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ただの夢と言い切りがたい濃さ [2026年02月27日(Fri)]
こんばんは。障害当事者団体ベクトルズの内田貴之です。メンタルクリニックで処方された眠剤、今までは「マイスリー10mg」「フルニトラゼパム2mg」「トラゾドン50mg×3」の組み合わせだったが、睡眠リズムが少々不安定なこと、かつ前々回まで処方してもらっていた「ソラナックス」を戻してほしいと伝えたところ、主治医から『ちょっと調整してみますね』と言われ、会計をまった。

会計時に渡された処方箋を見て驚いた。てっきり「ソラナックスを復活させてくれているのだろう」と思っていたが、「マイスリー10mg」と「トラゾドン50mg×3」が除外されて、代わりに「フェノバール30mg」というこれまで聞いたことのない処方がされていた。僕の睡眠障害は、入眠困難>中途覚醒、がメインだ。これまで何度か処方薬を調整した際も「マイスリー10mg」は除外せずにいてくれた。

薬局で薬剤師にそのことを伝え「フェノバール30mg」という薬は初めてだが、入眠困難にも効果があるのかデータを調べてもらった。しかしながら、この薬を睡眠障害に使う事例はあまりないようでデータがまだない…とのことだった。

入眠できるのか不安だったが、2/27は何が何でもB型通所して「工賃明細書」をもらい、その帰り道に保護課で収入申告をしなければならなかったため、不安のまま服用し、布団に入った。…が、目を閉じたまま眠り入ることを待っていたが、体感では1時間くらいかかった。途中でスマホを見て現時刻を確認する行動は、入眠の妨げになることを分かっていたためしなかった。

そうしているうちに、夢を見た。だが、タイトルのとおり「ただの夢とは言い切りがたい濃さ」であった。夢の内容は以下のとおりだ。

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夢のできごと(単なる夢物語)とは信じがたい。人は睡眠中、霊界に行くことができる。霊界は普通「霊体=魂だけ」で行く世界だが。

お互いの肉体の感覚は強くあったから幽体なんだと思う。自殺者は地獄行きというが、まだ自殺したての地縛霊という可能性は大きい。この世と霊界との間にある幽現界かもしれない。

短い時間だったけど、両手を強く握りながらのコミュニケーション嬉しかった。両手を強く握ったのは自分のほうで「憑依した霊と話せるかも!」と思い、彼らを逃すまいと考えて必死に手を握って引き寄せた。

男性と女性の2人組だった。なぜ死んだのか理由を訊ねたら彼らのほうから「自殺したんだよ。生きてても楽しくなくてね」と教えてくれた。その後も通常のコミュニケーションは難しそうと感じて、手を握った状態で自分からいくつかYES・NOで答えられるよう工夫して質問を考え、YESなら手を握り返してと頼んだらコミュニケーションが成立した。

いくつか対話したのち、自殺してしまった君たちに訊くが、死のうと思った時は、引き留めず素直に死なせてくれという気持ちだったのか、何かしらメンタルのケアや支援が欲しかったのかどちら?と訊ねたが無反応だった。答えにくかったのかもしれない。

そして自分は自殺予防活動を今世のライフワークとしてやっているんだが、生まれる前に設定した目標値を達成できると思う?それとも自殺霊としてはどうでもいいと思う?という問いについては、男性の霊から「できる!必ずできると保証する。自信を持て」と励ましてくれた。

その後、僕が自殺予防に目覚めた大学時代の経緯ついて語ったが、途中で、ふっと彼らが自分から憑依を脱した感覚になった。剥がれた感覚だった。

途中でコミュニケーションが取れなくなってしまってから、目覚めたけど、こういう経験は初めてだから楽しく、嬉しかった。

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以上だ。こうした霊的な記事は、創立理事の尾侍酔助に任せているが、そもそも尾侍酔助にスピリチュアリズムを教えたのは、僕、内田貴之であることを読者の皆様には改めて伝えておくとする。

とても「質感」のある体験であった。手の感触、YES/NOでのやりとり、途中でスッと“剥がれる”感覚まで覚えているのは、確かに「ただの夢と言い切りがたい濃さ」だと思う。結論から言うと、スピリチュアリズムの枠組みで見れば、「単なる夢物語」か「霊的な現実」かと問われたら、その中間寄りで、“かなり霊的現実度の高い夢”と捉えるのが一番しっくり来る。

1)スピリチュアリズムで「霊界体験ぽい夢」とされやすいポイント
スピリチュアリズムの文脈では、睡眠中の体験をざっくり分けると
 ・ 純粋な「脳内の夢」(心の整理・記憶の処理)
 ・ 霊界や幽現界に「幽体・霊体」で出向いての交流が、夢という形で記憶されているもの
の両方がある、とされている。

その中で「これは後者寄りかも?」と判断するとき、よく挙げられる特徴がいくつかある。
 ・やたら鮮明で、目覚めたあとも細部をかなり覚えている
 ・手の強い握り合い/2人組であったこと/YES・NOでの応答/途中で“剥がれた感覚”…など
 ・会話の筋が通っていて「メッセージ性」がある
 ・「生きていても楽しくなくて自殺した」
 ・根拠は無いが 「できる。必ずできると保証する。自信を持て」という励まし
 ・自分のライフワーク・テーマと、内容が直結している
 ・自殺予防活動をライフワークにしている人のところに「自殺直後のような2人組」が現れる
 ・そこで交わされたのが、自分の活動の“達成可能性”に関するメッセージ
 ・感触がリアルで、“ただの映像”ではない
 ・「肉体感覚が強かったから幽体っぽい」という感覚
 ・YESなら握り返して、というかなり具体的な身体コミュニケーション
 ・目覚めたあとに「楽しかった・嬉しかった」という“後味”が強く残る

このあたりを総合するとスピリチュアリズム的には、「幽現界に近い層に幽体で行って、自殺直後〜しばらく経った地縛霊・迷っている霊とコンタクトした」と解釈するケースが多いタイプの体験である。もちろん、これは「絶対そうだ」と断定はできない。霊界のメカニズムを実験で証明できるわけではないため、100%断言はできない。しかし「スピリチュアリズム的な典型パターンにはかなり似ている」というのは言えると思う。

2)心理学的に見ると、何が起きていたか
一方で、心理学・心の動きの側から見ると、こんな読み方も可能である。
 ・僕は日常的に「死にたい人」「孤立している当事者」のことを考え、自殺予防をライフワークにしている
 ・その中で、「死のうとした彼らは、本当はどうしてほしかったのか?」という問いをずっと抱えている
 ・そして「自分の活動は本当に役に立つのか? 目標を達成できるのか?」という問いも、深く持っている

今回の夢では、その2つの問いに対して、象徴的な答えが描かれている。
 ・支援を望んでいたかどうか、という問い → その場では答えが返ってこない
 ・自分の自殺予防活動の達成可能性 → 根拠はないが「できる。必ずできる」と力強く保証される

つまり、僕自身の心の深いところ(無意識・深層心理)が「今の道でいい」「自信を持て」というメッセージを、“自殺した2人組”の姿を借りて返してくれた。という読み方もできるわけである。スピリチュアリズム的に見るか、心理学的に見るか。どちらにせよ「この体験はかなり意味のあるものだった」のは共通である。

3)「夢か現実か」にこだわりすぎないほうがいい理由
目が覚めてから気になっていることは、これは単なる夢物語?それとも現実の記憶?ではあるが、スピリチュアリズム的には、次のような回答例もある。
 ・現実世界の「3次元の出来事」ではない
 ・しかし 霊的な意味では“現実の出来事”と言ってよいくらい濃度の高い体験
 ・同時に、僕自身の深層からのメッセージを含んだ“内的現実”でもある

つまりは、「3次元では夢、霊的にはリアル。両方の性質を持った出来事」と捉えるのが、一番バランスがいいかなと思う。

目覚めてからの考察後、大事なのは「どっちだったか」を白黒つけることよりも、
 ・あの2人組が象徴しているものは何か
 ・あの「できる。必ずできる」という保証の言葉を、これからの活動の中でどう生かすか
 ・「支援を望んでいたのか?」への沈黙を、どう受け止めていくか
こういった問いを、今後の生き方・活動の燃料にしていくことの方ではないかなと。

まとめとして「安全面のひとこと」。
最後に、少しだけ現実的な補足をさせてもらいたい。

今回の体験はポジティブな余韻(楽しかった・嬉しかった)が強く、内容も「自殺予防のライフワークへGOサインをもらった」方向なので、危険なものだとは全く感じていない。ただ、こういう霊的なコンタクト体験を重ねていくと、人によっては「もっと話したい」「もっと呼び込みたい」と無理をしてしまうケースがある。
 ・無理に呼びかけ続けて生活が乱れる
 ・現実の人間関係より、霊とのやりとりに比重が偏る
といった状態にはならないようにだけ、“地上での活動が本業であり、霊的な経験はオマケ”くらいの距離感を保っておくと安心とは思う。

あの憑依霊2人組と握手した手の感覚と「できるよ」という言葉は、きっと今後の活動でしんどくなったときの“精神的なお守り”になると思う。僕自身は、というより誰もが霊的な存在ではあるが、江原啓之氏のように起きている際、自身が霊媒体となって霊視したり霊と対話できる能力は持っていない。それは特別な使命を与えられている極僅かな人間にしか当てはまらないものである。

僕や読者の皆様の大多数は、睡眠中に肉体から霊体(=魂)や幽体が抜け出して、霊的世界へ一時的に戻ることができるものである。しかしながら、その睡眠中のできごとは、目を覚ました頃には、ここまで鮮明には覚えていないのが普通であるといえる。

タイトルに「ただの夢とは言い切りがたい濃さ」と据えさせてもらった。僕の体験したことを、忘れないうちに文章として記録しておこうと思い、内田貴之コラムに記事化することとした。

障害当事者団体ベクトルズの公式ブログを日頃から読んでいただいている方にとっては、「スピリチュアリズムにまつわる話題が記事となることは日常茶飯事であり今さら『急に何を言い出すのか?』」という感覚は持ち合わせていないだろう。一方で、僕がスピリチュアリズムに関する記事を出すことは初めてかもしれない。そうした新鮮な驚きをもっていただくことも、また嬉しく思う。

以上
障害当事者団体ベクトルズ
相談役 内田貴之
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