まず、申請書の書き方の問題です。良いことをしているのに、とてもわかりにくい。眼光紙背に徹すとか、行間を読む作業にいそしむことになります。web検索などで補足的なデータを得ることができれば通過ですが、納得できるだけの情報を得るにはかなりの時間が必要です。いくら良い活動をしていても、助成金は申請書類だけで判断すべきものであり、表現力も含めて実力だ、と割り切る方もいらっしゃいますが、申請書の書き方が上手な団体だけが通過するというのもいやなので、心のどこかに訴えるものが少しでもあれば、できる限り情報源を探すことをモットーにしています。ところが、今回のように調べなければならない案件が増えると、それも十分な時間がかけられなくなるので困ります。くれぐれも、助成申請書は、わかりやすく、かつハートに訴える書き方を心がけていただきたいものです。

きわめて、戦略的・論理的に事業を組み立てて申請していても「どうしたものかなぁ〜」と悩む申請が多かったのも今回の特徴です。確かに、重要なテーマだし、今までこのテーマに真正面から取り組んだ事例は少ない。実現できれば、すごいだろうなとは思うのですが「今まで、先達がずっと構想していたことが、そんなにあっさりとできるのだろうか」との疑問が湧いてくるのです。自分もいつかやってみたいと夢見ていたことを、いきなり設計図に落とされてしまったような気分とでも言いましょうか。ジェラシーのような気分があるのかもしれません。書いてあることに大いに共感する。重要なテーマであることもわかる。でも、今まで挑戦してきた事例はあまりに少ない、実績や実現可能性の点では高い点をつけられない。そのような案件を採択しなくても「ここなら、そこそこの成果を出してくれるだろう」と思われるものも多かったので、その冒険的な申請を通過させると、安全・確実案件をいくつか落とさざるを得なくなる。これもまた苦悩の種でした。最終的には、審査会の判断に委ねることとし、私の「お勧め案件」として提出しました。議論が楽しみです。
タグ:助成金 申請
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