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2019年03月14日

かあさんの家とお別れ

義父が楽しく暮らしたかあさんの家と2019年2月25日お別れしました。

思い起こせば・・・15年前、義父の「?」な行動が度を越して家族はどう接していいのかわからなくなりました。

今迄できていた着替えや料理やゴミ捨てなどまったくできなくなり「着替えようよ」と言っても全てを拒否する義父。
認知症と家族の会の吉村さんとの出会いは大きく、初めて家族として抱えている辛い思いを話せ涙しました。そして義父の汚れた下着にはさみを入れ何か月ぶりにお風呂に入れてくださいました。また専門医への紹介も。
まだ認知症が世間に浸透していない頃で、嫌がる(不安がる)義父を健康診断だといい半年予約待ちで受診。
ドクターからその場で「認知症です」と言われ、家族はショック!と安堵!
それから介護認定を受けケアマネとの契約
翌日からデイケアにお着換え持参で通う日々。昼だけでも皆さんと一緒にお弁当を食べ家族はホッとしました。
アリセプトと言う薬を処方してもらい元気は出てきましたが段々と自分のことができなくなっていく義父。
ただ自宅で一人で暮らすことをこだわる父
その父を「認知症と家族の会」の吉村さんをはじめスタッフの皆さんの連携により見事にサポートしてくださいました。
朝ごはんから夕ご飯まで、そして晩酌も付き合ってくださりお風呂もいただいて自宅で寝るだけの状態で連れ帰ってもらう生活。
昼間は小規模多機能の施設に通いながらずいぶんと長い間一人暮らしができました。

慣れてきた頃、家族が着替えを持参したら真っ赤な顔をしているのを吉村さんが気づき、「すぐに病院に連れて行きなさい」の指示。病院につく頃には体が崩れそのままタンカーで運ばれ、脳梗塞と診断。すぐに点滴治療を始めましたが、失語症と右半身麻痺の後遺症は大きく、4ヶ月のリハビリをがんばりましが、元に戻ることはできませんでした。
この状態で我が家に受け入れることも考えましたが、難しく・・・
子育てしながら病院に一日3回着替え持参で通い、休日は施設探しに旦那と2人心身ともに限界でした。

退院まであと2週間しかない焦りの中、宮崎ホームホスピスの市原さんが「かあさんの家」に来なさい!と・・・

部屋が空いてないなかで「どうにかなるわよ」と受け入れてくださり、家族は頼めるところがここしかない状態で退院後そのままおねがいすることになりました。
看病で疲れ切った私は大泣きしました。

あれだけこだわっていた一人暮らしは嘘のように
義父は前から暮らしていたかのように
かあさんの家が自分の家のように
すぐに入所者の方々とも打ち解け、毎日三食あたたかいご飯を皆さんと一緒に食べ、麻痺していない左手でお箸までつかえるようになりました。
毎日、朝から夜まで、たまに夜中までスタッフが話に付き合ってくださり、家族が知らない話をスタッフから伺いびっくりしました。
だって‥脳梗塞の後遺症による失語症で会話がうまくできないんです。
どれだけスタッフが話を聴き、コミュニケーションを取られていたのか
もし一緒に暮したとしても、家族はここまでケアは出来ないと心から思いました。
家族として、嫁として義父を預ける事に罪悪感がゼロになることはありませんでしたが、自分の病気で長期入院しゆっくり体に向き合え、当時出来なかった我が子達の事もできることに
市原さんをはじめかあさんの家のスタッフの皆さん、関係者の方々に感謝するばかりでした。

つい3週間前、義父は高熱のインフルエンザになりました。熱が下がらず主治医が入院の指示
インフルエンザは治り点滴はあるものの、食欲もあり完食。大きな声を出す義父に看護師さんはびっくりしていました。
ただ熱が下がりきれず、嚥下性肺炎と診断。
3日ほど食事が取れずぐったり
私が週末出張の為 金曜日、家族でお見舞いに!
「来週かあさんの家に帰るよ!」って言うと
義父はベットの上で大きな深呼吸をし、目がウルウルしていました。

そして日曜日
静岡から見舞いに来た次男と長男の旦那が病院に行くと
来週からかあさんの家に帰る準備で市原さんも見えられました。

えっ?その日に血圧がどんどん下がり始め‥‥
かあさんの家に入居して12年
90歳 2019年2月24日 
大満足の人生の幕を閉じました。最後の夜はかあさんの家に帰りました。

義父にかわり
こころからみなさまにお礼申し上げます。

こちらを旅立ち寂しいぐらい静かになりました。
あちらは、相変わらず
「バカ〜〜(^^)」と大きな声で
そしてあちゃこちゃ触り、
大好きなお酒とうまか棒を食べていると思います。

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ほんとうにありがとうこざいました。