• もっと見る

ヨキータの哀愁日記

ジプシーの血たぎる(妄想)
私ヨキータの人生は
流れ流れてどこへ漂着するのでしょう。
チクチクもの哀しくて、だけどサクっと笑える日々を綴ります。


プロフィール

ヨキータさんの画像
<< 2023年05月 >>
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
月別アーカイブ
カテゴリアーカイブ
最新記事
リンク集
https://blog.canpan.info/vamos-yoquita/index1_0.rdf
https://blog.canpan.info/vamos-yoquita/index2_0.xml
完全にボケてきてます。 [2023年05月29日(Mon)]
IMG_20230528_153832_copy_1664x1248.jpg


入院前夜は、、これでいこう!

と、思いまして。鰻弁当を買いに行きました。

エネルギー満タンにしてのぞまねば。


と、思ったんだけどね。。

それよりも。。またまたボケかましたよ。

もう完全に、頭がイカレてきたかも〜( ゚Д゚)


鰻弁当ぶら下げて。

二ヶ月ぶりにクリーニングを取りに行ったんすよ。

ここでも最近、袋くれないからさあ、、


あ、それ用のバッグ持ってこなかったな、、と。

ま、いっか。と。。


セーター二枚をバッグの取っ手に軽く挟んで、、

お腹もまだちょっと痛みあるしね。

ゆっくり歩いて帰ったのですけど、、


帰宅して、、ん??

なんと!セーターが!一枚がないではないか。 

どこかでずり落ちたみたい。。


ショックすぎて(/ω\)〜〜。

同じ道を戻って探すほど体力もなく、、

坂道だし。遠いし。。

諦めるしかないかなあ、って。


数年に数回ぐらいしか着ないセーターだけど。。

坂道始まるまでの200メートル戻ってみたがなかった。

きっと車の騒音があるとこで落としてるよね。

全然、気づかなかったんだもん。


ぼおっと歩きながら、、

家族で楽し気にテニスしてる人たちや、

笑顔でアイスクリームほおばてってる人たち、

いいなあ。みんな、休日を楽しんでいるんだね、、

私は一人で、、鰻弁当ぶら下げて、、


なーんて横目で見ながら(笑)、歩いてた。いかんな。

ボケボケでした。全く気づきませんでした、そして

そして、誰も声かけてもくれません。落ちましたよ、って。

人混み多い道しか歩かなかったのに!


クリーニング代がもったいないが。。

シミがとれなくて、ついつい出しちゃった。

スッキリ諦める️。。

車があれば、すぐ運転して探しに行くけどさ。

(未練たらたら)


てことで、、無難な体調で、、、

本日、入院しました!


午前中の入院で、、お腹ペコペコ。

お菓子ボリボリ食べちゃった。


食事。めっちゃ不味かったけど(泣)。。

お腹空いてたから完食〜。


今回の担当主治医は、、またまた甘いマスクだけど。

興味なし。。元気だったんだけど、、

なんか寒気がして。熱が出ちゃうとマズいから。

着てきた長袖セーターのまま布団にもぐりこんでる!


ちょっと微熱あり。血圧も85。。やば。。



踊ってきたど〜。 [2023年05月26日(Fri)]
IMG_20230517_151241.jpg


フラメンコの大先輩、今はおやめになったけど。

レイコたんに最後に頂いたお財布。

もう何年も使わせてもらいましたが。。


今回、キャッシュカードがスルっと落ちて。

お金のツキがなくなっちゃう!と決意。

心を鬼にして捨てさせていただきました。


彼女は私の母親と年が変わらないと思いますが、

まだまだお元気のようですよ。

大好きな俳句の会にも足を運んでおられるよう。。


が、、不思議なんですが。財布を捨てた数日後、、

なくしたはずの二枚のキャッシュカードが、、、

もう何度も何度も探したはずのバッグから出てきた。


うっそ〜〜〜(*´Д`)。やめて、、

だって、新しいカードが届いたばかりなのよ、、

無駄足だった、、、信じられん!


ま、それはともかく。

来月はフラメンコレッスン、休みも増えそうだし。

昨日は、ちょい厳しいかな、、と思いつつ。

頑張って行ってきました!


最近、下腹が違和感あるし、痛みもあって

真っすぐ歩くのも辛いんですよね。。

腹膜播種が悪さしてるのかなあ、と思ったり。


主治医は肝臓、胆管がメインの人なので、、

それを聴いてもあまり答えてくれない、、

普通、腹膜播種っつうたら大ごとですけどね。。

お腹、すごく腫れてます。。


だから踊れないだろうな、と思っていたけど、、

新しい足の振り付けまで始まってしまって、、

休憩するタイミング、失ってしまって〜( ゚Д゚)、、

結局最後まで、、やりましたがな。

てか、踊れたのが自分的にスゴイ。。


先生も私がいるうちに、と、詰め込んでくれたぽい。

ほぼ、ソロンゴも振り付け終わりっぽいです。


私の場合、二か月に一回、ぐらいの回数になってて。

バタもうまくなるわけないよな、と思うんだけど。


まあ、でもその割には出来てるかも(笑)(笑)

イメトレだけで9割ですわ。私のフラメンコ(笑)


が、やっぱ、すっごーーい疲労感で。。

家までの距離が辛くて、、、


ベッドに早くたどり着きたい、と必死で歩いた。

もうオバアチャン歩きですよ。。


お鮨、買って帰ったんだけど、、

下腹がズンズン痛くなり、、


あ〜。これは絶食だな、、お鮨、、すまん。

お水だけにしました、、哀しい、、


今日もイマイチですが。お粥は食べました。

なんとか明日のレントゲン、クリアしたいです。


火曜日の診察でちょっと気になったこと。

今回の、入院での抗がん剤治療次第では

これからの私の生活も大きく変わります。


遊ぶことしか最近考えてないし、、

なんとか、無事に予定通りにアレルギー出さずに

早めに退院したい気持ちでいっぱい。


「よし!気合い入れてがんばろ!」

と、独り言つぶやく私に、、主治医が、、


「こんなこと言うのも申し訳なんだけどね〜。

こればかりはさ、、本人の気持ちとか気合とが、

関係ないのよね。ごめんね。でもそうなのよ。」


、、、、( ゚Д゚)


これって、、言う必要あります???

ちょい驚きました。


治療って、、本人の気持ちがあってこそ

乗り超えられたり、次へ進めたり、、じゃない?


医者って、、やっぱ全然わかってない。

ちょっと驚きました。


「私が凹んで落ち込んで、、治療する、、

免疫力も落ちていい結果でます?

想像つかないですけど。。」


って、思わず言っちゃったすよ。

まあ、そうだよね、、と主治医。。


辛い患者さんたちの行く末を見てこられた主治医、

そう思う気持ちもわからんでもないです。


でも、私の命はこの世に一つ。

自分で守らなければ誰が守ってくれる!?


って、、思った次第です。


マジか〜。 [2023年05月23日(Tue)]
FB_IMG_1681807949229~2.jpg


マーーージーーーですかあ。

たまりまセヴン。


実はね、先週金曜辺りから発熱が続いてて。

土曜、そして昨日はほぼ40℃出たし。

背中の軽い痛みや、お腹の表面の痛みなど、、、

気になるところだったんだけど。


まあ、昨日の今日だから、たぶん抗がん剤は中止かな、

その方がいい〜〜!と、ちょっと気が楽だったりした。。


が、状況は思わぬ方向へ。。

ここんところの不調の話など先生はド無視であった。


それよりも、、前回の抗がん剤治療中に出た蕁麻疹。

アレルギー反応が出たことに対して、なんやかやと。


二度めのアレルギーが出た場合、重篤になる可能性がある、

だから同じ抗がん剤治療は今日出来ない、とのこと。


(その前に、体調悪いから、はなから無理なんですけど。)


前回、アレルギー止めの点滴が良く効いたんだっけ?と。

はい、すぐに蕁麻疹消えました、というと。

どこぞに電話して、、、相談を始めた。

薬剤師さんかなあ。


じゃ、患者さんと相談してみます、と電話切って。


方法としては・・・

今日からシスプラチンはやめて、

ゲムシタビン(ジェムザール)単体にするか。


後は入院して前回効いたアレルギー止めの点滴を

シスプラチンの前に入れて様子を見ていくか。

ステロイドを多く投与するようになっちゃうけど。。


いやいやいやいや、どれも寝耳に水でして。。

ちょっと待ってくだされよ、お代官様、て感じです。


今まで問題なかった?抗がん剤だったのに、

一回の蕁麻疹でやめるのも、えー!って感じだし、

胆管癌の抗がん剤は他の癌腫に比べて、少なすぎて。

もし、この単体投与で、すぐに耐性ついちゃったら

もう、先が見えてしまう、ってことだよね?


もう一回、ゲムシタビンとシスプラチンの組み合わせで

試しておきたいので、入院します!と、即答っすよ。。


入院なんてしたくないっすよ〜〜〜!でもね。。

なんか腑に落ちないんだよね。


この方法で試してみて、、、アレルギーが出なければ、

三日で退院、とか主治医はおっしゃってましたが。


でも、私はそんな風にうまくはいかないと。。

熱も一回ぐらい出ちゃえば伸びるし。


先月だよ、退院したのは、、(;・∀・)

もう、やってらんないよ〜〜〜。


予定が〜〜〜。いろいろ〜〜〜。潰れてく〜〜。

てか、全然落ち込むとかはないんだよね。

予定がいろいろ変わっちゃうのがイヤなだけ!


鉄の心臓持ってるらしい、私は、、(*´Д`)

もう、いつでも昇天する心の準備は出来ているんで。


あ、そうそう、今日の採血結果は、、、

やっぱり少しCRP、感染症数値は上がっていて。

血小板も下がってて。貧血がヒドイ、らしいです。

(だから、結局今日は無理だったんですうう。)


来週月曜日から数日(たぶん)入院することになりました。

土曜日に、PCR検査、レントゲンやるみたいで、、

病院に行かなくてはならなくて。やれやれだ〜。


でも多分、今回は絶食とかはないだろうから♪

たくさん韓流ドラマをダウンロードしていきます(笑)


どうなるんでしょうね。ホント。

食欲があるのが救いでございます。


ちょっとずつ。 [2023年05月19日(Fri)]
FB_IMG_1684076711304.jpg


イタリア、ウンブリア州の風景写真。

この季節、こんな色をしているのかな?

すごいですねえ。

トスカーナではここまでの色彩、見なかったな。


皆さま、いろいろご心配おかけしました。

ブログ更新がなくて気にかけて下さった方たちが

この数日、連絡くれたりしました。


発熱は40℃でも慣れているけど、、、

あーいう、ベッドから起きれず、食事もできん、、

そういう状況もまた辛いものです。


あれから少しずつ良くなっています。

数日後に、また抗がん剤なんで微妙、、(/ω\)


食事も出来てますし、、量はいつもの三分の一?かな。

でも、食べられるだけマシ!嬉しいです。


ハマチのカマ、焼ける匂いにお腹がなりました。

美味しかったなあ。。(泣)


体重、勇気出して計ったら、、三キロも落ちてたし。

足は無残に細くなり、象の足。シワシワ。

腕も、、シワシワ、、(ToT)/~~~

顔はゲッソリ。鬼ババアみたいよ。


一週間前、三キロ太った、と喜んでいたのに、

あっという間に落ちるよねえ、、


電話の声が力でないので弱弱しくて、、

母親が心配しちゃって、、時々忘れてるが(笑)


一緒に頑張ろうね!と、生まれて初めて言われた!

そんなポジティブな声掛け、絶対言わない母が、、

怖い〜〜。でも、、翌日はまた暴力的態度だった(笑)


昨日はすっごく暑い日でしたね。

無謀かな、と思ったけど、、もう家にいたくなくて

お月謝も払っていないので、、

電車に乗って、スタジオへ行きました。


もう、、暑さと貧血でフラフラ歩いてるから、

後ろから来る人が、何だコイツ、ってよけて通る。


一人でランチもしたよ。

もう自分の作るもの食べたくないなあ、って。。


サラダビュッフェでお野菜いっぱい食べたし、

ちょっとエスニックなランチ食べました。


サラダでお腹がいっぱいになりましたが、、

頑張って食べた〜。美味しかったよ〜〜。

生き返ったああ。


生き返ると言えば、、、不思議なのですが、、

スタジオに行くと、なんか急に普通に元気になる。

気が通る、っていうのでしょうか?


この日も見学させて頂いたんですが。。。

先生の変わらぬ熱気と、皆の汗ほとばしる真剣さに

私の背中もピシッと!


スタジオに住もうかな(笑)。寝袋もってきて。。

それぐらい、ダルさが消えるんですよね。


こういう場があって良かったな、と思う。

一番年長のお姉さまが、、私の方を向いては

ニコニコ笑って踊ってました。


(彼女、駅の長い階段をひとり、走りあがった!)

(私はエレベーター。エスカレーターも無理。。)


早く、ちゃんと踊れるといいなあ。。


て感じで、、出歩けるほど復活しました。

この先のことはわかりませんが。


いろいろ予定も入ってきたし。

お誘いもあるし。

お待たせの約束も何件もあるし、、


お楽しみをたくさん作ろう〜。

ドタキャン、ありきですが。。


実家周りは、サミットの取り締まりで大変みたい。

(一週間前から、いろいろ不便、と言ってた。)


昨日はバイデン大統領が岩国から入ったしね。

ゼレンスキーも来るみたいね。


概ね、歓迎モードのメディアですが。。

私はなんか釈然としません。


猿之助さんの騒動で半分かき消されてるけど。

いや、しかし。ビックリしましたね。


彼のスーパー歌舞伎、何度も楽しませてもらった。

大好きだったんですよ。。

歌舞伎界のエースであることに間違いはない。

されど、、いろいろ複雑ですね。。


いろんな闇が地上に出てくる、そういう時期かなあ。

ジャニーズ問題とかね。

時代の変わり目。。そう、それは個人個人も同じで。


自分を見失わず、今できることを淡々とやっていこう。

きっと、そのうちふうっ!と一呼吸つける日がくるはず。


絶不調。 [2023年05月16日(Tue)]


前回のブログから一週間経ってしまった〜。


水曜は紛失した郵貯カードの再発行に行ったけど、、

印鑑も住所も違ってて。一時間もかかってしまった。

でも職員さんたち、とても優しくて。ありがたい。

ちょっとふらついていたが、、まだ元気だった。


木曜は、、今週こそはフラメンコ行くぞ!と。

カメコさんとお茶の約束までしていたのに。。


朝食後、眠くて眠くて、、ハッと起きたら。。

もう待ち合わせ時間も過ぎようとしていて(@_@)。

支度してもレッスン、、大遅刻、、てことでやめた。


実家での疲れ残ってるなあ、、と思ってたんだけど。

金曜もひたすら睡眠。。


が、、体調が激変。起きあがれなくなった。。

そして食べられなくなり(泣)(泣)


錠剤の抗がん剤を一週間飲まなくてはいけなくて。

そのためには食事しないとなんです。


一昨日は、夜中の0時過ぎ、一大決心して、、

菓子パンを1/3かじって、イチゴ二個食べて、薬飲んだ。


昨日なんてみかんゼリーのみ。本当に食べたくない。

肉もダメ、、ステーキもだめ。


もうキツくて辛くてしんどくてね。

ベッドに横たわっているのに、苦しい。24時間。



抗がん剤の副作用、これまで感じたことなかったけど、

蕁麻疹や血小板減少はありますが。。


三週間ぶりでやったからダメージあったかな。。

こんなに辛いならもうやりたくない(泣)(泣)(泣)


四日間顔も洗ってないよ、、歯は洗ってる!


今日スイカ食べたいかも、と思って。

着替えて頑張って歩いて、、

貧血で途中何度も道でうずくまって歩けず。。


おまけにバッグをショッピングカートにかけたまま

スイカだけ持ち帰ろうとして、(意識飛んでる。)

知らない人が声かけてくれて助かりました、、ヤバ。


今日は38℃あるし、、もうお手上げです〜。

あんなに元気だったのに、、


ブログ更新してないから、と心配してくれたようで、

カメコさんから連絡もらって、嬉しかったよ。

辛すぎてそう言えば、誰にも連絡出来んかった〜。


錠剤の抗がん剤、今日で飲み終わるので、、

明日から期待する。


ちいさいラッキーの積み重ね。 [2023年05月09日(Tue)]
IMG_20230509_140216.jpg



抗がん剤治療の整理番号。

なかなかのラッキーナンバー。


採血結果、べりーぐーーー!でした。予想通り。

先生が、私を見て。三週間前の顔と全然違う!と。


同じ人に見えないよ、って。

体調で顔がすごく変わる人なんだねえ、と。


前回の診察、この人大丈夫かいな、と思ったらしい。

うん、そんな顔で私を見てた〜(笑)。


前日、号泣する母を部屋に残し、、空港へ。

あんなに泣くのは初めて。玄関まで聴こえた!


東京に着いてから、ツキがあるような気がする。

例えば、、リムジンバスも早く到着。お腹空き空き、

バス停そばのイタリアンでパスタ食べたんだけど。

(サルシッチョ、ルッコラ、トマト)、


最後辺りで、アルミ箔みたいな小さいのが出てきて、

言えばデザートくれるかな、と思ったら、、


そしたらば、偉い人まで出てきて平謝り。

いや、大丈夫です、と伝えたのだが、、


なんとパスタ作り直してもう一回出てきた〜!!

嬉しいけれど、、腹一杯なんですけど〜。

げっぷげっぷと食べましたけどね(^_^;)。。


そしたら! デザートもやってきたではないですか。

美味しい紅茶も。。(@_@;)!!


サービス良すぎてナンダか、、恐縮もんですよ。

レジに行ったら、シェフが厨房から出てきて平謝り。

そしてトドメ、、お安くしてくれた、、

元々、コスパ高めの安いランチなのに。


ついてるかも?と勘違いしてしまったわたくし。

帰り、、今日はついてるし、と。。


買ってしまったドリームジャンボ!(^_^;)。

こうご期待〜!


が!!!!!

ここからが、、アッチッチなお知らせでございます。。

話は昨日の「抗がん剤治療」に戻ります。


一番強い抗がん剤の点滴の最後あたり、

痒みが出てきて、手のひらと両足の膝裏に蕁麻疹。

一応伝えたら、それだけで結構な騒ぎになり、、


当直の先生が来られて診察、、

ステロイド入った副作用止めの点滴が始まり。

結局、点滴室だけで、6時間半いたよ〜(~_~;)。


大学病院には結局11時間の滞在っすよ。


まだある!ツキとは真反対の事件。

真っ暗な本館で支払いしようと思ったら、、


財銀行と郵貯のキャッシュカードがない!!!

財布のカードポケットが緩んでたからな。

どっかで落ちたのだと思う。。(@_@;)ショック。


家に帰って、カード二枚、急いで電話で止めたけど。

もうがっくりよ。もう記憶はたどれない、、

再発行するよ〜(泣)。ばかばか。


副作用止めの点滴に眠くなる作用も入ってるらしく、、

もう眠たくて眠たくて。

帰りが遅い、と泣いて留守電残してた母に連絡、、


ごはん食べ終わったのが22時40分。

疲れすぎました、、


小さなツキを積み重ねていこう!って思ってたけど。

私の人生、その反動のほうがデカいと忘れてた。


今日は、、15年使ってたコートハンガーが倒れて。

土台が割れて、重石の砂が粉砕、部屋が凄いことに!


な〜んてこと!!ツイてないぜ!!全然(泣)。。


長ーーーい、一週間。メモ。 [2023年05月06日(Sat)]


簡潔に。メモ。自分のために。


あの後、母のせん妄状態は加速。
夜中に朝に昼に夕に電話かけまくってきた母から、
ぷっつり電話が途絶え、それがまた違う意味で恐怖。

入院4日目だったかな。どういう状態なのか全く不明。



5日目。なんと。
病院側より、本人が暴れて?ワケわからん状態に?
とにかく手に終えないから、
(コロナ体制で)ご家族は患者に面会は出来ないことになってるが、
ちょっと来て欲しいとの連絡。



すぐに姉達が駆けつけたが、ものすごくビックリした母親。
家族の前では落ち着いて、普通の会話が出来ていた。
私もLINE電話で顔を見ながら話も出来たし。

「早く帰りなさい、大丈夫だから。」
という気遣いも見せていたようだ。

姉によると、でもちょっとおかしな事も言っていた、と。

看護師さん曰く、ベッドから逃げようとするので危ないですし、
ベッドに母を固定?したいとの許可を求められたと。

それをやると完全に気がふれてしまうので、やめて欲しい、
それで怪我をしても病院側に責任をとわない?と、
姉はやむを得ず伝えたらしい。



が。その後がより大変でした。

夜中に再び何度も電話をしてきて、、

「助けて〜!早く来て!お前はなにしてる!」と。

大きな手が追いかけてくる、
部屋の隅にたくさん人がいてこっち見て笑ってる、
黒いモヤモヤが壁からいっぱい沸いてくる、みたいな感じです。

そばにいてあげてあげたいけど、、、
それも出来ない状況に胸が詰まる。



私は何日も眠れない状態で、自律神経が、、
交感神経24時間発動中。きっと母親も同じ。
夜も昼も寝ていないはず。

本当にキツかった。



入院して丸一週間。下血の処置は済んでいるけど、
便に血が混じっていないかを確認するまでは
母を退院させられないと。

けれど今の母親には、便が出た → ナースを呼ぶ、という
当たり前に出来そうな事がもう無理。ウンチを流してしまう。

ギリギリのラインまで精神状態はきていて。発狂寸前。

早朝、タクシーで帰る!と病室を出ようとし、家にも電話が。

困り果てた病院側。もうどうぞ、退院なさってください、と。
相当大変だったと思われる。。

迎えにきた家族を見て嬉しそうにしていたと。
荷物はキレイに自分でまとめられていたそうだ。



一週間、ベッドにいたので、普通ならかなりのダメージ。
歩けなくなっていてもおかしくない。
けれど母は自分の部屋にそそくさと入り、
いろんな所をチェックし始め、驚くぐらい健脚だったと。

どんだけスゲー婆さんだ。。



同日午後。ヨキータ到着。母の部屋で、、
ますます痩せ細った母を見て抱きついた。

「お母さん!帰ってきたよ!遅くなってごめんね。
帰ってこれて良かったね!おめでとうね。」

母は戸惑いつつも、私の背中に手を回して、ありがとう、と。



この日。母の緊張は全くといっていいほど取れていなかった。
いつもなら午後は長い昼寝をするんだけど。全く寝る気配なし。

目が血走っていてスゴい形相でどこかを見ている。
ほら、また黒いモヤモヤがいっぱい沸いてきたよ、と、
両手でそれを必死に掴もうとする。

絨毯には何も落ちていないしキレイなのに。
黒いものがいっぱい、と、絨毯をむしって、、
何度も何度も見えない何かを取ろうとする。

或いは、自分の黒いセーターを手に取り、
なんにも付いていないのに、スゴいゴミ!と、
ガムテープで一時間ぐらいペッタンペッタンやってた。。



極めつけは夜。全く寝ようとしない。

24時過ぎてようやくベッドに横たわらせ、
軽いイビキをかいていたように思ったので、、ハア、、と私も。
今夜こそ寝ないと私がやられてしまう!と寝床へ。

が、ゴソゴソする音で目が覚めたら。
まだ一時間もたっていないのに、ベッドに母がいない! 

電気をつけたら、、部屋の隅で、小さくなってしゃがんでいた。
私をみてもわからない。声をかけてもわからない。

お母さん、寒いよ、ベッドで寝ようね!と言っても
私の存在に気づかない。そしてまた幻影が見えるのか、、
誰かがいる、とひどく怯えている。
そして両手で何かを掴もうとしている。

かと思うと、グイっと何かを飲み干す仕草。何度も。

お母さん、大丈夫だよ大丈夫だからね、と
背中をさすって手を握ってみたけど、、
その私の手をグイグイ引き寄せて口に入れようとする。

私は泣きはしないけどね。もう覚悟が出来ているのか。。
思ったよりも動揺していなかったけれど、、切なくて。

可哀想でしょうがなくて、ずっと抱き締めていた。
そして歩けない母を少しずつ移動させ、
一時間かけてベッドに戻し、横たわらせた。
辛くて長ーい、一時間だったよ。

ベッドに入った母は、初めて声をあげ、

「あったかーい!気持ちいい〜!最高。」と言って。
すぐにイビキをかきはじめ、、助かったあ(泣)。




母はその翌朝、9時頃まで熟睡。私も。死んだように寝た!

目覚めた母、もちろん昨夜の事を覚えていない。
ああ、良く寝た!と嬉しそうに朝食をたいらげた。

そしてお昼に行きつけの食堂に行く、と言い張り。
仕方ないから連れていった。
ペロッと日替わり定食を食べ、おかみさんと普通におしゃべり。

帰宅後、また睡眠。夕食も全てペロッとたいらげた!
考えたら、、この日。
黒いモヤモヤは出現しなかったようで。
絨毯を見つめることもなく。




その翌日。

いつも母に寄り添ってくれてるお友達に連絡したらしく。
まだまだ休んでないとダメだよ、と止める私を振り切って、
スーパーに買い物に。しかも3時間ぐらい帰って来なかった!

私は、、抗生剤飲んでいるのに、、とうとう発熱。39℃。
しんどい時に、、迎えに来てくれと、、母。鬼。

スーパーで大買い物して。荷物がスゴい。
おぜんざいを食べて最高に楽しかった〜!と母。

私がちょっとシンドイと言っても。

楽しい一日だったのに、お前の発熱でテンション下がった、
みたいな事を言われ、、(泣)。


驚くべき事にあっという間に母のせん妄状態は終了。
認知はあるのだけど、、全然まし。

オシャレをして外にお出かけすること、人と触れあうこと。
それが母の「生きる」ことの源、なのだと改めて思い知った。


スーパーで買ってきたキルティングの布を裁断し、
介護用トイレを隠すカバーを半日かけて縫い。
トイレが部屋にあるなんて考えたくもない!と。
仕上がったカバーを眺めてニコニコ。

朝、昼、夕食、ものすごい食欲。
美味しい美味しい、最高に幸せ!と。

入院がどれだけ辛かったのだろう、と。

すっかり入院前に戻った母。決して元気だとは言えないし、
当分リハビリも無理かな。。

そして、うちらにいつもの暴言、嫌み、
認知症による思い違いの恨み辛み発言、すっかり戻ってきた。
それでもホッとしてる。
あのまません妄状態続くよりもずっといい。




毎朝、毎夕、「いつ東京に帰るのか。」を聞いてくる。
教えても覚えられないから。

「病気だからここに住めないんだね?私が東京に行こうか?」と。

恐怖のお伺い。ゲロゲロ。考えただけで倒れそう。。

3日で二人とも死ぬぞ。。

ケアマネさんが来られて、一時間お話して。ちょっとびっくり。
これからのリハビリについて母が、
しっかりと脈絡のある自分のプランを述べているのに驚いた。




退院直後に、ヨキちゃんがいてくれて良かった!
スゴいタイミングだったね、と姉。
姉も日々、認知症による母の暴言や罵声に耐えつつ、
毎日美味しい食事を作ってくれている。

が、この母とこうした密な関わりが出来るのは、私だけ。
こういった状況で精神的に負担がかかってくる確率がバカ高い。

私もさ、、今回もかなりの無理してるしさ。
心身の限界はきっと来てる。

でも、、ごはんが美味しすぎて、母と一緒に太り始め。
三キロぐらい増えたかな。お腹がスゴいことに。。

母は退院後、一週間で6、7キロ太った!脅威。

私は連日39℃出てるけど、(抗生剤効かなくなった〜。)
ステーキ食べて、復活してます。

そして、田舎の食材は素晴らしい!

山菜を届けてくれる方がいっぱい。
筍や初めて聞く「こしあぶら」という山菜。


2010-0548.jpg


「こしあぶら」の新芽は栄養価が高く、
特に脂肪や良質のたんぱく質、フラボノイドが多く、
血圧降下などに役立つらしい。おまけにめっちゃ美味しい。

タラの芽より好きだな〜。天ぷらにして食べました。
筍の天ぷらも最高だ〜!

うちの家族、食べることが大好きなので、こういう状況でも
ひたすら美味しいもの食べて笑っている。

明後日、東京へ。。翌日は抗がん剤治療。


母は私がいなくなるので、、落ち込み始めている。

いろんなおもい。 [2023年04月23日(Sun)]
yoko2.jpg


めっちゃ白黒〜(笑)

母に一生懸命何かを伝えたいアタシ。

どんな会話だったんだろうね。


昨夜も午前二時から電話攻撃が始まりました。

丑三つ時の午前二時。。怖いですよ。


白い病室に怯える母からの訴え。

ここから出してくれ〜〜。

ヨキちゃん、きて〜〜〜。


大きな手が追いかけてくる。

入口のところで沢山の人がヒソヒソ言ってる。

怖い、怖い、こわいーーー!!って。

私は何もできません。


大丈夫だよ、大丈夫だよ、お母さん、

もうすぐ東京から帰るからね。待っててね。

恐くないよ、と繰り返すだけしか、、できん。


午前二時から朝6時まで17回の電話がありました。

10分、5分、話を聴いていたら、バシッと切られて

また5分後にかけてきて、助けて!と泣き叫ぶ。


私、二日続けてほぼ不眠です。。。

抗がん剤飲んでるのに大丈夫か?(;・∀・)


ここは別荘、と言い張るんですが、、

誰かが閉じ込めた、と。。


思い出したことがあります。

10年前に手術をした私が8人部屋に数か月いた頃。

私以外はほぼ高齢者。しかも痴呆気味の。

昼だろうが、夜中だろうがエンターテイメント。


ほぼ毎日、夜中に火災警報発令中!と叫びだして。

火事です!火事です!とナースに連れていかれるまで

警報を叫んでいたおばあちゃん。


そして、私の隣のベッドには強烈なバアチャンが。

ココは私の別荘なのに!様子がおかしい、、

と、看護師を呼びつけ、、

「アンタか!私の別荘を畳から床にしたのは!」と

怒鳴りつけ、暴れようとするので、、、

とうとうそのベッドの周り、柵でおおわれてしまった。


病室って、、別荘と認知する人が多いのかな。

火災警報しかり。その人の人生がどこかで交わるのか。


めっちゃくちゃな母親の話を聴いてると、、

なるほど、一貫性があって、、、

理性ではないところの、母の人生が垣間見える気が。


どんだけ母になじられて、強烈な言葉かけられても

それでも母の事が一番大事で、、愛おしい。


少しでも楽にしてあげたい、そう思って電話に出る。

それと、、情とは別の部分で。


そういう人間の追い詰められた時の、、

人間の真理が知りたいというか。。


めっちゃマニアックな私に呆れるけど(笑)

根源のところを知りたい気持ちがあるんです。

だから、多分ですが、、

真夜中の怖ーい電話も聞いていられる。


私はどこまで対応できるんだろう、

どこまでスキルを構築してきたんだろう、

どこが限界なんだろう、、


そんなこと考えたりする自分にハッとする。

私にも限界はもちろんあるし、、

無理することはできないけど、、


人間の奥の奥を探求するのが好きなんだと思う。

この家族、この人生、確かに存在する。

でもそれは、、私にとって深刻なものではなく。

与えられた一つのケース、に過ぎない。

この数年、そんな風に思ってる。


20数年前、人生につまづいた私は、、

心理学を勉強しに東京へ行く!と、、

突然、母に告げた。


そんなこと、わが家では絶対に許されない案件。

それまで三年ぐらい、母と口がきけなかった。

辛くて辛くて、本当に死んでしまいたかった時期。


でも、、突然の申し入れに、、

母は黙って、OKを出してくれた。


自分の人生をいろいろ考えていくのが

心理学か?と、母が私に言った。


あの瞬間を絶対に忘れられない。

今でも泣きそうであります。


そんな母に本当に感謝しています。

一人で苦労してあの時代に4人を育てあげた。


みんながそれぞれ親不孝だけど。(笑)

でも、私以外は健康で頑張って生きている。

母のおかげだと思っています。


昨日は母の若いお友達が、、

母と長電話してくれました。


友人との電話の後、母はウソのように快活で

ゴキゲンで、全く普通の会話をしていました。


彼女が看護師さん、というのも大きいと思うけど

でも、アクティブリスニングが出来る人はスゴイ、

昨日は心底思いました。


そういう事含め、いろいろ、話も出来て。

私にとっても勉強になります。ありがとう。


「昨夜はヨキちゃんを寝かせなかったからね、

今夜は寝なさいね、電話しないからね!」


と、優しく言っていた母でしたが、、あれれ。

三時間後、、恐怖のテレフォンは始まった(笑)


ヘルプミー!!!

日食のダメージ。スゴすぎる。 [2023年04月22日(Sat)]
IMG_20230422_114034.jpg


毎日、スゴイことになっている。。

20日の新月&日食、すごそうだなあ、、と

嫌な予感はしていたけど。

モロに来た〜〜( ゚Д゚)


抗がん剤の副作用もいつものように全くなく。

20日はフラメンコ行けるな、と思ってたのだが、、


母親が救急車で運ばれて、、緊急入院。

姉が手続きなどしてくれてるけれど、

母の細かい内容は私の方が詳しいので、、、


市役所にも連絡して、ケアマネさんと連絡とったり。

事業所の名前とか変わっちゃってて。。


夏のような暑さだったが、電話ある度に道でとまって

いろいろ用事済ませたりして、、

フラメンコは大遅刻。


レッスンはもう二か月近く?ぶりで

ワケわからんが、でもまあ行って良かった。


母は貧血がひどく、輸血処置して、

本来の下血に関しては翌日に、、と。


あの大腸検査に今の母が耐えられるか?

かなり心配だったけど、、、仕方ない。


翌朝は朝の4時半ごろから電話かかってきて、、、

辛い、苦しい、と、、(/ω\)、、

二リットルのあの下剤ドリンク、飲むのも大変だ。

かわいそうすぎる。。弱り切った母が、、(泣)


睡眠不足のまま、私は大腸の診察で大学病院。

親子で大腸疾患。。まあ、私のは症状はないけど。


もうフラフラ、私も輸血が必要なぐらいの貧血で。。


家に帰ってからも座っていられなくて、、、

ずーーっとベッドの上。しんどかった。。


でも本当の地獄はそこからでしたわ。。


夜20時〜、何度も母から電話あったが、

(いざという時は私に頼るしかない母。。)


歯が痛い、眠れるか心配、というまだ普通な感じで。

私も今日こそは寝なければ、と思ったけど、、

それは叶わぬ夢でした(*´Д`)。。


その後、午前2時!から、8分おきに!

母からの半狂乱の電話がかかってきて、、


息が出来ない、苦しい、喉が痛い、死にそう!

苦しい、死ぬ、足も痛い、と泣き叫んでるんです。


暗くて怖い、と電気を探しているので危ないと思って、

ナースコール押すように言って、電話代わってもらい。


電気どこにあるかわからないのに歩こうとするから

危ないので電気付けてあげてください、

そうお願いしたんだけど、、、


ま、母親はきっと何度もナースコール押してるだろうし、

看護師さんもちょっと、冷ややかな声。

夜勤さん、すみません、、、


それからも8分おきの電話、、、

午前3時過ぎまで何度も何度も電話かかって、

そのたびにナースコールも押すもんだから、大変。


苦しい、息が出来ないとハアハア言って、

「娘と話して!」と、、もう何回看護師と喋ったか。


「酸素飽和度は正常なので。」との事だが、、

「患者は神経高ぶってるし、検査のストレスや

普段から喉の痛みや足の痛み、お尻の痛みがあるし、

たぶん数値以上に辛い感覚なんだと思います。

息苦しいと興奮してるので、、お手数ですけど、

眠剤か点滴で眠らせてもらえませんか?」と頼んだ。


看護師さんも大変である。。

本当ならついていてあげたいんだけど。

コロナめ。もういい加減解放してくれ、医療から。


それから私の目もさえて。たぶん母は眠らされて

2時間は電話なかったけど、、午前5時半から再び、、

妄想と雄叫びの電話の嵐、、


殺される〜〜〜。

検査でも鎮静剤で眠らせてもらってるし、

さっきまた眠剤を使用しているので、、

しかも絶食。作用がすごいんだと思う。


90歳前の母親はもう錯乱状態。

妄想の世界です。よくあることです。


「私の大切な部屋の上が落ちてくる〜。

上に何がある?私は今部屋の上におるけど、

怖い恐い、死ぬんだわ。アナタ、ここに来てくれん?」


いや、お母さん、私東京じゃけ〜ね。行けんのんよ。

って言ったが、、わしも東京行く!ここはわしの家、

でも、なんか部屋が落ちてくる〜って。。


もう、どうしようかと思いました(泣)


「あ、カーテンの向こうが明るくなった、

ここは何階なの?下まで降りたい。降りんといけん、

アナタ来れないなら、だれかよこしてちょうだい、

降りないとダメなの。」


って感じで、意味不明。それが朝の6時頃かなあ。

そこから一時間かけて説明をして、、

お母さんがいるところは病院で何度も入院した所、

今日は重湯出るから、それ食べたら元気になって

おうちに戻れるんだよ、だから食べてね、

私も来週岩国だからね、退院したお母さんと

ずっと一緒にいられるから楽しみにしててね。」


みたいなことを何十回も話して、、延々と。

そしたらちょっと落ち着いてきて。

まともになってきたが。それでもやっぱり繰り返し。


電話してくるたびに。。

また妄想の世界へ。。。


朝方は五分おきに電話してきたので、本当大変。

もう私、全然眠れなかった(/ω\)。。。

それよりもかわいそうになって。辛かった。


今日は朝からPCRの検査予約してるから、出かけて。

全く寝ていない状態だったけど、、、


精力つけねば!と会場隣のステーキハウスで肉食べた。

検査場行くと、、ひろーい会場になんと私ひとり。

そうよ、イマドキ誰がコロナを気にしてるって言うんだ。


私の通う大学病院でも相変わらずのコロナ体制。

本当にアホらしい、と思う。

私と同室の高齢者たちもみんな母と同じようだった。


こんな状況の高齢者には家族に付き添わせてほしい、

本当にそう思った。仕方ないけれどね、、


精神的に持たないし、本当に頭が狂って、身体も弱って、

本末転倒なのではないかと思う。。


医療者の皆さま、大変です。お疲れ様です、、

そして私は、、今夜がとても怖いです。。。

きっとまた恐怖の電話がかかってくる、、


姉は、アンタの身体が心配だから電話でなくていいよ、

と言ってくれるのですが、、

半狂乱で夜を過ごす怖さを知っているので。。。

辛いです、それも。。


抗がん剤。ややこしや。 [2023年04月19日(Wed)]
image0_copy_1512x1134.jpg


ネモフィラ!きれいでしょう!


地元の友人が勤めている美容室のエントランス。

毎年この時期はネモフィラ植えるんです。


「今年もキレイに咲いたよ!」ってメールが。


お花はいいよねえ。

青いネモフィラ、本当に好き。


食べ物以外に久々にキレイなもの載せられて(笑)

ちょっと一安心。あはは、、(^▽^;)


さて。昨日は1日、大学病院の日でした。

どうなんでしょう。抗がん剤できるのか。


一昨日、38℃が続いていたので心配だった。

悪寒もあまりない38℃だったので、酷くはなく。

慎重に、休んではいたんだけど。


でも、、案の定、、数値には出ちゃってました。

やっぱ昨日の熱、胆管炎みたいで、、

感染症数値少しだ〜け上がってて。

でも、他の数値がとても良かったので一人で安心。

今日は抗がん剤出来る、って。


が。。思わぬ方向へ。主治医が、、、


「う〜ん。これは相談だけどね、、

今日から抗生剤飲んで、来週抗がん剤やろう。」

と。あわわ、、( ゚Д゚)、、なんでや。


来週、実家に帰るので、、と言ったら、

「こんなに熱出て帰れんの?」って。。

また入院になりかねんよ、って。。


数値がいい日にいつも抗がん剤先送りって。。

あり得んと私は思ってる。


今まで、前日に熱が出てもさ、スルーしてたじゃん。

昨日はとても元気だったし、

感染症の数値も言うほど高くない。


「母親がもう危ないので帰らねば、、

今日やらないと、5月まで出来ないし。そうなると

2か月も抗がん剤空いてしまいます。」


母親を理由付けにしたが、まんざらそれも嘘じゃない。

今、かあちゃん、すごいことになってるので。。


で、しぶしぶ今日、抗がん剤やることに。


主治医は、、ぶっちゃけ会うの1か月ぶりですよ。

会話の中で思ったんだけど、、、

近々の私の状況、全くわかってなかったです。

代行の先生の申し送りも見てないと思う!


入院中はこの病院に移ってきたばかりの新人医師が、

主治医と相談してる、とか言って。

数値良かったのに、抗がん剤せずにその日退院して。


私はそれを突っ込みましたよ、主治医に。

退院の10時間前まで、抗生剤の点滴を1日3回。

それで、サッサと退院させられて、、

てっきり主治医も認知の上だろうし、と思って。

が、退院して3時間後に40℃出たし。


それ伝えたら、主治医、、知らなかったのか

覚えていないのか!!!


「その対応は良くなかったなあ。」で終わり。

結局、みんな忙しすぎて、一人一人のこの数週間、

全く覚えてない。それかスルーしてる。


やっぱ、自分の身体のことは自分が一番わかるし、

自分で見極めるのは大事だな、と思った。


来週の数値次第では抗がん剤出来ない可能性もある。

こんなに高熱が頻繁に出るのだから、もうね、

いつ抗がん剤の日に体調いいのかわからんじゃん。


今日の数値は良かったんだから、やる!

、、と珍しく主張して、、


その代わり、今日から抗生剤飲むことになり。

元気なのにな、、ヤダな、、と思いつつ。

明日はフラメンコ行きたいし、丁度いいかも。

(全く練習してねえが^^こわ。)


今月末まで、抗生剤でひどい熱は出ないかも。。

母の相手するのに、高熱は辛い。。


ま、どうなるかはわかりませんが。。


食欲も全然落ちないし、、

熱以外は、本当に問題ありません。。


神のみぞ、知る!です。



| 次へ