おはようございます。
障害当事者団体ベクトルズ 代表理事の内田貴之です。
前回の「内田貴之コラム」に引き続き、自己紹介シリーズBの記事になります。やはりTwitterでは字数制限の都合もあって、どうしても伝えきれなかったり、公式サイトでもあまり長く書きすぎるのはどうかな…と感じる部分がありました。
「代表理事ってどんな人なんだろう?」という自己紹介が、少し足りていないなと自分でも思っていたのです。その点、ブログという場は本当に書きやすいですね。文字数を気にせず、自分の考えや背景を丁寧に伝えられる場所だと感じています。
さて、今回のテーマは「福祉をライフワークにしてきた理由」です。
まずは、僕が福祉分野の中でも特に長く関わってきた「自殺対策・自殺予防活動」を中心に話を進めていこうと思います。というのも、前回の記事でも触れた通り、自殺対策というのは広い意味で“福祉”の中に含まれる領域です。ですので、この記事のタイトルからも決して逸れてはいないということを、最初にお伝えしておきますね。
★数ある社会問題の中で最も強く関心を持った大学時代、僕は「札幌学生保守政策研究会」というインターカレッジサークルに所属していました。ある日、勉強テーマとして社会問題が取り上げられたのです。脳死臓器移植、貧困、少子高齢化など数ある社会問題の中で「自殺問題」が出たとき、僕は強烈に関心を抱きました。
そこから、親友の尾侍酔助と二人で中古の書籍を買いあさり、読書会を開いて学んでいきました。それまで大学で履修していた「心理学」の授業はほとんど頭に入らなかったのですが、自殺問題を学ぶ中で心理学の基礎もようやく面白く感じられるようになったのです。
★スピリチュアリズムとの出逢い当時、僕と尾侍酔助はスピリチュアリズムについても勉強を始めていました。実は、自殺問題に取り組んでいなければスピリチュアリズムとも出会っていなかったと思います。
あるとき美容室で「自殺問題について勉強し始めたんですよ」と雑談したら、お姉さんに「江原啓之さんの本おすすめですよ!」と勧められたのです。その頃は江原啓之さんを全く知らず、お恥ずかしながら名前すら初耳でした。
その後、BOOKOFFで自殺関連の本を探しているとき、ふと美容室での会話を思い出し、店内を探し回って出会ったのが江原啓之さんの『いのちが危ない!』でした。立ち読みしてみると、まさに自殺問題をスピリチュアリズムの視点で解説している内容で、その場で購入しました。
この本は今でも僕の事務局の書棚にあります。蛍光ペンだらけのページもあり、付箋まみれで、何度も読み返しました。尾侍酔助にも薦めたところ、彼も熱心に読み、気づけば僕よりスピリチュアリズムに詳しくなっていたほどです。まさに不思議な出会いの連続でした。
そのようにして僕たちはスピリチュアリズムと自殺問題を同時に勉強しました。そこで「生まれる意味」「命がある理由」「今世の使命」「過去世との因果や宿題」「魂向上」なども学んだわけです。
★学びから実践へそんな折、札幌市主催の自殺予防講演会があり、僕は聴きに行きました。作家・五木寛之さんの基調講演がありましたが、内容よりも最後の一言が強く印象に残っています。
「専門家でない札幌市民の皆さんも、自分にできることから自殺予防を始めませんか?」
この言葉がきっかけで、単に学ぶだけでなく「自分にできる自殺予防活動とは何か」を考えるようになりました。
ちょうどその頃、尾侍酔助が「スピリチュアルを用いた自殺予防プロジェクト」を立案しました。彼は手描きイラストが得意だったので、手作りの小冊子を作り、街頭配布やポスティングを行う計画です。これは「卒業まで」という期限付きでしたが、結局小冊子の完成をもって期限が切れ、活動は僕が大学卒業後に立ち上げた 「自殺予防団体-SPbyMD-」 が引き継ぐことになったのです。
このような流れで、僕は自殺予防活動に取り組むようになりました。もっと深掘りするとしたら卒業研究制作の話になるでしょうね。
★卒業研究制作と神秘的な体験僕が大学3年の後期〜4年にかけて卒業研究制作に勤しむことになるわけです。北海道情報大学情報メディア学部でWEBデザインをメインに勉強していたので、大学4年間の集大成ともいえる卒業研究制作では当然ながら何かしらの「WEBサイト制作」をしようと思っていました。
ただ、最初のうちは自殺問題・自殺予防活動と「WEBサイト制作」をどのように絡めたら良いか随分と悩みました。北海道にあるどこかの団体の公式サイトを制作させてもらうか…など案はありましたが、それでは「大学4年間の集大成」的な作品にはならないという、僕のこだわりがあって、その案はボツに。
なかなか良い案が思い浮かばず数ヶ月ほど停滞期に入りました。「もう自殺問題をテーマにすることを辞めてもいいのではないか」とも悩んだものです。僕の学部の卒業研究制作は、作品の制作・卒業論文の制作・卒業記念小論文の制作、この3点セットがあって、2月くらいの卒業研究発表会までには全て完成させて担当教授からOKサインをもらわないとならなかったんです。正直、悩んで停滞している暇などなかったわけですよね。けど実際、どうしたらよいか思い浮かばず数ヶ月も立ち止まってしまいました。
そんなある日、「これだけ悩んでも良い案が思い浮かばないのだから自殺問題をテーマにするのは無理なのではないか、別に自殺問題にそこまで固執しなくてもいいのではないか、諦めようか」と脳裏に浮かびました。いい加減、卒業研究の企画書すら完成していない状況じゃマズイよと教授から警告されていた時期でした。
諦めよう…、そう決心しようと思った瞬間から「やはり自殺問題をテーマにしたい!なぜか分からないがどうしてもこのテーマにしたいんだ!諦めたくないんだ!卒業研究でも自殺予防活動をやりたいんだ!」という強烈な想いが火山の噴火の如くドドドドドドドドドーン!!!!と心の奥底から湧き上がってきて、自分でも抑えきれなかったのです。そして、頭の中に「自殺問題について根強い偏見や誤った知識を払拭させて正しい学びができるような学習WEBサイト」という具体的な案が降ってきたのです。これはね、神秘的な体験でした。
こうやって文章で表現しても伝わらないでしょうが、本当に神秘的な体験をしたんです。
その案を基にWEBサイトの中身の設計図を急いで作成して「卒業研究企画書」を教授に提出したところOK!よっしゃー!…、いや、これから制作するんでっせ?ゴールではなくようやくスタートラインに辿り着いたんでっせ。。。
最終的に「自殺予防学習WEBサイト─あなたもできる!自殺予防─」というタイトルで本論文と小論文も完成させて、ギリギリセーフで卒業研究の単位をもらえたのでした。
★神秘的な体験と今世の使命さて、卒業研究の期間中に神秘的な体験をした僕ですが、その体験がどういう意味を持つのか当時は知りませんでした。スピリチュアリズムを勉強しておいて知らなかったのかよ!と突っ込まれそうですが、まだそこまで辿り着いていなかったわけです。スピリチュアリズムも奥深い学問ですからね。
卒業研究企画書提出〜卒業研究発表会までの数ヶ月の間も、スピリチュアリズムについて勉強していたわけですが、江原啓之さんのどの著書かまでは覚えていないんですが、「心の奥底から欲望や執着ともまた違う感覚の強い想いがあふれ出てくる時、それは今世の使命と深く関係している」的なことが書かれていて、これだーーー!!!!と思いました。まだ確信には至れていないものの、あの時の神秘的な体験はまさしくこの記述と合致しているではないかと思いました。
その後、僕はスピリチュアリズムの根拠を学びたいという動機から幸福の科学という宗教とも関わるようになるわけですが、大川隆法著書「勇気ある人となれ─勇気百倍法サブテキスト─」(非売品)の中に、次のように書かれています。
『繰り返し何度も出てくる思いのところに自分の使命がある』『また、自分自身の内から、どうしてもどうしても止められない衝動が出てくることもあります。何度も繰り返し出てくる思い、否定しても否定しても「やはり、自分は、この職業に就きたい」という思いが出てくることがあるんですね。』『これを執着と呼ぶかどうかの判断は難しいところではあるのですが、その思いが心の奥底から出てきて止まらない場合は、やはり、そういう使命がある可能性は高いと思います。』
これですよ、これ。大川隆法の著書は3000冊以上ありますが、その中からよく見つけ出せたなあと思います。この書籍を卒業研究発表会より少し前に読みまして、「自殺予防活動は今世の使命なんだな!」と確信を持てたわけです。
★使命たる自殺予防活動僕は卒業研究発表会で「自殺予防活動は僕にとって人生を捧げて取り組むべき使命だと確信しました。卒業後も自殺予防活動を継続していきます。この卒業研究はその使命たる自殺予防活動の第一歩目だと僕は思っています!」と宣言しました。
卒業研究発表会が終わっても、大学卒業までまだ春休みという時間があったので、卒業後どのような形で自殺予防活動を行うか、大学に来て自由に使用できるPC実習室で構想練りをしていました。尾侍酔助は道内にはいるが札幌から遥か遠くの地域へ移住してしまったので、実質的に個人活動になってしまうなあと。個人活動でも自殺予防活動はできないことはないのですが、スケールがとても小規模になるため「使命」として取り組むためには団体を作って同志を集めて大きなスケールでやらないといけないよなー。と。
どこか札幌市内に自殺予防活動をやっている団体が存在していたら、そこに入ろうかとも考えて探しましたが、無かったんです。ちなみに「いのちの電話」という大きな団体は存在していますが、電話相談というのは僕がやりたい活動内容ではありませんし、そもそも自殺予防ではなく自殺防止という別領域で少し専門性が高いんです。「自殺予防に特化している団体が無いなら自分で作ろう」それが僕の行動指針のひとつなので、新たに団体を作ることにしたんです。
そうして「自殺予防団体-SPbyMD-」の設立構想に辿り着くわけですが、その構想練り段階では現在とは異なり、「WEB・映像・グラフィックのデザインを学ぶ学生やそれらを職業としている人たちの集団にして、自殺予防の普及啓発活動を推し進めていく」という方向性で考えていました。PC実習室で会員募集チラシをデザイン・印刷して、札幌市内で配布しまくったりしましたね。団体名も「普及啓発特化型自殺予防団体-SPbyMD-」という長ったらしい名称でした。「SPbyMD」は、Suicide Prevention by Media Designの略で、メディアデザインを用いた自殺予防という意味です。現在の「自殺予防団体-SPbyMD-」も名称の名残があるわけです。
SPbyMDの設立は2013年5月1日です。僕の大学卒業は2013年3月下旬です。その間の4月は準備期間で、その際に尾侍酔助が札幌まで実家帰省したことがあり、僕の構想を話して、2人で団体を立ち上げました。尾侍酔助と僕は共同創立者なんです。余談ですが、障害当事者団体ベクトルズも一応、尾侍酔助との共同創立ということになっていますが、障害当事者団体ベクトルズの場合はオンラインで構想を伝えて同意を貰っただけなので、SPbyMDとはちょっと異なります。
さて、SPbyMDを立ち上げてから1年が経過した頃、「おや?会員募集し続けているのに集まらないではないか…どうしよう」と少し焦り始めました。このままでは団体ではあるものの中身は個人活動になってしまうという危機感でしょうか。「WEB・映像・グラフィックのデザインを学ぶ学生やそれらを職業としている人たちの集団にして、自殺予防の普及啓発活動を推し進めていく」という方向性を思い切って変えようと決心しました。普及啓発活動は続けていくものの、デザイナー集団という枠を取っ払ったんです。
かなり、長くなってしまいましたが、僕がどうして自殺対策の「自殺予防」をライフワークにしようと思ったのかという動機や流れを詳しく書き出してみました。
そうそう、ライフワークというのは、生涯を通してやり続ける仕事という意味でもありますし、企業に勤めている人であればその仕事とは別に「自分の使命に取り組むための人生をかけた大仕事」という意味になります。どちらかというと僕は後者の意味合いで、ライフワークという言葉を使っています。
★WEBデザイナーになりたいという夢の実現さてさて、僕は大学卒業してからすぐ障害者福祉の支援員になったわけではありません。大学卒業時点で就職先が決まっていない人間でした。就職活動期間には「自殺予防に携われる職業ないか?」と大学の就活サポセンで聞いて職員を困らせたりしていました。自分でも色々と調べてましたが自殺予防を職業にするとなると公務員になるとか、心理カウンセラーになるとか、それこそ自殺予防をやっている法人に就職するくらいしか道が無いわけです。あとは大学教授になって自殺予防を研究する道ですかね。なので、職業にするという選択肢はサッサと見切りつけました。
サッサと見切りをつけられた理由は、職業とは別に自殺予防活動をすればいいと考えていたからだと思います。そこで、大学4年間でWEBデザインとグラフィックデザインしか勉強してこなかった僕は浅はかにも「WEBデザイナーになりたい」と志すようになり就活しました。札幌市内には数え切れないほどのWEBデザイン会社が存在しています。僕も数え切れないほど書類を送ったり面接を受けましたが、どこも共通して言われたことは「Java・PHP・C言語くらいのWEBプログラミング言語は扱えないとデザイナーは無理ですよ」です。
大学でもあったんですよ?WEBプログラミング演習という科目。ですが1年生の時にその基礎を広く浅く一通りやって、「あ、数学できない僕に演算処理は無理だ」とすぐ分かりまして。4年間で、WEBプログラミング演習系の科目は一切履修しませんでした。僕が制作できるWEBサイトというのは動かない、「静的WEBサイト」と当時は呼ばれているものでした。HTMLとCSSしか使わないので「動的WEBサイト」は制作できないんですよ。ははは…。
本当に卒業式を迎えてから4月に入るまでの数週間で、ちょっと名称は忘れてしまいましたが、札幌市が当時やっていた、給料をもらいながら就職訓練を受けれるプログラムを見つけて、そこに滑り込みで入れたわけです。インテリジェンス株式会社だったかな?そこから給料という名の税金をもらいながら、社会人基礎力研修を受けてました。そして、プログラムの一環で新札幌にあった「シェラトンホテル札幌」の広報部署にOJT研修生として所属し、その際の肩書は「WEBデザイナー」だったんです!僕ができる静的WEBサイトを更新したり、新しいページを作成したりしました。研修期間を終えて2013年6月から正式に「シェラトンホテル札幌」の契約社員として就職した流れです。
でも、所属部署が広報部署から宴会サービス部署にチェンジしてから、約半年耐えましたけど、よく耐えられたなと思えるような過酷労働を経験しました。で、契約期間満了退社。そこからマイナビ派遣社員として、いくつかの会社へ短期間ずつ行きましたね。
その社会人基礎力研修を受けている期間中に、尿閉および排尿困難という排尿障害を患ってしまいまして、当時は尿意の間隔が10分という短さで、職を転々とするはめになりました。排尿障害では身体障害者手帳は取れないんですよー。手術を受けて、オストメイトを身体に埋め込めば身体障害者として認められます。
そんな話はどうでもいいですね。とりあえず「WEBデザイナーになりたい」という夢は叶ったという話です。
★障害者福祉の支援員になった動機その後、僕はしばらくプー太郎になりまして、自殺予防団体-SPbyMD-の活動に専念していたわけです。何がきっかけになったのかは忘れてしまいましたが、ハロワで「障害者福祉の支援員」の募集を見つけて、資格不要・未経験歓迎と書いてありましてね。「お!?」と思ったわけです。
帰宅して障害者福祉とその求人情報について調べていくと、就労継続支援A型作業所・B型作業所というものが存在していることを知りました。詳しく調べていくと、そこで働いている障害者には精神障害者の割合が多く、自殺未遂経験者も多いということがわかったのです。「もしかしたら、支援員として働くことで、ライフワークとしても自殺予防活動ができるし、職業としても自殺対策に関われるのではないか!?」と思ったわけです。それが、僕が障害者福祉の支援員になった動機です。
そういう動機ですから、書類審査でバンバン落とされましたけど、「エフリング」という現在B型に変わってしまいましたが当時A型だったところのパートタイムの面接までこぎ着けました。そこで、僕が自殺対策に少しでも関われるであろう障害者福祉という分野で働きたい意思を話しまして、どうやらその面接試験的には不採用だったのですが、送迎できる職員に欠員が出たということでエフリングから採用の電話が来たのです。
★自殺対策とはほど遠かった障害者福祉実際に支援員になってみてわかったことは、自殺対策とはほど遠いということです。障害者福祉は自殺対策のために存在するわけではないからです。すっごい広い目で見れば、障害者福祉も自殺対策も「福祉」という分野で接点はあるんですが、支援員として働いている中で、悩みを聞いたりだとかサポートしたりだとか、そういうのはありませんでしたね。
余談ですが、支援員として働き始めて再び排尿障害を再発してしまい、5ヶ月ほどで辞めざるを得なくなりました。その後はしばらくまた治療と療養に専念するわけですが、治らないんですよ。尿意が近すぎて仕事の時間の大半はトイレに行っている人を雇いたいと思いますか?しかも、頻尿だけではなく排尿困難という症状もありますから、10分に1度トイレへ行って30分くらいトイレから出てこない人なわけです。どんなに心が広い経営者でも自主退職をお願いしちゃいますよねぇ…。
さて話を戻しますが、自殺対策とはほど遠い分野だったんですが、障害者福祉は障害者福祉で僕にとって働き甲斐のある仕事でした。通勤してて面白かったわけです。支援員という職業は大変ですけど、とっても働き甲斐がありまして魅了されてしまいました。
そして、「こころわーく」という就労継続支援B型作業所のオープニングスタッフ募集の求人をハロワで見つけた僕は早速応募して面接しました。そこでも、自殺対策の話は当然しましたけど、何よりも短期間ではあったけどA型作業所の支援員経験者であるという理由で運よく採用されました。そこでもまた排尿障害によって一旦退職することになったわけですが、療養後に復職させてもらえましてね♪ありがたかったです。
★B型作業所の支援員って何やるのか?ところで、就労継続支援B型作業所の支援員って何やるのか?といいますと、これは恐らく勤め先の会社によって全然異なると思います。まず、そこの作業所がどのような作業をやっているのか、によって支援員の動き方も変わってくるからです。僕がやっていたのは「往復の送迎」「施設外就労として飲食店内清掃の付き添い&自分も清掃やる」「作業所でやっているチラシ折り作業のための準備・アイロンビーズのアイロンがけ」など。その他に様々な雑務がありました。利用者さんの本日の作業記録日誌を入力したり、受発注業務のお金の入力をしたり。
支援員として利用者さんの悩み相談を受けたことは2回ほどありましたが、その悩みの解決まで支援するのは業務範囲外のことなので支援員としてはできませんでしたが、幸い、自殺予防団体-SPbyMD-として勝手に引き受けて解決のサポートまでやってました。支援員として相談を聞いてあげるだけにとどまっていては、いくら業務範囲外だとはいえ、当人は困っているわけですから放っておけないんですよ。これは支援員の性格にもよるものかなと思いますけどね。僕はそのまま放置はできないんで。
そういう僕みたいな働き方をしていますと、利用者さんとも仲良くなれまして。退職した今でも「友人」として関係を築き続けている利用者さんいますよ。一緒に、自殺予防活動をやったりしてます♪まあ、支援員の中でも特殊ケースでしょうね、僕はね。
★退職後30代で先天性障害者だと判明!支援員として働いていたものの、同時に、社長と2人で「道民ささえ合い機構」という非営利団体を立ち上げました。理想は道民(※特に札幌市民)から仕事の依頼を受注して、「道民ささえ合い機構」に加盟するB型作業所へ発注するという仲介役の団体です。社長はB型作業所の他に不動産会社を経営している人なので、道民からの依頼がない場合は不動産会社から仕事を受注する形はつくれました。
まずは加盟してくれるB型を探しまくること。基本的に、日常的に仕事を自分たちで受注して利用者さんの作業が成り立っているB型は除くことになるわけですが、10社以上は加盟してもらえましたね。そして、不動産会社の仕事だけではなく、作業所同士がお互いに仕事を受発注できる仕組みも作りました。
僕が退職する直前には「道民ささえ合い機構」を「事業協同組合」という種類の法人にしようという動きもあったんです。実際に札幌市にある事業協同組合の設立をサポートしてくれる組織へ足を運んで話を聞いたりしました。
…が、僕自身が夜眠れなくなってしまうようになり、最終的には会社の規約違反が社長にバレてしまい、居られない状況を自ら作ってしまって自主退職しました。
そして眠れないというのが日常化してしまったことからメンタルクリニックを受診し、主治医にこれまでの経歴やエピソードを話したところ「アスペルガー障害の疑いがあるので市立病院で心理検査を受けてみましょう」ということになり、WAIS-4を受けました。検査結果で軽度知的障害と分かり、「療育手帳」を取得できることがわかって、その手続きのため札幌市障がい者更生相談所という機関で鈴木ビネー式という知能検査を受けました。その判定を待って、正式に軽度知的障害であることが認められました。ついでに、主治医からASDの診断も出たため、障害名としては「広汎性発達障害」となりました。睡眠障害や排尿障害もASDの二次障害であるという診断結果です。
まさかの30代になって、自分が先天性の障害者であることを知ったわけです。そうであるならばと振り返ると、記憶のある幼少期から現在に至るまでの人間関係でのトラブル、コミュニケーションの不得意、社会常識の欠如など思い当たるエピソードが数え切れないほどありまして。スッと腑に落ちたわけです。「どうりでな…」という感覚ですね。
ということで、僕も障害者の仲間入りを果たすこととなり、生活保護を受けながら就労継続支援B型に通う利用者側になったのです。障害者福祉の支援員側から支援される側になったとも言い換えられます。
★障がい者講師養成講習に参加した2024年度、札幌市社会福祉協議会が主催している「障がい者講師養成講習」に参加しました。嫁さんの薦めで。僕としてはそんな養成講習受けなくても、これまで自殺予防活動において講師として長年活動してきましたから興味はあまりなかったんですが…。
でも、参加して良かったです。参加者は全員何かしらの障害者手帳を持っている人たちで、若者からお爺さんまで幅広い年齢層。一人ひとりの「生きづらさ経験談」を聞くことができて大変学びになりましたから。
そこで「この養成講習が修了したら自分たちで団体を作って何か当事者活動やらないか?」という話題が出たのです。僕は乗りました。何回かエルプラザに集まって、どういう趣旨の団体にするかなど色々とディスカッションをして、最終的に「障害当事者団体ベクトルズ」を立ち上げよう!…というところまで来たんです。
僕は任意団体設立にこれまでいくつも携わってきているので、定款素案なども作成して、「設立理事会」ということで理事として立候補した仲間たち4〜5人でエルプラザに集いました。…が、団体設立ともなればリスクも生じるということを言い出した人がいて、それを聞いた他の仲間たちがその意見に流されるように「やっぱりまだ早いかも…」と言い出す始末。結局、集まった設立時理事たちは「設立はまだ辞めておこう」という結論に至り、一番ノリノリだった僕はガックリしました。
それが2024年9月1日の夜19時頃でしたかね。僕はせっかく定款素案まで用意してやる気満々なのに、このまま団体設立が頓挫してたまるかよ!と思い、団体設立のためには最低2名必要なので尾侍酔助に事情を説明して同意を貰って、すぐエルプラザ内にある札幌市市民活動サポートセンターで新規市民団体登録手続きを行い、無事に??「障害当事者団体ベクトルズ」が誕生したわけです。
リスクがリスクが…なんて言って意気消沈させるのは許せないんですよ。僕は自分軸や行動指針を持っているので流されませんし。大体、リスクを恐れていては何も始められないじゃないですか。意見対立して決別しちゃいましたが、あの時、リスクを恐れないで「障害当事者団体ベクトルズ」を一緒に立ち上げていれば良かったと思わないのかい?と伝えたいです。
★障害当事者として福祉をライフワークにようやく本題に入れます…。僕は今、福祉分野のライフワークとして「自殺予防団体-SPbyMD-」と「障害当事者団体ベクトルズ」それぞれの代表者をやっているわけですが、先ほど支援員としてA型で働いてみた頃の感想で述べたように、現場では、自殺対策と障害者福祉との接点はほぼありません。しかしながら、「自殺予防団体-SPbyMD-」でゲートキーパー養成講習を開催すると支援員の受講率が高いんです。話を聞いてみると「利用者さんから自殺未遂したと相談を受けてどう返答したら良いか分からなくて勉強しに来ました」という方が多いんです。
現場で接点が無くても、今の僕の視点から見れば、自殺対策と障害者福祉は「福祉」という大きな分野において繋がっており、もっと連携させるべきだと感じています。僕の使命は自殺予防活動ですが、そこには障害者福祉も絡みこませて良いと思っています。僕もひとりの障害当事者となったことで「障害当事者団体ベクトルズ」の代表理事が成り立っています。で、使命活動のほうの「自殺予防団体-SPbyMD-」が主催するゲートキーパー養成講習に「障害当事者団体ベクトルズ」を協働という形で絡ませています。
どちらも、やりがいのある活動です。活動内容で、例えば現在、助成金講演会事業「障害当事者が語り伝える自殺未遂経験談と欲しい優しい手(※略称:無料福祉講演会)」を障害当事者団体ベクトルズで主催していますが、事業名の通り、そこには自殺問題を絡ませています。実際、メンバーの半数は自殺未遂当事者です。自殺対策と障害者福祉は切っても切れない関係にあると僕は見ています。
どちらとも生涯にわたって活動し続けたいなー!と思っています。
以上
障害当事者団体ベクトルズ
代表理事 内田貴之