ありがとう。
[2014年02月14日(Fri)]
2008年。9月。
フィレンツェ、アルノ川の景色を撮影するおとっちゃん。
一昨夜、一本の電話をいただきました。
「主人が亡くなりました。」
身体がかたまって、、、言葉が出ませんでした。
19年前にチベットへの旅がご縁で
ずっと仲良くさせていただいたMさん。
警視庁あがりの?武骨な精神をもちあわせた彼は、
最果ての地、チベットでもその個性を発揮。
あまりの怖さに震えあがった?私ら若輩者でしたが。
それから10年たち。
歌之助さんの東京での襲名披露の公演で再会した時には
すこーし柔らかくなっていて。
2008年の歌之助さんのイタリア語落語ツアーにはご夫婦で来てくださり、
彼は80代半ばに差し掛かるころ。
実はその頃すでに彼の腰は悪化していて、歩くのもやっとで。
無理やり参加させたようなもんです。
でも、若者たちが彼らのために毎朝、おむすびを握ってくれて。
彼はほんとーに嬉しそうで。デレデレでした♪
若者たちはそれぞれ歩いてもらって、
90歳の静子ちゃんと、そしてMさんご夫婦の高齢者チームで
一緒にゆっくりフィレンツェの街を歩きました。
童心に戻って、ジェラートをなめなめ散策したこと、一生忘れません。
あの恐かった?おとっちゃんが、、、ジェラートなめつつ歩く、、、
その後、愛知県豊田市にみんなで「押しかけブドウ畑ツアー」。
いつもいつもビデオを撮影してくださって、面白おかしく編集し、
(本人いたって真面目だが、NHKの解説みたいで笑えるのです。)
皆にプレゼントしてくれてました。
けれでも、、、
彼は5年ほど前から癌を患い、気持ちが落ちてしまいました。
「岩国ツアーにはもういけないよ、ごめんね。
と、電話しても気弱な声しか聞けなくなりました。
「10キロもやせてもう俺はダメだよ、、、」
そのうち会いに行くから!大丈夫だから!
などと、薄っぺらいことしか言えず。
私もずっと自分の身体のことでいっぱいいっぱいだったので。
暖かくなったら会いに行こうと思ってた。
私とほぼ闘病生活がダブっていたので、どちらが先に天に召されるか
笑いながら話していたけど、、、先に逝かれてしまった。
いつもお母さんと呼ばせていただいている奥様と一緒に泣きました。
「貴女は娘みたいなもんだから。連絡させてもらったよ。」
ご縁をありがとうございました。としか言えなかった。
想い出はたくさんあります。
「ヨキータさーん。どこかまた行きたいからさー。なんか企画してよ。ねっ??」
と、いつも言ってくださいました。
(静子ちゃんにもそう言われ続けてるけど(笑)。)
みんなで船旅がしたいという。でも、こちら若者?グループはお金がない。
「おとーさん!こうなったら、みんなのために船をチャーターして下さいよう。」
とネコナデ声で言うと、
おとっつぁん、目を丸くして。薄い残り毛を揺らす。
「年金生活者に何を言う!億はかかるぞ。」と怒りマーク(笑)。
そして、、、よく言われたことがあります。
「貴女は男がバカに見えるだろう。女にしては度胸がいいからな。」
「んなことないですってば。
私の可愛さをちゃんとわかってくれるひとがいるんですよ。」
「そうかねえ。なかなかそんな男はいねーよ。
で、ヨキータさんはどんなタイプが好きなの?」
と、おとーさんからの質問。
とは言え、芸能人の名前を云ったところで。彼はわかるのか??
で、ついつい出たのが。
「チェ・ゲバラ」
おとーさんは憮然とした顔でおもむろに不快感!んん?
「私は共産党が嫌いでね!昔は手を焼いたんだ!」
あ、そ、そ、そうだった・・・。やべー。
警視、「赤」は嫌いだよね。その昔苦労したはずですしね。
とまあ、こんな会話ばっかで(笑)。
いつかはうちらも召されるわけですが。
想いでとご縁をありがたく感じて
ご冥福を願うばかりです。
旅をする度に作ってくれた手作りビデオが私たちにとっては
遺品となりました。
おとーさん!ありがとう!
武骨なスピリッツ、素敵だったよ。
今度、皆で集まって、遺影を囲んで飲もうか、という話も出てます。
是非、おとっつあん知ってる方はいらしてくださいな。