2026年7月7日付 毎日新聞(希望新聞)全国版 ーくらしナビー[2026年07月07日(Tue)]
毎日新聞(希望新聞)全国版 ーくらしナビー さんより。

「タイトル」
「南三陸」を励まし続ける絵
韓国の子どもたちを招待し交流も
ともに感じた「命の匂い」
「本文」
宮城県南三陸町の南三陸病院には、患者や来院者たちの心を和ませる彩り豊かな絵があちこちに飾ってある。タコやモアイ像、青い海に海鮮丼…町の名所や名物が所狭しと描かれている。
作者は韓国・富川(プチョン)市の子どもたちだ。絵には2011年の東日本大震災で被災した町の人たちへのエールが込められている。
南三陸町と富川市。1200キロ以上離れた二つの地がつながるきっかけは、14年に韓国で起きたセウォル号沈没事故だった。高校生や教員ら304人が犠牲になった。
美術を中心とした学習塾「グリムナラ」の院長キム・ソンジンさん(41)は惨事に心を痛めた。幼稚園から中学生まで約50人が通っている塾で、命を守る教育に力を注ごうと決めた。震災後進む日本の安全教育を学ぼうと、インターネットで調べて連絡を取ったのが、防災教育に取り組む静岡県富士宮市のNPO法人「ヴィレッジネーション」代表の村松広貴さん(48)だった。
村松さんは震災発生直後から南三陸町で支援活動をしてきた。キムさんからの依頼を受け、韓国に出向きイラストを使ったゲーム形式で子どもたちに正しい避難行動を教えるとともに、南三陸の被災や復興の様子を写真と言葉で伝えた。
意識したのは、防災を伝えることだけではなかった。「南三陸で出会った人たちは新しい街を未来に残そうと一生懸命で、被災し灰色だらけの景色の中でも『希望』が感じられた。そうした姿を伝えれば子どもたちの『生きる力』を育てていけるはずだ」。被災地に生きる人の強さや優しさを伝え、南三陸を「笑顔と希望のある町だ」と教えた。
毎年訪韓する中で、あるとき、子どもたちから「町の人はいま、元気ですか」と気遣う声が上がった。子どもたちが心を込めて描いた絵を、村松さんと縁がある南三陸病院へ届けることにした。
子どもたちが描いたのは明るい絵だった。インターネットで調べても最初に出てくるには被災した風景ばかりだったが、村松さんの話を胸に、復興が進んだ様子を丁寧に調べた。スマートフォンの翻訳機能を使って「この町を守るあなたたちが英雄です」などと日本語のメッセージを添えた。
絵は18年を皮切りに、震災が発生した3月に、毎年欠かさずに送り続けてきた。新型コロナ禍には、それぞれが自宅で絵を描いて持ち寄り、パズルのように組み合せて作った。
絵は南三陸の大人の心を動かした。町の水産加工会社「カネキ吉田商店」社長の吉田信吾さん(67)は歯科受診で南三陸病院を訪れた際、ふと目にした絵を見入った。見慣れた地元の風景が、商店街の店の看板まで丁寧に描かれていた。
さっそく病院を通じて村松さんに連絡し、経緯を知った。吉田さん自身、津波で工場の大半を失いながらも再建し、子どもらの応援が身にしみたという。「遠くから南三陸のことを思って描いてくれた。実際に南三陸を見たらもっといい絵になるはず」。出張で韓国を訪れた際に塾に出向き、キムさんに「招待したい」と申し出た。
24年夏、招かれた15人の子どもたちが南三陸を訪れた。早速、病院に飾られた自分たちの絵と再会し、被災した旧防災対策庁舎を訪れ、語り部の話も聞いた。地元の祭りの日程を変更して歓迎し、日韓の子ども同士の交流イベントを企画した。宿泊先の旅館も浴衣をプレゼントして、もてなした。初めての海水浴に挑戦した子どもたちは大満足の様子だったという。
同行したキムさんは前年にも南三陸を訪れ、「多くの命が失われた場所に花が咲き、緑があって、これが平和の匂い、命の匂いなんだ」と感じていたという。子どもたちの表情を見て「それを一緒に感じることができた」と話した。
25年と26年に届いた絵には、海水浴やスイカ割りをする子どもらのイラストが生き生きと描かれていた。「祭りにいた友達や大人たちにもう一度会ってみたい」とのメッセージもあった。
村松さんは「子どもたちにとって南三陸は大切な友達がいる場所になった。お互いを思い合える関係がこれからも続けていきたい」と語り、10枚目となる来年のを楽しみにする。吉田さんは再び子どもたちを南三陸に招待しようと考えを巡らせいる。【百武信幸、写真も】(全文)
「タイトル」
「南三陸」を励まし続ける絵
韓国の子どもたちを招待し交流も
ともに感じた「命の匂い」
「本文」
宮城県南三陸町の南三陸病院には、患者や来院者たちの心を和ませる彩り豊かな絵があちこちに飾ってある。タコやモアイ像、青い海に海鮮丼…町の名所や名物が所狭しと描かれている。
作者は韓国・富川(プチョン)市の子どもたちだ。絵には2011年の東日本大震災で被災した町の人たちへのエールが込められている。
南三陸町と富川市。1200キロ以上離れた二つの地がつながるきっかけは、14年に韓国で起きたセウォル号沈没事故だった。高校生や教員ら304人が犠牲になった。
美術を中心とした学習塾「グリムナラ」の院長キム・ソンジンさん(41)は惨事に心を痛めた。幼稚園から中学生まで約50人が通っている塾で、命を守る教育に力を注ごうと決めた。震災後進む日本の安全教育を学ぼうと、インターネットで調べて連絡を取ったのが、防災教育に取り組む静岡県富士宮市のNPO法人「ヴィレッジネーション」代表の村松広貴さん(48)だった。
村松さんは震災発生直後から南三陸町で支援活動をしてきた。キムさんからの依頼を受け、韓国に出向きイラストを使ったゲーム形式で子どもたちに正しい避難行動を教えるとともに、南三陸の被災や復興の様子を写真と言葉で伝えた。
意識したのは、防災を伝えることだけではなかった。「南三陸で出会った人たちは新しい街を未来に残そうと一生懸命で、被災し灰色だらけの景色の中でも『希望』が感じられた。そうした姿を伝えれば子どもたちの『生きる力』を育てていけるはずだ」。被災地に生きる人の強さや優しさを伝え、南三陸を「笑顔と希望のある町だ」と教えた。
毎年訪韓する中で、あるとき、子どもたちから「町の人はいま、元気ですか」と気遣う声が上がった。子どもたちが心を込めて描いた絵を、村松さんと縁がある南三陸病院へ届けることにした。
子どもたちが描いたのは明るい絵だった。インターネットで調べても最初に出てくるには被災した風景ばかりだったが、村松さんの話を胸に、復興が進んだ様子を丁寧に調べた。スマートフォンの翻訳機能を使って「この町を守るあなたたちが英雄です」などと日本語のメッセージを添えた。
絵は18年を皮切りに、震災が発生した3月に、毎年欠かさずに送り続けてきた。新型コロナ禍には、それぞれが自宅で絵を描いて持ち寄り、パズルのように組み合せて作った。
絵は南三陸の大人の心を動かした。町の水産加工会社「カネキ吉田商店」社長の吉田信吾さん(67)は歯科受診で南三陸病院を訪れた際、ふと目にした絵を見入った。見慣れた地元の風景が、商店街の店の看板まで丁寧に描かれていた。
さっそく病院を通じて村松さんに連絡し、経緯を知った。吉田さん自身、津波で工場の大半を失いながらも再建し、子どもらの応援が身にしみたという。「遠くから南三陸のことを思って描いてくれた。実際に南三陸を見たらもっといい絵になるはず」。出張で韓国を訪れた際に塾に出向き、キムさんに「招待したい」と申し出た。
24年夏、招かれた15人の子どもたちが南三陸を訪れた。早速、病院に飾られた自分たちの絵と再会し、被災した旧防災対策庁舎を訪れ、語り部の話も聞いた。地元の祭りの日程を変更して歓迎し、日韓の子ども同士の交流イベントを企画した。宿泊先の旅館も浴衣をプレゼントして、もてなした。初めての海水浴に挑戦した子どもたちは大満足の様子だったという。
同行したキムさんは前年にも南三陸を訪れ、「多くの命が失われた場所に花が咲き、緑があって、これが平和の匂い、命の匂いなんだ」と感じていたという。子どもたちの表情を見て「それを一緒に感じることができた」と話した。
25年と26年に届いた絵には、海水浴やスイカ割りをする子どもらのイラストが生き生きと描かれていた。「祭りにいた友達や大人たちにもう一度会ってみたい」とのメッセージもあった。
村松さんは「子どもたちにとって南三陸は大切な友達がいる場所になった。お互いを思い合える関係がこれからも続けていきたい」と語り、10枚目となる来年のを楽しみにする。吉田さんは再び子どもたちを南三陸に招待しようと考えを巡らせいる。【百武信幸、写真も】(全文)



