それぞれの3.11[2016年03月12日(Sat)]
東日本大震災から5年
宮城県南三陸町にいます。
ヴィレッジネーションが見た、南三陸町の人々。
・仮設住宅で知り合った佐々木さん。
仮設住宅を出て公営住宅に住んでいます。奥さんを津波で亡くし5年。復興が進んでも大切な人を失って寂しい時もあるけれど、仮設住宅で隣だった人とも偶然、今も隣同士。今も時々くる救援物資を隣近所へ配達中でした。
・4年目の繋がりのあさひ幼稚園さん。
震災後に生まれた子ども達は、日々変わる道や盛土をピラミッドみたいと言う。生まれた時からの風景は、普通の風景。今月、卒園する園児におめでとうを言ってきました。
・知り合いが生き延びた、防災庁舎。
屋上周辺で生き延びたと話てくれました。今日は、報道陣がたくさんいるから行かないと言っていました。
・さんさん商店街の「志のや」さん。
ここ以外では、ごはんを1度も食べたことがありません。腹いっぱい飯食ってけといつも応援してくれます。夢が大きくそれをいつも叶える、魅力いっぱいの店主。
・さんさん商店街の「わたや」さん。
新しい移転先や家を建てる話をうれしそうに話してくれました。クリーニングやさんですが、応援グッズもたくさんあり、いつも人が多い。2012年9月にプレゼントした表札を今も掲げていてくれています。
・オクトパス君の「YES工房」さん。
南三陸町を象徴するキャラクターのオクトパス君。園児とコラボレーションしてつくった絵馬に願いを書いた園児も、もうすぐ3年生。
・「南三陸病院・総合ケアセンター南三陸」の事務長さん。
志のやさんで知り合った、旧志津川病院の事務長さん。旧志津川病院は、建設費の4割を台湾からの義捐金で支えられてます。敷地内には台湾の皆さんありがとうと記念碑が設置されています。事務長さんとは、呑み友達です。
・岩崎さん。
南三陸町へ来るきっかけになった、視覚障害をお持ちのご夫婦。いつもありがとうと何度言われただろうか?一緒に釣りに出掛けた帰り道。地盤沈下によって冠水してずぶ濡れになった頃を笑いあった。
ヴィレッジネーションとして5年間を南三陸町と共に歩み続けてきました。
TVから流れる、風化だとかまだまだ支援が必要と思わせる風潮がある中、それらを感じさせない人たちに震災5年目の今日出会った。
町の景観の変化と共に、人との繋がりにも変化しています。5年目を節目といいますが、現地では節目はなく、今できることにチャレンジ真っ最中。
復興も人の手で進むように、大切な人を失った人にも、人の心に寄り添うことが大切な支えになっている。同じ日本人として日本の未来を考え、世界に生きる人として「心一つに国民が寄り添っていくことが大切」だと考えています。
宮城県南三陸町にいます。
ヴィレッジネーションが見た、南三陸町の人々。
・仮設住宅で知り合った佐々木さん。
仮設住宅を出て公営住宅に住んでいます。奥さんを津波で亡くし5年。復興が進んでも大切な人を失って寂しい時もあるけれど、仮設住宅で隣だった人とも偶然、今も隣同士。今も時々くる救援物資を隣近所へ配達中でした。
・4年目の繋がりのあさひ幼稚園さん。
震災後に生まれた子ども達は、日々変わる道や盛土をピラミッドみたいと言う。生まれた時からの風景は、普通の風景。今月、卒園する園児におめでとうを言ってきました。
・知り合いが生き延びた、防災庁舎。
屋上周辺で生き延びたと話てくれました。今日は、報道陣がたくさんいるから行かないと言っていました。
・さんさん商店街の「志のや」さん。
ここ以外では、ごはんを1度も食べたことがありません。腹いっぱい飯食ってけといつも応援してくれます。夢が大きくそれをいつも叶える、魅力いっぱいの店主。
・さんさん商店街の「わたや」さん。
新しい移転先や家を建てる話をうれしそうに話してくれました。クリーニングやさんですが、応援グッズもたくさんあり、いつも人が多い。2012年9月にプレゼントした表札を今も掲げていてくれています。
・オクトパス君の「YES工房」さん。
南三陸町を象徴するキャラクターのオクトパス君。園児とコラボレーションしてつくった絵馬に願いを書いた園児も、もうすぐ3年生。
・「南三陸病院・総合ケアセンター南三陸」の事務長さん。
志のやさんで知り合った、旧志津川病院の事務長さん。旧志津川病院は、建設費の4割を台湾からの義捐金で支えられてます。敷地内には台湾の皆さんありがとうと記念碑が設置されています。事務長さんとは、呑み友達です。
・岩崎さん。
南三陸町へ来るきっかけになった、視覚障害をお持ちのご夫婦。いつもありがとうと何度言われただろうか?一緒に釣りに出掛けた帰り道。地盤沈下によって冠水してずぶ濡れになった頃を笑いあった。
ヴィレッジネーションとして5年間を南三陸町と共に歩み続けてきました。
TVから流れる、風化だとかまだまだ支援が必要と思わせる風潮がある中、それらを感じさせない人たちに震災5年目の今日出会った。
町の景観の変化と共に、人との繋がりにも変化しています。5年目を節目といいますが、現地では節目はなく、今できることにチャレンジ真っ最中。
復興も人の手で進むように、大切な人を失った人にも、人の心に寄り添うことが大切な支えになっている。同じ日本人として日本の未来を考え、世界に生きる人として「心一つに国民が寄り添っていくことが大切」だと考えています。