
2019年5月の南三陸町[2019年05月17日(Fri)]
震災から9年2か月。
2012年1月2日に、YES工房で働いていた、高橋さんのお店。「志のや」さん。
キラキラ丼の発祥地。2012年2月の仮設商店街さんさん商店街がオープンしてからここ以外の店で食べたことがありません。5月1日から始まったキラキラ丼は、雲丹。

志津川湾を見渡せる、サンオーレそではま。オクトパス君をモチーフにした遊具を発見しました。
-thumbnail2.JPG)

袖浜漁港

旧志津川病院の事務長の横山孝明さん。
南三陸病院の事務長を経て、現在は2006年に完成2011年の東日本大震災の、津波の被害を免れた、介護老人保健施設ハイム・メアーズの事務長に異動されていました。
志津川病院時代には、避難マニュアルは3階以上へ避難。実際には、津波は4階まで到達。入院患者107人中72人が死亡・行方不明になりながら、最前線で指揮を執り42人の入院患者を救った。
穏やかな人ですが、たくさんの仲間を失い、2013年1月にはアルジェリア人質事件で友人まで失いながら、ふるさとの復興をいつも考えている人です。


ホテル観洋から見える、南三陸町。
ラムサール条約に登録された志津川湾。養殖業が盛んです。

志津川中学校からの風景。
下には総合運動公園(仮)が出来ています。
何故かトラックが300メートル。どうやら昔あった松原公園をモチーフにしているからだとか…400メートルトラックなら公式に使えるのに…と住民が嘆いてるが、役所の仕事とはそんなものなのか?ここの情報は定かではありません。

45号線からの防災庁舎。
震災復興祈念公園を建設中。

いつもお世話になっているYES工房さん。
何と「クムトパス君」を発見。これは、公開してもいいものなのか?
2020年東京パラリンピック日本柔道で活躍する、ゆるキャラ。
-thumbnail2.jpg)

桜沢仮設住宅があった場所。
あんなにたくさんの人が住んでいた仮設が取り壊され、一軒家が建設中。

(2012年8月の桜沢仮設住宅)

(2019年5月の桜沢仮設住宅跡地)
東山公園から見える、南三陸町。
ここから見降ろす南三陸町が好きだったのに、盛り土がされそんなに高く感じなくなってしまった。

さんさん商店街を歩く、高校生カップル。
何げない、普段の姿に復興や当たり前を感じることができる。

この時期に普通に見られるようになった、田植え。
私が1番復興が進んできたことを感じる瞬間。
当たり前のことが出来るようになってきた南三陸町。
-thumbnail2.jpg)
復興が進む南三陸町。生涯学習センターがオープンするなど、町民が住みやすくなってきている一方、まだまだ現地の人が通う、居酒屋やショップなどがない。この理由の一つに、居抜き店舗がないことが挙げられる。居抜き物件がない為に、若者がチャレンジするには店舗建設からしなければならないと、ハードルが高い。また高齢者にも言えるが、店舗建設までして店舗を維持しようと思わない。使用しなくなった仮設住宅を、チャレンジショップとして数年単位で貸し出せば、若者や高齢者もチャレンジできる環境が出来るのだろうけど、仮設住宅は国のもので解体されてしまう。行政と市民のミスマッチが、復興を遅らせているように感じた、2019年5月の南三陸町でした。
2012年1月2日に、YES工房で働いていた、高橋さんのお店。「志のや」さん。
キラキラ丼の発祥地。2012年2月の仮設商店街さんさん商店街がオープンしてからここ以外の店で食べたことがありません。5月1日から始まったキラキラ丼は、雲丹。
志津川湾を見渡せる、サンオーレそではま。オクトパス君をモチーフにした遊具を発見しました。
袖浜漁港
旧志津川病院の事務長の横山孝明さん。
南三陸病院の事務長を経て、現在は2006年に完成2011年の東日本大震災の、津波の被害を免れた、介護老人保健施設ハイム・メアーズの事務長に異動されていました。
志津川病院時代には、避難マニュアルは3階以上へ避難。実際には、津波は4階まで到達。入院患者107人中72人が死亡・行方不明になりながら、最前線で指揮を執り42人の入院患者を救った。
穏やかな人ですが、たくさんの仲間を失い、2013年1月にはアルジェリア人質事件で友人まで失いながら、ふるさとの復興をいつも考えている人です。
ホテル観洋から見える、南三陸町。
ラムサール条約に登録された志津川湾。養殖業が盛んです。
志津川中学校からの風景。
下には総合運動公園(仮)が出来ています。
何故かトラックが300メートル。どうやら昔あった松原公園をモチーフにしているからだとか…400メートルトラックなら公式に使えるのに…と住民が嘆いてるが、役所の仕事とはそんなものなのか?ここの情報は定かではありません。
45号線からの防災庁舎。
震災復興祈念公園を建設中。
いつもお世話になっているYES工房さん。
何と「クムトパス君」を発見。これは、公開してもいいものなのか?
2020年東京パラリンピック日本柔道で活躍する、ゆるキャラ。
-thumbnail2.jpg)

桜沢仮設住宅があった場所。
あんなにたくさんの人が住んでいた仮設が取り壊され、一軒家が建設中。
(2012年8月の桜沢仮設住宅)
(2019年5月の桜沢仮設住宅跡地)
東山公園から見える、南三陸町。
ここから見降ろす南三陸町が好きだったのに、盛り土がされそんなに高く感じなくなってしまった。
さんさん商店街を歩く、高校生カップル。
何げない、普段の姿に復興や当たり前を感じることができる。
この時期に普通に見られるようになった、田植え。
私が1番復興が進んできたことを感じる瞬間。
当たり前のことが出来るようになってきた南三陸町。
-thumbnail2.jpg)
復興が進む南三陸町。生涯学習センターがオープンするなど、町民が住みやすくなってきている一方、まだまだ現地の人が通う、居酒屋やショップなどがない。この理由の一つに、居抜き店舗がないことが挙げられる。居抜き物件がない為に、若者がチャレンジするには店舗建設からしなければならないと、ハードルが高い。また高齢者にも言えるが、店舗建設までして店舗を維持しようと思わない。使用しなくなった仮設住宅を、チャレンジショップとして数年単位で貸し出せば、若者や高齢者もチャレンジできる環境が出来るのだろうけど、仮設住宅は国のもので解体されてしまう。行政と市民のミスマッチが、復興を遅らせているように感じた、2019年5月の南三陸町でした。