障害当事者団体ベクトルズの尾侍酔助です。
私たちが人生の中で出会う人々には、何かしらの縁があると言われています。
たまたま同じ学校に入った。
たまたま同じ職場で働いた。
たまたま同じ団体に所属した。
この世の表面だけを見れば、出会いは偶然が重なった結果のように見えるかもしれません。しかし、スピリチュアリズムの視点から見れば、人と人との出会いは、今世だけで突然始まったものではありません。
それは、これまでに繰り返してきた過去世から続く縁です。
私たちは今回の人生に生まれる以前にも、さまざまな国や時代に生まれ、それぞれの人生を歩んできました。ある人生では家族として、別の人生では友人として、また別の人生では同じ目的を持つ仲間として出会っていたかもしれません。
そうして何度も出会い、支え合い、時には衝突しながら、魂同士の関係を育んできたのです。
■人間は皆、神仏から生まれた魂の兄弟広い意味で言えば、人間は誰もが魂の兄弟です。
すべての魂は神仏から生み出された存在であり、同じ根源から分かれて、この世界でそれぞれの学びを続けています。その意味では、国籍や人種、宗教、障害の有無などに関係なく、すべての人間が大きな魂の家族です。
しかし今回、私が特に書きたいのは、その広い意味での魂の兄弟ではありません。
今の人生の中で「親友」や「重要な仲間」と呼べる人たちについてです。
人生の中では、多くの人と出会います。けれど、その中で心の奥深くまで理解し合い、困難なときに支え合い、自分の人生を大きく動かす存在となる人は限られています。
両親、親友、人生の分岐点で出会う仲間。
そうした人たちは、数ある魂の縁の中でも、特に深い関係を持つ存在なのだと私は考えています。
■団体活動を始めた仲間も、かつての学友だった私が団体活動を始めるきっかけとなった仲間も、学生時代のクラスメイトでした。同じ学校で学び、同じ教室で過ごした友人です。単に同級生だっただけではありません。話が合い、考え方にも重なる部分があり、特に気の合う友人でした。
友人と呼べる人は何人かいても、その中でさらに「親友」と呼べる人は限られます。私にとって、その人物は特別な存在です。
私が深刻な悩みを抱えていると知れば、途中で話を遮らず、じっくりと耳を傾けてくれます。すぐに結論を押しつけるのではなく、私が何に苦しみ、どこで道を見失いかけているのかを理解しようとしてくれます。
こういう存在は、決して当たり前ではありません。
■知識があっても、苦しみの渦中では見失う私は長年、スピリチュアリズムを学んできました。
人間の本質は魂であること。
肉体の死は、存在そのものの消滅ではないこと。
この世は魂を成長させるための修行の場であること。
苦難にも意味があり、人生を途中で放棄することは魂に深い傷や未解決の課題を残すこと。
そうしたことを、私は知識として理解しています。
しかし、自分自身が強い苦しみの中に置かれると、その知識が一時的に遠のいてしまうことがあります。「苦しみを抱えながら生き続けるよりも、命を絶ったほうがましなのではないか」そのような思いが、脳裏をよぎることがあります。
これは、私が学んできた霊的知識を否定したからではありません。魂の本心として、死を望んでいるとも限りません。
私は精神障害を抱えています。その障害特性や、自殺念慮という症状が、肉体を通して強く現れることがあります。魂としては生きる意味を理解していても、肉体の脳や精神状態が限界に達すると、自己コントロールが難しくなる領域があるのだと思います。
知識として正しいことを知っていても、苦しみの渦中では、その知識を自分一人で取り出せなくなる。
そこに、他者の存在が必要になります。
■共に学んだ親友が、共通認識を思い出させてくれる私の親友は、学生時代に一緒にスピリチュアリズムを学んだ仲でもあります。そのため、私が誤った方向へ足を踏み外しかけたとき、彼はまったく知らない価値観を外から持ち込むのではありません。
かつて一緒に学び、共有してきた考えを、対話の中で思い出させてくれるのです。
「私たちは以前、このことを一緒に学んだよね」
「今は苦しさで見えなくなっているだけではないか」
「本来のあなたは、その結論を本当に望んでいるのか」
そうして、一つひとつ言葉を交わしながら、私の意識を本来の場所へ戻してくれます。
これは、スピリチュアリズムという価値観の押しつけではありません。
私たち二人が元から持っていた共通認識を、再確認させてくれているのです。私が苦しみの中で一時的に忘れてしまった霊的な道標を、親友がもう一度示してくれる。これほどありがたい存在は、ほかにいません。
■親友とは、魂の記憶を呼び覚ます存在なのかもしれない私たちは、この世に生まれる際、過去世の記憶をほとんど忘れてきます。以前はどの国に生まれ、どのような生活を送り、誰と家族であり、誰と友人だったのか。今の私たちには、通常その記憶がありません。
しかし、記憶がないからといって、魂同士の縁まで消えたわけではありません。
初めて会ったはずなのに、なぜか懐かしく感じる。
多くを説明しなくても、自然と心が通じる。
苦しいときに、なぜかその人の言葉だけは心に入ってくる。
そうした感覚は、魂の奥に残された記憶の反応なのかもしれません。私は、今世で親友となったその人物とは、過去世においても深い絆を持っていたのだろうと感じています。
ある人生では兄弟だったのかもしれません。
共通の志を持つ仲間だったのかもしれません。
あるいは、どちらかが苦しいときに、もう一方が支えた関係だったのかもしれません。
今は肉体に宿っているため、その具体的な記憶を思い出すことはできません。しかし、寿命を終えて霊的世界へ帰れば、過去の記憶も戻ってくると私は学んでいます。
そのとき初めて、
「やはり、あなたとは何度も会っていたのか」
と再確認するのかもしれません。
■深い縁は、楽しいだけの関係ではない親友や重要な仲間との縁は、ただ一緒に楽しく過ごすためだけのものではありません。
時には、厳しいことを言われることもあります。
自分が見たくない部分を指摘されることもあります。
意見がぶつかり、距離が生まれることもあります。
しかし、それでも縁が切れず、再び互いを理解しようとする関係は、やはり深いものです。魂の成長に必要なのは、ただ自分を肯定してくれる相手だけではありません。誤った方向へ進みそうなときに引き戻し、必要なときには耳の痛いことも伝えてくれる存在が必要です。
本当の親友とは、自分を気持ちよくさせてくれるだけの人ではありません。自分の魂が本来進むべき方向を見失ったときに、その道を思い出させてくれる人です。
■一人で生きているように見えても、魂は支え合っている人間は、個人として生まれ、個人として人生を歩んでいるように見えます。しかし、実際には一人だけで魂修行をしているわけではありません。
親、友人、仲間、恩師、支援者。時には反面教師となる人物や、強い試練を与える相手さえも、人生の学びに関わっています。支えてくれる人も、傷つけてくる人も、それぞれ違った形で魂の成長に関与しています。
その中でも、苦しみの最中に手を差し伸べてくれる親友の存在は、特別です。私自身が自分を見失い、人生を途中で投げ出しかけたときに、親友が私の中の霊的な記憶を呼び戻してくれる。
それは、今世だけで突然できあがった関係とは思えません。過去世から何度も助け合ってきた魂同士だからこそ、今世でも再び出会い、重要な場面で支え合っているのだと思います。
■皆さんにも、魂の縁で結ばれた人がいる皆さんにも、「親友」や「重要な仲間」と呼べる人がいるのではないでしょうか。
つらいときに話を聞いてくれる人。
自分が道を外れそうなときに止めてくれる人。
長い時間会わなくても、再会するとすぐ元の関係に戻れる人。
人生の大きな決断に影響を与えた人。
その人との出会いは、今世だけの偶然ではないかもしれません。
繰り返しになりますが、私たちはこれまで数え切れないほどの輪廻転生を経験してきました。その長い旅の中で何度も出会い、さまざまな関係を築きながら、魂同士の縁を育んできたのです。
今世で親友となった人物は、過去世でもあなたのそばにいた可能性があります。そして来世でも、また別の立場で再会するかもしれません。
■縁に感謝し、今世での役割を果たす大切なのは、過去世でどのような関係だったかを言い当てることではありません。
「昔は兄弟だった」
「夫婦だった」
「同じ国を守る仲間だった」
そうした推測に夢中になることが目的ではないのです。
本当に大切なのは、今世で再び出会えた相手に対し、どのような関係を築くかです。
支えてもらったなら、感謝を伝える。
相手が苦しいときには、今度は自分が話を聞く。
誤った方向へ進みそうなら、見捨てずに言葉をかける。
魂の縁は、ただ懐かしむためにあるのではありません。
今世で新たな学びと愛を積み重ねるためにあるのです。
■おわりに人生の中で出会う人には、必ず何らかの縁があります。
その中でも、両親、親友、人生の分岐点で出会う重要な仲間は、過去世から深いつながりを持ってきた魂の仲間なのだと私は考えています。
私にとって親友とは、ただ気の合う友人ではありません。自分が苦しみの中で霊的な真理を見失ったとき、共に学んだことを思い出させ、本来の道へ戻してくれる特別な存在です。
私たちは今世だけで偶然出会ったのではありません。数え切れない輪廻転生の中で何度も縁を育み、今世でもまた再会したのでしょう。
そう考えると、親友や仲間の存在は決して当たり前ではありません。何度もの人生を越えて、もう一度出会うことができた魂の兄弟です。
だからこそ、私はその縁に感謝します。
そして今世では、私が支えられるだけではなく、相手が苦しんでいるときには、自分もまたその魂を支えられる存在でありたいと思っています。
以上
障害当事者団体ベクトルズ 尾侍酔助