言葉だけ流行りの「中道」とは [2026年01月28日(Wed)]
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除雪作業の助っ人で身が持たない障害当事者団体ベクトルズ 創立理事の尾侍酔助です(苦笑)衆院解散に伴い誕生した新党「中道改革連合」について話題沸騰中です。しかしながらテレビ番組を見ますと街頭インタビューにて『中道、真ん中の道?政党名の意味はわかりません』といった回答を見ました。私の感覚では、「中道」の意味が置き去りになり、言葉だけ先に流行しているように感じます。
「中道改革連合」という政党は公明党のうち衆議院議員だけ抜けて、立憲民主党の議員とくっついて誕生したものであり、その大半は元々公明党の看板を背負っていた議員たちですね。ご存じのとおり創価学会という宗教が母体となっているため政党名の「中道」とは創価学会の教義に基づいたものであることが分かります。 私は創価学会については良く知らないため、まずは創価学会が説いている「中道」について調べてみました。創価学会が運営する教学用語検索サイトから以下に転載します。 相対立する両極端のどちらにも執着せず偏らない見識・行動。 (1)苦楽中道。不苦不楽中道とも。 快楽主義と苦行主義の二つの生き方を捨てること。 出家前の釈尊は、王子としての贅沢な暮らしから快楽を求める生き方をしていたが、これを捨てた。また出家して苦行をしていたが、覚りに無益であるとしてこれを捨てた。その後、心身を整えて瞑想する中で覚りに至った。 (2)有無中道。非有非無中道とも。 断見と常見の両極端のどちらにも偏ることなく、あらゆるものごとは、縁起の法にしたがって、生成消滅するという正しい見識に立つこと。 (3)八不中道。 竜樹の『中論』の冒頭にある詩句、不生不滅・不常不断・不一不異・不来不去という八不(八つの極端の否定)によって指し示されるものごとの真実のあり方。 (4)空と中道。 竜樹の『中論』には、「衆因縁生法は|我即ち是れ無なりと説く|亦是を仮名と為す|亦是中道の義なり」とあり、衆の因縁生の法(縁起)と空と仮名と中道を同一視している。竜樹は「もし一切は皆、空ならば、生も無くまた滅も無し」と説く。空こそが、生滅・有無などの対立する2項を離れたものごとのありのままの姿であり、これを中道というとする。 (5)三諦における中道。 天台大師智は『中論』の説を受けて、空仮中の三諦円融に基づく中諦を説いた。修行者の一心を観じて三諦円融を覚る一心三観の実践を説いた。『摩訶止観』巻3上には「中道第一義観とは、前に仮の空なるを観ずるは、是れ生死を空ず。後に空の空なるを観ずるは、是れ涅槃を空ず。双べて二辺を遮す……また、初めの観は空を用い、後の観は仮を用いる。これを双存の方便と為す。中道に入る時、能く双べて二諦を照す」と述べ、双遮・双照をもって中道としている。つまり空と仮をならべて否定(遮)するとともに、空と仮をならべて用い、障害なく通じ合って融和し、偏ることのない境地である。 以上が転載内容です。創価学会の教義はなんとも堅苦しい語句が多々ありますね。この(1)〜(5)の教義が「中道改革連合」という政党名に用いられている「中道」の中身というわけですね。 では、最後に、私は幸福の科学の信仰者なので幸福の科学が説く「中道」について、一部分ですが経典『仏陀再誕』から以下に転載しましょう。 私は、あなたがたに、よくよく言っておきたいと思う。人は、ともすれば成功とともに階段を上ってゆくが、その時に、同時に自分は失敗への階段を下りているということも、忘れてはならない。成功への道と、失敗への道は、その傾斜が急であればあるほど、また明らかに、くっきりと、表裏一体のごとく現れてくるものであるのだ。 成功することのない人は、失敗をすることも少ないであろう。しかし、多く成功する者は、多く失敗することもあるであろう。人生は、このように、常に、右と左、上と下とが、あざなえる縄のごとく、現れてくるのだ。このように、幸福も不幸も同一の縄の、上と下の部分であることを忘れてはならない。 <縄のたとえは中略> あなたがたの人生も、山となり谷となることがあるであろう。しかし、私はその時にあなたがたに言っておきたい。自らの心に誠実になり、常に中道を旨とせよと。 中道の理論は、決してあなたがたを成功させない理論ではなく、決して、あなたがたを失敗の淵から引き上げることのみを考えた理論でもない。中道の理論は、まさしく人生の王道であるのだ。人生の王道がここにあるということを知りなさい。 すなわち、成功の時には、得意の時には、また上げ潮時には、常に自らを戒め、謙虚に生きるように心がけなさい。謙虚であると同時に、他の人びとや仏に対する感謝を忘れてはならない。成功の時に、順調の時に、謙虚さと感謝を忘れない人間であるならば、さらに、その成功は大きく続いてゆくであろう。 その成功がいくら大きくなったところで、それを中道から外れたとは言わないのだ。中道から外れない成功とは、謙虚さと感謝をともなうものなのだ。謙虚さと感謝をともなう成功は、これは常に中道のなかにある。それは、すべての者を生かしてゆく道であるからだ。 自らが成功することが、他の者の失敗を呼び込むようであってはならない。自らの成功が、他の者を傷つけることであってはならない。自らの成功が、他の者を不幸にすることであってはならない。 万人を生かす道は、大いなる道である。広い道である。平坦な道である。そして、限りなく遥か彼方まで通じる道である。これを中道の道というのだ。この中道の道は、黄金の道でもあるのだ。黄金のカラーで輝いている道、それが中道の道でもあるのだ。諸人よ、このことを知りなさい。 以上までが経典『仏陀再誕』からの転載です。 国や政治に関する中道の教義は、また別の経典に書いてあったように思うのですが、3000冊以上もある経典から探し出すのは骨が折れるので、知りたい方は支部の支部長に「どの経典に書いてありましたか?」と聞いてみることを推奨します。支部長は全ての経典を読破されていますから…。私にはとても真似できません。 本日は、言葉だけ流行りの「中道」とはと題して、創価学会と幸福の科学の「中道」に関する教義の一部分を調べてご紹介しました。「宗教の教えについては興味関心ない」という方の中にも創価学会の友人知人に頼まれて中道改革連合に投票する方がいらっしゃるでしょう。投票するからには、その核心となる中道について、政党母体である創価学会が説いている中道の教え、つまり宗教の教えについて調べて「ふむふむ納得である」と腑に落ちてから投票すべきなのです。頼まれたから仕方なく、という投票行為は、私に言わせれば単なる操り人形化している者のやることです。 では今後とも障害当事者団体ベクトルズの活動をお楽しみに。日常的な活動についてはTwitterから発信されており、その各活動の背景や目的については公式サイトに掲載されているとのことです。 ※追伸:このコラム記事はあくまでも私の個人的な「思想・信条・気づき・関心事」などを書き綴っているものであり、障害当事者団体ベクトルズの公式見解と一致しているとは限りません。 以上 障害当事者団体ベクトルズ 創立理事 尾侍酔助 |


