「さかなクン」が教えてくれたこと [2011年03月03日(Thu)]
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捕鯨の町として知られる和歌山県太地町で昨年9月から
行われてきた今期イルカ漁が先月26日に終わりました。 漁期直前にはイルカ漁を批判的に描いた米映画が公開され 太地町では、シー・シェパード等の反捕鯨団体による 漁の「常駐監視」が今も続いており、捕鯨の是非をめぐる 対立は埋まらないままでしたが、漁が終わったことで 町にはひとまず安堵が広がっているようです。 我が国の領海内(沿岸域)で行われ、国際捕鯨委員会の対象と なっていない鯨類を小規模漁獲する伝統の太地町イルカ漁までもが 反捕鯨活動のターゲットになったことが、私にとっては 非常にショッキングでした。 一方で、私も、小笠原や御蔵島などで多くのイルカに出会い 一緒に泳いだ経験から、彼等の可愛さや賢さ、そして人を「癒す」 ような不思議な力は十分に理解しています。ですから、反対では ないものの、イルカ漁に対しては複雑な気持ちがあったのも事実 でした。 しかし、先日「さかなクン」にお会いした際に、こんな話を伺い イルカもクジラもタコも「自然の命を頂くことに変わりはない」 ということに改めて気付かされました。 ≪談:さかなクン≫ 「僕がお魚にのめり込んだきっかけは、タコです。 魚屋さんにお願いして、初めて生きているタコを見せてもらった時は 可愛くて、不思議でいつまでも眺めていたいと思いました。 何だか、お互いの気持ちが通じ合うような気さえしました。 でも、魚屋さんだから、最後は食べちゃう。 もちろん、可哀想という気持ちもありましたが、食べてみると それはそれは美味しかった。 どんなお魚も、よく見てよく知れば、みんな美しく・可愛く・気高い存在。 だからこそ、その命を頂くときは、無駄なく・美味しく・感謝して 大切に頂くんです。」 |





イルカ漁が「まるで悪」のようなバッシング報道が世界を飛びかった時には驚きました。
50年位前には私の家の稼業は「漁師」で、夏はイカ漁、それ以外は突きん棒漁でイルカを大海原で追いかけていました。
イルカを食べるのが当たり前の生活環境で育った者には義憤にも似た感情を持ちました。
私たち漁師の家庭では、イルカは内臓まで全てをいただいておりました。
今、こうして生活しているのもイカ漁やイルカ漁のおかげですし、高校までの学費も自分も船に乗って漁をして得た貴重なお金でまかなっていました。
今全世界の食べ物は日本で買える
クジラ肉は又クジラかと思いながら食べた。ベーコンは噛んでも中々減らず、肉はぱさぱさして美味くなく、肝油くらいか。クジラの役目は終わった。少しほったらかしにして数増やし、又必要な時季が来る。その時まで。
さすがさかなクンですね。
「だからこそ、その命を頂くときは、無駄なく・美味しく・感謝して
大切に頂くんです。」
感動しました。
基本なんでしょうが、
日々の習慣になってしまうと忘れがちになってしまう”いただきます”の本当の心を忘れないようにしないといけませんね。
今日から早速”いただきます”にありがとうの気持ちを込めてご飯を頂きたいと思います。
ふれあい、肌で感じて、心で伝える。
さかなクンはみんなの大好きな先生です。ありがとう。
そして、ブログに載せてくれた事務局のスタッフさん、ありがとうございました。
失礼しました。
おかげさまで元気でいられますありがとう
鯨やイルカの捕獲に反対する団体さんも豚、牛、鶏、その他、クジラやイルカを除く動植物を頂いて生かされていのに、なぜ日本の捕鯨調査活動に反対し、非難するのか、理解できません。
だから、毎食「いただきます」と、感謝の祈りをこめ、いただき、生かされています。
なのに、文化の違いで、イルカや鯨を捕獲してはいけないと、避難されなければいけないのか、です。疑問を感じている一人です。