簡潔に。メモ。自分のために。
あの後、母のせん妄状態は加速。
夜中に朝に昼に夕に電話かけまくってきた母から、
ぷっつり電話が途絶え、それがまた違う意味で恐怖。
入院4日目だったかな。どういう状態なのか全く不明。
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5日目。なんと。
病院側より、本人が暴れて?ワケわからん状態に?
とにかく手に終えないから、
(コロナ体制で)ご家族は患者に面会は出来ないことになってるが、
ちょっと来て欲しいとの連絡。
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すぐに姉達が駆けつけたが、ものすごくビックリした母親。
家族の前では落ち着いて、普通の会話が出来ていた。
私もLINE電話で顔を見ながら話も出来たし。
「早く帰りなさい、大丈夫だから。」
という気遣いも見せていたようだ。
姉によると、でもちょっとおかしな事も言っていた、と。
看護師さん曰く、ベッドから逃げようとするので危ないですし、
ベッドに母を固定?したいとの許可を求められたと。
それをやると完全に気がふれてしまうので、やめて欲しい、
それで怪我をしても病院側に責任をとわない?と、
姉はやむを得ず伝えたらしい。
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が。その後がより大変でした。
夜中に再び何度も電話をしてきて、、
「助けて〜!早く来て!お前はなにしてる!」と。
大きな手が追いかけてくる、
部屋の隅にたくさん人がいてこっち見て笑ってる、
黒いモヤモヤが壁からいっぱい沸いてくる、みたいな感じです。
そばにいてあげてあげたいけど、、、
それも出来ない状況に胸が詰まる。
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私は何日も眠れない状態で、自律神経が、、
交感神経24時間発動中。きっと母親も同じ。
夜も昼も寝ていないはず。
本当にキツかった。
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入院して丸一週間。下血の処置は済んでいるけど、
便に血が混じっていないかを確認するまでは
母を退院させられないと。
けれど今の母親には、便が出た → ナースを呼ぶ、という
当たり前に出来そうな事がもう無理。ウンチを流してしまう。
ギリギリのラインまで精神状態はきていて。発狂寸前。
早朝、タクシーで帰る!と病室を出ようとし、家にも電話が。
困り果てた病院側。もうどうぞ、退院なさってください、と。
相当大変だったと思われる。。
迎えにきた家族を見て嬉しそうにしていたと。
荷物はキレイに自分でまとめられていたそうだ。
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一週間、ベッドにいたので、普通ならかなりのダメージ。
歩けなくなっていてもおかしくない。
けれど母は自分の部屋にそそくさと入り、
いろんな所をチェックし始め、驚くぐらい健脚だったと。
どんだけスゲー婆さんだ。。
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同日午後。ヨキータ到着。母の部屋で、、
ますます痩せ細った母を見て抱きついた。
「お母さん!帰ってきたよ!遅くなってごめんね。
帰ってこれて良かったね!おめでとうね。」
母は戸惑いつつも、私の背中に手を回して、ありがとう、と。
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この日。母の緊張は全くといっていいほど取れていなかった。
いつもなら午後は長い昼寝をするんだけど。全く寝る気配なし。
目が血走っていてスゴい形相でどこかを見ている。
ほら、また黒いモヤモヤがいっぱい沸いてきたよ、と、
両手でそれを必死に掴もうとする。
絨毯には何も落ちていないしキレイなのに。
黒いものがいっぱい、と、絨毯をむしって、、
何度も何度も見えない何かを取ろうとする。
或いは、自分の黒いセーターを手に取り、
なんにも付いていないのに、スゴいゴミ!と、
ガムテープで一時間ぐらいペッタンペッタンやってた。。
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極めつけは夜。全く寝ようとしない。
24時過ぎてようやくベッドに横たわらせ、
軽いイビキをかいていたように思ったので、、ハア、、と私も。
今夜こそ寝ないと私がやられてしまう!と寝床へ。
が、ゴソゴソする音で目が覚めたら。
まだ一時間もたっていないのに、ベッドに母がいない!
電気をつけたら、、部屋の隅で、小さくなってしゃがんでいた。
私をみてもわからない。声をかけてもわからない。
お母さん、寒いよ、ベッドで寝ようね!と言っても
私の存在に気づかない。そしてまた幻影が見えるのか、、
誰かがいる、とひどく怯えている。
そして両手で何かを掴もうとしている。
かと思うと、グイっと何かを飲み干す仕草。何度も。
お母さん、大丈夫だよ大丈夫だからね、と
背中をさすって手を握ってみたけど、、
その私の手をグイグイ引き寄せて口に入れようとする。
私は泣きはしないけどね。もう覚悟が出来ているのか。。
思ったよりも動揺していなかったけれど、、切なくて。
可哀想でしょうがなくて、ずっと抱き締めていた。
そして歩けない母を少しずつ移動させ、
一時間かけてベッドに戻し、横たわらせた。
辛くて長ーい、一時間だったよ。
ベッドに入った母は、初めて声をあげ、
「あったかーい!気持ちいい〜!最高。」と言って。
すぐにイビキをかきはじめ、、助かったあ(泣)。
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母はその翌朝、9時頃まで熟睡。私も。死んだように寝た!
目覚めた母、もちろん昨夜の事を覚えていない。
ああ、良く寝た!と嬉しそうに朝食をたいらげた。
そしてお昼に行きつけの食堂に行く、と言い張り。
仕方ないから連れていった。
ペロッと日替わり定食を食べ、おかみさんと普通におしゃべり。
帰宅後、また睡眠。夕食も全てペロッとたいらげた!
考えたら、、この日。
黒いモヤモヤは出現しなかったようで。
絨毯を見つめることもなく。
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その翌日。
いつも母に寄り添ってくれてるお友達に連絡したらしく。
まだまだ休んでないとダメだよ、と止める私を振り切って、
スーパーに買い物に。しかも3時間ぐらい帰って来なかった!
私は、、抗生剤飲んでいるのに、、とうとう発熱。39℃。
しんどい時に、、迎えに来てくれと、、母。鬼。
スーパーで大買い物して。荷物がスゴい。
おぜんざいを食べて最高に楽しかった〜!と母。
私がちょっとシンドイと言っても。
楽しい一日だったのに、お前の発熱でテンション下がった、
みたいな事を言われ、、(泣)。
驚くべき事にあっという間に母のせん妄状態は終了。
認知はあるのだけど、、全然まし。
オシャレをして外にお出かけすること、人と触れあうこと。
それが母の「生きる」ことの源、なのだと改めて思い知った。
スーパーで買ってきたキルティングの布を裁断し、
介護用トイレを隠すカバーを半日かけて縫い。
トイレが部屋にあるなんて考えたくもない!と。
仕上がったカバーを眺めてニコニコ。
朝、昼、夕食、ものすごい食欲。
美味しい美味しい、最高に幸せ!と。
入院がどれだけ辛かったのだろう、と。
すっかり入院前に戻った母。決して元気だとは言えないし、
当分リハビリも無理かな。。
そして、うちらにいつもの暴言、嫌み、
認知症による思い違いの恨み辛み発言、すっかり戻ってきた。
それでもホッとしてる。
あのまません妄状態続くよりもずっといい。
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毎朝、毎夕、「いつ東京に帰るのか。」を聞いてくる。
教えても覚えられないから。
「病気だからここに住めないんだね?私が東京に行こうか?」と。
恐怖のお伺い。ゲロゲロ。考えただけで倒れそう。。
3日で二人とも死ぬぞ。。
ケアマネさんが来られて、一時間お話して。ちょっとびっくり。
これからのリハビリについて母が、
しっかりと脈絡のある自分のプランを述べているのに驚いた。
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退院直後に、ヨキちゃんがいてくれて良かった!
スゴいタイミングだったね、と姉。
姉も日々、認知症による母の暴言や罵声に耐えつつ、
毎日美味しい食事を作ってくれている。
が、この母とこうした密な関わりが出来るのは、私だけ。
こういった状況で精神的に負担がかかってくる確率がバカ高い。
私もさ、、今回もかなりの無理してるしさ。
心身の限界はきっと来てる。
でも、、ごはんが美味しすぎて、母と一緒に太り始め。
三キロぐらい増えたかな。お腹がスゴいことに。。
母は退院後、一週間で6、7キロ太った!脅威。
私は連日39℃出てるけど、(抗生剤効かなくなった〜。)
ステーキ食べて、復活してます。
そして、田舎の食材は素晴らしい!
山菜を届けてくれる方がいっぱい。
筍や初めて聞く「こしあぶら」という山菜。

「こしあぶら」の新芽は栄養価が高く、
特に脂肪や良質のたんぱく質、フラボノイドが多く、
血圧降下などに役立つらしい。おまけにめっちゃ美味しい。
タラの芽より好きだな〜。天ぷらにして食べました。
筍の天ぷらも最高だ〜!
うちの家族、食べることが大好きなので、こういう状況でも
ひたすら美味しいもの食べて笑っている。
明後日、東京へ。。翌日は抗がん剤治療。
母は私がいなくなるので、、落ち込み始めている。