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ヨキータの哀愁日記

ジプシーの血たぎる(妄想)
私ヨキータの人生は
流れ流れてどこへ漂着するのでしょう。
チクチクもの哀しくて、だけどサクっと笑える日々を綴ります。


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嬉しいニュース、再会。 [2024年03月28日(Thu)]
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彼らはこの空、ずっと覚えてるなあ。

忘れたりしないかなあ。


えっと、、たぶん。22年前かな。

イタリアのトスカーナの空。


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先日、嬉しいお知らせを頂きました。

嬉しい、と言うか。私にとっては感動的な、、


有機農法を実践するブリケッラ農園に、

日本の不登校児を受け入れ、自立支援を目標に

ボランティアチームを組んだ実践プロジェクト。

私もお手伝いさせて頂いてました。


まあ、、いろいろありましたが。


この年、私が彼らと一緒にイタリアへ。

葡萄の収穫をしたり、リクレーションしたり。

小旅行やカウンセリング。大人数での食事。


一見、楽しそうに思えるかもだけど、、

彼らにってはストレスの毎日、辛かったと思う。

私はその緩衝材、みたいなお役目。

実際、それもシンドイことの方が多かったです。


イタリア人のおっさんやオバちゃんたちの

キャラの良さに救われた感じです。

みんな、色眼鏡で見ないしね。懐が深い!


1か月余、私を含むメンバーたち、顔がまん丸く。

私が10キロ近く太ったから、彼らもそうかな。


正直言うと辛いこともあり。大変だったけど。

かけがえのない経験をさせて頂いたと思ってる。


とにかく毎日が悪戦苦闘、でもキラキラ輝いてた。

当時、農園で仕事をしていた、アズアズの夫婦。


少年らを従えて?畑を行き来する私を見ては

「24の瞳」のおねーさんだ、って冷やかされ

今も時々言われるけど(笑)。。


みんな、とっても頭が良い子達だった。

メンバーの中では、比較的物静かで

でも、何かを言う時は、、核心をついたことを

ボソッと。それがKくん。


その後、ハワイツアーに彼を誘って、

いろいろお手伝いしてもらったんです。

英語も出来るし。頭ホントにいいし。

女子に囲まれて戸惑ったとは思うけれど(笑)


それももう、10年以上前かな。


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DSCF0413.JPG


そして、、お母さまを通じて連絡がありまして。


Kくん、お仕事をしているとは聞いていたけど、、

私にご馳走したいと!それが去年かな。


で、数日前。再び。

彼が勉強していたことも知らなかったですが。

某超難関国家資格、一回で合格したという。


スゴイ、すごすぎる〜。

仕事しながら学校にも通って。

顎が外れそうになったよ。

やっぱ、すっごくクレバーなんですね。


4月から本格的に仕事をする箏になるので、

その前に私にご馳走したいと。

何か、嬉しくて涙が出ました。

忘れないでいてくれて嬉しいよ。


きっと、彼だけでなく、、他の皆も。

少しずつでもあの夏を覚えてくれていると思う。


で、、行ってきました。先週末。

美味しい中華のコースをご馳走になりました。

私のチョイス(笑)


体調はイマイチかな、、って感じでしたが。

とても楽しい時間を過ごしました。


立派になっちゃって、、と思ってしまって。

親戚のオバちゃんじゃないけど(笑)


優しい笑顔とか、はにかむ笑顔とか。

16歳の頃と全然変わらないのですが。。


でも、凛としたところが垣間見れて。

おしゃべりも上手だし。


今の職場も女性に囲まれているらしく、

やっぱどこへ行ってもそうなるんだね、と

おかしくて笑っちゃいました。


記憶力がすごい。

私はイタリアでのこともハワイのことも

かなりいい加減に記憶しているので、、


ちゃんと全部訂正してくれた(笑)。

ハワイツアーの一人一人の名前とか、、

一つ一つ、ちゃんと正しく記憶している賢さに

驚きを隠せませんでしたよ。オバちゃん。


イタリアでのあれこれもお話して。

すごく嬉しいことを言ってくれたんですよ。

ちゃんとは覚えていないけど。。


「あの時、ヨキータさんがいなければ

絶対無理だった(イタリアプロジェクト)。

ヨキータさんがいてくれて本当に助かった。」


その一言を聴いて。。

鬼の目にも涙。感動してしまった、、(´;ω;`)ウゥゥ


だから一度、ご馳走しようと決めていたって。

ヨキータ、嬉しくて死んじゃう〜。


、、22年後?にそんな言葉が聴けるなんて。

あの時の「自分」に言ってあげたいよ。


中華のあとはカフェでコーヒーとワッフル。

こちらもゴチになってしまった〜( *´艸`)


ここで、「タブレットがなくなった!」事件。

いつもの私のお騒がせ事件です。。


一人でギャーギャー騒いでいたけど。

Kくん、冷静に中華のお店にも電話してくれて。


ま、ありましたけどね、タブレット。

情けない先生です(24の瞳)(笑)


生きててよかった〜、っと思えた日でした。

福祉の世界に行こうと決めた彼の決断も

アッパレだし。素晴らしいと思います。


これからの日本をこういう青年たちが

作っていくんだな、って。

頼もしく思えたりもしました。


本当に本当に嬉しかったです。


懐かしすぎる。 [2022年03月26日(Sat)]
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2002年。イタリアのトスカーナ。

不登校児の子供たちを連れて飛行機に乗った。


プロジェクトのプログラムを何とか終えて。

期間中、いろいろありましたが、無事終了。

子供たちを無事日本の親御さんのところに送り届けて

私はさらに1年、過ごすために、農園に戻りました。


最初の仕事が、農園で販売、そして使用するジャムづくり。

いじぢくは農園のものを収穫して。

オレンジはシチリアから。そしてプルーン。


ジャムづくりさえ初めての私が!!!

毎日、膨大な作業を繰り返しながら、

オバちゃんたちの愉快なトークのお相手もする、、


初日から始まったので、かなりハードでした!

懐かしいなあ。無農薬のジャム。美味しかったです。


そして、、当時、東京でいろいろお世話になった、

その不登校児のプロジェクトのスタッフの皆さん。


そのまま疎遠になっていましたが。

先日、突然、連絡を頂きまして。

(事務作業がちょっと残っていたので。)


皆さんとランチしながら懐かしい話に花が咲きました。

あれからもう20年ぐらい経つのかあ。。


20年と言えば。人生の変化もそれぞれあるはずです。

私もそうですし。。。


けれど、皆さん、全然お変わりなくて。

相変わらず、いろいろな活動をされていました。


それどころか、活動の幅を拡げておられる。

ライフワークとして、難民の救済運動しかり。

繰り広げられる会話が、、レベルがすごくて、、

圧倒されたけれど、、一番しゃべってたのは、

たぶん、、私、なんですけどね(笑)。


イタリアの農園で実施していた不登校児プログラム。

今だから話せることも含めて。

その後、2回、イタリアにツアー組んで出かけたこと

今も、スタッフたちとは連絡とりあっている事、、


話は拡がるばかりで、、ランチが終わらない(笑)

美味しい中華をごちそうになりました。嬉しい!


その際、驚きの思いもよらぬ提案をされて!

思わず飛びつきそうになりましたが、、、


まあ、それはどうなるかわかりませんが。


いつも心の中にある重々しい、雲のようなものが

ぱあっと開けて。久しぶりにワクワクな感じが。


これが「私」、なんだよなあ。って。

忘れていた感覚でした!


が、どうなんだろう。

こんな発熱オンパレードの状態で

新しい試みをスタートしてよいのか、、


そして、、私に頼り切っている母、、


母はこのところ、絶不調ですよ。。。

不穏な空気です( *´艸`)。。


不安でいっぱい、眠れてないようで、、

夜も朝も、怖い、怖い、と訴えてきます。


これまでも時々ありましたけどね。。

薬を飲み始めてからは収まっていたのだけど。

ここのところの環境の変化などで、、ぶりかえしてる。


なにかに怯えている。

突然襲ってくる不安。


心配で、今日も朝から8回ぐらい電話した。

吐き出すだけでも楽になるので、、、


ごめんなさいね、いちいち電話して、、と母。

いいよいいよ、電話はしてもいいんだよ、と私。


ボケ始めたからかなあ、こんなに不安になるのは。

と、言うので、、、(*´Д`)


ちがうよ、ホントに惚けてたら、なんも怖くないはず。

お母さんみたいに、よ〜くヒトやモノを観察していて

感受性の強い人は良くも悪くも?ボケないんだよ、、


と、励ましてはいますが、、、

最近はめっきり老化も進んだようです。


朝、5時過ぎに起こしてあげないと、、

自力で起きたり、朝食食べよう、と思ったり

リハビリに行こう、と言う気持ちにならないようで。


毎朝、すんごい鼓舞し続けております。。電話で。

昨日も、、目覚ましでは起きれなかったようで

私の電話でようやく起きたようで。

頭が重い、首が痛い、と訴えていたけど。


「とりあえず、トイレ行こ!

無理しなくていいから、辛かったら休んでいいし。」


そう言うと、必ず死に物狂いで支度するのわかってて。

ちゃんと頑張ってリハビリに行ってくれました!

頑張ってる!えらい!


「おまえがいるから生きていける、、

ごめんね、ごめんね、ありがとう、、」


そう言いつつ、ただ泣き続ける母ですが。

そんなん、言われても全然嬉しくないよ、、


生きていてくれてありがとう、だよ。

明るい母に戻ってほしい、、、


在りし日の。 [2017年08月03日(Thu)]
マリーザとステェファノ.jpg



この一枚にフォーカス。


しつこいですが(笑)

強制ダンシャリ真っただ中です。


仕事の資料、手紙類や写真、アルバム。などなど。

ごっそり処分しよう、、、と意気込んでいたのに。

やっぱそこそこな処分となってます(笑)


仕事の後に、コツコツ始めて

夜1時、2時ごろまでやっているのに、


朝の6時には目が開いて。パッチリ。

やらなければ!という交感神経が全開のようで。


鍋もフライパンも処分したので、、

何しろ料理ができません(笑)

なるべくお弁当じゃないものを食べてます。

市販のお弁当、あまり好きじゃなくて、、、


写真、に話は戻りますが。

なんかね。

これまでの人生を眺めているようなもんだよね。


ごっついアルバムは捨てて、

大事な写真だけをもぎとってますが。


選ぶのも辛いわよね。。。


デカイアルバム → 小さなフォトブックに! 

ちょっとずつやってます。


データだけじゃ寂しいし。

眺めて眺めて選んで捨てて。


一言。出た。思わず。


よーく、頑張ってきたな。私。


マジで。ホントに踏ん張ってきたわ〜〜〜。

ってね。胸が熱くなりますわ。


私のちっさな人生の片鱗がそこにあり。

思わず泣けてくる。


頑張った、頑張った、

そりゃ失敗もたくさんあったし、

辛いことの方が9割だったかもだけど。


それでもいーんだな。

なんとかやり過ごし、振り返れているんだもん。


イタリアでのこと。


ちょっとトラウマがあり。

ブログにはあまり書いてません。


でもね。あの1年、2年、3年が。

人生の大きな大きなピークでもあったのだなと。

今更ながらに思うのです。


あそこで踏ん張れたことが。

私にとってはめちゃくちゃデカイ。


その後の人生を創ったのは

紛れもなくあのイタリアでの暮らし。


楽しい事や刺激的なこと、ばかりではなかった。

辛いことも多かったし。

何度も悔し泣きしたし、寂しくて泣いたし。


今のようにfacebookもない。ラインもない。

仕事が忙しくて、パソコンを開けることもほぼなく。

メールもしないので。


日本の誰ともコンタクトを取ることもなく。

仕事をし。人間関係を創り。毎日が必死で。苦しくて。


なんつうても。言葉はまあまあわかるとしても。

初めての畑仕事。


夏の猛烈な暑さ。

朝の5時半から陽がギラギラ照りつける昼過ぎまで。

何度も熱中症になり。迷惑かけた。


冬の空っ風の中のオリーブ収穫の仕事。

収穫の終わった葡萄の木の剪定。


寒かった。手が凍ってハサミが握れず。


その合間に昼食や夕食の準備。片付け。

宿泊客のお相手。お食事の手伝い。

部屋を整え、ショップにもたつ。


夜にはマッサージの仕事。

ほぼ一日中働いてた気がする。


でも、みんなとてもいい人で。

たくさんのイタリア人、トルコ人、、エトセトラ。

みーんなに助けてもらってね。

愛をたっくさん感じることができた。


もともと、あのトスカーナの農園には、、、

不登校児の社会復帰プログラムのボランティアに

お姉さん役を買って出て。

そこからのご縁でした。


絶対にやりたかったことだから。

やめようと思ったことは一度もなかった。


子供たちと。受け入れ側の間に立つことになる、

「おねーさん役」はことごとく、自滅してしまい、

フェイドアウトしていくから、


だからもう、要らない、と最初は断られました。


プロジェクト自体やるかどうかわからない、と

農園のオーナーに言われ。。。


それから一年、しぶとく私は食い下がったのです。

やらしてほしい。やりたい。絶対に。と、手紙を書き。

イタリア、トスカーナの現地にも足を運び。


東京や長野でのシンポジウムやワークショップにも

スタッフとして参加。活動を続けた。


何が私をそうさせたのかな。


私はよくわかんないけど、

絶対にこれは私のやるべきことだ、という

不思議なほどの確信があったんだよね。


その辺のいろんなこと書いていたら

100ページかかるから(笑)。省略しますが。


オーナー御夫婦とのご縁は。

ずっとずっと昔から。山口にいた頃から。

ひょっとしたらもっと前!


から強く結びついていた気もするので。

運命ですね。運命。


断られ続けた「お姉さん役」を見事ゲットし、

何故プロジェクトに関わることになったのか?。


イタリアに飛び、お客として宿泊をし。

仕事で疲れ切ったマリーザが気になって、

マッサージをかってでた、ことがキッカケです。


1,2時間のマッサージで、その疲れが全て

飛んで行ったそうで。ホントに喜んでくれた。


翌日、私は日本への土産としてワインを持たされ

それも一本ではない!たくさん。


その秋には、、長野でのシンポジウムだったかな。


それまでは日本で会っても目が合う程度だったのに

あちらから駆け寄ってこられ・・・


一年ぐらい農園に住まないか、と打診されました。


わかります?皆さん。断られても断られても、

食い下がり。そして、、たった一度のマッサージが。


私の人生を大きく変えたのレスよ。


長くなってきましたが。


ちょっと補足しますとですね、、、


群馬県前橋市出身のオーナーは、若かりし頃、

バイクで世界を走り、旅をしていましたが。

イタリアで運命の出会いがあったわけです。


マリーザはその後、広島に留学します。

ちなみにですね、、、


当時、彼女にイタリア語を学んだ才女が

時を経てウン十年後、私のイタリア語の先生に!!!

なった、というわけです。


その後、イタリアに帰国後二人は結婚。

可愛い4人の子どもにも恵まれましたが、、


韓国、インド、そしてイタリア、、、

哀しい境遇にいた子供3人を養子として受け入れ、

皆、一緒の大家族としての生活となったわけです。

舞台は、そう、、トスカーナ。ブリケッラ農園。


その後、日本でのひきこもりと呼ばれる子供らを

プロジェクトを組んで、農園に定期的に預かり。


数十人の子供たちが巣立って行きました。

私は最後の9期生の「姉役」として活動したんです。

そのことは長くなり過ぎだから書けないけど(笑)


その他、麻薬常習者や刑務所からの雇用などなど。


いろんなことを家族一団でされてきた方たちです。

最後の数年。その活動を傍で見せていただきました。


気の利かない私は、、、

皆の前でよくマリーザに怒鳴られたし。

キッツーい皮肉も良く言われたし(笑)。


落ち込むこともたくさん。

真意が伝わらないな、と思う事もたっくさんあった。

キライになっちゃいそう、、と思ったことも。


でも、、悔しいけれど、、

彼女の笑顔はやっぱり世界で一番、かわいいのよ。


メッチャ怖いのに、かわいい、ってどーゆうこと?

と、よくひとりごと言ってた。私(笑)


やがて私がイタリアを去り。本帰国して。。。

それから2カ月後にご夫婦で来日されて。


電話で呼ばれてホテルに会いに行った時。

びっくりするぐらいに優しくしていただき。


私の食べたいものがメニューになかったのだけど。

何しろ、ここ数年の定宿でもあり。

ホテルの人たちも愛されてだからね。


マリーザは立ちあがって、ずんずん厨房に入って行き。

ヨキータの食べたいもの作って、お願いよ、と。


これだ。

これが皆を惹きつける由縁だ!


私は、、ようやくそれを実感することができた。


すっごく嬉しかった。

彼女のカワイイ笑顔は私だけに注がれた。


「ね、ヨキータ。イタリア帰ってくるでしょ?」


まさかのひと声にビビった。

おもらししそうなほどビビった(笑)


「またうちで働くでしょ?許可書も取るから!帰るね?」


思わず帰る!と言いたくなってしまうような、

そーゆう、とろける笑顔。


いやいや、帰りませんとも!

もう、暮らすのはいいっす、と心の中で叫ぶ。


そしてね。その日が、、最後になりました。


マリーザの笑顔に心ふるえたのは初めてで。

そして、最後になってしまったのです。


突然の死。


どうして???


私はようやく、彼女と心から仲良しになれると

ホントにそう思ったのに?


訃報を聞いて、イタリアにすぐ飛んだけれど、、、

あの時のことは忘れられない。


それから一年後かなあ。NHKのBSで、、

彼女の追悼番組が特集されました。


〜天国からのメッセージ

「マンママリーザがはぐくんだ大家族」〜


そう、けっこう知る人ぞ知る御夫婦なのです。


でね。ダンシャリでDVDの整理をしていたら、、、

そのDVDがポンっと出てきまして。

あら、懐かしい。と手に取り、、、


忙しいくせにまた全部観ちゃったよ。


その番組を観て、、

あ、そうだった、、と思いだしたのだけど。


彼女の遺影は私が撮影したものなのです。

年の瀬の忘年会で、、

農園で働く皆が楽しく食事をした時でした。


ご夫婦でとても楽しそうにしてらしたところを

何も考えず、撮らせていただいた一枚。


私の中の一番カワイイ笑顔がそこにあった。


ミサや聖壇、そして、ドキュメンタリーの表紙。

その写真を使ってくださった。

やっぱ、ご縁ですよね。


私はホント、よく怒られたんだけど(笑)


トリノから車で戻ってこられた時のこと、

頑張ってちらし寿司とお吸い物を作って待っていて、


疲れ果ててご帰還のマリーザがお寿司を見て。

瞬間絶叫。めちゃくちゃ喜んでくれて

それがすっごく嬉しかった。


お料理の達人。あるものだけを使って

創作お料理をいとも簡単に作ってしまう。


お料理するときはゴキゲンで、、、

「巨人の星」の鼻歌歌ってた(笑)


そんな時の彼女は最高に魅力的だった。


秋にはハサミを持って山へ入り。

キノコをたくさん取りにいったなあ。


ストーブで焼くポレンタが最高。

薪なので、火を消さない様にするのが私の役。

これが一番大変だったあ(笑)


思い出は尽きない。


やはり感謝だ。大きな感謝。


この番組、観たい方、、、

コピーあるので、いつでも声かけてね♪


そういえば。


このDVDを久しぶりに見つけて観た日、、

マリーザの命日でした。


奇遇だな、、、ほんと。


なんか、こうして考えるとさ。


引っ越しって、、、「振り返り」だね。


古きを偲び。感じ入り。それを捨てて

新しいスタートをきる。


そういう時期にようやく私もきたってことだね。



再会 [2014年01月23日(Thu)]
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昨日はすっごーくイタリアンな一日であった。

まずはランチ。


私がトスカーナの葡萄農園に住んでいたのはもう10年前!

その後、何度かヴェンデミア(葡萄の収穫)の手伝いに行ったり、

お客さんを連れて行ったり、ツアー組んで大勢で行ったり。


でも、2008年の歌之助さんのイタリア落語ツアー以来、行っていない。

もちろん、スタッフたちとの交流は続いているし、

みんなのこと大好きだし、


行きたいなあ、と思いつつ、、、

入院続きだったり、ハワイツアーが続いたり、

数年間、イタリアから遠のくばかり。


そんななか、先日、農園のオーナーから連絡があり、、、

来日するので食事しよう、とのお誘いが!


5年半ぶりの嬉しい再会。

私にとって、心の父、みたいな人なので。

本当に待ちわびた再会となった。


東麻布の富麗華で 

二胡と箏の生演奏を聞きながら、 美味しい中華をいただきました。

ここも何年ぶりだろう!


北京ダックが食べたいなあ、という彼のおかげで、

私も超ウマの北京ダックにありつけました〜。


「貴女に一番先に聞きたいことがある。」 


そう、いつも彼が会うたびに欠かさず気にしてくれていること、、、

私の母のこと。

岩国で母と会わせたことがありますが、

それからいつもいつも、母のことを気にかけてくださいます(泣)。


私が住んでいたころの話でずいぶん盛り上がりました。

全部きちんと覚えてくださっている事にびっくり。


彼は今こそトスカーナの農園でワインを作っているけれど、

その昔はオートバイ世界一周を一人でやってのけ、

イタリアで奥様に♡を奪われ、あちらに住むことになったという、、、

ロマンな男です。


車が何より大好きで、

「117 クーペ」をデザインした有名なカー・デザイナー、ジウジアーロ氏と共に、

イタリア・カーデザインの世界で新しい道を切り開いたひとなのです。


イタリアで最愛の妻とともにトスカーナに移住して、

以来オーガニックにこだわった農法で良質のワインやオリーブオイルを作り続け。


スポーツマネージメントの会社も手掛けて、

今は息子さんがザッケローニ監督のマネージメントをされています。


私と彼とのご縁は、、、

これを書くとあまりにドラマチックで書ききれないので、、、省略!


彼らが農園で年に一度、実施していたのが、

日本から不登校児受け入れのプロジェクト、

私もお姉さん役で、彼らと子供たちの間に入って奮闘しました、、、


このプロジェクトについては、

「笑ってコラえて!」という番組やBSで特集されています。


ランチをいただきつつ、あの頃のことをたくさん話して、

「あの時のことは実に思い出深い。」と。

懐かしそうにしてらっしゃいました。


あの頃イタリアで悪戦苦闘していた子どもたち、

今はみんな立派に巣立っていますよ!と伝えました。


長い時間が必要だったということだ、と嬉しそうに聞いてくれました。


「ヨキータが手術して入院を繰り返して、農園のみんながとても心配してるよ。

でも、10年前と同じ、ヨキータは何も変わってないよ。安心した。」

そう、おっしゃってくださり、、、胸が熱くなりました。


「私の人生のなかでも、トスカーナで暮らした日々はあせることのない

キラキラとした宝物みたいなもの、本当に本当に感謝しています!」 


やっと、感謝の言葉を伝えることができて、、、感慨無量。


「そういってもらえて嬉しいね。」

と、にっこり笑ってくれました。


本当に。楽しいことも幸せなことも辛いことも苦しいことも、

たくさん私たちには訪れるけれど、

「時間」は最高に信頼できる優しい友である、って本当に思う。

時を経ないと、わからないことがたくさんある。


重たいのに、大きな瓶の、採れたてヴァージンオリーブオイルと

セッテグスティ(7つのハーブを使ったオイル漬けの魔法のスパイス)

お土産にいただきました!


トスカーナ!また行きたいなあ。

みんなとブドウの収穫をまたやりたい!


で、、、ランチの後大急ぎで会社へ!

この続きはまた明日〜〜(*^。^*)。



紅葉見たいなあ [2013年11月29日(Fri)]
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去年の今頃は、入院・退院の繰り返しで、

その隙間をねらって?、岩国へ帰り、

久しぶりに岩国の見事な紅葉を堪能しましたっけ。



今年はなんだか見事な紅葉をみるチャンスもなさそう、、、

とても残念、、、


問題、、、これは何の葉っぱでしょう、、、

真っかっかです。


答え → ブリケッラ農園の葡萄の葉っぱです!

毎年こんなに赤くなることはないらしいですが、

私がトスカーナにいた当時、葉っぱが見事真っ赤に、、、


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畑仕事が始まる前、、、

夜が明けてすぐに畑に下りて撮った写真。

寒かった、、、


寒かったけれど、この美しい葉っぱを撮りたい!

その気持ちが勝っていた頃でした、、、


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こうしてみると、、、なかなか良い風景ですね。

と、自画自賛!(^^)!。


なつかしー。

この時期にトスカーナに行くと、サムイっちゃ寒いけど、


地元のおっさんたちが一斉にイノシシ狩りに出かけて...

美味しい煮込みを作ってくれたり。


Chinghiale in umido (チンギァーレ イン ウミド)と言いますが。

ピリッと濃厚な煮込み料理、「男の」料理です。


私のイタリア料理人生の中でも、これはベスト1です。


イノシシ祭りも楽しくって、

中世の衣装を身にまとった知り合いが出て冷やかしたり。

ホットワインで暖まったり。チーズを食べ歩きしたり。


本当に楽しい思い出です。

あれから10年かあ。ちょうど10年だ!!!


10年なんて、、、あっという間だね。


今をたくさん楽しめば、

また10年後に、懐かしく思い出すことができるんだよね。


10年後に、、、私は元気で生き延びているのか???

微妙だ!ま、どっちでもいい(笑)。


Buon Anno [2011年01月09日(Sun)]

これ、なんでしょうね。

昨日は今年初の飲み会でした。
ブリケッラ農園のみんなからのプレゼントを持ってEくんが帰国。日本食にしました。

いつも伝書鳩のごとく、プレゼントをことづかってくれて感謝です。
イタリアへはめったに行かないにもかかわらず(金欠)、忘れずにいてくれる農園の皆にも感謝。


おかげで、私の冷蔵庫にはいつも高価なパルミジャーノ・レジャーノ・チーズがたくさん・・・。
そしてサラミ、ソーセージ。

そして香水。そして石鹸。そしてそしてなんだっけ。

ありがたや、ありがたや。

ブリケッラ農園で過ごした年月と、みんなの愛情は一生の宝物です。
あ〜。行きたくなっちゃったなあ。

冒頭の写真のお菓子は、実は私も初めて。

ビスコッティかな〜、っと思ったんだけど。でも違うよな。

バターを全く使用しないビスコッティ、トスカーナでは「カントゥッチ」と呼ぶのだけど、
エスプレッソやカフェラッテ、トスカーナ名物の甘いワイン、ヴィンサントに浸して食べたりします。

大好きなんだ。

でも食べてみて・・・。違う・・・。

だけど!見かけと違って、やわらかく、そして美味しいではないか!
アニスが効いてるな。へえ〜。

わーい、わーい。

カフェラッテでも作って、明日たくさん食べちゃおう♪

Grazie!!!
Vi voglio bene.


季節はずれ [2009年02月18日(Wed)]
イタリアから季節はずれのクリスマスプレゼント。
(届いたのはもう少し前だけど。)

ここ数日、ブリケッラ農園で暮らしていたころの話を書いていた私に、思いがけない贈りものです。
さすがはイタリアの郵便。こんなに遅れて届くなんて。

「収穫したてのオリーブオイルだったらいいなあ。」
と、ワクワクしながら小包を開けたら・・・。

ブリケッラのみんなの写真付きクリスマスカード!
そして期待通りのエキストラバージンオイル!やった!!嬉しい!

この秋、冬にみんなが収穫して、出来たばかりのオリーブオイルだから。
なんか温かささえ感じるよ〜。幸せだなあ。

それと美味しい蜂蜜とあんずのジャムも。
気を使っていただいてすみません・・・。

農園を訪れた「歌之助ツアー御一行」参加者全員に、クリスマスカードを出してくれたみたいだし。
その気持ちが本当に嬉しいです。
参加者の皆さん、とっても喜んで。私に続々とその報告メールが届いた。

そして、実は。

「私にだけクリスマスカードが届かない・・・。」

と、凹んでいたのだ。あれ??私だけ忘れられてる?って・・・。
バカだね〜(笑)。

そしたら、今頃小包で届いたわ〜。な〜んだ。
何か月かかるんだ・・・。地球を一周してきたのかな???

さあ!せっかくのバージンオイル。
美味しいパンを買ってきて、塩とオリーブオイル、べったりつけて食べるぞ〜。
マーマレード [2009年02月15日(Sun)]

今日は冬のトスカーナ、最後のオハナシ。

嫌いだったのです。オレンジのマーマレード。昔からあれだけは食べなかった!
農園では、シチリアからトラックでやってくるオーガニックオレンジを使ってジャムを作るのだ。

マーマレードは駄目だけど、オレンジは大好き!
冷たい部屋で、オレンジをひたすら切ったり絞ったりのジャム作り。
それなりに大変だけど、それでもやっぱり楽しいしごと!


オーガニックのオレンジを使って添加物なしで作る。まずいわけはないのだ。
オレンジをまずは半分に。皮も使うので手際よく細かくしていきます。

それを寒い寒い部屋でふるえながら続けます。段ボール何箱分あると思いますうう?
でもね。これが意外に大丈夫。なぜならなぜなら。搾りカスが美味しい。
そう。搾りカスとはいえ、スプレムータ(絞りたて生ジュース)がてんこもり。

しぼる。ひたすらひたすら搾る。もちろんジャムに使うのはこの生ジュースなんだけど。
このカスがさ。美味いのなんの。ビタミンCです。カスはカスでも。
この日、一年分のビタミンCはとれたでしょう。 


大きな鍋でグツグツと煮込んでいきます。お砂糖やワインや。後は企業秘密だっぺ。 
仕事しつつ、おばちゃんたちはあーでもないこーでもない、とゴシップやら?耳より情報やら?
口も動かし手もとまりまへんわ。彼女らは全くもって天才ですな。

それが。ジャム作りお2日目。大変な事態に。

チームリーダー、ラウラのお父さんが危篤状態になったと連絡が入ったのだ。
彼女は当然のことながら自宅へ戻った。(この数日後にお亡くなりになった。)

ジャム作りの現場には・・・。臨時パートのオバサンと、素人の私が残されてしまった。 
農園のスタッフが代わる代わる、手伝いに来てくれてなんとかジャム作りを終えたのだが。

300瓶ぐらい作ったかなあ。なんとか二日かけて瓶詰めまで済ませたのだけど。
煮沸があまかったのか…? しばらくして見たら。なんと上の方にカビが生えているではないか。
全部ではない。何瓶か発見。ぐえー。どうする!隠しちゃう?それも怖ーい!

そんなセコイことを考えてるうちに、その保管部屋は壊すことになり・・・。あちゃ。
カビ隠蔽作戦はあっという間にバレたのだった。悪い事はできないことになっている。

そんな風にして作られるブリケッラ農園の愛情たっぷりマーマレード。
(今は私が関わってないので、より安全(笑)。より美味しいです!)

ここのマーマレードだけは、私でも美味しく食べられる。
今も行くたびに買って帰りまーす。
冬の畑 [2009年02月11日(Wed)]

今日もトスカーナの冬のお話。

私はトスカーナのブドウ農園で一年働かせてもらったので、四季折々の風景を楽しむことが出来た。
写真のマリエッラとは、ずっと一緒に畑で働いた。たくさんお世話になった。

記憶に残るのは、たまらなく寒い1月、2月のぶどう畑での仕事。
「春はいつ来るの?」 
凍える朝にいつもマリエッラと苦笑い。

手袋の下の手がかじかんで、ハサミが持てない。
枯れてしまった葡萄の枝を捨てていく。それが冬の畑のしごと。

陽が上って行き、温まるまでひたすら手をこすって待つ。寒くて泣けるとは新しい発見だ。
乾いた手はすぐに傷を作り、冬の間はどこかがひび割れている。

まあ枯れ枝を除去するだけの単純な仕事なので、大雑把な私にはうってつけ。 
ごっそりまとめてバキバキ。(今は機械でやってるんではないかと思う。) 
膝の悪いオバちゃんと、要領の悪い外国人(私)がたった二人で仕事する日も多かった。

いつも楽しくなきゃ嫌なのが、マリエッラ。黙々と仕事してると怒られるのだ。
私のイタリア語のキャパを考えると、脳みそ全開でないと、楽しい会話も一日は続かないッス。 

優しいマリエッラは、よくオヤツやパニーニを私のために持参して来てくれて、
「ほら!食べなさい!そろそろお腹すいたでしょ!」 って。ありがたや。
仕事の手を休めて、ミニピクニックしたなー。

写真のマリエッラが持っているのは、カルチョッフイ。アーティチョークです。
よく東京の高級スーパーとか麻布スーパーとかで、けっこうな値段で売ってるやつ。
  


アーティチョークはよく花の部分を調理しているのを見かけるけど。好き嫌い分かれるかな〜。
エグいのが駄目な人は無理かも。いろんな調理方法があるが、私はどーやっても好き。

ブリケッラ農園では、ラウラが超美味しい「アーティチョークのオイル漬け」を作ってるけど、
これはもう絶品。スーパーとかで売ってるのとは味が全然違う・・・。

畑にたくさん生えているんだけど、みんな根っこの方を食べるんです。
仕事を終えると、みんな晩ごはん用にチョイと抜いて持って帰る。

オリーブオイルで煮たりするだけのシンプルな食べ方をしますが、
実はわたし、このシンプルなやつが一番好き。レモンをかけてさっぱりと。
あ。よだれが・・・。

マリエッラは、年季の入った?カリスマ主婦でして。
例にもれず、イタリア人マンマです。彼女の台所は聖域で、いつもピッカピカ。

時々ごはんに呼ばれるんだけど、めちゃくちゃ料理上手。
畑でのおしゃべりもほとんどが料理の話。情熱いっぱいなんだよね。

そして、その量たるや・・・。ごくっ。

いっぱい食べてるか、美味しく食べてるか、足りないものはないか?? 
あの大きなつぶらなオメメでじっと監視されながら、ひたすら食べ続けるのである。
私はかなりの大食いだが、牛の如く食べるには辛いものがある。

イタリア人の「ごはん、食べにいらっしゃい!」の一言は。
本当に一番待ち望んでる夢のようなセリフなのだけどね。

かなりの覚悟はいりますぜ。胃の体操もしておこう。

これもあれもそれも食べて!デザートまでまーだまだ続くよ、宴はつづく。 
口、いや目と耳からも食べ物が噴出しないことを願って。

ま。美味しいから食べられるんだよね!

昨年、歌之助・トスカーナ公演が行われたスベレートの元修道院回廊。
マリエッラのおうちのそぐそばでした。 

ドレスアップして落語を聴きに来てくれたマリエッラ。
やっぱり笑顔がかわいくて。

でも膝がとても悪そうで。手術をするんだって言ってたなあ。

早く良くなりますように・・・。
木枯らしの夜 [2009年02月09日(Mon)]
立春は過ぎたけど。
毎日寒いし、乾燥してますね。

この季節になると思い出します。トスカーナの冬。

カラカラとからっ風が吹いて・・・。ホントに寒い!
東京ではトレーナー一枚で寝る「超暑がりの私」なのに、トスカーナではセーターを重ね着して寝ていたのだ。

お世話になっていたおうちには暖炉があった。
映画でしか見たことがない「暖炉」。もちろん扱うのも初めてだった。

これには正直苦戦しました。火遊びすらした事がない私。火が怖いのよーん。
恥ずかしながら、マッチさえ最近ようやく点けられるようになったんだもん。告白するが。

燃える暖炉のそばで、そっと手を伸ばし暖まるのは大好きなんだけど。

オーナー夫婦が在宅の時はいいんだけど…。いない時はどうすれば?
そして、その日はきた。きてしまった。

「ちょっと留守するから火を見ててよ、消えないようにね。」 

そんな風に笑顔で言われた日にゃ・・・。は、は、はい!と答えるしかないではないか。
かなり緊張して、暖炉をにらむ。絶対に離れない。

火の管理。これはかなりのテクニックを要すると私は思う!
どのタイミングで薪を追加するのか・・・。

一緒に留守番を頼まれたコンゴ人のシスターは、怖がりの私と対照的にかなり大胆。

「木をどんどんくべりゃいいのよ、ヨキータ。」 豪快に笑ってる。頼もしい。

薪を片っ端から燃やし始めるもんだから、燃える燃える。
なるほど…さすがや。と感心していたら・・・。

血相変えて、オーナー夫婦が帰って来た!
煙突からスゴイ煙が出てるのが、遠くから見えたそうで…。

ひゃあ。こ、こ、怖いですう!

どんくさい私とシスターの笑い話もひとつ。

ストューファ、というカマドみたいなストーブみたいな、のが台所にあって、これが実に便利。
いつもアツアツの鉄板がガス台のそばにあるようなもんだ。

山口出身の私は、これでお好み焼きを焼いたらさぞかし旨かろう…と思っていた。
冬は火に薪をくべて、トウモロコシのポレンタを焼いたりする。

カリッと焼けたポレンタにパルメジャーノをかけたり、牛乳に浸して食べたり。死ぬほど旨い。
もちろんチンギャーレ(いのしし)のソースにもバッチリよく合うのだ。

ある日のこと。

またまた私とコンゴ人シスターが留守番を任された。
まるで小学生の子供たちに言い聞かせるように注意事項を聞かされた。

「いい?絶対に!ポレンタをひっくり返さないで。焦げると思ってひっくり返すともう台無しになるのよ。わかったかね?この二人(笑)!」(私らすっかりセットになってる…。) 

いくらなんでもわかりましたって!そのままにしとけばいいんでしょ???
私は楽しみにしていた連続メロドラマを見にいった。

ふと気になって。30分ぐらいして様子を見に台所にいってみたら・・・。

コンゴ人、なんと!恐るべし!! あれほど言われたのに!
ひっくり返して、ポレンタがめちゃくちゃになってるではないか。げーーーーー!

その後帰宅したママさんの怒りときたら。想像してくださいませね・・・(泣)。

ああ。懐かしい冬のトスカーナ。

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