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刈羽村へ見舞金 [2007年09月04日(Tue)]


 中越沖地震で被災された方々へ浦柄町内としても少しばかりの
見舞金を送ることになり、振込先は先般ボランティア活動に行って
きた刈羽村宛てとして手続きが行われました。

中越地震では全国から見舞金が寄せられました。励ましの言葉も
うれしいものの、少し落ち着くとお金の有り難味を身に染みて感じて
います。

被災者にとって生活を再建するための金額は想像を絶するものです。
少しでもお役に立つことを願って復興委員会の会計から捻出し、見舞
金を送りました。
浦柄部隊出動A [2007年08月05日(Sun)]


天気は曇り時々雨の予報の中を浦柄を出発し、刈羽村へ
ボランティア活動にいってきました。

当初12名の予定でしたが、1名増えて車3台に13名体制で
被災地、刈羽村へ、幸いに天気は晴れとなったものの汗ば
む暑さの中での作業でした。

現地で鈴木隆太さんと合流し、民生委員の資格を持つ、井坂
さんは避難所へ他の女性達と慰問に向かい、残り12名は
下高町地区での作業となりました。

下高町の町内会長を訪問し、その後分散して被災した家から
家具や家財道具を運び出す作業の手伝いを5件ほど行いました。

どの家も全壊判定の家屋で、家の中はめちゃくちゃな状態。
築80年という立派な家も一瞬で壊滅的被害を受け、家族の方は
なかなか片づけが進まないと嘆いていました。




ボランティアセンターで受付する浦柄の人達




隆太さんと小杉隊長、やはり迷コンビである。




家の中から家財を運び出す




小杉隊長も一輪車で家財をビニールハウスへ移動




刈羽村ボランティアセンター前で浦柄から参加した面々


参加された浦柄の皆さん、暑い中、大変お疲れ様でした。
皆さん異口同音に「これで少し肩の荷が下りた」と云っておられる
のは本音であろうと思っています。

刈羽村ボランティアセンターに掲示されていた実績表には最も多い
日で318人、少ない日で108人、平均すると200人ちょっとの参加が
記録されていました。

浦柄町内にはこの半分を超える人達が数週間に渡って活動して
くれたことを思うと本当にボランティアは有難いと思っています。
その、恩返しが少しだけでもできたことが今回参加された人達に
満足感を与えたものと思っています。

作業終了後、中越復興事務局長の稲垣さんに挨拶し、無事帰路
につきました。


浦柄部隊出動へ [2007年08月03日(Fri)]

いよいよ、5日(日)に中越沖地震の被災地にボランティア
活動として浦柄の人達が出動することになり、心強いメンバー
が集まりました。

被災地のボランティア活動も峠を越えたと思われますが、先の
中越地震でどれほどの人達に助けられたか身に染みて感じて
いる人達です。

小杉松義さんを隊長に12名で参加する予定です。小杉さんには
まだ隊長の許可を得ていないが、たぶんこの人を置いて隊長に
ふさわしい人はいないと思っています。

なにしろ、浦柄に自衛隊が泥や流木の撤去作業を行ったときに
避難所を離れることのできない町内会長から権限を委譲されて
朝の7時に自衛隊の車両で浦柄に出動し活躍した人です。
その後、多くのボランティア達の案内役として一ヶ月以上に渡って
重責を果たしました。

恐らく、浦柄に関ったボランティア達に最も顔の知られた人で
あろうと思っています。
また、参加する半数以上の人が地震の他に、水害にも見舞われ
ています。

活動場所は刈羽村を予定し、現地で鈴木隆太さんと落ち合う
段取りでいます。





ボランティア活動 [2007年07月29日(Sun)]

昨日、刈羽村に災害ボランティアとして少しばかりの
活動を行ってきました。

朝、ボランティアセンターで隆太さんや上村さんに会い、挨拶も
そこそこに受付を済ませ、いざ初出動ということに

最初は諏訪から来た人と2名で家具を2階から下に下ろす手伝い
を1時間ほどで完了
次に自宅隣の小屋が全壊した家のかわらの撤去作業に新潟から
来た人達と6名で夕方4時頃までの作業を無事完了
以下はその様子です。



刈羽村ボランティアセンターの受付付近




かわらの撤去作業に行った十日地区の被災家屋
自宅は赤紙が貼られ、倒壊は免れたものの危険な
状態であった。
旧家らしく、けや木の6寸角の柱を何ヶ所も見られた
が壁の少ない日本家屋のため甚大な被害を受けた





倒壊した小屋は重機で撤去されたが、跡にかわらが
田んぼと水路に散乱していた。



撤去したかわら、その後重機で処分するとのこと




きれいに撤去作業を終えた水路と田んぼ




家の人はこの赤紙が貼られた自宅に住んでいるとのこと
水道は復旧したがまだ飲料に適していない状態でガスは
当分駄目とのこと。まだまだ、不自由な生活が続くだろう
と思います。
頑張って下さいと声を掛けて初のボランティアを終了しました。

来週は浦柄の人達と訪れる予定です。


中越沖地震支援へ [2007年07月26日(Thu)]

浦柄町内でも中越沖地震で大きな被害を受けた被災地で
災害ボランティア活動することになりました。

日時は8月5日(日)を予定し、これから参加者を募集します。
行く先は刈羽村でボランティアセンターを応援している中越
復興市民会議のスタッフである鈴木隆太さんと連絡を取りな
がら少しでも災害復旧のお手伝いをしようと思っています。

隆太さんの話では被災住民のニーズは日々変化しているが
8月5日はまだ十分に人手を必要としているであろうとのこと
です。

それにしても暑くてもいいから、早く梅雨が明けないかと願って
います。もう7月も終わるというのにじめじめした日が続き、
避難所生活、あるいは自宅に戻った人もガスが復旧していない
地域が多いときくと生活が落ち着くのはまだ先のことでしょう。

我々がボランティアとしてできる仕事は後片付け程度と思われ、
たぶんお年寄り達の話相手などは無理であろうと思っています。
それは話し相手になっても、そのうち自分の体験談ばかりを
しゃべってしまう恐れがあるからです。