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睡眠障害にも「ランク」があるように感じる [2026年07月01日(Wed)]
障害当事者団体ベクトルズ 会員 ハルです。

7月1日は「こころの日」。こころの健康について考え、精神疾患への理解を深めることを目的とした啓発の日です。今回は、統合失調感情障害・睡眠障害・アルコール依存症の当事者である私が、睡眠障害について感じていることを書いてみたいと思います。

私は統合失調感情障害を患い、その症状の1つとして睡眠障害も抱えています。私の場合は、眠剤を飲まなければ眠りにつけない「入眠困難」が中心です。一度眠ってしまえば、途中で何度も目が覚める「中途覚醒」や、朝早く目が覚めてしまう「早朝覚醒」はありません。だから私は、自分の睡眠障害は「入眠困難型」なのだと認識しています。

睡眠障害には、私が知る限りでも、

 ・眠ろうとしても眠れない「入眠困難」
 ・夜中に何度も目が覚めてしまう「中途覚醒」
 ・予定よりずっと早く目覚め、そのまま眠れない「早朝覚醒」
 ・眠ったはずなのに眠った気がしない「熟眠障害」
 ・昼間に強い眠気が続いて生活に支障が出る状態
 ・昼夜逆転など生活リズムが大きく乱れてしまう状態

など、さまざまな形があります。

同じ「睡眠障害」という言葉でも、その困り方は人それぞれです。だから私は、人から「私も睡眠障害なんです」と言われると、「どんな睡眠障害なんだろう?」と気になります。これは決して優劣をつけたいわけではありません。困り方が違えば、必要な治療や支援も違ってくるからです。

私自身、以前は解体工事の仕事を長く続けていました。毎日が体力勝負です。仕事を終えて帰宅する頃には、身体はへとへとでした。普通に考えれば、それだけ疲れていれば眠れそうなものです。

でも、睡眠障害はそう単純ではありません。

身体は疲れ切っているのに、眠れない。横になっても眠れない。時間だけが過ぎていく。そんな夜を数え切れないほど経験しました。

さらに私には、もう1つ大きな問題がありました。統合失調感情障害の診断を受けて以来の通院先である精神科病院が自宅から約10km以上と遠く、仕事との両立が難しかったのです。休日も少なく、通院のタイミングが合わないまま、眠剤を切らしてしまうこともありました。

その結果、私は眠剤の代わりに、大好きなビールへ頼るようになりました。仕事を終えてから深夜にかけて、500缶を4〜5本。そうして泥酔して眠る。そんな生活が続いていました。今振り返れば、決して健康的な睡眠ではありませんでした。

「眠るために酒を飲む」それが当たり前になってしまっていたのです。

ChatGPT Image 2026年7月1日 11_01_34.png

現在の私は、アルコール依存症の治療を主な目的として精神科病院へ長期入院しています。精神科病院だからこそ、これまで通院できなかった分も含めて、医師や看護師の管理のもとで適切な治療を受けられています。眠剤も処方され、以前より安心して眠れる日が増えました。

ここで1つ、私が感じていることがあります。

私が睡眠障害であることを話すと、「寝る前にストレッチをするといいよ!」「呼吸法を試してみたら?」そんなアドバイスをいただくことがあります。もちろん、その方は親切で言ってくださっているのでしょう。実際に、一時的な不眠であれば、生活習慣の改善やリラックス法で良くなる方もいると思います。それは決して悪いことではありません。

ですが、私のように精神疾患に伴う睡眠障害を長年抱え、薬物療法が必要な人間からすると、それだけでは解決しない現実があります。体操や呼吸法で改善するような一時的な不眠と、長年治療を続けている睡眠障害とは、同じ「眠れない」という言葉でも背景が異なることがあります。

だから私は「睡眠障害」という言葉の奥深さを、もう少し多くの方に知っていただけたら嬉しいと思っています。

睡眠障害は、見た目では分かりません。「眠れないだけでしょ?」そう思われてしまうこともあります。ですが、その「眠れない」が毎日毎日、何年と続けば、心にも身体にも大きな影響を及ぼします。

本日の「こころの日」をきっかけに、睡眠障害にもさまざまな形があり、一人ひとり困り方が違うことを知っていただけたら幸いです。

私たち障害当事者団体ベクトルズが大切にしている言葉があります。「十人十色」。睡眠障害も、まさに十人十色なのだと私は思っています。

以上
ご精読ありがとうございました。
障害当事者団体ベクトルズ
障害当事者会員 ハル
解体職人か物流ドライバーか [2026年06月03日(Wed)]
障害当事者団体ベクトルズのハルと申します。「解体職人か、物流ドライバーか。退院後の人生を考える」というテーマでコラム記事を書かせていただきます。

私は現在、アルコール依存症の治療のため、精神科病院で長期間の入院生活を送っています。前回のコラムでも触れましたが、今は治療に専念する日々です。働くこともできませんし、自由に外出することもできません。ですが、その一方で、これまで酷使してきた心と身体を休ませる時間にもなっています。

そんな入院生活の中で、最近よく考えることがあります。「退院後、私はどう生きていこうか」ということです。

私は若い頃、物流ドライバーとして働いていました。札幌から道内各地へ。時には本州まで。大型トラックを運転しながら各地を走り回る仕事でした。ところが不運なことに、免許取消処分を受けてしまい、その業界から離れざるを得なくなりました。

その後に飛び込んだのが解体工事の世界です。私は長年、解体職人として働いてきました。肉体的には厳しい仕事ですが、自分には向いている部分もありました。現場で汗を流し、建物を解体し、更地に戻していく。達成感もありました。

しかし、その一方で、この業界には残念な実態もあります。もちろん真面目な会社もあるのでしょう。ですが私が経験してきた範囲では、社長や社員、さらには請負先までも含めて、首を傾げたくなるような会社が少なくありませんでした。便利な作業員として使われるだけ使われる。身体を壊すほど働かされる。そして最後には給料未払い。そんな経験も一度や二度ではありません。私は長年、自分の身体を削りながら働いてきました。

だからこそ、退院後に再び解体職人として復帰する未来を想像すると、正直なところ複雑な気持ちになります。

そんな中、古くからの友人が声をかけてくれました。その友人は物流運送会社を経営しています。そして「うちに来ないか」と私を誘ってくれているのです。普通免許や大型免許の再取得費用についても協力してくれると言ってくれています。本当にありがたい話です。

物流ドライバーの仕事は、解体工事とは大きく異なります。基本的には一人で大型トラックに乗ります。関わる相手も、仕入先と届け先の担当者が中心です。やるべき仕事の流れも決まっています。私自身、その流れを身体が覚えています。大勢の人たちと足並みを揃えながら働くよりも、自分にはこちらの働き方のほうが合っているように思います。

ただし、問題もあります。その会社は北広島にあります。もし働くのであれば、北広島へ移住することが現実的になります。北広島は私の生まれ故郷です。まったく知らない土地ではありません。ですが、長年札幌で暮らしてきた今となっては、生活の利便性が変わることも容易に想像できます。

さらに近年は、エスコンフィールド北海道の開業によって周辺環境も大きく変化しました。家賃も以前より高くなっていると聞きます。仕事だけを考えれば魅力的な話です。生活全体を考えると迷いもあります。

さて、どうしたものか。

退院まではまだ時間があります。だから慌てて結論を出す必要はありません。しかし、気づけば時間というものはあっという間に過ぎていきます。のんびり考えているようでいて、実はそれほど余裕があるわけでもありません。

今の私は、人生の分かれ道に立っているような気がしています。解体職人として戻るのか。物流ドライバーとして再出発するのか。あるいは、まったく別の道が見えてくるのか。まだ答えは出ていません。

けれど、長い治療期間を無駄にはしたくありません。焦らず、しかし立ち止まりすぎず。退院後の人生について考えている、今日この頃です。

以上
障害当事者団体ベクトルズ
障害当事者会員 ハル
幻聴とともに働き、いま治療と向き合う私の話 [2026年05月27日(Wed)]
おはようございます。コラム記事を担当することは恐らく初めてと思います。障害当事者団体ベクトルズに入会してからは静かに活動参加させていただいている「ハル」と申します。「世界統合失調症デー」は過ぎてしまったものの、この啓発日に合わせて私が発信したかった思いを書き綴りました。

「世界統合失調症デー」があったことを、私は数日過ぎてから知りました。気づいたときは「しまった、タイミングを逃してしまった」と少し落ち込みました。けれど、そのことを障害当事者団体ベクトルズの代表理事・内田さんに話したところ、「まだ数日しか経っていないのだから、今からでも十分意味があるよ」と言ってもらい、その言葉に背中を押されて、このコラムを書くことにしました。

私は、統合失調感情障害という診断を受け、10年以上にわたって服薬治療を続けています。「統合失調症」という言葉は知っていても「統合失調感情障害」という名前は初めて聞いたという方もいるかもしれません。

統合失調感情障害は、統合失調症の特徴に加えて、気分の落ち込みや気分の高まりといった感情面の波も大きく関わる病気だと説明されることがあります。ただ、私は病気について語るとき、「代表的な症状」だけでは語りきれないと感じています。

障害当事者団体ベクトルズでよく使う言葉に「十人十色」があります。統合失調症も、統合失調感情障害も、まさにそうです。同じ診断名でも、人によって困りごとは違います。症状も違えば、治療の形も、生活の大変さも違います。だからこそ私は、「こういう病気です」と一言で説明する難しさをいつも感じています。

ここからは、私自身の話を少し書いてみたいと思います。5年ほど前まで、私は就労継続支援B型に通っていました。当時は比較的時間に余裕があり、遠方にある精神科病院にも定期的に通院することができていました。

その後、自分の得意分野でもある解体工事の現場仕事に携わるようになりました。仕事そのものにはやりがいもありましたし、自分の力を活かせる仕事でもありました。ただ、その生活が始まってから、休日はほとんどなくなり、早朝からの出勤で毎日へとへとになる日々が続きました。
ChatGPT Image 2026年5月27日 06_46_24.png

そうなると、精神科病院へ通う時間も体力もなくなっていき、いつしか通院そのものが途絶えてしまいました。そして気づいた頃には、現場仕事の最中にも幻聴が聞こえるようになっていました。私の場合、幻聴が聞こえても、自分で「これは幻聴だな」と分かります。

たとえ悪口のような内容が聞こえてきても、それに振り回されるというより「……うるせーな」と思う感覚に近いです。もちろん煩わしさはあります。けれど、それが現実の声ではないことは、自分で理解しています。

もうひとつ大きかったのが、睡眠の問題でした。家に帰っても気持ちが休まらず、眠剤なしではまともに眠れない日が増えていきました。そして気づけば私は、眠剤の代わりに大量のビールを飲み、酔いつぶれるように眠る習慣がついていました。毎晩1リットル以上飲むことも珍しくありませんでした。振り返ると、それは自分なりの「対処」だったのかもしれません。眠れないつらさを、なんとかやり過ごそうとしていたのだと思います。

以前から知人の力も借りながら、アルコール依存症の治療も含めた入院治療へ向けて、さまざまな手続きを進めてきました。そして数ヶ月前、その手続きがようやく整い、私は現在、精神科病院で長期間の入院生活を送っています。

入院生活では、働くことはできません。自由に外へ出ることも制限されています。不自由さがまったくないと言えば、もちろん嘘になります。ですが一方で、長いあいだ肉体を酷使してきた自分の身体を休ませる時間にもなっています。治療費のこと、生活のこと、お金のこと−−不安がまったくないわけではありません。それでも、保険金によって助けられている部分もあり、私にとっては不幸中の幸いだったとも感じています。

精神疾患と付き合う人生は、一直線ではありません。良い時もあれば、崩れる時もあります。通院できる時もあれば、できなくなる時もあります。働ける時もあれば、休まなければならない時もあります。でも、それで終わりではないと私は思っています。少し立ち止まることも、休むことも、治療のひとつなのだと思います。

もしこのコラムを読んでくださった方の中に、同じように通院が途切れてしまった方、眠れない夜を過ごしている方、誰にも言えないつらさを抱えている方がいたら、「自分だけじゃないかもしれない」そんなふうに思ってもらえたら、私はうれしく思います。

■執筆後記
この記事の中で、私は「保険金生活」という表現を使いました。人によっては、この言葉に少し引っかかるかもしれません。ですが、これは私なりに考えて選んだ言葉です。

私は以前、生活保護を受給して生活していた時期がありました。けれど現在は、長年働いてきた中で積み重ねてきた制度や保険によって、治療生活が支えられています。もちろん、だから偉いとか、生活保護が悪いとか、そういう話ではありません。

ただ、自分の中では「働いてきたことが、いまの自分を支えてくれている」という感覚があります。だから私は、あえて「保険金生活」という言葉を使いました。

正直に言えば、世間には生活保護に対して厳しい視線があることも、私は知っています。ズルい、楽をしている、そんな言葉を見かけることもあります。でも実際には、精神疾患を抱えながら生きるというのは、そんな単純な話ではありません。

働ける時もあれば、働けなくなる時もあります。通院できる時もあれば、通えなくなる時もあります。そして時には、休みながら治療に専念する期間が必要になることもあります。今の私にとっての入院生活は、自由が制限される苦しさもありますが、一方で、長年酷使してきた心と身体を静養させる時間にもなっています。

私はこれからも、自分の病気や人生と折り合いをつけながら、生きていこうと思います。

以上
障害当事者団体ベクトルズ
障害当事者会員 ハル
学生時代の想い出:蓬生さつき編 [2025年03月05日(Wed)]
こんにちは、障害当事者団体ベクトルズ 会員 蓬生さつきです。
「学生時代の想い出:○○編」という同じテーマについて
理事や会員が自分のエピソードを自由に書くという
コラム記事の企画が前回から始まりました。
1人目は代表補佐理事の尾侍さんでした♪

それでは早速、蓬生さつき編「学生時代の想い出」を書きます。
私は幼小中高大と長年にわたる学生時代の殆どが「不登校」でした。

幼稚園では、年少の頃は神奈川にいて楽しく行けてました。
優しい先生が大好きでいつも一緒に遊んでくれました。
一人で泥団子を作るのが楽しかったです。
でも、、、

年長で北海道に引っ越してからは、
「集団行動」がどうしても苦手で、
並んで集団下校しなきゃいけないのに、
毎日、お母さんに迎えに来てもらい、近隣のスーパーで買い物というのが、
日常でした。

神奈川のときは田舎だったので、集団下校を余儀なくしてましたが、
札幌の集団行動には、馴染めなく「ひとり」が好きでしたね。

そんな私も小学生になり北区の小学校に入学し、
3年生まで楽しく過ごしていまいたが、
隣の区に引っ越してからは、どうも馴染めなくて引っ越してまもなく
学校に行けなくなり、「不登校」になりました。

毎日お母さんと喧嘩しては、お父さんに怯え、
お姉ちゃんと部屋のクローゼットで
一日過ごすのが1年くらい続きました。

私の時代は、土曜日が午前授業で学校があったのですが、
うちのお父さんは土曜日が休みで、、、
怒られるから土曜は仕方なく学校へ行っていました。
巷では、私達姉妹を「土曜の女」と呼ぶようになっていきました(^_^;)

特にいじめられてるわけでもなかったんだけど、
なんか
馴染めなくて、、、。

いじめではなかったけど、スキー遠足で、雪山を登るときに、
私だけ、アイスバーンのとこに行ってしまい、
身動きできなかったできなかった私を見て、笑ったりして、
誰れも助けてくれなかったのを、今でもはっきりと覚えています。
北区にはあった私の「居場所」は、白石にはなかったです。

そんな3年生も自動的に終りを迎え、4年生へと上がりましたが、
登校拒否を1年もやっていると、
今度は、行くに行けなくなってしまって(きっかけがなくて)
困っていたところを、当時の担任の牧先生が、
ある日、家に訪問してきて、話を聞いてくれました。

そして、シール集めが好きだと言った私に、
ハワイの珍しいシールをくれました。
そして、徐々に仲良くなっていって遂には学校も行けるようになりました。

そうして、小学校は4年生の後半から卒業式まで、
登校拒否せず、毎日通うことができました。

そんな日々が永遠と続くと思われた学校生活でしたが、
中学校に上がると、これまで仲良くしてた友達の裏切りで、
ま登校拒否になってしまい、中学1年の夏休みから中3まで
不登校になってしまいました。

学校に行きたくなさ過ぎて、授業時間に事もあろうに電話ボックスで、
小学校の保健の先生に電話して、小学校に逃げたこともありました笑

好きなお笑い芸人のラジオが終了した頃に、
「この人たちも新たな道へと進んで行くのに、私だけ立ち止まってるわけにはいかない!」
と勇気出して友達に電話して、まずは保健室登校という形で投稿し始めたのが、
中学2年の秋のことでした。

中学3年になって担任と和解して、やがて高校進学伴い徐々に教室に顔出すようになり、
酷いいじめに耐え、なんとか卒業しました。

そして見事、高校進学しましたが、
私に勇気が足りなくて高校生活1周間もしないうちに退学届を出しました。

学級担任及び校長に
「こんなことで躓いていたら、どこの学校に行っても同じこと繰り返すよ」
なんて皮肉を言われ退学しました。

退学してからも「高校だけは卒業したい」という思いはあったので、
その時期から入れる高校・定時制・私立とか探しては面談したのですが、
どれもいい感じのところはなく、、、。

その退学した高校では秋になると学校PRのイベントが行われ、
その内容は、演劇・演奏・合唱などの中学生にPRするイベントがあって、
その中で、ある一人の先生が「退学した生徒へ」と
退学してしまった生徒に宛てて、一通の手紙を読んでたのです。

その手紙には「力になれなくてごめん」と綴られていました。
それは、私に宛てた手紙ではないことは分かっていたのですが、
私はそれを観て「あ、この先生となら頑張れる、この先生がいい」と
直感的に思いました。

そして、私は同じ高校を二回受けて合格し、
晴れて二度目の高校生になれたのでした。
そしたら、なんとも運命的!
その先生が私の担任だったのです。

私の二度目の高校生生活は、いじめもあったし、嫌なこともいっぱいあったけど、
そのたんびに、担任に相談して
「俺がいるから、学校来い!」「勉強と本は、裏切らない」という名言を残し、
先生の言うがままに通学していたら、徐々に友達も増え、
楽しい学校生活を送れるようになり、
学年トップで3年間で高校を無事卒業できました。

その先生とは縁があり、出会ってから10年間、共にお世話になりました。
今は飲み友として、交友関係は続いています。

そして、中学の同級生とは1年遅れて、教師になるという夢を持って、
大学に進学したのですが、、、。
当たり前の話ですが、大学には、たくさんの人がいて、、、、。
怖くて怖くてどうしようもなくて、私は3日もしないうちに行かなくなり
半年の更新をしないまま、退学しました。

図書室には行きたいと思ったので、同級生に会わないように、
深く帽子を被って、行っていました。

そして月日は流れ、主婦まがいなこともしながら、幾度の季節を巡り、
25歳のときに、「これからはITの時代だ!」と悟り、
パソコン系の専門学校に入学しました。

でも、現役の18歳と25歳の壁は厚く、
うまく溶け込むことができませんでした。
溶け込むというか、弾かれたと言うか、、、。

クラスで話す人もいなく、ってか次第に気づいたら誰れも話かけても
無視するという状況に陥り、実質いじめが起きてしまい、
退学をせざるを得なくなりました。

それから何年かニート生活に戻ったのですが、
「いつでも結婚できるから心配いらないよ」と元婚約者に言われ、
その言葉に甘えて、また主婦まがいな生活を送っていましたが、、、。
結局縁がなく、結婚には至りませでした。
その方とは、今は飲み友達です。

そんなこんなで30歳を迎えたときに、このままニート生活しながら、
一生を終えていくのは嫌だと、一値発起して、
勇気を出して、職業訓練に4ヶ月休まないで卒業し
生まれて始めて「就活」というのをしました。
ちゃんと卒業したのは、高校以来のことでした。

年の倍ぐらい、書類を出して面接をし、落ちてはまた応募する
忙しい日々が続きました。

就活中に、こころがちょっと疲れて、
ハロワのこころの相談室に通うことにしました。
その中で、今の精神科を紹介してもらい、
それ以降、ハロワではなくその精神科にお世話になること数年。

縁あって、今のB型就労支援に通所している日々を送っています。
行けば行っただけ工賃がもらえると言うことと、
就職の道の手伝いをしてくれると言うこともあって、
用がない限り通所18日以上通所すると言う目標を
持って、毎日通所しています。

通所(社会人になって)思うことは、
高校、大学、専と、莫大なお金を払わせてしまった親に、
少しでも孝行をしたいと思います。

自殺予防も、その一環だと思って活動を続けている日々を送っている次第です。
でも、ボランティアでは、ありません。

私はボランティアという言葉が、嫌いです。

ボランティアという言葉がなくなるくらい、人を助ける、
人の役に立てることが当たり前になってくる
世の中でいてほしいからです。

登校拒否に陥って(もしくはニート)しまった私だからこそ、
できることがあるのなら、なにか世の中のためになることができたなら、
なんか、いいです。

つたない文章になりましたが私のエピソードをそのまま表現しました。
ご精読ありがとうございました。

以上
障害当事者団体ベクトルズ
会員 蓬生さつき
障害者同士の結婚がこれほど難しいとは思わなった [2025年02月25日(Tue)]
みなさん、おはようございます。お元気ですか?
障害当事者団体ベクトルズ 会員 蓬生です。
コラム記事を執筆します。

北海道は札幌市、最近は晴天の日が続いています。
もう春もそこまで来ています。
私の春も、、、。
と言いたいのですが、私の春はまだまだ旅の途中のようです。

さて、このスペース(会員コラム記事の場)を自由にともらいましたが、
いざ書こうと思うと、キーボードを打つ手が止まってしまっています。

最近は、愛について四六時中考えています。
仕事の動画編集も手につかず、いつも自分の気持ちに
これで良かったのか?と問いてばかりいます。

離婚届と友達の告白と。
好きと言ってくれた人と、いつも通り手を繋いでくれる人。
私は、こすいから、ふたりの愛も欲しいと思ってしまっている
今日この頃です。

好きって何?
愛って美味しいの?
もっとこすくて、次回恋する人は、私のこの精神疾患を理解できる、
健常者の人がいい。って思ってしまう。

障害者同士の結婚が、これほど難しいとは、思わなった。
もし、どちらかが健常者なら、こんなことにならなかったのかな〜って。
愛は、注ぎすぎても、足らなすぎてもだめだったのかな〜。

支援員さんが言うには、私は、恋に恋してる。と言われましたが、
好きって言ってくれる人がいるだけで、嬉しいし、
いつも通り手を繋げてくれる彼を、ずっとずっと好きでいる。
たとえ、私だけ愛していたとしても。
愛って難しい。

「愛さないことも、愛やからね」と
明石家さんまが言ってましたw

そう、私の理想は、明石家さんまと大竹しのぶみたいに、
別れても、ネタにできるような距離感、
面白い元夫婦で有りたい。

さぁて、新しい部屋に引っ越したら、
「男女7人秋物語」でも観ようかなw

私の恋愛観は、東京ラブストーリーと、
男女7人秋物語と、
高校教師でできていますw
あ〜ドラマみたいな恋愛した〜い!

以上
障害当事者団体ベクトルズ
会員 蓬生さつき
Twitterフォローよろしくお願いします♪
https://x.com/satsuki_otaru
参加賞:令和6年度 心の輪を広げる体験作文 [2024年10月18日(Fri)]
こんにちは。
障害当事者団体ベクトルズの会員さつきです。

障害のある人が社会、経済、文化その他あらゆる分野の活動に参加することを促進するため、我が国では、障害者基本法に基づき、毎年12月3日から12月9日までの一週間を「障害者週間」としています。障害の有無にかかわらず、誰もが地域や職場、学校などで人格と個性を尊重し合い、支え合う「共生社会」の実現を目指し、本年度の「障害者週間」に向けた「心の輪を広げる体験作文」及び「障害者週間のポスター」を、以下のとおり7月1日(月)から募集します。

という内閣府が主催している
『令和6年度 心の輪を広げる体験作文』に応募した結果、
残念ながら作文は落選しましたが、参加賞が贈られてきました!

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円山動物園の公式グッズとのことです♪
とても可愛いタオルなのでお風呂で使おうと思っています。

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毎年度あるようなので次年度も応募してみようと思います。
ちなみに今回は私の命を救ってくれた精神科薬局の薬剤師さん
との体験談を恋文風の作文にしました。

以上
(執筆/障害当事者団体ベクトルズ 会員 さつき)
自分の好きなこと・得意なことを活かせる活動をやっていこう! [2024年09月18日(Wed)]
こんにちは。
ベクトルズの会員、さつきです。

私自身は「福祉」にはあまり興味ありませんが、
「福祉」を大いに活用して生きています。

双極性障害U型を患っていて一般就労は症状の重さから無理なので
生活保護を受けながら就労継続支援B型に通っています。
メンタルクリニックでも自立支援医療を受けています。

そういう意味で「福祉」のお世話になっているわけです。

私が「福祉」にあまり興味がないというのは、
福祉活動に携わること自体は良いのですが
「詳しく勉強したい」だとか「福祉フォーラムを聴きに行きたい」
などとは思わないなあ…という意味です。

ちなみに私は「自殺予防団体-SPbyMD-」に2017年の秋から
スタッフとして携わったのが「福祉活動」の原点です。
スタッフ→代表補佐理事→代表理事を歴任して、
現在はただの会員です。

自殺予防あるいは自殺対策は福祉なのか?と疑問に思う方も
いらっしゃるかもしれませんが分野としては「精神保健福祉」に属し、
自治体の殆どが「健康保健福祉課」「社会福祉課」「障害福祉課」にて
自殺対策を担当しています。れっきとした福祉なのです。

それから私は「自殺未遂当事者の会-芯-」を2021年に設立して
夫にサポートしてもらいながら未遂当事者向けの「茶話会」や
一般市民向けの「自殺予防講話」や「メンタルヘルス講演会」などの
イベントを自主主催する活動もやっています。
2024年3月には東京都武蔵野市からお声が掛って講演渡航もしました。

さて、
「障害当事者団体ベクトルズ」では私は会員として参加しています。
2021年9月に設立されたての団体なので会員数は少人数ですが、
気の合う人たちなので楽しくやらせてもらっています。

ベクトルズの活動は他団体主催イベントに協働して
講師として登壇させてもらうことのほか、
アート展や民族博物館へ出かけるレクリエーション行事があります。

代表理事いわく「まだ活動資金がそれほどないからイベント主催はしばらく先」
とのことですが、理事会のほうでは2024年12月の障害者週間に合わせて
何か講演イベント主催の準備を進めているようですよ!

私も、ベクトルズの活動方針の
自分の好きなこと・得意なことを活かせる活動をやっていこう!
ということに同感しています。

私は講演講師の経験もけっこう実績あるほうですし、
パステルアート教室も開いて参加者に教えることができるので
その分野でベクトルズで活躍していけたらな♪と思っています。

つたないコラムでしたがご愛読下さりありがとうございました。
ぜひ、私たちと一緒に活動したいと思っていただける札幌または近郊に
お住いの障害者の皆さん、ご連絡ください♪



ご連絡先
challenged.vectors@gmail.com
(障害当事者団体ベクトルズ 事務局あて)

以上
(執筆/障害当事者団体ベクトルズ 会員 さつき)