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2022年10月の宮城県南三陸町 番外編[2022年10月08日(Sat)]
さんさん商店街を久しぶりに散策する中で、いつも寄らせて頂く「わたや」さん。
元々は、クリーニング店を営んでいらっしゃったようですが、東日本大震災の津波で被災。
当時のお店は跡形もなくなってしまいました。
20120915宮城県南三陸町.JPG

20121106南三陸町「わたや」跡地.JPG
(被災前に合ったお店の跡地)


その後、復興商店街、旧さんさん商店街で店を再建。仮設のお店で運営されていました。
どのお店も名産や食堂を営む中に、クリーニング店があり立ち寄ったことがきっかけです。
観光客が訪れる旧さんさん商店街で、町の人が服のクリーニングの為に立ち寄ったり取りに来たり、制服を販売したりして、震災観光地となっていた商店街の中では、地域密着型のお店が印象的でした。(お土産品も少し売っていました)
当時、支援に行く度に、お話を聞かせて頂いたり、四季に合わせてクリーニングに出される種類が変わってきたことなど、当たり前ですがたわいもない話を良くして頂きました。
20120311旧さんさん商店街入口.JPG

20120311宮城県南三陸町「わたや」さん.JPG

20120311宮城県南三陸町「わたや」さん (2).JPG
(旧さんさん商店街の頃)

当時、仮設住宅に住まれているの皆さんの家に表札がなかったので、仮設住宅に住まれている方と一緒に表札を作りをしたワークショップ時に、わたやさんのお店の分も作成しました。(2012年9月)
20120917仮設住宅の表札作り.JPG

20120917仮設住宅の表札作り (2).JPG

20120917仮設住宅の表札作り (3).JPG

201211月旧さんさん商店街「わたや」さん.JPG(旧さんさん商店街のわたやさん)

旧さんさん商店街は、場所を変え、現在の場所に移転。
その時の送った表札を今でもお店に飾っていてくれています。
あの時、仮設商店街の仮のお店だったから、簡単に作った表札。10年経った今もこんなにも大切にしてくれていることを思うと、この人たちに出会えて本当に良かったと感じます。
20221003宮城県南三陸町「わたや」さん.jpg


現在は、さんさん商店街の真ん中位の位置でクリーニング・学生服・お土産の店として、変わらず店主とその奥さんが切り盛りしています。おすすめです。
宮城県南三陸町「わたや」
20221003宮城県南三陸町さんさ商店街.jpg

20180310宮城県南三陸町「わたや」さん.jpg

Posted by NPO法人 ヴィレッジネーション at 17:02 | 南三陸町 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
2022年10月の宮城県南三陸町 その2[2022年10月07日(Fri)]
町の中では、今も復興工事が所々で行われていました。
防災庁舎があった場所は、被災した防災庁舎を一時的に宮城県が保存しながら、その周りを祈念公園として訪れることが出来ます。
周辺は、元の高さの防災庁舎を除き、大きく盛土で形成されているために、高台公園となり、南三陸町を見渡すことが出来ます。
20110423 宮城県南三陸町.JPG
(2011年4月23日 宮城県南三陸町の防災庁舎)

20221003宮城県南三陸町 (1).jpg

20221003宮城県南三陸町 (2).jpg

20221003宮城県南三陸町 (3).jpg


川を渡れば、さんさん商店街。
平日のお昼を過ぎた時間だったので人影はまばらですが、時間をずれれば駐車場に入りきれないほど、今も人気です。
一時は、国の制度を利用してどの被災地も盛り上がっていましたが、被災した町のほとんどが人気を継続できず衰退。南三陸も例外ではなく、さんさん商店街を比喩して閑散商店街と言われた時期もありましたが、町民の工夫を継続して、今も賑わい楽しませるシステムを保っていました。
20221003宮城県南三陸町 (4).jpg

20221003宮城県南三陸町 (5).jpg


そして、2022年10月1日にオープンした南三陸311メモリアル。
震災当時の住民の証言や、写真、映像を継続して収集されていました。
とても衝撃的な写真から、復興が進み、日常を喜ぶ笑顔の写真等、南三陸を体験できます。
館内は撮影禁止のために、1度訪れることをお勧めいたします。
20221003宮城県南三陸町 (6).jpg

20221003宮城県南三陸町 (7).jpg


また、併設して、道の駅があります。
個人的に、道の駅と言うと、地域の物産展の集まりの様なイメージを致しますが、ここの道の駅は、ずばりそのまま、道の駅。道にあるJR駅です。
震災の津波でJR線が流失してしまい、現在は、その線路を埋め立て一部をバスが走っています。
このバスをBRT(バス・ラピッド・トランジット)と呼び、電車の変わりになり生活を支えています。
このBRTのメリットは、予めルートが決まっていますが、混む道路がある場合、埋め立てた旧線路を走ってくるために、場合によっては自家用車より到着が早い場合があり、大変便利です。
そして1度作った駅も、バスの為に町の状況によって駅を移動できるなど、復興が進む町にとってはメリットが一杯です。
説明が難しいですが、道にある駅=道の駅なのです。
20221003宮城県南三陸町 (8).jpg


今回、久しぶりに訪れた南三陸町でしたが、変わらない人の頑張りや、笑顔に触れられたこと。楽しみに待っていてくれた人たちに会えたこと。町はまだまだ変わり、震災遺構の存続など課題はあるけれど、それらもしっかり受け止めて生活している人たちに出会えてよかったと感じました。日本国内の相次ぐ自然災害などが続き、11年前の事など忘れられがちですが、今を生きているほとんどの人があの時、何か一つ出来ることはないだろうと考えていたことが懐かしく、次に起こる自然災害にも、活かしていきたいと思いました。
202210月の南三陸町.jpg
Posted by NPO法人 ヴィレッジネーション at 16:27 | 南三陸町 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
2022年10月の宮城県南三陸町 その1[2022年10月05日(Wed)]
コロナ禍となり、県外移動の自粛などにより、久しぶりの宮城県南三陸町。
当法人としては、2019年5月以来になりました。
(ベイサイドアリーナ)
202210宮城県南三陸町.jpg

2021年3月18日に死去された岩崎あや子宅へ、弔問させて頂きました。
夫である惣一さんは、元気を取り戻し、お元気な様子でホッとした。
いままで妻が色々してくれていたけど「今は何でも自分でしないとならない」と、頭を搔きながらやさしく出迎えてくれました。
南三陸町の岩崎惣一さん.jpg

すっかり町が変わった様子や、近況を報告しあって、時を戻すかの様にたくさんお話をしました。
お庭には、2011年8月27日に、目の手術を終えたあや子さんの退院祝いに送った、「初雪かずら」が自生していました。
20110827 南三陸町の岩崎あや子さん.JPG

202210 自生したハツユキカズラ.jpg

南三陸町の岩崎惣一さん (2).jpg

町も大きく変わり、支援から繋がりそして親友へ。
多くの時が流れたことを感じました。
2011年8月の東山公園
2011年8月の宮城県南三陸町.JPG

2022年10月の東山公園
2022年10月の宮城県南三陸町.jpg
Posted by NPO法人 ヴィレッジネーション at 20:24 | 南三陸町 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
宮城県南三陸町のあさひ幼稚園「運動会」[2022年10月01日(Sat)]
2013年から始まった、静岡県富士宮市と宮城県南三陸町の園児が繋ぐ
「友情こいのぼり」プロジェクト
2011年、東日本大震災の津波の被害を受けた、南三陸町にある「あさひ幼稚園」さん。
園舎は津波で流され、仮設園舎を転々とし、大変な園生活を送っている園児を勇気づけようと始まったのがきっかけのあさひ幼稚園さん。
2020年の鯉のぼり交流を最後に、コロナ禍で交流自体が難しくなりストップ。
当時は、コロナ感染者が0人をキープしている南三陸町を考えると、県を跨ぐ移動も儘ならない状況化でした。

見えないコロナ禍でしたが、当法人は「あさひ幼稚園」さんとの繋がりを大切にしてきました。
幼稚園内の夏祭りイベント時期には盆踊りも踊れず時間短縮。
今回、コロナが無くなった訳ではありませんが、出来ることをやろうと奮起している「あさひ幼稚園」さんを応援しに行ってきました。
お会いするのは本当に久しぶりでしたが、久しぶりな感じがしない感覚ってなんなんでしょうか?
20221001 南三陸町あさひ幼稚園.jpg

20221001 南三陸町あさひ幼稚園 (2).jpg
Posted by NPO法人 ヴィレッジネーション at 20:28 | 南三陸町 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
南三陸病院さんから、届いた[2021年06月28日(Mon)]
先日、宮城県南三陸町にある南三陸病院さんから、メッセージと写真を頂きました。

南三陸町では唯一のワクチン接種会場となり、当院でも慌ただしく高齢者ワクチン接種が進んでいます。韓国から頂いた、復興応援横断幕(絵画)を高齢者の方々の目に止まる場所に展示して、頑張っています。とのメッセージを頂きました。

展示されている写真も、添付されていました。(写真の一部を、加工しています)
南三陸病院(ヴィレッジネーション グリムナラ).jpg

南三陸病院(ヴィレッジネーション グリムナラ) (2).jpg

南三陸病院(ヴィレッジネーション 그림나라).jpg


2011年東日本大震災がきっかけのご縁。
南三陸町とヴィレッジネーションと韓国
今でも人を想う気持ちが続いています。
(2021年2月韓国の塾그림나라(グリムナラ)での制作風景)
그림나라(ヴィレッジネーション 미나미산리쿠병원).jpg

그림나라(무라마츠 미나미산리쿠병원).jpg

동일본대지진(빌리지 네이션 미나미산리쿠병원).jpg
Posted by NPO法人 ヴィレッジネーション at 17:03 | 南三陸町 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
2021年2月13日 福島県沖地震M7.3[2021年02月14日(Sun)]
2021年2月13日23時08分、福島県沖でマグニチュード7.3の地震が発生。
震源の深さは、約60キロ
20210213福島県沖地震.jpg

福島県内の震度6強は、相馬市、国見町、新地町。
震度6弱は、福島市、郡山市、南相馬市、広野町、楢葉町、大熊町、双葉町、浪江町等
震度5強は、いわき市、白河市、二本松市、猪苗代町、飯舘村等

宮城県の震度6強は、蔵王町。
震度6弱は、石巻市、岩沼市、登米市、亘理町、山元町等
震度5強は、仙台市青葉区、仙台市宮城野区、仙台若林地区、名取市、松島町等
震度4は、南三陸町

どの町も、2011年東日本大震災が起きる前だったら、知らなかった町ですが、知っている町の名前が次々と地震速報から流れてきた。
北は北海道から、南は、広島県まで揺れた大きな地震でした。
ここ、静岡県富士宮市では、震度3を記録しました。

この地震では、震源の深さが深かったために、多少の海面変動が起こるかもしれないが、津波の心配ないと、すぐに報道されて、ホッとしました。
ただ、2016年4月14日から16日未明まで相次いで震度7や震度6強を記録した雲本地震の記憶と重なり、改めて地震の怖さを思い出しました。

地震速報からは、次々と地震を体験した人達の映像や、町の様子が映し出されて、東北で知り合った方々の安否が気になりました。
深夜の時間帯だったのですが、SNSでオンラインになっている方の安否が気になり連絡。

1番被害が大きかった福島県南相馬市に住む方からは、家の瓦の落下や、壁の崩落の写真。
20210213福島県南相馬市 (2).jpg

20210213福島県南相馬市.jpg

宮城県仙台市内の方からは、食器棚から出た食器の破損状況。
宮城県南三陸町の方からは、東日本大震災を思い出すと不安ですすり泣く声や、再建させたお店が不安と震えが止まらない様子.
20210213宮城県仙台市.jpg

幸いにも?と言っていいだろうか?しかしこの巨大な地震の中でも、多くのけが人の報告もなく、私の知り合いの中でも人的災害はありませんでした。
10年前の東日本大震災からの余震だと思われ、今後一週間程度、余震に注意が必要と発表されていました。
翌日、韓国でも大きく報道され、福島県には1300人、宮城県には約3200人に韓国人が日本で暮らしていると知りました。

2月25日追記:この地震で50代男性1名が家財道具の下敷きになり死亡が確認されました。
Posted by NPO法人 ヴィレッジネーション at 14:37 | 南三陸町 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
2020年12月の南三陸町[2020年12月27日(Sun)]
2020年12月からコロナ禍が始まり、2021年3月に訪れる予定だった宮城県南三陸町。
当法人が最後に訪れたのは、2019年5月が最後です。
それから、1年7か月ぶりの宮城県南三陸町の様子。

現在も、南三陸町ではコロナ感染者0人を記録中。
益々、海外や県外から行けそうにありませんが、自粛も応援!?

そんな中、いつもお世話になっている季節料理「志のや」さんの従業員の方にお願いして、南三陸町の写真を撮って頂きました。現在の南三陸町をご覧ください。
2020年12月の南三陸町.jpg

2020年12月の南三陸町 (2).jpg

2020年12月の南三陸町 (3).jpg

2020年12月の南三陸町 (4).jpg

2020年12月の南三陸町 (5).jpg

2020年12月の南三陸町 (6).jpg

2020年12月の南三陸町 (7).jpg

2020年12月の南三陸町 (8).jpg

2020年12月の南三陸町 (9).jpg

どの写真もどこから撮って頂いたかわかる写真ばかりで、だんだん町が出来てきていることが分かります。
お忙しい中、ご協力ありがとうございました。
Posted by NPO法人 ヴィレッジネーション at 15:32 | 南三陸町 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
2019年5月の南三陸町[2019年05月17日(Fri)]
震災から9年2か月。

2012年1月2日に、YES工房で働いていた、高橋さんのお店。「志のや」さん。
キラキラ丼の発祥地。2012年2月の仮設商店街さんさん商店街がオープンしてからここ以外の店で食べたことがありません。5月1日から始まったキラキラ丼は、雲丹。
201905「志のや キラキラ丼」.JPG


志津川湾を見渡せる、サンオーレそではま。オクトパス君をモチーフにした遊具を発見しました。
20190513サンオーレそではま (2).JPG

20190513サンオーレそではま.JPG

袖浜漁港
20190513袖浜漁港.JPG


旧志津川病院の事務長の横山孝明さん。
南三陸病院の事務長を経て、現在は2006年に完成2011年の東日本大震災の、津波の被害を免れた、介護老人保健施設ハイム・メアーズの事務長に異動されていました。
志津川病院時代には、避難マニュアルは3階以上へ避難。実際には、津波は4階まで到達。入院患者107人中72人が死亡・行方不明になりながら、最前線で指揮を執り42人の入院患者を救った。
穏やかな人ですが、たくさんの仲間を失い、2013年1月にはアルジェリア人質事件で友人まで失いながら、ふるさとの復興をいつも考えている人です。
201905介護老人保健施設ハイム・メアーズ.JPG

ヴィレッジネーション村松と横山孝明事務長.JPG


ホテル観洋から見える、南三陸町。
ラムサール条約に登録された志津川湾。養殖業が盛んです。
ホテル観洋から見える南三陸町.JPG


志津川中学校からの風景。
下には総合運動公園(仮)が出来ています。
何故かトラックが300メートル。どうやら昔あった松原公園をモチーフにしているからだとか…400メートルトラックなら公式に使えるのに…と住民が嘆いてるが、役所の仕事とはそんなものなのか?ここの情報は定かではありません。
20190513志津川中学校からの南三陸町.JPG


45号線からの防災庁舎。
震災復興祈念公園を建設中。
20190513防災庁舎と震災復興祈念公園建設中.JPG


いつもお世話になっているYES工房さん。
何と「クムトパス君」を発見。これは、公開してもいいものなのか?
2020年東京パラリンピック日本柔道で活躍する、ゆるキャラ。
20190513YES工房 (2).jpg

20190513YES工房.jpg


桜沢仮設住宅があった場所。
あんなにたくさんの人が住んでいた仮設が取り壊され、一軒家が建設中。
20120812桜沢仮設住宅.JPG
(2012年8月の桜沢仮設住宅)

20190513桜沢仮設住宅跡地.JPG
(2019年5月の桜沢仮設住宅跡地)

東山公園から見える、南三陸町。
ここから見降ろす南三陸町が好きだったのに、盛り土がされそんなに高く感じなくなってしまった。
20190513東山公園からの南三陸町.JPG


さんさん商店街を歩く、高校生カップル。
何げない、普段の姿に復興や当たり前を感じることができる。
2019 0513さんさん商店街.JPG


この時期に普通に見られるようになった、田植え。
私が1番復興が進んできたことを感じる瞬間。
当たり前のことが出来るようになってきた南三陸町。
20190513宮城県南三陸町 (2).jpg


復興が進む南三陸町。生涯学習センターがオープンするなど、町民が住みやすくなってきている一方、まだまだ現地の人が通う、居酒屋やショップなどがない。この理由の一つに、居抜き店舗がないことが挙げられる。居抜き物件がない為に、若者がチャレンジするには店舗建設からしなければならないと、ハードルが高い。また高齢者にも言えるが、店舗建設までして店舗を維持しようと思わない。使用しなくなった仮設住宅を、チャレンジショップとして数年単位で貸し出せば、若者や高齢者もチャレンジできる環境が出来るのだろうけど、仮設住宅は国のもので解体されてしまう。行政と市民のミスマッチが、復興を遅らせているように感じた、2019年5月の南三陸町でした。
Posted by NPO法人 ヴィレッジネーション at 18:37 | 南三陸町 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
2019年3月の南三陸町[2019年03月09日(Sat)]
震災から8年。3月11日で9年目。

3月9日(土)の南三陸町は少し汗ばむ陽気。
とっても天気がいいです。
しかし明日からは天気が下り坂。明後日11日は、雨模様の予定です。

南三陸町が一望出来る、志津川中学校。
今日は、卒業式でした。
2019年3月の南三陸町.JPG

中学校のグランドに建てられていた、応急仮設住宅の解体が終わっていました。
ここに住んでいた方々は、新たな住宅へ移っていったのでしょう。
元通りになりつつあるグランドを眺めながら、復興を感じることが出来ました。
2019年3月の南三陸町 (2).JPG

ラムサール条約湿原に登録された南三陸町の志津川湾。
海一面に、養殖されているわかめや牡蠣。
2019年3月の南三陸町 (3).JPG

海を眺める漁師さん。
漁港周辺は、復興の工事が進んでいます。
2019年3月の南三陸町 (4).JPG

2019年3月の南三陸町 (5).JPG

市役所では、2018年10月2日に登録された、ラムサール条約の横断幕が飾られていました。
2019年3月の南三陸町 (6).JPG

2018年3月29日に開通した45号線。震災前とほぼ同じ道筋になりました。
その脇には、被災した高野会館です。
2019年3月の南三陸町 (7).JPG

2019年3月の南三陸町 (8).JPG

南三陸町で一番有名な、防災庁舎。
盛り土に囲まれ、何だか小さく見えます。
2019年3月の南三陸町 (9).JPG

視覚障害の岩崎さんご夫婦。
この時期になると被災していた頃を思い出すより、私たちが来ることを楽しみになると言ってくれました。もう8年のお付き合いです。
2019年3月の南三陸町 (10).JPG

復興が進む南三陸町。
2019年3月の南三陸町 (12).JPG

こう言った日常のチラシに復興を感じます。
これが当たり前の生活。
正直、このチラシに一番復興を感じました。
2019年3月の南三陸町 (13).jpg

未だ、仮設住宅から出ることが出来ない人たち。
60棟ある内、4家族が住んでいる様に見えました。
2019年3月の南三陸町 (11).JPG

震災から間もなく8年。
震災から7年目を迎えた辺りから、現地の人たちが通う、大型スーパーが出来たり、その近くに住宅街が出来たり、バスが通ったりしてようやく当たり前の生活が戻ってきたように感じていました。そして8年目には、たくさんの生活に欠かせない道や橋なども続々完成し、生活が便利になりつつあります。
しかし一方で、ほとんどの仮設住宅の方が、新天地に移動されていますが、いまだにこうして暮らしている人もいる。復興が進むなか、この場所から出ることが出来ない家族がいること。
今更ながら、知り合いでもないために、声を掛けることもできない。
こうした場所に取り残された人たちのコミュニティが、衰退していくことに不安を覚えました。
目に見えるハードの復興は進む中、人の復興はまだまだ先だと感じた2019年3月の南三陸町でした。
2019年3月の南三陸町 (14).jpg
Posted by NPO法人 ヴィレッジネーション at 23:09 | 南三陸町 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
2018年5月の南三陸町[2018年05月11日(Fri)]
震災から8年2か月の命日。
先日訪れたのは3月。あれから2か月後。
震災直後のような急速に復旧・復興が進んではいないけれど、3月下旬に橋がオープンすると同時に新しい道が開通、町中に未来を支える主要道が出来ていました。
2018年5月の南三陸町.JPG

2018年5月の南三陸町 (2).JPG

さんさん商店街から見える防災庁舎。(左側)
2018年5月の南三陸町 (3).jpg

特に、このシーズンに見られる、稲苗を運ぶ軽トラックを信号待ちで見つけたときには、普通の暮らしが戻ってきたことを実感した瞬間でした。
何処にでもある風景が、この南三陸町でも見られることは、ずっとこの町を見てきた私たちにとっては非常にうれしい事でした。(写真の一部に加工処理しています)
2018年5月の南三陸町 (4).jpg
Posted by NPO法人 ヴィレッジネーション at 23:52 | 南三陸町 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
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