
2022年10月19日 統一日報[2022年10月19日(Wed)]
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![]() 2022年10月19日 統一日報[2022年10月19日(Wed)]
![]() 2022年10月14日 東洋経済日報[2022年10月14日(Fri)]
東洋経済日報さんより。
![]() 「タイトル」 復興病院から韓国の子共たちに感謝の声 NPO法人が橋渡し 「本文」 宮城県南三陸町で活動いているNPO法人ヴィレッジネーション(静岡県富士宮市)は、韓国富川市にある美術を中心とした総合学習塾クリムナラで防災安全教育を行っている。 そして、復興を進める南三陸町の姿から学ぶ中で、韓国の子供たちから「この町の人は今、元気ですか?」との声を受け、絵の力を使って声を届けようと18年から南三陸病院へ復興応援横断幕を寄贈している。 4日に村松広貴・同法人代表理事が同病院を訪れて病院関係者と交流し、待合の患者さんが絵を見て元気づけられたり、長く通院する人が毎年楽しみにしていると聞き、韓国の子供たちに伝えると回答した。同交流は来年以降も行う予定だ。(全文) ![]() 韓国の子どもたちから南三陸町の皆さんへ[2022年10月13日(Thu)]
東日本大震災から11年が経ち、街並みもすっかり変わり、昔の記憶も薄れつつ。
2015年12月14日に町の復興シンボルとして本設復興再建させた「南三陸病院」(旧志津川病院) (2011年8月志津川病院) 震災直後に、ふとした場所で出会った人が、当時の志津川病院の事務長さん。 多くの仲間を失いながらも、懸命に本設開院に漕ぎつけました。 2018年からは、韓国の子どもたちが、南三陸町を応援しようと復興応援横断幕を贈って、応援。 毎年、復興応援横断幕を贈る中で、皆さん元気かな?と言う気持ちが芽生え、絵の表現力を一杯勉強して、今年はもっと良い絵を贈ろうと日々、努力を重ねています。 ![]() ![]() ![]() 昨今のコロナ禍で、コロナ当初よりワクチン接種などが始まり、病院は大忙し。 コロナが終わるまでは、一時中止を考えましたが、病院側から「震災からの継続は大切にしていきたい」との温かいお言葉を頂き、今年も3月に贈りました。 以前に展示していたコミュニティー広場は、臨時ワクチン接種会場となり、展示できず… また、追加ワクチン接種の予定に、町唯一の大病院は、てんてこ舞い。 5月過ぎにようやく展示出来たと連絡を頂いていました。 現在の事務長さんとは、電話口やオンライン上でしかお会いしたことがなかったので、許可を頂き、病院を訪問してきました。 ![]() ![]() ![]() 東日本大震災がきっかけだった当時は、復興応援横断幕として毎年送っていた絵画。 その間にコロナ感染症が広がり今年で5年が経ち、復興応援横断幕というより、「南三陸町の皆さん、今年もお元気ですか?」のお便りの絵に変わりつつあります。 ![]() ![]() 2022年10月11日はイオン幸せの黄色いレシートキャンペーン[2022年10月11日(Tue)]
2022年10月11日
![]() 毎月11日は、イオンの幸せの黄色いレシートキャンペーン実施中。 「イオン 幸せの黄色いレシートキャンペーン」は、お客さまがレジ精算時に受け取った黄色いレシートを、地域のボランティア団体名が書かれた店内備え付けのBOXへ投函していただき、レシートのお買い上げ金額合計の1%をそれぞれの団体に還元するというシステムです。 ![]() 弊法人実施場所 ・イオン富士宮店 ・マックスバリュ富士宮朝日町店 弊法人は、子供の健全育成・障害者支援・被災支援を行っております。 ご理解・ご協力をお願い致します。 ![]() 2022年10月8日 三陸新報[2022年10月08日(Sat)]
三陸新報さんより。
![]() 「タイトル」 応援の思いを込めて 韓国の子供たち 南三陸病院に絵寄贈 「本文」 南三陸町の復興を応援している韓国の子供たちが描いた絵とメッセージが3日、交流を続けている南三陸病院に届けられた。 絵を描いたのは、富川(プチョン)市の総合学習塾に通う幼稚園児から中学校1年生。塾では、2014年のセウォル号転覆事故をきっかけに防災安全教育を行っており、同町の復興の様子も教材にしている。 同病院との交流は、同町などを支援しているNPO法人ヴィレッジネーションがつないだもので、これまでに4回、子供たちの絵やメッセージを届けてきた。 今回の絵は縦1b、1.5bほどのサイズ。中心に復興の進展を願うように大木を描き、周囲には同病院、さんさん商店街、オクトパス君などを描いた。大木に貼られたメッセージには「がんばって」「いつか必ず会いましょう」「コロナにまけない」などと日本語を添えたものもある。 絵は、制作中の様子が分かるように写真と一緒に1階の歯科口腔(こうくう)外科待合所に掲示している。同法人の村松代表は「南三陸町の皆さんを応援する子供たちの思いが込められた作品。多くの人を元気づけてほしい」と話した。(全文) ![]() 2022年10月の宮城県南三陸町 番外編[2022年10月08日(Sat)]
さんさん商店街を久しぶりに散策する中で、いつも寄らせて頂く「わたや」さん。
元々は、クリーニング店を営んでいらっしゃったようですが、東日本大震災の津波で被災。 当時のお店は跡形もなくなってしまいました。 (被災前に合ったお店の跡地) その後、復興商店街、旧さんさん商店街で店を再建。仮設のお店で運営されていました。 どのお店も名産や食堂を営む中に、クリーニング店があり立ち寄ったことがきっかけです。 観光客が訪れる旧さんさん商店街で、町の人が服のクリーニングの為に立ち寄ったり取りに来たり、制服を販売したりして、震災観光地となっていた商店街の中では、地域密着型のお店が印象的でした。(お土産品も少し売っていました) 当時、支援に行く度に、お話を聞かせて頂いたり、四季に合わせてクリーニングに出される種類が変わってきたことなど、当たり前ですがたわいもない話を良くして頂きました。 (旧さんさん商店街の頃) 当時、仮設住宅に住まれているの皆さんの家に表札がなかったので、仮設住宅に住まれている方と一緒に表札を作りをしたワークショップ時に、わたやさんのお店の分も作成しました。(2012年9月) 旧さんさん商店街は、場所を変え、現在の場所に移転。 その時の送った表札を今でもお店に飾っていてくれています。 あの時、仮設商店街の仮のお店だったから、簡単に作った表札。10年経った今もこんなにも大切にしてくれていることを思うと、この人たちに出会えて本当に良かったと感じます。 ![]() 現在は、さんさん商店街の真ん中位の位置でクリーニング・学生服・お土産の店として、変わらず店主とその奥さんが切り盛りしています。おすすめです。 宮城県南三陸町「わたや」 ![]() ![]() ![]() 2022年10月の宮城県南三陸町 その2[2022年10月07日(Fri)]
町の中では、今も復興工事が所々で行われていました。
防災庁舎があった場所は、被災した防災庁舎を一時的に宮城県が保存しながら、その周りを祈念公園として訪れることが出来ます。 周辺は、元の高さの防災庁舎を除き、大きく盛土で形成されているために、高台公園となり、南三陸町を見渡すことが出来ます。 (2011年4月23日 宮城県南三陸町の防災庁舎) ![]() ![]() ![]() 川を渡れば、さんさん商店街。 平日のお昼を過ぎた時間だったので人影はまばらですが、時間をずれれば駐車場に入りきれないほど、今も人気です。 一時は、国の制度を利用してどの被災地も盛り上がっていましたが、被災した町のほとんどが人気を継続できず衰退。南三陸も例外ではなく、さんさん商店街を比喩して閑散商店街と言われた時期もありましたが、町民の工夫を継続して、今も賑わい楽しませるシステムを保っていました。 ![]() ![]() そして、2022年10月1日にオープンした南三陸311メモリアル。 震災当時の住民の証言や、写真、映像を継続して収集されていました。 とても衝撃的な写真から、復興が進み、日常を喜ぶ笑顔の写真等、南三陸を体験できます。 館内は撮影禁止のために、1度訪れることをお勧めいたします。 ![]() ![]() また、併設して、道の駅があります。 個人的に、道の駅と言うと、地域の物産展の集まりの様なイメージを致しますが、ここの道の駅は、ずばりそのまま、道の駅。道にあるJR駅です。 震災の津波でJR線が流失してしまい、現在は、その線路を埋め立て一部をバスが走っています。 このバスをBRT(バス・ラピッド・トランジット)と呼び、電車の変わりになり生活を支えています。 このBRTのメリットは、予めルートが決まっていますが、混む道路がある場合、埋め立てた旧線路を走ってくるために、場合によっては自家用車より到着が早い場合があり、大変便利です。 そして1度作った駅も、バスの為に町の状況によって駅を移動できるなど、復興が進む町にとってはメリットが一杯です。 説明が難しいですが、道にある駅=道の駅なのです。 ![]() 今回、久しぶりに訪れた南三陸町でしたが、変わらない人の頑張りや、笑顔に触れられたこと。楽しみに待っていてくれた人たちに会えたこと。町はまだまだ変わり、震災遺構の存続など課題はあるけれど、それらもしっかり受け止めて生活している人たちに出会えてよかったと感じました。日本国内の相次ぐ自然災害などが続き、11年前の事など忘れられがちですが、今を生きているほとんどの人があの時、何か一つ出来ることはないだろうと考えていたことが懐かしく、次に起こる自然災害にも、活かしていきたいと思いました。 ![]() ![]() 2022年10月の宮城県南三陸町 その1[2022年10月05日(Wed)]
コロナ禍となり、県外移動の自粛などにより、久しぶりの宮城県南三陸町。
当法人としては、2019年5月以来になりました。 (ベイサイドアリーナ) ![]() 2021年3月18日に死去された岩崎あや子宅へ、弔問させて頂きました。 夫である惣一さんは、元気を取り戻し、お元気な様子でホッとした。 いままで妻が色々してくれていたけど「今は何でも自分でしないとならない」と、頭を搔きながらやさしく出迎えてくれました。 ![]() すっかり町が変わった様子や、近況を報告しあって、時を戻すかの様にたくさんお話をしました。 お庭には、2011年8月27日に、目の手術を終えたあや子さんの退院祝いに送った、「初雪かずら」が自生していました。 ![]() ![]() 町も大きく変わり、支援から繋がりそして親友へ。 多くの時が流れたことを感じました。 2011年8月の東山公園 2022年10月の東山公園 ![]() ![]() 宮城県南三陸町のあさひ幼稚園「運動会」[2022年10月01日(Sat)]
2013年から始まった、静岡県富士宮市と宮城県南三陸町の園児が繋ぐ
「友情こいのぼり」プロジェクト 2011年、東日本大震災の津波の被害を受けた、南三陸町にある「あさひ幼稚園」さん。 園舎は津波で流され、仮設園舎を転々とし、大変な園生活を送っている園児を勇気づけようと始まったのがきっかけのあさひ幼稚園さん。 2020年の鯉のぼり交流を最後に、コロナ禍で交流自体が難しくなりストップ。 当時は、コロナ感染者が0人をキープしている南三陸町を考えると、県を跨ぐ移動も儘ならない状況化でした。 見えないコロナ禍でしたが、当法人は「あさひ幼稚園」さんとの繋がりを大切にしてきました。 幼稚園内の夏祭りイベント時期には盆踊りも踊れず時間短縮。 今回、コロナが無くなった訳ではありませんが、出来ることをやろうと奮起している「あさひ幼稚園」さんを応援しに行ってきました。 お会いするのは本当に久しぶりでしたが、久しぶりな感じがしない感覚ってなんなんでしょうか? ![]() ![]() |
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