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ヨキータの哀愁日記

ジプシーの血たぎる(妄想)
私ヨキータの人生は
流れ流れてどこへ漂着するのでしょう。
チクチクもの哀しくて、だけどサクっと笑える日々を綴ります。


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奇跡を起こす。 [2016年01月26日(Tue)]
いのり.jpg




「祈り」を観たいけどどうすれば?


と、友人が昨日嬉しいコメントをくれました。


東京ではロングラン上映されていましたが、

今は自主上映のみかもしれない。

現在はやっていないと思います。


また情報入ればお知らせしますね。


今日はそれにちょっと関連すること書きます!



昨日ね。素敵なニュースが入りました。


お友達の赤ちゃんが生まれました。


彼女の人生においてもいろんなことがありすぎて。


いつも会う友人ではないけれど、

お互いの人生を見守りながらの、この数年だったように思う。


たくさんの涙と孤独と背中合わせで。

だからこそ、新しい誕生は輝きを放つ。


同室のママさん達より高齢の彼女ですが、

元気に、夜泣き、授乳、オシメ替えと奮闘しているみたい。


わたしね。子供のころからすごい母性が強くて(笑)

(うそだ!と思うキミ、まだ私を知らんぜ(笑))


子供が欲しくて欲しくてたまらんかった。


病気したってのもあるけれど、いろいろありまして。


見事、その夢が砕け散った時、

多分、破壊的なほどにショックだったと思うのに、

涙も出なかったよ。誰にもそんなこと言わないし。


その想いを身体の奥底に押しやって平気なふりをしているのか。


私の人生はまた違うものを目的としているのだ、と

自分を鼓舞していたのか。


10人前後の甥っ子や姪っ子たちの面倒をたくさん見てきたので

子育てには自信あるけど(ね笑)。


でもやっぱ、子供を抱いている女性を見ると、

哀しくなる時があるのだ。


目をそむけて、大丈夫だから、と自分で慰めることも。

、、そう今でもだよ(笑)。


だから、お友達の出産のニュースとか。

嬉しい反面、辛かったりする。


昨日のニュースはね。とても嬉しくて、けっこう感動した。


生まれてきた赤ちゃんは、、、

彼女に新しい生き方を与えるために降りてきたのかなあ、と


めずらしくそんなことを思ったりした。


おめでとう!のメールをしたら。。。


とても感動的なお返事がきました。

ちょっとだけ紹介させてくださいね。



一年ちょっと前かな? 彼女はご主人と

姪っ子の旦那さんのプロデュースする公演に来てくれました。



「奇跡のテノール」


2014年、映画にもなった、ベー・チェチョルさんのコンサート。




ヨーロッパのオペラハウスで目覚ましい活躍を遂げながらも、

突然の甲状腺がんの宣告を受け、

一度は歌声を失ったテノール歌手が、


音楽プロデューサーの献身的な助けを受けて

再び美声を取り戻すまでの厳しい道のりを映す。


伊勢谷友介と『ミッドナイトFM』などのユ・ジテが共演を果たし、

韓国のテノール歌手べー・チェチョルの奇跡の実話。




「アジアのオペラ至上最高のテノール」と言われたベーさん。

奇跡の復活を遂げたとはいえ、以前のような声は出ません。


だけど、今の彼の歌には感じ入るものがあり、、、

それがなんなのだろう、と聴く度に思うんです。


そして、、友人がくれたメッセージですが。


年齢を考えると、子が授かる可能性はかなり低いと医師にも言われ。

それだけでなく、出産のリスクなど考えれば、、、

心が折れそうなことばかりだったと。


そして、気持ちが落ちていたときに、

このベーさんの映画とコンサートと、続けて観たといいます。


「奇跡を信じる大切さを学びました。

信じる、ということを教えてもらいました。」


子供が授かったのはベーさんのおかげ、と言ってくれたんです(泣)


なんか、朝からその友人のメールでウルウルしっぱなしです。


伝えてくれたことも本当に感謝。


私も、同じです。


ある日突然、癌の可能性が高い、と言われ。


検査の結果を聞く、という恐怖に押しつぶされそうになり。

もう全てが終わったんだ、と。


昨日までの人生は、はるか彼方へ飛んでしまって。

もう、この世から消えちゃっていいんだよ、と。

神様に突き放された気さえしていた。


そんな時に、八ヶ岳へ出かけて。


あるワークショップに参加して。ある人たちに出会い。

びっくりポン!な衝撃的な言葉に出逢い。


私は少し、変わったと思う。


何かが変わった、っていうより、、


うすうす、そうだろうと思っていたことが

本当にそうだったんだ、と。自分の中に確信が生まれた。


あーーーー。うまく言えない。






https://blog.canpan.info/vamos-yoquita/archive/1815


https://blog.canpan.info/vamos-yoquita/daily/201211/01



「祈り サムシンググレートとの対話」。


あの映画もそういうことを描いています。


信じきる、って出来そうでできないじゃない?


ヒトを信じるより、ひょっとしたら自分を信じる、って難しい。


自分の自己治癒力、細胞を、もっと信じようと!

そう、心から思えて。


それからの治療と向き合えたんだと思います。


どんなに周りのひとたちが祈ってくれていても

この自分が信じなきゃ、絶対奇跡は起こらないものなのだ。


毎日、毎日細胞は生まれ変わっていくのだけど。


だからこそ、祈りは大切だけれど。



それが、たとえば友人のように、、、

新しい命の誕生に繋がるってスゴいんですけど…(´ω`)



さて。そんなこんなで。)^o^(


「祈り〜サムシンググレートとの対話」の映画の中で。


最後に流れるこの詩。大好きなので、、


もう一度、ここに転載しますね。


長いブログになってもうた^^^

すみません、、、)^o^(



大事をなそうとして

力を与えてほしいと神に求めたのに

慎み深く従順であるようにと

弱さを授かった。



より偉大なことができるようにと

健康を求めたのに

より良きことができるようにと

病弱を与えられた。



幸せになろうとして

富を求めたのに

賢明であるようにと

貧困を授かった。



世の人々の賞賛を得ようとして

権力を求めたのに

得意にならぬようにと

失敗を授かった。



人生を享楽しようと

あらゆるものを求めたのに

あらゆることを喜べるようにと

生命を授かった。



求めたものは一つとして与えられなかったが

願いはすべて聞きとどけられた

神の意にそわぬ者であるにかかわらず

心の中の言い表せない祈りはすべてかなえられた

私はあらゆる人の中でもっとも豊かに祝福されたのだ。


ニューヨークのリハビリセンターの壁に書かれた患者の詩の中の一章。




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