アルコール依存症の当事者として啓発週間に先立って伝えたいこと [2025年10月26日(Sun)]
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こんにちは、
障害当事者団体ベクトルズ 代表補佐理事の尾侍酔助です。 11/10〜16は「アルコール関連問題啓発週間」です。一般社会の中では「自殺予防週間」や「過労死等防止啓発週間」と違ってまだまだ知られていないと思いますが、アルコール依存症の当事者会や自助グループそして専門科のある病院や支援機関では、積極的にこの啓発週間においてイベント等が開催されています。そのイベントは支援者向けの物もあれば一般市民向けの物もあります。 それでは、私自身の話も織り交ぜながら「アルコール依存症」についてこの機会に伝えたいことを綴りたいと思います。以下の文章は、当事者視点で綴っていて、一般市民向けでもあり患者の身近な周囲の人たち向けでもあり、また当事者向けでもあります。 第一点目・第二点目という見出しを付けて結構長文で書き綴っていますので、ある程度知識のある方々は、読書と同じ要領で、サーっとスクロールして見出しを眺めて、目に留まったところだけでも摘まみ読みしてくださればと思います。 ★第一点目:アルコール依存症は結構身近な精神疾患 さて、障害当事者団体ベクトルズには、アルコール依存症の当事者である私や理事・当事者会員が複数名在籍しています。市販薬乱用による薬物依存症を除く、覚醒剤・大麻・法外薬物といった一般市民の皆さんがパッとイメージするであろう「薬物依存症」よりも、アルコール依存症のほうがより身近なものということをまず第一点目に認識していただきたいと思います。 私はこれまであまり公には語ってきませんでしたが、アルコール依存症の当事者でもあります。もう5年以上前に入院した際の治療プログラムで学んだのですが、アルコール依存症は医学的には精神疾患に分類され、統計や自殺者データなどの内訳では「物質関連障害」という区分に該当します。私は障害当事者団体ベクトルズだけでなく、自殺予防団体-SPbyMD-にも所属しているので、自殺対策白書などの資料を読む機会もあり、実際にこの区分が用いられていることも確認しています。 ★第二点目:精神疾患の回復とは完治という意味ではない 精神疾患の多くは後天性(※何かをキッカケに発病)であり、適切な治療を受ければ「回復」が可能とされています。しかし、治療プログラムで教わった中では、この「回復」という言葉は「完治」とは必ずしも同じ意味ではなく、「回復≒寛解」と理解した方がよいと説明されました。さらに、より正確には「寛解とは、精神薬などの治療によって症状が発現しない状態を長期的かつ安定して維持できている状態」である、というのが、依存症をよく知らない方に説明する際に適切な表現だ、ということです。私自身、この説明を教わったとき、「なるほど、確かに分かりやすい」と納得しました。これが皆さんに知っておいていただきたいことの第二点目です。 そのため私は、自身のことを語るときには「アルコール依存症の寛解状態を、現在進行形で維持している」と表現しています。 第三点目:寛解したから終わりと周囲の人が捉えてしまうと大切な人を失う結果に繋がるリスクがある 皆さんに知っておいていただきたい第三のことは「寛解したから終わり♪」ではないということです。この感覚はアルコール依存症に限らず、多くの精神疾患に共通した特徴だと思います。例えば、私の学友にも統合失調症を長年患っている人がいますが、主治医から寛解と診断されていても、精神治療薬の服用は引き続き続けています。 このことを特に知っておいてほしいのは、患者本人というよりも「患者本人と日常的に接する周囲の人」です。例えばカップルの場合、「寛解=完治=普通に社会復帰できる状態」という捉え方をしてしまうと、誤解が生じます。そうした誤解が積み重なると、「なんでできないの?もう治ったんだよね?」というすれ違いから、口論や衝突に発展し、大切な人間関係を失うリスクすらあります。本人からすれば「理解してもらえない」という孤独感を生じやすいのです。 上記の例えはカップルの場合ですが、それは家族・夫婦・職場・学校など、ありとあらゆる環境で起こり得ます。 だからこそ私は当事者として「寛解とは “終わり” ではなく ”続いている状態” なのだ」ということを、身近な周囲の方々にも正しく理解していただきたいと啓発しているのです。アルコール依存症に限らずと前置きをしましたが、もちろんアルコール依存症も含んでいます。 ★第四点目:アルコール依存症には十人十色の背景・キッカケがある 次に、まず私自身について自己紹介も兼ねて綴っておきます。私は幼少期から強迫性障害と社交不安障害を患っていて、強迫性障害については学生時代と比較するといくらか症状の過酷さはマイルドになってきているものの、依然としてどちらも症状は日常的に続いています。私が30歳になる前くらいの頃にアルコール依存症に陥りました。 第四点目としてお伝えしておきたいことというのは、「アルコール依存症に陥る人たちは十人十色で何らかの背景を持っていたり、キッカケがある」ということです。単純にお酒が好きで毎日飲んで楽しんでいるうちに依存になっていた、というわけではないという意味です。そして、アルコール依存症に陥るに至った背景やキッカケは十人十色ということも理解してほしいなと思います。 実例として、私自身のことを綴っている最中なので続けますと、私の場合は、強迫性障害と社交不安障害を長年患い続けているとお話しましたが、特に、強迫性障害のほうが日常的に自分の意思とは関係なく突発的に襲い掛かって苦しい思いを味わうのです。社交不安障害のほうは、症状が出る場面を作らない、あるいは行かないなどの自分の意思や行動によってコントロールすることができ、まだマシなのです。 私は二十歳になって飲酒できるようになってから日本酒が好きになりました。高校時代からの仲良い友人と様々な種類のお酒を飲んでみましたが、私は日本酒派だったということですね。それが専門学校を卒業して就職して以降、ある意味では「日本酒が好きで良かった」という好都合なことになるわけです。あとで書きます。 私の就職については「世界メンタルヘルスデー」および「強迫性障害啓発週間」に合わせて障害当事者団体ベクトルズから公開された私のミニ講演動画で語っている通りなので、ここではサラッと流します。 専門学校を卒業して就職した会社が、私の強迫性障害について全く理解をしてもらえない・説明しようとしても聞く耳をもってもらえない職場でした。自分の意思とは無関係かつ突発的に症状が発言するため、当然のことながら仕事中にも発現して職場の人たちから煙たがられる日々を過ごしていました。 当時の私は、強迫性障害の症状が発現しても「苦しい思いがマイルドになるように」という思いで日本酒に手を伸ばすことになりました。精神薬の中でも「苦しくなったら飲む」頓服薬と、朝昼晩と決まった時間帯に服用して「常時安定させる」薬とがありますね?私の場合の日本酒はこれを例にするならば後者です。精神薬の効果が途切れないように服用するのと同じように、酔いが途切れないように日本酒を飲み続ける日々が始まりました。酔いが途切れないようにする目的は「24時間ずっと精神が安定するように」です。私はミニ講演で語った通り、強迫性障害の症状を軽減させるための精神科治療は受けられずにいますから、精神薬の代わりとして日本酒を…ということになったのだろうと振り返ります。 先ほど、日本酒が好都合だったと書きましたね。よほど色味のある銘柄でない限り無色透明なものが多いです。ミネラルウォーターのペットボトルの中身を日本酒に移し替えて持ち歩いて飲んでいても、「あ!日本酒を飲んでいる!」とは気づかれないものです。よほど酔っぱらって顔を赤くしてヒックヒックと言っていない限りは。もしくは間近で会話しない限りは。これ以上、深く書かなくても「好都合だった…」という意味が伝わると思います。私の職場では防塵マスクにゴーグル・安全ヘルメットなどフル装備での仕事だったため、表情は見えませんし、間近で会話することも滅多になく、大声で叫んで伝え合う系でしたから余計に気づかれなかったのです。 ここまで私の実例を書きましたが、当事者の中にも私の背景と同じという方はそうそういないでしょう。ですが、私は言いたいことは何かというと「他の精神疾患の苦しい症状をお酒の酔いで誤魔化したい」という思いからアルコール依存症へのキッカケが生じてしまう方は、決して少なくないということです。 ★第五点目:アルコールを断つ・減らす力は意志や根性ではなく「どこへ意識を向けるか」 さて、私は結局のところアクシデントを起こしてしまい仕事中の飲酒行為がバレてしまったわけです。もしバレていなければもしかしたら現在でも続けていた可能性はあるだろう…と思います。24時間365日お酒に浸かっている状態だった私は仕事中のアクシデントによって、搬送先で「アルコール依存症」と診断されたのですが、アクシデントそのものは結果的に私をお酒から隔離させることに繋がったので、もしかしたら霊的存在(※神・天使・守護霊等)から与えてもらった贈り物だったのかもしれないと振り返っています。 私の場合、退院後〜寛解に至るまでの期間は、その霊的存在に対する感謝を意識していました。アルコールを断つ・減らす力は意志や根性ではなく「どこへ意識を向けるか」ということです。「自分は霊的存在であり、神様に見守られている」この感覚が戻るたびに欲求を抑えられました。当然簡単ではありませんが。いま振り返ってみても依存の克服とは魂が再び「自分の高さ」に戻る作業なのかもしれないと思っています。 私のように信仰心を持っている方であれば、そのように意識を向けることで道を踏み外していた自分を変えていけると思います。宗教というのはそうした精神的バックボーンにもなるのです。もちろん、皆さん全員が宗教に入っている信仰者であるとは限りませんから、私はいつもコラム記事で「スピリチュアリズム」というものをお伝えしています。スピリチュアリズムは学問のようなもので、スピリチュアルとは意味が異なります。そして信仰対象(※例えば御本尊等)のある宗教ともまた異なります。宗教には関わりたくない方であっても、学問としてスピリチュアリズムを学ぶことによって、私と近い「意識の向け方」ができるようになると思います。 間違っても「根性で治す」ものではないということは、精神疾患共通の認識ですから覚えておいてほしいと思います。 ★第六点目:アルコール依存症の治療手段として「入院」も良い 話しを少し戻します。私は当時の勤め先を辞めることとなり、そのまま入院したわけですが、それまで連休が滅多になく過酷な肉体労働で毎日疲労困憊だったこともあり、入院というのはそうした私の生活環境にとっては肉体的に休むことのできる絶好の機会でもありました。まあ、それまでアルコールが常に体内を巡っていた状態からの脱却ですから、精神的には過酷な戦いでもありましたが…。そもそも私が常時アルコール漬けになっていた動機は先述したように「強迫性障害の症状を酔いで誤魔化すこと」でしたから、酔いが抜けていくと待ち構えていたのは私が恐れていた症状の発現です。入院中は発現しても薬で多少は抑えることはできていましたが、それでも鮮明に蘇ってくる過去の嫌な光景を完全に封じ込めることはできませんでした。 いま振り返ってみますと、アルコール依存症の治療手段として「入院」も良いと私は思っています。自分だけで断酒しようと思ってもコンビニやスーパーへ行けばお酒は簡単に買えてしまいますし、現代ではスマホひとつで家に居ながらにしても買えてしまいます。そうした観点から自分だけでの断酒は、なかなか難しいと感じるのです。入院してしまえば物理的にも環境的にも断酒せざるを得ない期間が発生します。病院のナースコールでお酒を注文できませんから(苦笑)。 精神科でのアルコール依存症の入院治療がどういうものなのか、については検索すれば簡単に知ることができますので、ここでは敢えて触れません。障害当事者団体ベクトルズの会員から聞いた話(※私が直接聞いたわけではなく代表理事からの又聞きです)によれば、病院によって取り入れているプログラムには多少違いがあるようですね。 私が印象に残っている治療プログラムは「断酒会というアルコール依存症当事者の自助グループによる当事者講師の講座」です。ある程度、治療が進んで物事を考えたり学習したりできる精神状態になってからだったかと思います。内容で私が特に教わってありがたかったことは、アルコール依存症そのものの基礎知識・断酒会や自助グループの意義・退院後の生活についてです。 その講座は精神科医か看護師か保健師かは分かりませんが専門職の方が一緒にいて医学的な基礎知識の補足などは専門職から教わり、当事者講師の方からは当事者視点でのお話を聞きました。アルコール依存症の入院治療は退院できても繰り返し再入院する方も多いということや、薬物依存症とは異なって違法なものではないからアルコールそのものを禁止または飲酒者を取り締まることはできないといった社会問題から見たアルコール依存症についても教わりました。単に講座でお話を聞くだけではなく、教わったことについて個々人で考えてみるような時間もあり、私としては教わったことを自分に当てはめて考えるという行いは好きなので印象に残っているのだと思います。 全ての精神科病院がこうしたプログラムを取り入れているか、といえば決してそうではなく、病院の理念や方針によっても異なると教わりましたし、障害当事者団体ベクトルズの会員からお聞きした話でも、やはり病院によってやり方は異なるのだな…と分かりました。入院という手段も良いと見出しに書きました。それがお伝えしたい第六点目なのです。自らの足で入院するのであれば、事前にそうした要素も病院に聞いておくと良いかと思います。 第七点目:寛解状態を維持することは宗教的忍耐力も伴うと感じる こういう見出しを付けますと「また宗教か」と読み飛ばす方もいらっしゃるだろうとは想定していますが、私の実体験を織り交ぜた私なりの啓発ですので、書かずにおくというのはどうかなと思いました。また障害当事者団体ベクトルズは宗教団体と繋がっている等という誤解を招きたくはありませんので、サラッとにしておきましょう。 アルコール依存症は「根性で治すものではない」「自分の意思次第で治せるものではない」ということはその通りです。私自身も実感しています。ただ「宗教的忍耐力は関係するか?」ということを考えてみたところ、私としては関係すると感じるのです。ただし「宗教的忍耐力で治せるものでもない」ことだけは先にお伝えしておきます。あくまでもアルコール依存症の寛解状態を維持し続けるために「必要」だと感じているのだ、ということを間違わないでいただきたいのです。 では、宗教的忍耐力とは何かというと、それは「苦しみを力ずくでねじ伏せる根性」ではなく、「魂の視点から今の自分を見つめ直し、再び神に心を向け直す力」のことです。依存衝動が生まれる瞬間、それに飲まれるか、それとも「自分は霊的存在である」という原点を思い出せるか。そのわずかな差が、寛解状態を維持し続けることができるかどうかを左右すると私は感じています。 もう少し嚙み砕いて宗教的忍耐力について説明します。「今この衝動(※お酒を購入しようという思い)に従うか?」ではなく「本来の自分(=魂)はこの選択を望んでいるか?」と、自分自身に問い直す力です。これは「禁酒を頑張る力」というよりも「魂の高さへ意識を戻す力」と言い換えることができます。 人間的な弱さや欲求は消えません。依存症の履歴も消えません。しかし、宗教的忍耐力があると「負けない自分」ではなく、「戻れる自分」でいられるのです。衝動に打ち勝つというより、「神様を思い出して帰還する」という感覚に近いのだと私は思います。 ★締めくくりに 今回は11月にある「アルコール関連問題啓発週間」に先立って、私自身の実体験を織り交ぜながら、アルコール依存症について、この機会に伝えたいことを書き綴ってみました。障害当事者団体ベクトルズの公式見解というわけではなく、記事のカテゴリが「尾侍酔助コラム」になっている通り、私が当事者視点で一般市民に向けて&患者の身近な周囲の人たちに向けて&当事者に向けて伝えたいことを率直に書き出したものです。 ちなみに私の個人Twitterをご覧になっている方は「記事読んで寛解状態を維持し続けていると書いている割にたまに飲酒しているツイートをしているではありませんか?」と疑念を持つと思います。現在は、週1〜2回程度、仕事から帰宅して350mlの発泡酒を1缶だけ飲むに留めています。それは、単純に肉体労働での疲れを発泡酒でプハッ!と発散したいなと思ってのことです。私がアルコール依存症に至った背景である「強迫性障害の症状を酔いでマイルドにしたいと思った」という動機とは異なります。 飲み過ぎは禁物ですが、そのくらいのストレス発散としての軽い飲酒は許されて然るべき…かなと思いながら。。。最後までご精読いただきありがとうございました。 以上 障害当事者団体ベクトルズ 代表補佐理事 尾侍酔助 |






