人生は一度限り? [2025年01月19日(Sun)]
障害当事者団体ベクトルズ 代表補佐理事です。
コラム記事ということで、私の好きな霊的価値観の話を久しぶりにします。 「人生は一度限り」について、スピリチュアル界隈でも意見が分かれるテーマです。私は「人生は一度限り」という言葉をそのまま聞く分にはその通りだと捉える派です。対立派の主流は「人は何度も生まれ変わるため一度限りではなく永遠」と捉えます。 私もこの対立派の言葉にも、その通りだと捉えています。なぜ?と疑問に思われるかもしれませんが霊的価値観においてこの双方は矛盾していないからです。人の本質は霊魂であり霊魂は輪廻転生を何度も繰り返し、その都度の人生において成長・向上を目指す存在です。 私が最初に述べた「人生は一度限り」という言葉は「その都度の人生」に該当します。自分の肉体・両親・先天性心疾・後天性疾患・生まれた国・育つ地域・周囲の環境など挙げればキリがないほどですが、包括して「この人生」は一度限りなのです。過去生も来世も全く別の「人生」だという意味です。 入力ミス訂正「過去生」→「過去世」。一度限りの人生ですが、今世の人生において自分が経験したこと・成功や失敗を通して得た学びなどは来世へ引き継がれていきます。霊魂として人は永遠に学び続け向上し続ける存在ということです。「人生は魂修行」という言葉もありますが的を得ていて私は好きです。 こうした霊的価値観はもっと多岐にわたっており、今回テーマにしたのはそのほんの一部です。霊的価値観というものと出会ったことで、その価値観を得たことによって、私は精神障害者になって苦しみ続けてきた今世の人生にも意義があると捉えるようになりました。精神的支柱となったのです。 私の精神的支柱はこの霊的価値観、そして所属している宗教です。宗教に入ってから霊的価値観を知ったのではなく、スピリチュアルカウンセラーの江原啓之氏の書籍『いのちが危ない!』を読んだことが始まりです。そのうちもっと霊的価値観について、加えて霊的世界について深く学びたいと思い始めた頃に宗教との出会いがありました。 補足ですが、私は宗教を他の方々に押し付ける行為、一般的に「勧誘」というべきでしょうか?それは近年は行なっていません。相手側から興味や関心をもって接して来られた時に説明をする程度です。無理やり勧誘されて宗教に属することに至ったとしても、積極的に宗教の教えを学ぼうとは思わないと私は思うからです。霊的価値観についてコラム記事として取り上げる場合も同様。私のコラム記事を読んだ方が、もっと霊的価値観について学んでみたいと興味関心を持ってもらえればそれで構いません。 さて、「人生は一度限り?」と題して執筆してみましたが、いかがでしたか?精神障害という後天性疾患は私の今の人生にとっては「霊魂の学びのひとつ」です。精神障害を発病して人生がウンザリするほど嫌な出来事も日常的に多々降りかかってきます。しかし、だからといって今味わっている出来事ひとつひとつが、この人生にとって無駄か?無意味か?といえばそうではなく、全て自分自身の学びの糧となっているのです。 障害当事者の一人として述べておきたいと思いました。 以上 障害当事者団体ベクトルズ 代表補佐理事 尾垣 |