アカデミー賞2022!
[2022年03月28日(Mon)]

本年度アカデミー賞の作品賞にノミネートされた
「ベルファスト」この作品、先週観に行ったんですが、、、
とても素晴らしかったです!!!
今日、アカデミー賞の発表ありましたね。
なんと、なんと、、
先月、ブログで紹介した作品が!
最優秀作品賞、取りました!
コーダ あいのうたホント、良い作品だったもんなあ。
「ベルファスト」も、負けず劣らずの佳作です!
たぶん、ブログには書かないので、、、
コチラ、観てね!
↓ ↓ ↓
「ドライブマイカー」も観たんだけど、、
私はあんまり、、だったかな。
力作ではあるんだろうけど。
さて。今日は眼科に行きました。
10年ぶりぐらいかなあ。。。
コンタクトレンズやってるんだけど、、
右目がちょーっと痛み出るな、と。。
10日ぐらいはずしていたのですが。
なんせ、右目が効き目なので不便です〜。
初めての眼科だったけれど、、当たりでした。
シッカリ診てもらえました。
緑内障でもないし。
視神経も大丈夫だなあ、、と。女医さん。
検査の結果。痛みの原因は、、
ドライアイ、でした。
普通の人より、、めっちゃ乾いてるらしい。
涙がすぐ乾く、というか、、水分、あっという間に蒸発、、
「えーー!こんなに泣きまくっているのに、、、」
と、思わず叫んじゃったデス(笑)
あら?そうなの?それはなに、痛みで泣く感じ?
と、先生に聞かれ、、、
「哀しみの涙、」です、、
先生と看護師さん、、爆笑シテマシタワ。
洪水発生するぐらい泣いてるんですけど、最近。
と、付け加えたら、、、
それはそれで困ったわね(笑)、って。
ドライアイ、、たぶん、、韓流ドラマ観すぎ?
ははは、、これは言えなかった、、、
とりあえず点眼薬処方されたので、、
二週間、様子見です。。。
ドライアイで、痛みが発生するなんて、、、
ストレスが原因、ってこともあるみたいです。
今夜は少し、ドラマは控えめにします(笑)
懐かしすぎる。
[2022年03月26日(Sat)]

2002年。イタリアのトスカーナ。
不登校児の子供たちを連れて飛行機に乗った。
プロジェクトのプログラムを何とか終えて。
期間中、いろいろありましたが、無事終了。
子供たちを無事日本の親御さんのところに送り届けて
私はさらに1年、過ごすために、農園に戻りました。
最初の仕事が、農園で販売、そして使用するジャムづくり。
いじぢくは農園のものを収穫して。
オレンジはシチリアから。そしてプルーン。
ジャムづくりさえ初めての私が!!!
毎日、膨大な作業を繰り返しながら、
オバちゃんたちの愉快なトークのお相手もする、、
初日から始まったので、かなりハードでした!
懐かしいなあ。無農薬のジャム。美味しかったです。
そして、、当時、東京でいろいろお世話になった、
その不登校児のプロジェクトのスタッフの皆さん。
そのまま疎遠になっていましたが。
先日、突然、連絡を頂きまして。
(事務作業がちょっと残っていたので。)
皆さんとランチしながら懐かしい話に花が咲きました。
あれからもう20年ぐらい経つのかあ。。
20年と言えば。人生の変化もそれぞれあるはずです。
私もそうですし。。。
けれど、皆さん、全然お変わりなくて。
相変わらず、いろいろな活動をされていました。
それどころか、活動の幅を拡げておられる。
ライフワークとして、難民の救済運動しかり。
繰り広げられる会話が、、レベルがすごくて、、
圧倒されたけれど、、一番しゃべってたのは、
たぶん、、私、なんですけどね(笑)。
イタリアの農園で実施していた不登校児プログラム。
今だから話せることも含めて。
その後、2回、イタリアにツアー組んで出かけたこと
今も、スタッフたちとは連絡とりあっている事、、
話は拡がるばかりで、、ランチが終わらない(笑)
美味しい中華をごちそうになりました。嬉しい!
その際、驚きの思いもよらぬ提案をされて!
思わず飛びつきそうになりましたが、、、
まあ、それはどうなるかわかりませんが。
いつも心の中にある重々しい、雲のようなものが
ぱあっと開けて。久しぶりにワクワクな感じが。
これが「私」、なんだよなあ。って。
忘れていた感覚でした!
が、どうなんだろう。
こんな発熱オンパレードの状態で
新しい試みをスタートしてよいのか、、
そして、、私に頼り切っている母、、
母はこのところ、絶不調ですよ。。。
不穏な空気です( *´艸`)。。
不安でいっぱい、眠れてないようで、、
夜も朝も、怖い、怖い、と訴えてきます。
これまでも時々ありましたけどね。。
薬を飲み始めてからは収まっていたのだけど。
ここのところの環境の変化などで、、ぶりかえしてる。
なにかに怯えている。
突然襲ってくる不安。
心配で、今日も朝から8回ぐらい電話した。
吐き出すだけでも楽になるので、、、
ごめんなさいね、いちいち電話して、、と母。
いいよいいよ、電話はしてもいいんだよ、と私。
ボケ始めたからかなあ、こんなに不安になるのは。
と、言うので、、、(*´Д`)
ちがうよ、ホントに惚けてたら、なんも怖くないはず。
お母さんみたいに、よ〜くヒトやモノを観察していて
感受性の強い人は良くも悪くも?ボケないんだよ、、
と、励ましてはいますが、、、
最近はめっきり老化も進んだようです。
朝、5時過ぎに起こしてあげないと、、
自力で起きたり、朝食食べよう、と思ったり
リハビリに行こう、と言う気持ちにならないようで。
毎朝、すんごい鼓舞し続けております。。電話で。
昨日も、、目覚ましでは起きれなかったようで
私の電話でようやく起きたようで。
頭が重い、首が痛い、と訴えていたけど。
「とりあえず、トイレ行こ!
無理しなくていいから、辛かったら休んでいいし。」
そう言うと、必ず死に物狂いで支度するのわかってて。
ちゃんと頑張ってリハビリに行ってくれました!
頑張ってる!えらい!
「おまえがいるから生きていける、、
ごめんね、ごめんね、ありがとう、、」
そう言いつつ、ただ泣き続ける母ですが。
そんなん、言われても全然嬉しくないよ、、
生きていてくれてありがとう、だよ。
明るい母に戻ってほしい、、、
混みこみの大学病院。
[2022年03月16日(Wed)]

大学病院前の路に、木蓮が咲き誇っていました。
もう枯れそうな勢い。急に暖かくなったから。
今日は潰瘍性大腸炎を診て頂いている先生の外来。
朝、出かけようと思っていたら、、突然体調が、、
朝食は普通に美味しく食べられたのに。
ベッドに入ったらもう起き上がれない:;(∩´﹏`∩);:
ヤバいヤバい。でもどうしても行かなくては、、
もう抗生剤も底をついてきたし、、
バスで行く予定でしたが、無理っぽい。
タクシーで行きました。。
大学病院、混んでました〜。
待合室に座ってるだけでも辛くて、、
微熱しかないけど、ベッドで寝かせてもらおうかと
思ったり、その後がメンドクサイ、と思ったり。
やっと順番がきて、部屋に入って。
すぐに先生に、具合が悪い、と伝えたのですが、、
ベッドの上には先生の私物やバッグが置かれていて。
寝られる感じでもなく、、
先週、40℃出たので抗生剤を飲んでいるけれど、
抗生剤が最近は効かなくなったので、、
今日のように、熱は出なくても辛いことも増えたことや
今年に入ってから、もう40℃以上出たのは4回目で、、
1月に30錠も処方された抗生剤は飲みつくした、、
と、一生懸命、しゃべってんのに、、
「う〜ん。僕にそう言われても、、」だってさ。
大腸しか見ないから、という意味でもあり、
たぶん、わからないんだと思う。
そんなに高熱が立て続けに出る事例を知らない、と。
なんかさ〜〜。流し目でそういうこと言われると
喝を入れたくなりますわ。。( *´艸`)
手術をしてくれた主治医はあんなに親身になって
一緒に闘ってきた同志のようだったのに。。。
腰が抜けそうですだ。。
ま、いいけど、、期待もしてない、、
また抗生剤を一か月分処方してもらって、、、
帰りはバスで帰りました。節約、節約、、
ホントはいつもの担々麺食べに行こうと思ってた。
くっやし〜〜〜〜。
なんか、、どうも復調しそうにないこの身体。
どうしましょうね。。う〜ん。
昨日、普通に仕事に出かけられたのにな。。
今日はお粥にしますだ。。
明日のフラメンコはどうしましょう。。。
ルーナのために
[2022年03月13日(Sun)]

予想はしていましたが。
最初から最後まで声をあげて泣いてしまいました。
「ルーナのために」インドのトリプラ州の農村で暮らす夫婦の間に
先天性の水頭症で生まれたルーナ。
写真が世界中に拡散されたことで、
都会で大手術を受ける機会を手に入れる。
数年にわたる小さな命と家族の闘いの軌跡を追う。
父アブドゥルはレンガ運びのその日暮らしの仕事、
生活は当然貧しかった。だが、ルーナを
「ジヤンナット(天国)」と呼び、大切に育てた。
周囲の「施設に預けろ」の声に首を横に振った。
生後すぐに脳に水が溜まる先天性水頭症と分かったが、
彼らの住むトリプラ州の病院では手術ができなかった。
世界中に先天性の障害を持った子供は
毎年800万人近く誕生するのだとか。。
そして、その7割は早期治療で完治するそうです。
日本でも、水頭症は千人に三人の割合で発症。
日本のように医療が発達している先進国では、
生後すぐに適切な処置を施すのだと思われます。
ルーナのように、、すぐに治療を受けられないと、、
脳に溜まった髄液で頭はドンドン肥大してしまう。
目も開いていますが、、黒目が出てきません。
ルーナが1歳4か月になったころに、
彼女のことを知った写真家が撮影を始め、
瞬く間に噂は世界に拡がり、寄付が集まったそう。
どこに行っても、もう遅い、と言われたそうですが、
デリーの脳神経外科医が無料の治療を行うと申し出て。
難しい大手術を何度も繰り返し行ってくれています。
頭を何度も開け、過酷な手術をするルーナ。
小さな声で泣くルーナの声に、、私も、号泣。
表情がないように見えたけれど、、、
泣くんですよ、、母親の手を離れて、台に乗せられ
脳のMRIを繰り返して。。頭を削られて、、
母親の苦しみがすごく伝わってきて。
書いている今も、、涙が止まりません、、
数回の手術を経て、かなり頭は小さくなりました。
こんな表情も見られるようになりました。
当初94センチにまで膨れ上がっていたそうで、
脳が圧迫され、座ることもできない状態でしたが
手術後、頭囲は58センチになっていたようです。
表情も出てきて、笑っているようにも見えます。
きっと痛かったり、辛かったりが殆どだろうけど、、
両親の愛情を受けて、数年だけは幸せだったと、、
勝手ながら、そう信じたいです(泣)
そんなルーナも5歳半になり。弟もできました。
生活の変化で、ルーナの最後の手術は遅れていました。
やっと手術に踏み切る決心がつき、デリーの病院へ、
いよいよという時に。ルーナが突然呼吸困難になり、
短い命を終えることになってしまいました。
母親の絶望的な、、泣き叫ぶ声が耳に残ります。
私も一緒に、わんわん泣いてしまいました。。
ルーナの、、眠ったような最後の顔が、、
一番穏やかで、、かわいらしかったんです。
やっと、、やっと楽になれたんだね、
すっごく頑張ったんだね、と、、思いました。
(ヤバい、また涙止まらず、画面が見えない、、)
可哀想、だから泣けた、というのではない。
この子の生きた「5年」を想うと
自分のふがいなさに憤りを感じてしまった。
本当に。本当に。
泣きすぎて目が,、開かなくなった。
私は映画やドラマ観てあんまり泣かない方だ。
現実の生活の方が悲惨すぎるからか。
エレファントマンと言う作品を大昔に観て、
その時も。衝撃受けて、声に出して号泣しすぎて。
なんと、つまみ出された、、まだ10代だった。
ロビーでも止まらず、人目はばからず泣き続け。
あれも、、確か、ルーナと同じ。
象のように頭が肥大化した若者がサーカスで働き。
最後、、人間らしく死にたいとばかりに、、
ベッドに横たわって、自殺したラストだったと。
頭が重たすぎて、、寝てはいけなかったんです。
無性に胸が哀しくなるんです。
その哀しみに誰の手も差し出されなかった事が。
先天的に不自由な体を持って生まれた人は
神さまの化身だと聞いたことがありますが。
そうなのかもしれません。
彼らはきっと、、その人生を選んで。
私たちに大事なことを思い出させるために
生まれてきたのだと思えます。
本当にそう思える。
私もまた決意新たに生きていかなければ、と
ルーナに教えられました。
たった40分のドキュメンタリーですが、、
一生忘れないと思います。
春は来たけれど。
[2022年03月11日(Fri)]

職場のサロンのお花もどんどん春めいて。
今週、仕事はなんとか元気で頑張れましたが。
昨日、朝からまた背中が痛くて、、
ネットで検索しても、膵臓が、、って出てくるし。
私、慢性膵炎と診断されたこともあるので、
これは胆管、膵臓、肝臓、ともにヤバいかな、
と、思いつつ、熱もないし。レッスンに行きました。
レッスン中、ずっと背中をおさえていたんだけど。
正直、フラフラしていて、、
何度も同じ事、やらされてもう、倒れそうだった。
やはり体調は良くないな、って。。
帰宅し、夕食のおでん、美味しく食べたのですが。
その後、急にものすごい悪寒に襲われて。。
ずいぶん苦しみました(泣)
自分のうなされる声が聴こえたし。。
その後、40℃までぐあ^^っと上がったんですが。
意識も朦朧としていたので、それ以上だったと思う。
朝、起きたら、部屋の中がすごかった。
抗生剤、もう使い切っちゃって。
山口へもってく荷物にあったはず、と、、
めっちゃくちゃに荒らしていた〜〜。
もう抗生剤も飲みすぎて、、、
健康な人は一生に数回飲むか飲まないかの抗生剤。
私は去年の夏から、、毎月半分は飲んでいる、、
それで症状を抑えなければいけないんだけど。
抗体できて効かなくなるから変える必要が、と。
てか、月に2度も40℃出るって、、ヤバいよね。
最近、、いろいろあって。心がどん底で。。
踏まれても踏まれても立ち上がるのが私の長所、
なんとか気持ちを上向きに!と頑張ってるけれど。
高熱でぶっ倒れると、、くじかれますよね。。
母は母でいろいろあって。
もう、リハビリにはいかない、と泣いてましたが。
行きたくない理由もしってるので理解できます。
でも、、これまでの母の人生、
いつもパワフルで、コミュニケーション上手で、
母の本分はソコだと思うので。
一日に10分でも笑ってほしい、
同じ世代のかたと触れ合う時間も持ってほしい、
きっと心が軽くなるから、と思うから。
毎日、毎日、リハビリには行った方がいいよ、と
この5年ぐらい、毎晩、毎朝鼓舞してきました。
昨日も、、熱出る前に、、
「明日はリハビリ行こうね!用意してね。」
と、言ったのだけど、、難しいかな、と思ってた。
母の心はどんどん固くなっています(泣)
でも、、朝6時、熱で私は全然寝られなかったけど
母に電話してみたんです。。。
そしたら、、もう朝食食べ終わったよ、と。
今日は頑張ってリハビリ行ってくるけん。
安心してちょうだいね、と。
私、泣いちゃった。
前向きな母の言葉は本当に久しぶりだったから。
まだ前を向く気持ちが残ってるんだ、って。
私も負けていられません。
お母さん、もっと長生きしてね。
白いトリュフの宿る森
[2022年03月06日(Sun)]

白いトリュフの宿る森絶対に観たい〜〜!と思ってて。
今週は母のドタキャンで時間があったので(*´з`)、、
早速、観に行ってきましたよん。
北イタリアのピエモンテ州の深い森。
超高級食材の白トリュフを採取する老人たちを
3年かけて追ったドキュメンタリー。
あらすじ
白トリュフの名産地であるアルバの街では、
夜になると老人たちが犬を連れて
森に白トリュフを探しに出かける。
彼らは危険を顧みず森の奥まで進み、何世代にもわたり
受け継がれてきた方法で白トリュフを探し当てていく。
人工栽培の技術が確立されておらず、
森林伐採や気候変動により供給量が減少する中、老人らは
トリュフが採れる場所については口をつぐみ続けてきた。ピエモンテのアルバと言えば、、、
食の都、、と書くとちょっと古い表現かもだが。
イタリア料理に目がなくて食べることが大好きならば
一度は行きたい!と思う場所なのです。
私は行くチャンスはなくはなかったけど、、、
グルメに走り過ぎると身体が危ない、、と心配で。
未だに行けてないのでございます。
様々な危険が潜む森の奥深く、彼らは犬とともに、
伝統的な方法で白トリュフを探し出す。そして彼らは
その場所を、家族や友人にさえも決して明かさない。
↑
カッコよすぎじゃないですか???これ、、
このドキュメンタリーを撮った監督さんも
かなりの時間をかけてます。
家族にも教えない秘密なのですから、、
絶対によそ者には、、伝えないですよね。
なのでまず、外堀から攻めていくんです。
ディーラーにトリュフをどこから仕入れているか聞くと、
ハンターには会ったことがないって言われたそうです。
「夜中に箱にお金を入れておくと朝にトリュフが入っている」
と言われてしまう状況だったらしい。
苦労して、ハンターたちにたどり着き、、
コミュニティに入るまでかなり時間をかけたようです。
一緒にコーヒーやワインを飲んで親交を深めて3年。
そこからようやく、撮影へとたどり着くわけです。


ドキュメンタリーでは、、ほとんどの映像が、、
ハンターのジイやんたちと、、犬ころ。ほぼそれ(笑)
味があるんですよね。なかなか、、、
ジイやんたちが犬と共に森の奥深くに分け入り、
伝統的な手法で白トリュフを見つけ出すわけです。


婆やんにはいつもお説教をくらう、、、
もういい加減やめなさいよ、いい年なんだから、と。

ナレーションはないし、音楽もほとんどないかな。
淡々と3人のハンターと取引業者の映像が流れてる感じ。
バイヤーとの駆け引きなんかもリアルで。。
うまくいくことってあまりないんだろうな、って。
これだけ高級な食材となると、、悪いヤツも登場するよね。
いろんなお節介やいてきたり、、森に毒餌を撒いたり、
ジイやんは犬に迫る危険を考えると許せないんです。
トリュフハンターたちは高齢の方が多くて、、、
引退を考えたり、犬の新たな飼い主を探したり。
これからの未来、白トリュフは誰が採取するんだろう?
遠く日本から心配になったりする。。
これも、一つの文化だから。


トリュフを買うのは、もちろんグルメな金持ち。
いくらで買ったんだか。きっとすごいお値段のブツ。
チーズと目玉焼きにスライスしたトリュフが、、
これでもかと削られていきます。。マンマミーア!
めっちゃ満足そうな表情でした。
きっとこういう食べ方が一番美味しいのでしょう。
じゅる、、、と、ヨダレが出そうです。
トリュフ探しがやめられないマルコという老人。
奥さんにガミガミ言われているんだけど、、、
彼がこう言ってたんです。
「フクロウの声が聞こえるのがいいんだ。」
おお。なんだか。。詩人だな、と。
そしたらね。最後の最後、、
エンドロールで、、フクロウの泣き声が聴こえたんです。
おお、、フクロウ!!これか!
じいちゃんたち、、ロマンもって仕事をしてきたのね、
と、、泣きそうになります。
さて、この白トリュフ。
いろんな思い出があります。
イタリアもトリュフもろくに知りもしない頃、、
神戸かどっかのレストランで、、
白トリュフあるんですよ、かけます?と
言われて、、パスタにかけてもらったら。
それだけでウン千円も請求されて、、
目ん玉が落ちそうになった思い出や。
あ、、私が無知なだけで、、詐欺とかではなく。
あと、、会社勤めしていた頃に、、
白トリュフコースを毎年やってる銀座の名店に、、
女子は全員、ボスに連れてってもらって。。
前菜からパスタまでぶっかけ放題、白トリュフ!
お箱で登場したもんね、あの時。
↓ ↓ ↓
https://blog.canpan.info/vamos-yoquita/archive/1318https://blog.canpan.info/vamos-yoquita/archive/1317イタリアにいた頃は、、、たぶん、、
白トリュフなんて食していないと思う。
地元のおっちゃんたちも多分縁はないだろう。
映画に登場するじいちゃんたちのイタリア語、
意外にもほとんど聴きとることが出来た!
トリュフの森に瞬間移動、ワープした感じがして。
私がかつて一緒に働いていた農園のオジサンたちも
秋になり狩猟解禁になると、
仲間と揃って山に出かけて行ってたし
しとめたイノシシのピリッと辛めの煮込み料理が
今でも、私の中ではナンバー1。
ちょっと話がそれましたが、、、
たまにはこういうドキュメンタリーもいいものです。
いかがでしょうか。