CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る
« 2011.3.11 | Main | 寄付のお知らせ »
<< 2021年08月 >>
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
最新記事
カテゴリアーカイブ
月別アーカイブ
日別アーカイブ
南三陸病院さんから、届いた[2021年06月28日(Mon)]
先日、宮城県南三陸町にある南三陸病院さんから、メッセージと写真を頂きました。

南三陸町では唯一のワクチン接種会場となり、当院でも慌ただしく高齢者ワクチン接種が進んでいます。韓国から頂いた、復興応援横断幕(絵画)を高齢者の方々の目に止まる場所に展示して、頑張っています。とのメッセージを頂きました。

展示されている写真も、添付されていました。(写真の一部を、加工しています)
南三陸病院(ヴィレッジネーション グリムナラ).jpg

南三陸病院(ヴィレッジネーション グリムナラ) (2).jpg

南三陸病院(ヴィレッジネーション 그림나라).jpg


2011年東日本大震災がきっかけのご縁。
南三陸町とヴィレッジネーションと韓国
今でも人を想う気持ちが続いています。
(2021年2月韓国の塾그림나라(グリムナラ)での制作風景)
그림나라(ヴィレッジネーション 미나미산리쿠병원).jpg

그림나라(무라마츠 미나미산리쿠병원).jpg

동일본대지진(빌리지 네이션 미나미산리쿠병원).jpg
Posted by NPO法人 ヴィレッジネーション at 17:03 | 南三陸町 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
2021年2月13日 福島県沖地震M7.3[2021年02月14日(Sun)]
2021年2月13日23時08分、福島県沖でマグニチュード7.3の地震が発生。
震源の深さは、約60キロ
20210213福島県沖地震.jpg

福島県内の震度6強は、相馬市、国見町、新地町。
震度6弱は、福島市、郡山市、南相馬市、広野町、楢葉町、大熊町、双葉町、浪江町等
震度5強は、いわき市、白河市、二本松市、猪苗代町、飯舘村等

宮城県の震度6強は、蔵王町。
震度6弱は、石巻市、岩沼市、登米市、亘理町、山元町等
震度5強は、仙台市青葉区、仙台市宮城野区、仙台若林地区、名取市、松島町等
震度4は、南三陸町

どの町も、2011年東日本大震災が起きる前だったら、知らなかった町ですが、知っている町の名前が次々と地震速報から流れてきた。
北は北海道から、南は、広島県まで揺れた大きな地震でした。
ここ、静岡県富士宮市では、震度3を記録しました。

この地震では、震源の深さが深かったために、多少の海面変動が起こるかもしれないが、津波の心配ないと、すぐに報道されて、ホッとしました。
ただ、2016年4月14日から16日未明まで相次いで震度7や震度6強を記録した雲本地震の記憶と重なり、改めて地震の怖さを思い出しました。

地震速報からは、次々と地震を体験した人達の映像や、町の様子が映し出されて、東北で知り合った方々の安否が気になりました。
深夜の時間帯だったのですが、SNSでオンラインになっている方の安否が気になり連絡。

1番被害が大きかった福島県南相馬市に住む方からは、家の瓦の落下や、壁の崩落の写真。
20210213福島県南相馬市 (2).jpg

20210213福島県南相馬市.jpg

宮城県仙台市内の方からは、食器棚から出た食器の破損状況。
宮城県南三陸町の方からは、東日本大震災を思い出すと不安ですすり泣く声や、再建させたお店が不安と震えが止まらない様子.
20210213宮城県仙台市.jpg

幸いにも?と言っていいだろうか?しかしこの巨大な地震の中でも、多くのけが人の報告もなく、私の知り合いの中でも人的災害はありませんでした。
10年前の東日本大震災からの余震だと思われ、今後一週間程度、余震に注意が必要と発表されていました。
翌日、韓国でも大きく報道され、福島県には1300人、宮城県には約3200人に韓国人が日本で暮らしていると知りました。

2月25日追記:この地震で50代男性1名が家財道具の下敷きになり死亡が確認されました。
Posted by NPO法人 ヴィレッジネーション at 14:37 | 南三陸町 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
2020年12月の南三陸町[2020年12月27日(Sun)]
2020年12月からコロナ禍が始まり、2021年3月に訪れる予定だった宮城県南三陸町。
当法人が最後に訪れたのは、2019年5月が最後です。
それから、1年7か月ぶりの宮城県南三陸町の様子。

現在も、南三陸町ではコロナ感染者0人を記録中。
益々、海外や県外から行けそうにありませんが、自粛も応援!?

そんな中、いつもお世話になっている季節料理「志のや」さんの従業員の方にお願いして、南三陸町の写真を撮って頂きました。現在の南三陸町をご覧ください。
2020年12月の南三陸町.jpg

2020年12月の南三陸町 (2).jpg

2020年12月の南三陸町 (3).jpg

2020年12月の南三陸町 (4).jpg

2020年12月の南三陸町 (5).jpg

2020年12月の南三陸町 (6).jpg

2020年12月の南三陸町 (7).jpg

2020年12月の南三陸町 (8).jpg

2020年12月の南三陸町 (9).jpg

どの写真もどこから撮って頂いたかわかる写真ばかりで、だんだん町が出来てきていることが分かります。
お忙しい中、ご協力ありがとうございました。
Posted by NPO法人 ヴィレッジネーション at 15:32 | 南三陸町 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
2019年5月の南三陸町[2019年05月17日(Fri)]
震災から9年2か月。

2012年1月2日に、YES工房で働いていた、高橋さんのお店。「志のや」さん。
キラキラ丼の発祥地。2012年2月の仮設商店街さんさん商店街がオープンしてからここ以外の店で食べたことがありません。5月1日から始まったキラキラ丼は、雲丹。
201905「志のや キラキラ丼」.JPG


志津川湾を見渡せる、サンオーレそではま。オクトパス君をモチーフにした遊具を発見しました。
20190513サンオーレそではま (2).JPG

20190513サンオーレそではま.JPG

袖浜漁港
20190513袖浜漁港.JPG


旧志津川病院の事務長の横山孝明さん。
南三陸病院の事務長を経て、現在は2006年に完成2011年の東日本大震災の、津波の被害を免れた、介護老人保健施設ハイム・メアーズの事務長に異動されていました。
志津川病院時代には、避難マニュアルは3階以上へ避難。実際には、津波は4階まで到達。入院患者107人中72人が死亡・行方不明になりながら、最前線で指揮を執り42人の入院患者を救った。
穏やかな人ですが、たくさんの仲間を失い、2013年1月にはアルジェリア人質事件で友人まで失いながら、ふるさとの復興をいつも考えている人です。
201905介護老人保健施設ハイム・メアーズ.JPG

ヴィレッジネーション村松と横山孝明事務長.JPG


ホテル観洋から見える、南三陸町。
ラムサール条約に登録された志津川湾。養殖業が盛んです。
ホテル観洋から見える南三陸町.JPG


志津川中学校からの風景。
下には総合運動公園(仮)が出来ています。
何故かトラックが300メートル。どうやら昔あった松原公園をモチーフにしているからだとか…400メートルトラックなら公式に使えるのに…と住民が嘆いてるが、役所の仕事とはそんなものなのか?ここの情報は定かではありません。
20190513志津川中学校からの南三陸町.JPG


45号線からの防災庁舎。
震災復興祈念公園を建設中。
20190513防災庁舎と震災復興祈念公園建設中.JPG


いつもお世話になっているYES工房さん。
何と「クムトパス君」を発見。これは、公開してもいいものなのか?
2020年東京パラリンピック日本柔道で活躍する、ゆるキャラ。
20190513YES工房 (2).jpg

20190513YES工房.jpg


桜沢仮設住宅があった場所。
あんなにたくさんの人が住んでいた仮設が取り壊され、一軒家が建設中。
20120812桜沢仮設住宅.JPG
(2012年8月の桜沢仮設住宅)

20190513桜沢仮設住宅跡地.JPG
(2019年5月の桜沢仮設住宅跡地)

東山公園から見える、南三陸町。
ここから見降ろす南三陸町が好きだったのに、盛り土がされそんなに高く感じなくなってしまった。
20190513東山公園からの南三陸町.JPG


さんさん商店街を歩く、高校生カップル。
何げない、普段の姿に復興や当たり前を感じることができる。
2019 0513さんさん商店街.JPG


この時期に普通に見られるようになった、田植え。
私が1番復興が進んできたことを感じる瞬間。
当たり前のことが出来るようになってきた南三陸町。
20190513宮城県南三陸町 (2).jpg


復興が進む南三陸町。生涯学習センターがオープンするなど、町民が住みやすくなってきている一方、まだまだ現地の人が通う、居酒屋やショップなどがない。この理由の一つに、居抜き店舗がないことが挙げられる。居抜き物件がない為に、若者がチャレンジするには店舗建設からしなければならないと、ハードルが高い。また高齢者にも言えるが、店舗建設までして店舗を維持しようと思わない。使用しなくなった仮設住宅を、チャレンジショップとして数年単位で貸し出せば、若者や高齢者もチャレンジできる環境が出来るのだろうけど、仮設住宅は国のもので解体されてしまう。行政と市民のミスマッチが、復興を遅らせているように感じた、2019年5月の南三陸町でした。
Posted by NPO法人 ヴィレッジネーション at 18:37 | 南三陸町 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
2019年3月の南三陸町[2019年03月09日(Sat)]
震災から8年。3月11日で9年目。

3月9日(土)の南三陸町は少し汗ばむ陽気。
とっても天気がいいです。
しかし明日からは天気が下り坂。明後日11日は、雨模様の予定です。

南三陸町が一望出来る、志津川中学校。
今日は、卒業式でした。
2019年3月の南三陸町.JPG

中学校のグランドに建てられていた、応急仮設住宅の解体が終わっていました。
ここに住んでいた方々は、新たな住宅へ移っていったのでしょう。
元通りになりつつあるグランドを眺めながら、復興を感じることが出来ました。
2019年3月の南三陸町 (2).JPG

ラムサール条約湿原に登録された南三陸町の志津川湾。
海一面に、養殖されているわかめや牡蠣。
2019年3月の南三陸町 (3).JPG

海を眺める漁師さん。
漁港周辺は、復興の工事が進んでいます。
2019年3月の南三陸町 (4).JPG

2019年3月の南三陸町 (5).JPG

市役所では、2018年10月2日に登録された、ラムサール条約の横断幕が飾られていました。
2019年3月の南三陸町 (6).JPG

2018年3月29日に開通した45号線。震災前とほぼ同じ道筋になりました。
その脇には、被災した高野会館です。
2019年3月の南三陸町 (7).JPG

2019年3月の南三陸町 (8).JPG

南三陸町で一番有名な、防災庁舎。
盛り土に囲まれ、何だか小さく見えます。
2019年3月の南三陸町 (9).JPG

視覚障害の岩崎さんご夫婦。
この時期になると被災していた頃を思い出すより、私たちが来ることを楽しみになると言ってくれました。もう8年のお付き合いです。
2019年3月の南三陸町 (10).JPG

復興が進む南三陸町。
2019年3月の南三陸町 (12).JPG

こう言った日常のチラシに復興を感じます。
これが当たり前の生活。
正直、このチラシに一番復興を感じました。
2019年3月の南三陸町 (13).jpg

未だ、仮設住宅から出ることが出来ない人たち。
60棟ある内、4家族が住んでいる様に見えました。
2019年3月の南三陸町 (11).JPG

震災から間もなく8年。
震災から7年目を迎えた辺りから、現地の人たちが通う、大型スーパーが出来たり、その近くに住宅街が出来たり、バスが通ったりしてようやく当たり前の生活が戻ってきたように感じていました。そして8年目には、たくさんの生活に欠かせない道や橋なども続々完成し、生活が便利になりつつあります。
しかし一方で、ほとんどの仮設住宅の方が、新天地に移動されていますが、いまだにこうして暮らしている人もいる。復興が進むなか、この場所から出ることが出来ない家族がいること。
今更ながら、知り合いでもないために、声を掛けることもできない。
こうした場所に取り残された人たちのコミュニティが、衰退していくことに不安を覚えました。
目に見えるハードの復興は進む中、人の復興はまだまだ先だと感じた2019年3月の南三陸町でした。
2019年3月の南三陸町 (14).jpg
Posted by NPO法人 ヴィレッジネーション at 23:09 | 南三陸町 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
2018年5月の南三陸町[2018年05月11日(Fri)]
震災から8年2か月の命日。
先日訪れたのは3月。あれから2か月後。
震災直後のような急速に復旧・復興が進んではいないけれど、3月下旬に橋がオープンすると同時に新しい道が開通、町中に未来を支える主要道が出来ていました。
2018年5月の南三陸町.JPG

2018年5月の南三陸町 (2).JPG

さんさん商店街から見える防災庁舎。(左側)
2018年5月の南三陸町 (3).jpg

特に、このシーズンに見られる、稲苗を運ぶ軽トラックを信号待ちで見つけたときには、普通の暮らしが戻ってきたことを実感した瞬間でした。
何処にでもある風景が、この南三陸町でも見られることは、ずっとこの町を見てきた私たちにとっては非常にうれしい事でした。(写真の一部に加工処理しています)
2018年5月の南三陸町 (4).jpg
Posted by NPO法人 ヴィレッジネーション at 23:52 | 南三陸町 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
2018年3月の南三陸町[2018年03月11日(Sun)]
震災から7年。3月11日で8年目。

高台にある志津川中学校から見渡すと、通いなれた南三陸町も復興が進みすっかり様変わり。
川沿いの工事が進み、新しい橋が完成間近という感じです。
2018年3月の南三陸町.jpg

2018年3月の南三陸町 (11).JPG

復興工事の為に、道路沿いにはガードレールやフェンスで駐車する場所もなく…そして大きな盛土に囲まれ景色はどこも同じ様になっていて、道路からはほとんど街並みが解りません。
2018年3月の南三陸町 (3).jpg

2018年3月の南三陸町 (4).JPG

復興住宅や新築が立ち並んでいます。しかし少し行った先では復興工事が急ピッチで進められているために、車で走ると不思議な光景です。
2018年3月の南三陸町 (5).jpg

2018年3月の南三陸町 (6).jpg

2018年3月の南三陸町 (9).JPG

2018年3月の南三陸町 (12).JPG

2018年3月の南三陸町 (7).jpg

桜沢仮設住宅に住んでいた人たちも、8月末で全ての人が退去したと言うことなので、懐かしい場所に行ってみたら、仮設住宅は解体され、更地になっていました。皆さん、新しい復興住宅に移動したり、家を建てたり、仮設住宅から仮設住宅へ移った人がいないと聞くと何だがホッとします。しかし、また様々な地区で1からスタートし始めたことに、これからがもっと大変になると感じています。だからこそエールを送り続けたい。
2018年3月の南三陸町 (2).jpg

震災前は、バラバラな地区に居た人が、この桜沢仮設住宅で、共に頑張り合い・笑いあい・時には意見が食い違った時などもあったけれども、一つの屋根の下に住み一緒に過ごした場所。
この場所で、懐中電灯で語り合った日々や、表札作りを一緒にしたりしたこの場所が懐かしい。
仮設住宅で交流 (3).JPG
(2012年8月)

仮設住宅で交流 (4).JPG

仮設住宅で交流 (2).JPG

仮設住宅で交流.JPG

表札作り.JPG


腹が減っては、元気が出ない。
震災後に逢った「志のや」さんでいつもの食事。
店主の高橋修さんは、17年7月に本設開店させた誰よりも頑張る親方。
今回のお目当ては、南三陸町内の飲食・宿泊の7店舗で提供されている「さんこめし」。
「さんこめし」とは、タコ、アナゴ、鮭の出汁を使用した炊き込みご飯ベースに、はらこ飯、アナゴ飯、タコ飯を一つのどんぶりに盛り付けたもの。
1月末〜3月末までの期間限定と言うことでこの機会をお見逃しなく。
志のやのさんこ飯.jpg


仮設住宅の時から、大変お世話になっている佐藤さん。
新しい仕事も見つけ、旦那さんとお家も建てました。
震災後、町に病院がなく、中々自分の歯を直す時間がなく今になってようやく治療中だそうです。
南三陸町の人々.jpg


仮設商店街から、本設商店街で奮起する「わたや」さん。
12年にプレゼントした表札は色褪せましたが、今も大切に飾っていてくれていました。
そして未来を見据え、大きな平屋を建てました。
表札づくり.JPG
(2012年9月)

南三陸町の人々 (2).jpg


そしてこの町で誰よりも長い時間を、共に過ごした岩崎さん。
「景色は変わったけれども、記憶は変わらない」と街を見ていました。指差す方向には、震災前にはよく行ったデパートがあったと…
南三陸町の人々 (3).jpg


今回、この南三陸町を見て、人に会い、感じたこと。
忘れないとか、時間が経つのが早かった短かったというより、大変だった時も普通の時も、家を建てた時も、一緒に歩んだ7年だった…。
2018年3月の南三陸町 (10).jpg
Posted by NPO法人 ヴィレッジネーション at 12:58 | 南三陸町 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
2017年9月の南三陸町[2017年09月03日(Sun)]
4か月ぶりに訪れた、宮城県南三陸町。
今回の大きな目的は、
震災前と同じ場所で6年4か月の歳月をかけ、本設させた「志のや」さん訪問です。
オープンさせたのは7月28日だったのですが、訪韓中で伺うことが遅くなってしまいました。
それでも、帰国後4日でかけつけることが出来ました。

オープンおめでとうございます(2017年8月28日撮影)
志のやオープン.jpg

金曜日の夜に静岡県を出発し、新東名から海老名JCTで圏央道に乗り換え、久喜藤岡JCTで東北自動車道に乗り換え、仙台南から仙台南部道路を通過し、仙台若林JCTから仙台東部道路に乗り換え、三陸道に入っていきます。以前に比べ、圏央道や三陸道が延長され6時間30分程度で到着です。
土曜日の朝には三陸道南三陸町インター手前にある道の駅「三滝堂」に、到着。
山の中にある道の駅ですが、地元の野菜が豊富に揃えられ人気のスポットです。
道の駅 三滝堂.jpg


少しづつ変わる町を散策してみました。
街の中はまだまだ復興工事中の場所が多く、大型トラックが行きかいますが、それでも地元の人が通える大型スーパーや海水浴場がオープンし、区画整理された土地ではお米が栽培され復興が進んでいることが伺えました。
復興中2.jpg

復興中3.jpg

復興中.jpg


大型スーパー
大型スーパー2.JPG

サンオーレそではま海水浴場
サンオーレそではま.jpg

お米の栽培
米栽培.jpg

田んぼアート
田んぼアート.jpg


2011年震災直後に撮影した場所も大きく変わりました。
2011年と同じ場所から.jpg

奥に見えるのは防災庁舎です。
近くまで行くことができません。ここからお祈りします。
献花台と離れた南三陸町.jpg

仮設住宅
仮設住宅.jpg

あさひ幼稚園
あさひ幼稚園.jpg


地元で頑張るたくさんの人にもお会い出来ました。
志のやさんには、韓国の子どもたちがオープンをお祝いして描いてくれたポスターを贈呈。日本語で上手に書かれてて店主の高橋修さんは驚いていましたが、こちらは、お店の大きさには驚かされました。本当に大きく、あまり商店がない南三陸町で目立っています。そして、オープンと同時に人が溢れだし、見れば地元の人や仮設商店の時に出会ったばかり。
志のや.jpg

店主 高橋さん.jpg

韓国からの贈り物.jpg

岩崎さん。
震災直後からの生活支援がきっかけで、今はお友達!?
少し前に入院していたそうですが、元気になって自宅で過ごしています。内緒話ですが、以前の病院は津波の被害にあい、高台に新設された病院はホテルのような病室でそっちの方が快適だったそうです。
岩崎さん.jpg


2020年東京パラリンピックへ出場を目指す人たちと団らんしたり、色々な出会いと志のやさんオープンを記念して、夜中まで南三陸町の海産物を食べ、宮城県の地酒を呑んで南三陸町を堪能しました。
志のや3

志のや2.jpg

地酒 一ノ蔵.jpg


朝起きたら、田んぼに囲まれていました。
朝起きたら….jpg
Posted by NPO法人 ヴィレッジネーション at 10:19 | 南三陸町 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
南三陸町「季節料理 志のや」オープン[2017年07月28日(Fri)]
親方こと、高橋修さんに出会ったには、2012年1月2日。
震災後の初めてのお正月を迎えた宮城県南三陸町。少し離れた仮設コンビニでは、年賀状より喪中のはがきが多く並び、年賀状を運ぶ郵便配達員は、魚を入れる籠を自転車に括りつけて配達していました。
それほど、この街には何もなかった…
2012年1月2日南三陸町.JPG
(2012年1月2日の宮城県南三陸町)

2012年1月2日南三陸町 (2).JPG
(2012年1月2日の宮城県南三陸町の仮設コンビニ内)

2012年1月2日南三陸町 (3).JPG
(2012年1月2日の宮城県南三陸町内の郵便配達員)

2012年1月2日南三陸町 (4).JPG
(2012年1月2日の宮城県南三陸町内)

2012年1月2日南三陸町 (5).JPG
(2012年1月2日の宮城県南三陸町の入谷八幡神社)


そんな誰もお正月ムードではない南三陸町で、1件のお店だけが営業していました。
のちに知ることになったのですが、そこは「Yes工房」と言って中学校をリニューアルして「オクトパス君」グッズを中心に街の活性化と居場所づくり、雇用の創出をしている場所でした。
「お正月の誰も出歩かない日に珍しいやつだな」そんな会話がきっかけでした。出会いから意気投合し、2週間後に再び訪れ、仮設住宅と地域の人との交流会と題して、宮城県と静岡の産物の食べ比べ、お酒の飲み比べをした交流会を誰よりも喜んで受け入れてくれました。
2012年1月28日南三陸町.JPG
(2012年1月28日の宮城県南三陸町)

2012年1月28日交流会.JPG
(2012年1月28日の宮城県南三陸町桜沢仮設住宅内での交流会)

2012年1月28日交流会 (2).JPG
(2012年1月28日の宮城県南三陸町桜沢仮設住宅内での交流会)


2012年2月には、復興商店街「さんさん商店街」(2012年2月〜2017年3月旧さんさん商店街)の一角に、仮設店舗「志のや」をオープン。元々あった場所近くに、大型のコンテナを繋げ併せた店舗は、親方の人柄や地ものにこだわるキラキラ丼を慕って、世界中から評判を聞きつけ、いつも人が溢れている場所でした。
そんな賑わいを見せた仮設店舗での営業が、2016年12月をもって終了。
2012年1月2日志のや.JPG
(2012年1月2日のさんさん商店街オープン前)

2012年3月11日さんさん商店街.JPG
(2012年2月に完成したさんさん商店街)

2012年3月11日 志のや.JPG
(2012年3月11日のさんさん商店街内の「志のや」)

志のや×ヴィレッジネーション.jpg
(さんさん商店街内の「志のや×ヴィレッジネーション)

2012年8月05日志のや.JPG
(2012年8月5日のさん商店街内「志のや」)


海側に移動した新さんさん商店街(現さんさん商店街2017年3月オープン)へ新店舗を移す中、解体され誰もいなくなった旧さんさん商店街跡地で、震災後から考えた震災前と同じ場所で、津波で流された看板を再び掲げ、
2017年7月28日本店舗オープン。
2017年3月4日さんさん商店街.JPG
(2017年3月3日にオープンした新さんさん商店街)

2017年3月4日さんさん商店街 (2).JPG
(2017年3月3日にオープンした新さんさん商店街)

2017年5月16日志のや.jpg
(2017年5月16日の旧さんさん商店街跡地で「志のや」)

2017年7月28日志のやオープン.jpg
(2017年7月28日 グランドオープン「季節料理 志のや」)


本日、諸事情により駆けつけることができませんでしたが、
日本では私が営む畑で、オープンをお祝いしています。
ヴィレッジネーションの畑志のや.jpg

そしてお隣の国、韓国では当法人の村松代表が、防災教育と共に子どもたちに伝え、頑張る店主を紹介。2週間かけ、幼稚園児から小学生5年生までの60人が絵を描きオープンをお祝いしています。携帯電話で翻訳して描いた絵のメッセージはほとんどが日本語で書かれています。
韓国の子どもたちが描いた絵を持ち帰り帰国後、「志のや」さんにプレゼントしたいと思います。
그림나라×ヴィレッジネーション×志のや.jpg

그림나라×ヴィレッジネーション×志のや (2).jpg

그림나라×ヴィレッジネーション×志のや (3).jpg

그림나라×ヴィレッジネーション×志のや (4).jpg

그림나라×ヴィレッジネーション×志のや (5).jpg

그림나라×ヴィレッジネーション×志のや (6).jpg

그림나라×ヴィレッジネーション×志のや (7).jpg

韓国から宮城県南三陸町の「志のや」さんへ.jpg

韓国から宮城県南三陸町の「志のや」さんへ (2).jpg

ここには書き切れないほど思いをはせた新店舗を、心よりお祝い申し上げます。

NPO法人ヴィレッジネーション 
代表理事 村松 広貴
Posted by NPO法人 ヴィレッジネーション at 14:30 | 南三陸町 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
2017年5月の南三陸町[2017年05月21日(Sun)]
復興が進む、宮城県南三陸町(2017年5月16日)
2017年5月の南三陸町.JPG

訪れるたびに、昔の面影もなく新しい道や迂回路、周辺は高い盛り土や行きかう大型ダンプカーに囲まれ、車を止める場所もありません。
2017年5月の南三陸町 (2).JPG

2017年5月の南三陸町 (3).JPG

2017年5月の南三陸町 (4).JPG

2017年5月の南三陸町 (5).JPG

2017年5月の南三陸町 (6).JPG

区画整備がされ、田畑になる場所には、土が入っていました。
新築が立ち並び、建設ラッシュ。
2017年5月の南三陸町 (7).JPG

2017年5月の南三陸町 (8).jpg

震災後に出会った、岩崎さんご夫婦。
お母さんは視覚障害者ですが、「眼の調子も落ち着いているし、近くに大きな病院が新設され一安心」だよと、いつも通りの元気さ。お父さんは、少し耳が遠くなったけれど、いつものたばこを吹かしながら、笑っていた。久しぶりに写真を撮ろうとしたら、何だか緊張しちゃいました。
南三陸町の岩崎さん.jpg

「志のや」の高橋さんご夫婦。
震災後、初めての元旦の誰もいない街で、お店を開いていた誰よりも頑張っていた人。旧さんさん商店街の場所にただ1人で残り、そこに自分のお店を建てている真っ最中。2017年の夏に新「志のや」としてオープン予定です。
南三陸町の高橋さんご夫婦.JPG

新「志のや」オープン予定.jpg


南三陸町が一望できる場所から、未来の南三陸町を想う。
この場所は、当法人の原点。

6年が経ち、東北から離れた場所では、震災の話なども聞くことも無くなりました。久しぶりに訪れた南三陸町の街は、急激なスピードで復興が進み昔の面影は盛り土の下に埋もれみることが出来ませんが、今も街に住む人の記憶にはあの日の事が深く刻まれています。
ボランティアで通い続けた当時を思い出し、こうやって今の現状をネットを通し、発信する大切さに改めて気が付きました。
震災があったからこそ、出会えた人がいる。そこからの波及効果は無限に今でも続いている。
2017年5月南三陸町.JPG

2017年5月南三陸町 (2).JPG
Posted by NPO法人 ヴィレッジネーション at 11:07 | 南三陸町 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
| 次へ
検索
検索語句
タグクラウド
プロフィール

ヴィレッジネーションさんの画像
https://blog.canpan.info/villagenation-blog/index1_0.rdf
https://blog.canpan.info/villagenation-blog/index2_0.xml