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支援と自己責任論の狭間で:本当の優しさとは何か [2025年04月27日(Sun)]
おはようございます。
障害当事者団体ベクトルズ 尾侍です。
今朝は少し社会について考えてみるコラムを執筆しました。

「支援と自己責任論の狭間で:本当の優しさとは何か」

いまの社会には、二つの力がせめぎ合っているように感じます。ひとつは、「誰もが支え合うべきだ」という支援の力。もうひとつは、「自分のことは自分で責任を取るべきだ」という自己責任の力。どちらも、一理あります。どちらか一方だけが正しいわけではないでしょう。しかし、私は思うのです。

魂の成長という視点から見れば、人は本来、支え合うために地上に降りてきたのだと。自立することは尊い。でも、自立とは孤立することではないはずです。他者に頼ることは、魂の弱さではなく、魂の成熟です。スピリチュアリズムが教えてくれるのは、魂同士は本来、つながり合い、助け合うために存在している、ということ。

だから、誰かが「助けてほしい」と言ったとき、それに手を差し伸べるのは、人間性の自然な表れなのです。逆に、「あなたが弱いのは自己責任だ」と切り捨てるとき、私たちは自らの魂の成長の機会を失ってしまうかもしれません。

真の優しさとは、誰かを"甘やかす"ことではありません。真の優しさとは、その人の魂が本来持っている力を信じながら、倒れそうなときにそっと支え、寄り添うことだと思うのです。社会にはいま、優しさの再定義が求められています。

支援と自己責任論の狭間で揺れながらも、私たちはもう一度、魂の目線で問い直さなければならないのではないでしょうか。

"この人のために、私はどんな愛を差し出せるだろうか。"

その問いこそが、きっと社会を、そして私たち自身を、優しく強く育てていくと私は信じています。

以上
障害当事者団体ベクトルズ
代表補佐理事 尾侍酔助
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