無事にお江戸へ。
[2023年01月11日(Wed)]

暮れに作ったお正月料理。
これが旨いんだあ。なにかは秘密(笑)
無事に戻ってきたよ。お江戸に。。
満席の飛行機、、辛かった〜。
この三年間、コロナでガラガラだったので。
急に満席、とても辛い。しかも咳は出るし。。
不思議なもので。羽田に着くと。
身体がピシッと。気が引き締まる、というか。
しんどさが一瞬、消えて颯爽に歩く自分が。
東京では私が頑張っていかないと!
そんな緊張感があるのかな?
翌日には大学病院でとお〜っても大変だったが。
それはまた次回に。。(-_-;)。。
お正月って、私にはずっと苦行であり続けた。
子供の頃は、家族もいっぱい、親戚もいっぱい、
親の客人もいっぱい。三が日に訪れる人は、、
数十人を軽く超える。お寺みたいだよ。
皆に愛想ふりまくのもしんどい。
20代の正月はもっと大変だった。
甥っ子や姪っ子、イトコの子達が20人近く押し寄せ。
わんぱくなガキんちょたちと一人格闘、身体張った!
その光景ときたら、、想像つかんと思う。
その傍ら、正月のお膳の支度、片付け。重労働。
独身の私は労働者と化し。正月ってなんだ?
最近はずっと母親とほぼ二人。
他の姉妹は元旦に挨拶に来るけれど、あとは
母親と二人っきりの正月。ソレもまたしんどい。
だから正月って。嫌いだったんです。
一度だけ、、正月から逃げたことがあって。
(イタリアに住んでた時も正月はイタリアだったな。)
シリアとヨルダンに年末年始行ったんです。
まだあの辺が平和だった頃です。
ちょっと母に対して申し訳なさはあったけど。
そんな風に正月にも家にも縛られてきた私。
何だったんだろう。。
その直後に、東京へ何も持たず、引っ越してきた。
いろんな事がその頃有りすぎて。
今年の正月は、、今までで一番実家に戻りたくなかった。
これまたいろんな事があったゆえに。辛かった。
早く帰っておいでね、と友人らは言ってくれたけど。
でもね。とても驚いているけど、、
一番穏やかに過ごせました。年末年始。ビックリよ。
美味しいものを皆で食べて。
友人とアズッカのワインを楽しんで。
スッゴク美味しくてとても嬉しかった。
禁酒ゆえに、、久しぶりのワイン!
ちゃんと作られたワインは身体がよく知ってる。
家族にも大好評、美味しい美味しいと。
アズッカが毎年送ってくれるお餅も!
アズッカ・エ・アズッコの壮大な物語を語りました。
イタリア編から豊田市編まで。ワインと共に。
それは私のストーリーでもあるもんね!
母も意外に落ち着いていて、、
私が体調悪く臥せっていたからか?
姪っ子のチビちゃんもとってもなついてくれて、
ずっと一緒に遊んでました。
歌って踊ってしゃべって笑って。。
子供のすごいエネルギーに負けそうだけど、
でもいっぱい笑顔にしてくれた。
「チビちゃんと母親」の相手の掛け持ちで体力ゼロ。
両方が焼きもち焼くので(笑)
息がきれて、呼吸がゼエゼエいっても。
母の買い物も頑張って毎日チャリンコで行った!
チャリンコ10分で倒れそうだった〜(泣)
寝込んで、遊んで、買い物行って、そんな13日間。
でも食欲はあって、一気に三キロ増えたしね。
最終日。チビちゃん、空港まで送ってくれて。
車降りてサヨナラしたのに、、
気がつくと、搭乗ゲートとロビーの間のガラス越しで
手を振ってたので急いで駆け寄りました。
何かを大声で言ってるけど全くわからん。。
隣にいた姉が手のひらに平仮名で書いてくれました。
「わたしのことわすれないで。」
そう言ってる、と。
泣きそうになっちゃった。
毎日、どうして東京に帰るの、ずっといて欲しい、
と、私に訴えてくれてたからな。。
飛行機の出発が遅れて、それから一時間ほどで機内に。
ふっと外を見ると、、
外の展望デッキの一番前で手を振っている二人が!
うっそ。まだいた!ビックリ。寒いのに(泣)
母も、、最後はやっぱり泣いていた。。
身体が半分になっちゃった母の涙は辛い。。
機内で号泣しちゃいそうでした(T-T)。。
私をまだ必要としてくれる人たちがいる。
そう思うと、、まだ生きていかないと、、と。
身体はなかなか言うこときいてくれないけどね。
でもまだ死ねないな、と。
そう思えたお正月でもありました。
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