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ヨキータの哀愁日記

ジプシーの血たぎる(妄想)
私ヨキータの人生は
流れ流れてどこへ漂着するのでしょう。
チクチクもの哀しくて、だけどサクっと笑える日々を綴ります。


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熱は出ても。 [2023年08月16日(Wed)]
IMG_20230816_172815_copy_1224x1632.jpg


母が喜ぶ向日葵の花。


お腹の激痛はようやく収まりました。

ホントに、ナンなんだ? 


でも、、発熱は毎日。

幼馴染みとランチの約束をしていたのに。。


店内の冷房に耐えきれず(∋_∈)。。

カーディガン着こんでガタガタ震えてる私。

隣のテーブルではノースリーブの女子らが楽しんでて。


とりあえず、オーダーしたものは食べたけど、もう限界。

友人の家で休ませてもらうことに( ω-、)。。すまん。


お布団ひいてくれて、暖房なしの部屋で数時間。

(この日、気温は36℃。私の体温、39℃。。)


幼馴染みたちはビックリしてた。。

あったかぁ〜い(泣)って布団に潜り込んだから。


辛かった。。(~_~;)。。

毎日そんな感じ。流石に母親も変に思ってるぽい。


でも、、熱でてもお腹の激痛があろうとも。

結構食べてるし、副作用の時期を超えてるせいか

何を食べても美味しい。。


39℃の日は、夕食にお好み焼き。。

さっき体重測ったら、、なんと!4キロ近く増えてた。

これもまたヤバい。。自重せねば。


東京に戻ったら、、きっと副作用やナンやらで

痩せてくんだろうけど。。


今思うと、、フラメンコ踊れた先々週が奇跡だわぁ。


て、感じです。。(~o~)。。



限界だなあ。。 [2023年08月13日(Sun)]
Screenshot_20230810-135707.png


あ、限界なのは私よ。もちろん。


こんな風にガッツ押し出してくる大谷選手がいい。


私も相当、彼に元気をもらえてる、ような気が、、


こちらに来ても、毎日38℃出てるし。

それもだが。お腹の痛みが相当ヒドイ(泣)


起き上がることも厳しいし。

お腹さわるとすごく熱い。固くてむくんでいて。


ちょっと咳をするとお腹がちぎれそうになり。。

悲鳴をあげてしまうし。

笑ってもヤバいっす。痛い〜( ω-、)


この人生、どんな状態の時もほぼ痛み止めの薬を

飲まなかった私が、、(術後の麻酔は別。)


この一週間、毎日飲んでるよ。。


熱と痛みだけではない。一番キツいのは。。

24時間私にベッタリ、の老いた母親であります。


熱があろうとなんだろうと容赦ない。

癇癪と思い込みと怒りのマグマがこの一ヶ月で相当、

スゴいことになってる。。


耳が聴こえない苛立ち、老いへの怒り、、、

全部人にぶつけてくる。


私はなんも言ってないししてないし、熱で寝てるだけ、

それなのに、鬼みたいな顔で、明日東京へ帰れ!って。

わしも家出するワイ、って、、ワンパターン。


バカンスの姉妹達がうらやましい(泣)


今朝は母親を風呂にいれて、、背中もこすって。

もう私の体力、終了、、(~_~;)


40℃ちかくなって寝ていたら、、

一緒に寝ようとして(*_*)!!!


私の手を取って、(ゲロ。)

ホントにかわいそうに、って泣いてたかと思うと!


あら、手相観たら私と同じぐらいいいわ。ビックリや。

と独り言、始まって、ハアハア呼吸あらい私の真横で、、


二時間!!婆さんしゃべってたあ(TДT)〜。独り言よ。

自分の自慢、人の悪口、聴いていて胸糞悪くなるヤツ。


お願い、私を静かに休ませてほしい!と言ったら。


そりゃ悪うございましたね、

日頃、私の話を聴いてくれる人、一人もいないんでね。

あんたしかおらんからな、と悪態ついて出ていった。


ひでえな。。(-_-;)

昔、占いで言われたな。有名なひと。


お母様は、人に厳しく、自分に甘い。

ヨキコさんは、自分に厳しく、人に優しい。


当たってますよね?ね?



Screenshot_20230810-135806.png



でもね、有り難いことに。私の帰りを待っていて

毎日、いろんな差し入れ持ってきてくれる人も。


田舎の方の森林組合がやっている釜のピッツァ。

めっちゃ美味しくてビックリ。本格的!

生ハム、フンギのピッツァでしたが。

インスタグラムチェックしちゃった。


スイカや葡萄や、、そして、、先日。

チラッと、ヒレ肉が好き、と言っちゃった私。

翌日、、高森牛の見事なヒレ肉が到着。。


ど、どうしよう〜(@_@)〜。。。


ヨキちゃんの喜ぶこと何でもしたいんだから、

絶対にお返しはノー!


私、、高齢者にはモテるんだよなあ(笑)


でも、、食べられるかな、、ちょっと苦しいかな、、

早く東京に帰りたい。。


無事終わったんですけど、、 [2023年07月15日(Sat)]
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遅くなってごめんです。

無事全てがパーフェクトに終わりました。


ムスメや婿や孫たちがお祝いに集まって。

コロナだったからね。一同に集まるのは久しぶり。


母は泣いてました。


母は、商工会議所などの仕事で挨拶は手慣れたもの、

日頃、あんなにトンチンカンなのに、、

ビックリするほど、スラスラとご挨拶。流石だな。


笑えるのは、、その内容が、、

私が3歳の頃、生き別れた旦那の話でした( ゚Д゚)。。


娘たちが本当に立派に育って。私の娘とは思えない。

憎々しいと思うこともあったけど、、

きっと別れた主人に娘たちは似たはず、、

それは本当に感謝しています、みたいな、、、

(んなことないよ、、)


娘婿たちが挨拶している間、座って母は、

涙をずっと拭いていました。

小っちゃくなっちゃったなア。。( ノД`)


そして食事しながら、、時々私に呟くんですよ。

「来てよかった。本当に良かったよ。」

「一昨日、家出しなくて本当に良かった。」

ありがとうね、ありがとうね、と言うんです。


体調悪い中、いろいろホテル側と交渉して、、

全員へのお土産も。母が用意したいというし。

そして、日替わりで、もう行かない、と文句言う。


大変ではあったけど。

でも頑張って良かったなあ、と思いました。


母の孫たち、私の甥っ子や姪っ子ね。

本当にみんな、東京や地方で頑張っていて。

立派になっちゃって。

母だけでなく、私も感慨深かったです。

これからは彼らの時代だな。


皆、オバアちゃんが大好きで。

感謝してくれているのがとても嬉しかったです。


雨にも負けず、飛行機も飛んだし。

全てがうまくいき、ホッとしています。


夜は泊まる人も泊まらない人も、

ルームサービスいっぱい取って。

美味しく楽しく、オバアちゃんを囲んで二次会。

母は、ずーっと、来てよかった、と言ってました。

こんなに笑っている母は本当に久しぶりです。


そして、、私は、、疲れ果ててしまいました。


翌日はひたすら寝ていましたが。

熱も出てしまったし。。身体が動かない。


そのまた翌日は、、大学病院に一日缶詰で。

この体調では抗がん剤は無理だな、って思ってた。


採血した後、しばらくして血が吹き出して!

気づいたら、洋服、バッグ、椅子が血だらけに!


職員さんが悲鳴上げて飛んできて、対応してくれた。

これはヒドイ、、血小板低いんだろうな。


そして、怪現象。。

お弁当食べた後、治療室に移動して。。


いつものように自分で血圧を測った。

出血したので今日は左手で計測。


なんと!左手で計ると上が「128」。下が「110」。

私にはあり得ない数値。


右手で計ると、上が「78」下が「58」ぐらいかな。

まあ、いつもこんな感じです。


看護師さんがきて、、何度やってもそうなるので。

首を傾げて困ってる。

普通は右手の方が血圧高くなるそうです。

ちゅうても、差がありすぎて。それどころじゃない。


診察で主治医が、、その話を聴いて、えーー!って。

左右差が「20」ある人は心臓に問題ある、らしい。

大動脈解離とか、、ゲロゲロ。。


先生、スマホでいろいろ調べ始めた。

まあ、専門外だもんね。。


5月に撮ったCT画像を眺めながら、、、

特に変わりはないし、大丈夫とは思うけど、、って。


怖すぎ。20の左右差で大動脈解離、って。

私、50!!!の差があったのに。。

やばくないですか?


来週、急遽、CT撮ることになりました。

10月までいっぱいだったが、急遽キャンセル空いたと。

良かったね〜!と主治医は言うが、、


「CT撮る度に、私はヒヤヒヤですけどね、、」

ま、そうだよね、、と。。


血小板はやはりめっちゃ低かったんですが。

抗がん剤は決行、です。

アレルギーも出なかったし、良かったんだけど。


今週もアレルギー止めのせいで眠たくて眠たくて。

疲れもあったし。もう身体がだるくて。


帰宅後、、頑張って夕食食べたんだけど。。

気分悪くなり、吐きまくり、後は死んだように寝た。


翌日は薬局に行けたのですが、、、

今週こそは行こうと思っていたフラメンコレッスン。


なんと早々と副作用が来てしまって(泣)

気持ち悪くて、吐きそうで、、起き上がれなくて。


フラメンコどころではなく。

最近、早く副作用が来てしまうな。。


昨日もとってもしんどかったんです。

一人でベッドで、キツイよ〜〜、って。


久しぶりに、っていうか、、

副作用で初めて涙がポロポロ出てしまいました。


しんどいよ、しんどいよ、と自分に言いながら。

こんなの、人生最後までやり続けるの?

もうやめてしまいたいなあ。。


母がリハビリのお友達に見せたい、というので

頑張ってパソコンに向かって、写真まとめて、、

一冊に仕上げてあげようと思って。。。


でも途中でダウン。それは昨日。

今日は昨日よりは少〜し、マシではあります。


そうそう!

私の誕生日にもたくさんのメッセージありがとう。


20年前、不登校児の社会支援プロジェクトで、

一緒にイタリアに行って、その後ハワイにも。

元々、クレバーでしっかりしていた青年。


今度、私にご馳走してくれるそうな。

一番嬉しかったなあ。


初めて会った時にはまだ少年だったなあ。

月日の経つのはなんと早い事。


イタリアからもたくさんメッセージきました。

イタリア語を教えてくれた広島の恩師からも、、

母と同じ誕生日なのでそれで、良くして頂き30年。


年は先生の方が母より数年、お姉さんで、、、

それを知ってショックを受けたのよ、って。


もう90代半ば。すごくないですか?

私のイタリア行きを勧めてくれた恩師。

彼女がいたから、ブリケッラ農園にご縁できました。


貴女、家で寝たきりなの??

あら、、大変ね。でもそれなら、、、

いつ電話しても出てくれるわね。嬉しいわ!


と、言われて、、ガッチョーーーん。

それ、私が辛い、、

一昨日、先生との長電話で死にそうだったもん。


母との電話が辛いのと一緒です、、(/ω\)

同じ話がエンドレス、、電話終わらないの。


どうしましょう。。


頑張って、ブログ書きました。

寝ますね。。


早く、元気になりたいよ。


自分のために生きたい。 [2023年07月08日(Sat)]
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IZの曲を聴いて、心を落ち着かせている。

彼の歌は本当に心に染み入ってくるし。

泣きそうになります。

若い頃に肥満で亡くなってしまったけど。

歌は永遠なんだなあ、やっぱり。


色々あり過ぎて、心が折れている私なので。

ブログ書きながら落ち着こうかなあ、って。


昨日はね、少し貧血としんどさが収まったので。

意を決して、、

家の近くの美味しいイタリアンの店に行ってみた。


明後日は、母の御祝いで、、

イタリアンのフルコースだから。リハビリだと思って。


美味しかった️〜。食べられたよ。

自分の作るものは最近、食べづらいけど。。

やはりいいね、プロの仕事!

自信になったよ。食べられそう、、(泣)

急いで帰って寝たけどね。。


とにかく明日のパーティーだけは元気な姿で!

寝たきりなれど調整して。今日も動けるよ。

痩せ細り過ぎたのが哀しいけれどね。。


で、、事件は起こったんです。。

最近、母はすっかり弱ってしまって。

神経、精神、気持ち、脚、、

毎日が。全てがギリギリで生きてる。


しんどくても常に動いています。

リハビリから帰ると、掃除、洗濯、

衣類の整理(毎日やるか???)お裁縫、


全くもって、じっとしていない。

止まると死んでしまいそうに思えるそうだ。

気持も余裕がなく。

認知もだいぶ進んできたし、耳も眼も。

今まで出来たことが出来なくなってることに

すごい恐れを感じ、少しでも指摘されたら、

猛烈な怒りで攻撃してくる。


そんな母の変化に気づかない人は(家族でも)

母に苛立ち、離れていく人もいるだろうと思う。


昨日はリハビリに私が説得して行かせたけれど。

職員さんたち皆にお誕生日のお祝いをしてもらい、

仲間たちもお祝いしよう、と誘ってくれたらしい。


が、母はすっかり疲れ切ってしまい、、

昨日は相当機嫌が悪かった。


誕生日に東京なんて行かない!と言いだしたり。

いつものように、夕方、話を聴いていた私にも

ものすごい悪態ついてきて、、


もう絶対、飛行機乗らんからな!

明日になったら、家を出ます。

お金はないけどなんとかなります!

お前だけは唯一信じていたのに!

裏切ったな!って汚い言葉で罵られ。


私、こんな身体でさ、、すっごい頑張って。

東京の孫たちに来てもらってパーティしようと

日頃、ご縁もないホテルの支配人にお願いして

いろいろ計画も立て。。入院中に。


母もすごく楽しみにしていて、、

昔の洋服を今のサイズに仕立て直し、、

毎日、旅行の支度、、なのになのに、、


暴言吐かれて、アタイは泣くよ〜〜〜。


そして今朝!朝の6時。

家出を決行するはずの母から突然電話。


一時間半、またボロクソに罵られた。

自分がどんなにここで我慢して泣いて、

お前らはナンもわからんくせに、わしを

わしを!クソばばあ扱いしやがって!


どよ〜〜〜ん。


「お母さん、、今日、何の日かわかる?」

という私の問いかけに、、小さな声で。


「、、おめでとう。」


はは。。(;・∀・)。覚えてた。

まあ、二日違いだしな。。誕生日。。


家出するのだが、財布がどこにあるかも

切符の買い方も、、もうわからん。。

それでも今から家を出る。


一晩寝ずに考えた。

お前には昨日ガッカリさせられたが、、

唯一、感謝しているのはお前だけ。

(お前呼ばわりもやめてほしい、、)


本当によく面倒見てくれた、こんな母親の。

と言って、泣き出した。

でも、許されん、心底傷ついたから、と。


私はもう人生の大半を費やして、

こうして母をなだめてきかす作業をしているので。


あ、ここだな、とピンとくるのである。

今が逆襲の時。

母の話を聴きながら、どう攻めようと考えてた。

軍師官兵衛、現代版です。


こんなん、書く予定なかったけど(笑)。

二つ考えました。


一つは、いかに母が愛されているかを力説。

うちの母は自己肯定感がありません。


自分に皆が優しくしてくれるのは、

おごったり、お金を使うからだ、と言います。

すごく他人に気を遣う母は、、残念だけど、

無償で人の好意を受け取れないのです。


必ずもらった行為をモノやお金で返そうとする。

ゼロから事業を始めて、あの時代にのし上がった母、

そういう昭和の、、ナンセンスな仕事の仕方が

身体に沁みついているのかもしれない。


違うよ。病院の職員さんたちもお仲間さんたちも

お母さんの良いところも悪いところも皆わかってて

それでもトータルで、大好き、って思ってくれてる。


そんな人はなかなかいないよ。

お母さんは、不器用で怒りんぼで嫌な気持にさせる。

でも、人に気を遣えて、いつも細かいところまで

一人一人の事を見ている。元気ない人がいたら

一生懸命、オチャラケて、笑顔にしてあげようとする。

ユーモアがあって、豪快で、オシャレで。


皆さん、そういうお母さんに憧れて、大好きで。

だから誕生日にそんな風にお祝いしてくれる。


と、そこまで話続けたら、、母が反応。

「なんでわかるん?」


わかるに決まっとろうが!( ゚Д゚)

他人にこんなに愛されて!

そんな駄々こねて!


お母さんの残された時間を使って、

そういう人たちに感謝を届けんといけん。

それをしないで、今日この町を出たら、、

皆さん、ぶったまげるやろ!


押し黙ったので、わかってくれてるな、と。


そしてもう一つ。私の被害を訴えたよ!

お母さんが行かない、とか言ったら。。


あんなスゴイホテル、個室予約しちゃって、

いろいろ頼んでいるのに、、

私が土下座して謝らんといけんのよ。

キャンセルもできず、私が17人分払わないと。


お母さんには言わなかったけど、私はね!

入院も今月二回したしね。

ついこないだも、先生がほのめかしたけど、

母のパーティをするから、私は絶対いないと。

だから、病院には来れません!と主治医に言って。


毎日寝たきりで、でも日曜までになんとか、って。

どんだけ頑張ってきたか、、

(喋ってると、涙が出てくる(笑))

痩せちゃったけど、ちゃんとオシャレしていこう、

って、思ってこの日まで耐えに耐えたよ、


ま、その時点ですでに、母は完堕ち(笑)

態度はガラッと変わり。

東京も楽しみに行くわね、と。。


m(_ _)m:;(∩´﹏`∩);:(/ω\)。。

ヨキ子さん、もう心も身体もボロボロよ。


今日は誕生日なんだからああああ。

ま、それはどーでもええけど。


私、、心を整えさせる、天才やな。

と、母に限っては、、思っちょります。


とはいえ、母だけが悪いのではありません。

すごく今回いろいろ反省しました。


これまでの母とはもう全く別の人格、と思わないと

多分いけないんだよね。

わかってはいるが、それを実践するのはとても難しい。


反省しきりの誕生日の朝ですわ。。

そして、学ぶところがあったな、という歓びも。


明日はとりあえず。。

90年!!!頑張り続けてきた母を

幸せな気持ちにさせてあげたいと思っちょります。


こうして身体はギリギリの私だけど、、

最後まで諦めず泣きつつも母と対峙してる自分を

自ら(笑)誉めてあげたい、てか、

一生をかけて自分も学べたことに感謝している。





それよりも天気だな。

災害級の大雨が山口県にも、、


飛行機でない可能性も大きい(/ω\)

やっぱ、ホテルで土下座コースかしらん。


ヤバ過ぎ。。

どうしてこう、いろんなことがあり過ぎる?


お腹空いたから、素麺食べますね!


長ーーーい、一週間。メモ。 [2023年05月06日(Sat)]


簡潔に。メモ。自分のために。


あの後、母のせん妄状態は加速。
夜中に朝に昼に夕に電話かけまくってきた母から、
ぷっつり電話が途絶え、それがまた違う意味で恐怖。

入院4日目だったかな。どういう状態なのか全く不明。



5日目。なんと。
病院側より、本人が暴れて?ワケわからん状態に?
とにかく手に終えないから、
(コロナ体制で)ご家族は患者に面会は出来ないことになってるが、
ちょっと来て欲しいとの連絡。



すぐに姉達が駆けつけたが、ものすごくビックリした母親。
家族の前では落ち着いて、普通の会話が出来ていた。
私もLINE電話で顔を見ながら話も出来たし。

「早く帰りなさい、大丈夫だから。」
という気遣いも見せていたようだ。

姉によると、でもちょっとおかしな事も言っていた、と。

看護師さん曰く、ベッドから逃げようとするので危ないですし、
ベッドに母を固定?したいとの許可を求められたと。

それをやると完全に気がふれてしまうので、やめて欲しい、
それで怪我をしても病院側に責任をとわない?と、
姉はやむを得ず伝えたらしい。



が。その後がより大変でした。

夜中に再び何度も電話をしてきて、、

「助けて〜!早く来て!お前はなにしてる!」と。

大きな手が追いかけてくる、
部屋の隅にたくさん人がいてこっち見て笑ってる、
黒いモヤモヤが壁からいっぱい沸いてくる、みたいな感じです。

そばにいてあげてあげたいけど、、、
それも出来ない状況に胸が詰まる。



私は何日も眠れない状態で、自律神経が、、
交感神経24時間発動中。きっと母親も同じ。
夜も昼も寝ていないはず。

本当にキツかった。



入院して丸一週間。下血の処置は済んでいるけど、
便に血が混じっていないかを確認するまでは
母を退院させられないと。

けれど今の母親には、便が出た → ナースを呼ぶ、という
当たり前に出来そうな事がもう無理。ウンチを流してしまう。

ギリギリのラインまで精神状態はきていて。発狂寸前。

早朝、タクシーで帰る!と病室を出ようとし、家にも電話が。

困り果てた病院側。もうどうぞ、退院なさってください、と。
相当大変だったと思われる。。

迎えにきた家族を見て嬉しそうにしていたと。
荷物はキレイに自分でまとめられていたそうだ。



一週間、ベッドにいたので、普通ならかなりのダメージ。
歩けなくなっていてもおかしくない。
けれど母は自分の部屋にそそくさと入り、
いろんな所をチェックし始め、驚くぐらい健脚だったと。

どんだけスゲー婆さんだ。。



同日午後。ヨキータ到着。母の部屋で、、
ますます痩せ細った母を見て抱きついた。

「お母さん!帰ってきたよ!遅くなってごめんね。
帰ってこれて良かったね!おめでとうね。」

母は戸惑いつつも、私の背中に手を回して、ありがとう、と。



この日。母の緊張は全くといっていいほど取れていなかった。
いつもなら午後は長い昼寝をするんだけど。全く寝る気配なし。

目が血走っていてスゴい形相でどこかを見ている。
ほら、また黒いモヤモヤがいっぱい沸いてきたよ、と、
両手でそれを必死に掴もうとする。

絨毯には何も落ちていないしキレイなのに。
黒いものがいっぱい、と、絨毯をむしって、、
何度も何度も見えない何かを取ろうとする。

或いは、自分の黒いセーターを手に取り、
なんにも付いていないのに、スゴいゴミ!と、
ガムテープで一時間ぐらいペッタンペッタンやってた。。



極めつけは夜。全く寝ようとしない。

24時過ぎてようやくベッドに横たわらせ、
軽いイビキをかいていたように思ったので、、ハア、、と私も。
今夜こそ寝ないと私がやられてしまう!と寝床へ。

が、ゴソゴソする音で目が覚めたら。
まだ一時間もたっていないのに、ベッドに母がいない! 

電気をつけたら、、部屋の隅で、小さくなってしゃがんでいた。
私をみてもわからない。声をかけてもわからない。

お母さん、寒いよ、ベッドで寝ようね!と言っても
私の存在に気づかない。そしてまた幻影が見えるのか、、
誰かがいる、とひどく怯えている。
そして両手で何かを掴もうとしている。

かと思うと、グイっと何かを飲み干す仕草。何度も。

お母さん、大丈夫だよ大丈夫だからね、と
背中をさすって手を握ってみたけど、、
その私の手をグイグイ引き寄せて口に入れようとする。

私は泣きはしないけどね。もう覚悟が出来ているのか。。
思ったよりも動揺していなかったけれど、、切なくて。

可哀想でしょうがなくて、ずっと抱き締めていた。
そして歩けない母を少しずつ移動させ、
一時間かけてベッドに戻し、横たわらせた。
辛くて長ーい、一時間だったよ。

ベッドに入った母は、初めて声をあげ、

「あったかーい!気持ちいい〜!最高。」と言って。
すぐにイビキをかきはじめ、、助かったあ(泣)。




母はその翌朝、9時頃まで熟睡。私も。死んだように寝た!

目覚めた母、もちろん昨夜の事を覚えていない。
ああ、良く寝た!と嬉しそうに朝食をたいらげた。

そしてお昼に行きつけの食堂に行く、と言い張り。
仕方ないから連れていった。
ペロッと日替わり定食を食べ、おかみさんと普通におしゃべり。

帰宅後、また睡眠。夕食も全てペロッとたいらげた!
考えたら、、この日。
黒いモヤモヤは出現しなかったようで。
絨毯を見つめることもなく。




その翌日。

いつも母に寄り添ってくれてるお友達に連絡したらしく。
まだまだ休んでないとダメだよ、と止める私を振り切って、
スーパーに買い物に。しかも3時間ぐらい帰って来なかった!

私は、、抗生剤飲んでいるのに、、とうとう発熱。39℃。
しんどい時に、、迎えに来てくれと、、母。鬼。

スーパーで大買い物して。荷物がスゴい。
おぜんざいを食べて最高に楽しかった〜!と母。

私がちょっとシンドイと言っても。

楽しい一日だったのに、お前の発熱でテンション下がった、
みたいな事を言われ、、(泣)。


驚くべき事にあっという間に母のせん妄状態は終了。
認知はあるのだけど、、全然まし。

オシャレをして外にお出かけすること、人と触れあうこと。
それが母の「生きる」ことの源、なのだと改めて思い知った。


スーパーで買ってきたキルティングの布を裁断し、
介護用トイレを隠すカバーを半日かけて縫い。
トイレが部屋にあるなんて考えたくもない!と。
仕上がったカバーを眺めてニコニコ。

朝、昼、夕食、ものすごい食欲。
美味しい美味しい、最高に幸せ!と。

入院がどれだけ辛かったのだろう、と。

すっかり入院前に戻った母。決して元気だとは言えないし、
当分リハビリも無理かな。。

そして、うちらにいつもの暴言、嫌み、
認知症による思い違いの恨み辛み発言、すっかり戻ってきた。
それでもホッとしてる。
あのまません妄状態続くよりもずっといい。




毎朝、毎夕、「いつ東京に帰るのか。」を聞いてくる。
教えても覚えられないから。

「病気だからここに住めないんだね?私が東京に行こうか?」と。

恐怖のお伺い。ゲロゲロ。考えただけで倒れそう。。

3日で二人とも死ぬぞ。。

ケアマネさんが来られて、一時間お話して。ちょっとびっくり。
これからのリハビリについて母が、
しっかりと脈絡のある自分のプランを述べているのに驚いた。




退院直後に、ヨキちゃんがいてくれて良かった!
スゴいタイミングだったね、と姉。
姉も日々、認知症による母の暴言や罵声に耐えつつ、
毎日美味しい食事を作ってくれている。

が、この母とこうした密な関わりが出来るのは、私だけ。
こういった状況で精神的に負担がかかってくる確率がバカ高い。

私もさ、、今回もかなりの無理してるしさ。
心身の限界はきっと来てる。

でも、、ごはんが美味しすぎて、母と一緒に太り始め。
三キロぐらい増えたかな。お腹がスゴいことに。。

母は退院後、一週間で6、7キロ太った!脅威。

私は連日39℃出てるけど、(抗生剤効かなくなった〜。)
ステーキ食べて、復活してます。

そして、田舎の食材は素晴らしい!

山菜を届けてくれる方がいっぱい。
筍や初めて聞く「こしあぶら」という山菜。


2010-0548.jpg


「こしあぶら」の新芽は栄養価が高く、
特に脂肪や良質のたんぱく質、フラボノイドが多く、
血圧降下などに役立つらしい。おまけにめっちゃ美味しい。

タラの芽より好きだな〜。天ぷらにして食べました。
筍の天ぷらも最高だ〜!

うちの家族、食べることが大好きなので、こういう状況でも
ひたすら美味しいもの食べて笑っている。

明後日、東京へ。。翌日は抗がん剤治療。


母は私がいなくなるので、、落ち込み始めている。

いろんなおもい。 [2023年04月23日(Sun)]
yoko2.jpg


めっちゃ白黒〜(笑)

母に一生懸命何かを伝えたいアタシ。

どんな会話だったんだろうね。


昨夜も午前二時から電話攻撃が始まりました。

丑三つ時の午前二時。。怖いですよ。


白い病室に怯える母からの訴え。

ここから出してくれ〜〜。

ヨキちゃん、きて〜〜〜。


大きな手が追いかけてくる。

入口のところで沢山の人がヒソヒソ言ってる。

怖い、怖い、こわいーーー!!って。

私は何もできません。


大丈夫だよ、大丈夫だよ、お母さん、

もうすぐ東京から帰るからね。待っててね。

恐くないよ、と繰り返すだけしか、、できん。


午前二時から朝6時まで17回の電話がありました。

10分、5分、話を聴いていたら、バシッと切られて

また5分後にかけてきて、助けて!と泣き叫ぶ。


私、二日続けてほぼ不眠です。。。

抗がん剤飲んでるのに大丈夫か?(;・∀・)


ここは別荘、と言い張るんですが、、

誰かが閉じ込めた、と。。


思い出したことがあります。

10年前に手術をした私が8人部屋に数か月いた頃。

私以外はほぼ高齢者。しかも痴呆気味の。

昼だろうが、夜中だろうがエンターテイメント。


ほぼ毎日、夜中に火災警報発令中!と叫びだして。

火事です!火事です!とナースに連れていかれるまで

警報を叫んでいたおばあちゃん。


そして、私の隣のベッドには強烈なバアチャンが。

ココは私の別荘なのに!様子がおかしい、、

と、看護師を呼びつけ、、

「アンタか!私の別荘を畳から床にしたのは!」と

怒鳴りつけ、暴れようとするので、、、

とうとうそのベッドの周り、柵でおおわれてしまった。


病室って、、別荘と認知する人が多いのかな。

火災警報しかり。その人の人生がどこかで交わるのか。


めっちゃくちゃな母親の話を聴いてると、、

なるほど、一貫性があって、、、

理性ではないところの、母の人生が垣間見える気が。


どんだけ母になじられて、強烈な言葉かけられても

それでも母の事が一番大事で、、愛おしい。


少しでも楽にしてあげたい、そう思って電話に出る。

それと、、情とは別の部分で。


そういう人間の追い詰められた時の、、

人間の真理が知りたいというか。。


めっちゃマニアックな私に呆れるけど(笑)

根源のところを知りたい気持ちがあるんです。

だから、多分ですが、、

真夜中の怖ーい電話も聞いていられる。


私はどこまで対応できるんだろう、

どこまでスキルを構築してきたんだろう、

どこが限界なんだろう、、


そんなこと考えたりする自分にハッとする。

私にも限界はもちろんあるし、、

無理することはできないけど、、


人間の奥の奥を探求するのが好きなんだと思う。

この家族、この人生、確かに存在する。

でもそれは、、私にとって深刻なものではなく。

与えられた一つのケース、に過ぎない。

この数年、そんな風に思ってる。


20数年前、人生につまづいた私は、、

心理学を勉強しに東京へ行く!と、、

突然、母に告げた。


そんなこと、わが家では絶対に許されない案件。

それまで三年ぐらい、母と口がきけなかった。

辛くて辛くて、本当に死んでしまいたかった時期。


でも、、突然の申し入れに、、

母は黙って、OKを出してくれた。


自分の人生をいろいろ考えていくのが

心理学か?と、母が私に言った。


あの瞬間を絶対に忘れられない。

今でも泣きそうであります。


そんな母に本当に感謝しています。

一人で苦労してあの時代に4人を育てあげた。


みんながそれぞれ親不孝だけど。(笑)

でも、私以外は健康で頑張って生きている。

母のおかげだと思っています。


昨日は母の若いお友達が、、

母と長電話してくれました。


友人との電話の後、母はウソのように快活で

ゴキゲンで、全く普通の会話をしていました。


彼女が看護師さん、というのも大きいと思うけど

でも、アクティブリスニングが出来る人はスゴイ、

昨日は心底思いました。


そういう事含め、いろいろ、話も出来て。

私にとっても勉強になります。ありがとう。


「昨夜はヨキちゃんを寝かせなかったからね、

今夜は寝なさいね、電話しないからね!」


と、優しく言っていた母でしたが、、あれれ。

三時間後、、恐怖のテレフォンは始まった(笑)


ヘルプミー!!!

日食のダメージ。スゴすぎる。 [2023年04月22日(Sat)]
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毎日、スゴイことになっている。。

20日の新月&日食、すごそうだなあ、、と

嫌な予感はしていたけど。

モロに来た〜〜( ゚Д゚)


抗がん剤の副作用もいつものように全くなく。

20日はフラメンコ行けるな、と思ってたのだが、、


母親が救急車で運ばれて、、緊急入院。

姉が手続きなどしてくれてるけれど、

母の細かい内容は私の方が詳しいので、、、


市役所にも連絡して、ケアマネさんと連絡とったり。

事業所の名前とか変わっちゃってて。。


夏のような暑さだったが、電話ある度に道でとまって

いろいろ用事済ませたりして、、

フラメンコは大遅刻。


レッスンはもう二か月近く?ぶりで

ワケわからんが、でもまあ行って良かった。


母は貧血がひどく、輸血処置して、

本来の下血に関しては翌日に、、と。


あの大腸検査に今の母が耐えられるか?

かなり心配だったけど、、、仕方ない。


翌朝は朝の4時半ごろから電話かかってきて、、、

辛い、苦しい、と、、(/ω\)、、

二リットルのあの下剤ドリンク、飲むのも大変だ。

かわいそうすぎる。。弱り切った母が、、(泣)


睡眠不足のまま、私は大腸の診察で大学病院。

親子で大腸疾患。。まあ、私のは症状はないけど。


もうフラフラ、私も輸血が必要なぐらいの貧血で。。


家に帰ってからも座っていられなくて、、、

ずーーっとベッドの上。しんどかった。。


でも本当の地獄はそこからでしたわ。。


夜20時〜、何度も母から電話あったが、

(いざという時は私に頼るしかない母。。)


歯が痛い、眠れるか心配、というまだ普通な感じで。

私も今日こそは寝なければ、と思ったけど、、

それは叶わぬ夢でした(*´Д`)。。


その後、午前2時!から、8分おきに!

母からの半狂乱の電話がかかってきて、、


息が出来ない、苦しい、喉が痛い、死にそう!

苦しい、死ぬ、足も痛い、と泣き叫んでるんです。


暗くて怖い、と電気を探しているので危ないと思って、

ナースコール押すように言って、電話代わってもらい。


電気どこにあるかわからないのに歩こうとするから

危ないので電気付けてあげてください、

そうお願いしたんだけど、、、


ま、母親はきっと何度もナースコール押してるだろうし、

看護師さんもちょっと、冷ややかな声。

夜勤さん、すみません、、、


それからも8分おきの電話、、、

午前3時過ぎまで何度も何度も電話かかって、

そのたびにナースコールも押すもんだから、大変。


苦しい、息が出来ないとハアハア言って、

「娘と話して!」と、、もう何回看護師と喋ったか。


「酸素飽和度は正常なので。」との事だが、、

「患者は神経高ぶってるし、検査のストレスや

普段から喉の痛みや足の痛み、お尻の痛みがあるし、

たぶん数値以上に辛い感覚なんだと思います。

息苦しいと興奮してるので、、お手数ですけど、

眠剤か点滴で眠らせてもらえませんか?」と頼んだ。


看護師さんも大変である。。

本当ならついていてあげたいんだけど。

コロナめ。もういい加減解放してくれ、医療から。


それから私の目もさえて。たぶん母は眠らされて

2時間は電話なかったけど、、午前5時半から再び、、

妄想と雄叫びの電話の嵐、、


殺される〜〜〜。

検査でも鎮静剤で眠らせてもらってるし、

さっきまた眠剤を使用しているので、、

しかも絶食。作用がすごいんだと思う。


90歳前の母親はもう錯乱状態。

妄想の世界です。よくあることです。


「私の大切な部屋の上が落ちてくる〜。

上に何がある?私は今部屋の上におるけど、

怖い恐い、死ぬんだわ。アナタ、ここに来てくれん?」


いや、お母さん、私東京じゃけ〜ね。行けんのんよ。

って言ったが、、わしも東京行く!ここはわしの家、

でも、なんか部屋が落ちてくる〜って。。


もう、どうしようかと思いました(泣)


「あ、カーテンの向こうが明るくなった、

ここは何階なの?下まで降りたい。降りんといけん、

アナタ来れないなら、だれかよこしてちょうだい、

降りないとダメなの。」


って感じで、意味不明。それが朝の6時頃かなあ。

そこから一時間かけて説明をして、、

お母さんがいるところは病院で何度も入院した所、

今日は重湯出るから、それ食べたら元気になって

おうちに戻れるんだよ、だから食べてね、

私も来週岩国だからね、退院したお母さんと

ずっと一緒にいられるから楽しみにしててね。」


みたいなことを何十回も話して、、延々と。

そしたらちょっと落ち着いてきて。

まともになってきたが。それでもやっぱり繰り返し。


電話してくるたびに。。

また妄想の世界へ。。。


朝方は五分おきに電話してきたので、本当大変。

もう私、全然眠れなかった(/ω\)。。。

それよりもかわいそうになって。辛かった。


今日は朝からPCRの検査予約してるから、出かけて。

全く寝ていない状態だったけど、、、


精力つけねば!と会場隣のステーキハウスで肉食べた。

検査場行くと、、ひろーい会場になんと私ひとり。

そうよ、イマドキ誰がコロナを気にしてるって言うんだ。


私の通う大学病院でも相変わらずのコロナ体制。

本当にアホらしい、と思う。

私と同室の高齢者たちもみんな母と同じようだった。


こんな状況の高齢者には家族に付き添わせてほしい、

本当にそう思った。仕方ないけれどね、、


精神的に持たないし、本当に頭が狂って、身体も弱って、

本末転倒なのではないかと思う。。


医療者の皆さま、大変です。お疲れ様です、、

そして私は、、今夜がとても怖いです。。。

きっとまた恐怖の電話がかかってくる、、


姉は、アンタの身体が心配だから電話でなくていいよ、

と言ってくれるのですが、、

半狂乱で夜を過ごす怖さを知っているので。。。

辛いです、それも。。


無事にお江戸へ。 [2023年01月11日(Wed)]
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暮れに作ったお正月料理。

これが旨いんだあ。なにかは秘密(笑)


無事に戻ってきたよ。お江戸に。。

満席の飛行機、、辛かった〜。

この三年間、コロナでガラガラだったので。

急に満席、とても辛い。しかも咳は出るし。。


不思議なもので。羽田に着くと。

身体がピシッと。気が引き締まる、というか。

しんどさが一瞬、消えて颯爽に歩く自分が。


東京では私が頑張っていかないと!

そんな緊張感があるのかな?


翌日には大学病院でとお〜っても大変だったが。

それはまた次回に。。(-_-;)。。


お正月って、私にはずっと苦行であり続けた。

子供の頃は、家族もいっぱい、親戚もいっぱい、

親の客人もいっぱい。三が日に訪れる人は、、

数十人を軽く超える。お寺みたいだよ。

皆に愛想ふりまくのもしんどい。


20代の正月はもっと大変だった。

甥っ子や姪っ子、イトコの子達が20人近く押し寄せ。

わんぱくなガキんちょたちと一人格闘、身体張った!

その光景ときたら、、想像つかんと思う。

その傍ら、正月のお膳の支度、片付け。重労働。

独身の私は労働者と化し。正月ってなんだ?


最近はずっと母親とほぼ二人。

他の姉妹は元旦に挨拶に来るけれど、あとは

母親と二人っきりの正月。ソレもまたしんどい。


だから正月って。嫌いだったんです。

一度だけ、、正月から逃げたことがあって。

(イタリアに住んでた時も正月はイタリアだったな。)


シリアとヨルダンに年末年始行ったんです。

まだあの辺が平和だった頃です。

ちょっと母に対して申し訳なさはあったけど。


そんな風に正月にも家にも縛られてきた私。

何だったんだろう。。


その直後に、東京へ何も持たず、引っ越してきた。

いろんな事がその頃有りすぎて。


今年の正月は、、今までで一番実家に戻りたくなかった。

これまたいろんな事があったゆえに。辛かった。

早く帰っておいでね、と友人らは言ってくれたけど。


でもね。とても驚いているけど、、

一番穏やかに過ごせました。年末年始。ビックリよ。

美味しいものを皆で食べて。

友人とアズッカのワインを楽しんで。

スッゴク美味しくてとても嬉しかった。


禁酒ゆえに、、久しぶりのワイン!

ちゃんと作られたワインは身体がよく知ってる。


家族にも大好評、美味しい美味しいと。

アズッカが毎年送ってくれるお餅も!


アズッカ・エ・アズッコの壮大な物語を語りました。

イタリア編から豊田市編まで。ワインと共に。

それは私のストーリーでもあるもんね!


母も意外に落ち着いていて、、

私が体調悪く臥せっていたからか?


姪っ子のチビちゃんもとってもなついてくれて、

ずっと一緒に遊んでました。

歌って踊ってしゃべって笑って。。

子供のすごいエネルギーに負けそうだけど、

でもいっぱい笑顔にしてくれた。


「チビちゃんと母親」の相手の掛け持ちで体力ゼロ。

両方が焼きもち焼くので(笑)


息がきれて、呼吸がゼエゼエいっても。

母の買い物も頑張って毎日チャリンコで行った!

チャリンコ10分で倒れそうだった〜(泣)


寝込んで、遊んで、買い物行って、そんな13日間。

でも食欲はあって、一気に三キロ増えたしね。


最終日。チビちゃん、空港まで送ってくれて。

車降りてサヨナラしたのに、、

気がつくと、搭乗ゲートとロビーの間のガラス越しで

手を振ってたので急いで駆け寄りました。


何かを大声で言ってるけど全くわからん。。

隣にいた姉が手のひらに平仮名で書いてくれました。


「わたしのことわすれないで。」

そう言ってる、と。


泣きそうになっちゃった。

毎日、どうして東京に帰るの、ずっといて欲しい、

と、私に訴えてくれてたからな。。


飛行機の出発が遅れて、それから一時間ほどで機内に。

ふっと外を見ると、、


外の展望デッキの一番前で手を振っている二人が!

うっそ。まだいた!ビックリ。寒いのに(泣)


母も、、最後はやっぱり泣いていた。。

身体が半分になっちゃった母の涙は辛い。。


機内で号泣しちゃいそうでした(T-T)。。


私をまだ必要としてくれる人たちがいる。

そう思うと、、まだ生きていかないと、、と。


身体はなかなか言うこときいてくれないけどね。

でもまだ死ねないな、と。


そう思えたお正月でもありました。



東京よ、しばしサラバ。 [2022年12月29日(Thu)]
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フラメンコレッスン休んで、6日後に帰省。

羽田へ行くまでは、どこにも行くまい、と引きこもり。

コロナ増えてるし、人混みがすごくて無理!


家にいると(狭いし!)、、体調もすぐれない気がする。

外の空気って必要だよね。


色々お片付けしつつ。横になることも多く(泣)。。

自分の作る食事にも流石に飽きて、、食欲が下降気味。


だめだ!これでは実家で闘えない!!!と、、

最後の日に、自宅の向かいにあるイタリアンの店に。

一年に一回ぐらいしか行かないが、味はとても良い。


ブロッコリーのポタージュがとっても美味しかった!

焼きたてフォカッチャも。

魚介とキノコのトマトスパゲッティもめっちゃヴォーノ。


でも、、途中から、、何だろ脂汗的な、しんどさが。

押し寄せてきて?帰りたくなってきて。。

コーヒーとデザート早々に頂いて、速攻帰った。

こんだけ食べて1500円。コスパ高し。


なんか、、本調子ではないのかな。。

それからずーーーっとベッドで寝てました。

直してもらったパソコンの整理をしたかったが。


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近くのドイツ菓子カフェで買ったビスコッティ。

カフェラッテ作って、浸しながら食べました。


これがトスカーナ時代の私の朝食だった。これにバナナ。

朝の5時から畑に出る日はゆっくりと朝食食べられず。


元気だったあの頃の自分が嘘のよう。


羽田空港の乱雑ぶりはスゴかったです。

この二年半、空港はガラガラだった。が、、

国の方針、後は意識の変化、慣れ、もあって。

人々は一気に動き出したよね。


コロナどこ吹く風。まあ、それは良いんだけどさ。

空港はコロナからの大きな変化に対応できてない!

コロナでたくさん、人員削減もしただろうし。

空港内のバスも、、どっかに出向?しちゃったのか?


手際悪すぎ。驚いた〜。

タラップまでのバスがない、という理由で、、

どの便も搭乗が始まらないという、、


一時間も搭乗ゲートで待たされた!


基地があるので、私の便はアメリカ人が多いのに。

どんどん遅れてく出発時間に不安そうだった。

だって。ANAの職員3人もいるのによ、、、

英語のアナウンス一切しなかったぞ〜。


そこにいっぱいアメリカ人がいるのにだよ。

個別に質問しに行くアメリカ人が気の毒だった。

きっと職員の女子、誰も英語ができない。

そしてたぶん、気が回らない。最低だと思う〜。


バスがやっと来ても、、ビックリですよ、、

飛行機にたどり着くまでどんだけ時間要したか。


「右から飛行機が近づいています。」

次は左から。次は右から。。コントかよ。

全然進めましぇーん٩(๑´0`๑)۶。。オーマイガッ。


機内にようやく入ったあとも、離陸までひたすら待ち。

離陸待ちの飛行機が6機おりますので順番待ち、、


唯一、ラッキー!だったのは。。

ほぼ満席だったのに私の座席、3人席に私だけ。

。。ほんまラッキーは、、そこだけです(笑)。。


ああ、、地獄の帰省、、始まりました。

神様、お守りください〜(T_T)。


ご無沙汰してました〜。 [2022年10月31日(Mon)]
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母が、私をビックリさせようとサプライズ(笑)

イ・ビョンホンさまのポスターを自分の部屋に。


こういうところが、母のカワイイところです。

私が大笑いするのを見て、大満足な顔。


母はビョンさまと実際に会ったこともあって!

しかも美川憲一様のおかげで。。

ツーショットの写真を大きく引き伸ばしたけど。

もう、捨てちゃった、って( ゚Д゚)、、、


母との一週間。覚悟していたよりは、、

穏やかに過ごせましたが。。


一回だけ、、スゴい状況に、、、

まあ、それも、私が禁句を口にしちゃったから。

ダメですね、、私もまだまだ。


母の認知能力はものすごく衰えていて、

今朝も、電話があって、ちょっとちょっと、って。

引き出しに素敵なパジャマが入ってる!

買って入れておいてくれたの?ってウキウキ。


いや、、それは、、こないだ一緒に買って、、

お母さんがたたんで入れてたやつで、、


覚えていなんだなあ、、(*´Д`)。

まあ、それはそれで仕方ない。


そう、先週、外に行きたそうだったので、

めっちゃ久しぶりに買い物に連れ出した。

お天気、最高に良かったしね!気持ちいいよね。


我が町では比較的大きなショッピングセンター。

車椅子に乗せて、ぐるぐる店内を回りました。


一切、洋服を買わなくなった母。

それは金銭的な理由の為です。

たぶん、山口県では一番オシャレ?で、、

いつも小ぎれいにしている母だけど、、、

もう新しいものは一切買わない。

あるものを自分で縫い直して着ている。


でも、、購買欲はまだ残っていた!

こんなにいろんな商品をみるのは今年初めて?


下着、パジャマ、洋服、お値段的には2〜3000円。

それが割り引きで1000円台だったりで。

しかも、プレミアム券が二万円分あるので。


母は車椅子なのに、、テンション上がりまくりで

あれもこれもと触りまくり、、車椅子操作、大変。


あんなにキラキラした母の顔は今年初めてかも(泣)

いろいろ大変だったこの数年の母、、

必死で我慢してきたんだろうな、と思うと、私が泣く。


欲しかった下着、洋服、結構買いましたよ!

楽しかった〜〜〜!って何十回も言ってた。

こんなに楽しい日は久しぶり!って笑顔炸裂。

そんな母の笑顔を観るのも久しぶり。

もっと、もっとこんな日を作らなければ、って。


母の陰な部分の性格が出たときにゃあ、そりゃスゴイ。

私にヒドイ言葉を容赦なくかける時は、、

呪い殺されるんじゃないかと、、思うぐらいで。


でも、それも母が元来持ってる障害だと思ってるし、

環境の変化によるストレスでひどくなったせい。

私達のせいでもあるんだよね。


電話ではわからなかったけど、、

母の優しさは変わらない、と思うところもあり。

ちょっとホッとしたり。が、、

思い込みの激しさと、それによる人との衝突が、、

どんどん酷くなっているので、それが心配。


私はホント、一週間体調が良くて、よく動いたし。

自分のものをかなり処分したし、、

母が足りないものをチェックしたり、、


よく食べた!何食べても美味しくて〜〜〜。

栗や芋が美味しい季節。田舎の良いところですが、

栗取ってきたよ、と持ってくる人の多い事。。


ほぼ毎日、栗きんとん、芋ふかしたもの、食べて。

秋のご馳走。田舎の贅沢だよね〜。


食べる分だけ、体重が増えていくし、

まだまだ大丈夫だ、と自分に自信持てたけど、、


東京に帰ったら、、疲れが出たのか、、

ひたすら寝て、寝て、寝て、、そして、、

やっぱり発熱してしまいまして。。


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こってり、美味しい豚骨ラーメン食べたからかな。

(これも持って帰ったモノで、、ホントに旨い!)


でも、いつもの40℃とかではなくて、、

38℃ぐらいだったんで、なんとか今朝は復帰。

元気にしていますので、大丈夫です!


明日は、一か月ぶりの抗がん剤の日なので、、

出来るかな、、大丈夫かな、、とちょっと心配。


この一週間の私を見た人は、病気ってわからんと思う。

抗がん剤、要らないんじゃないかと(笑)


そうそう、、韓国の圧死事故のニュース!

寝ぼけながら見てましたが。。ヒドイね、、


梨泰院(イテウォン)、昔行ったことありますが

外国人が多いところで。女子大学とか。。

そんなに人が集まる印象がないんだよね。

世界的にヒットしたドラマの影響もあるんだろうな。

ハロウィンのシーンが印象的だったし。


そしてコロナの二年間、若者は我慢を強いられて、

今年はそういった鬱憤を晴らしたい、楽しみたい、

そういう状況もあって。タイミング悪かったね。。


あの狭い路地にあのものすごい数の人の波。

150人以上が亡くなるなんて。怖すぎます。

しかも立ったまま圧死、なんて、、(泣)

呼吸できずに、、苦しかったでしょうね。。


東京の通勤時間の満員電車も危ないよね。。

ホントに苦しかったもん。通勤してるとき。


、、数分ごとにドアが開くからマシなのかな。

でも満員電車で肋骨折れた人もいたし。


「千と千尋の神隠し」のモデルとなった街、九份。

(ジブリは否定してます。)

あそこもすっごかった。もう絶対行きたくない!

お昼なら良いのですが、、夜は、、危ない!


あの狭いスペースの階段に、帰ろうとする人、人、

もまれてもまれて、死にそーだった。

ツアーの皆を見失うし、、ヤバかった。


人混みは嫌いだな。。


ご冥福をお祈りいたします。

それでも、今夜、渋谷に人は集まるのだろうか、、
      
信じられん。


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