日本財団の東日本大震災活動記録
東日本大震災6ヶ月の活動記録
日本財団
夕方仕事から帰ってきたら郵便ポストに日本財団からの郵便物がありました。封を切ってみると東日本大震災の活動記録が入っていました。ぱらぱらとめくって気になったところを読ませてもらいました。当時、日本財団の皆さんの支援活動の早さには驚きでした。
私も被災状況を報道で知り、何かできる支援をと思っていましたが立場上職場を離れるわけにも行かず、僅かばかりの小銭募金をあちこち振り込んでいました。そんな時、義捐金と支援金があることを知り、日本財団が支援金を現地で配ってると知り、早速カ−ド決済で送らせていただきました。
私はといえば・・・
3月11日地震災発生時、新潟ユニゾンプラザで県社協、福祉人材センタ-の会議に新潟県知的障害者福祉協会の代表ということで出席していました。
会議も終盤、もうすぐ終わりそうな頃でした。一瞬、目眩のようなものを感じ、その後は今まで感じたこともない長振幅の揺れが長く続きました。会議室の中も地震だ!と誰かが言い出しました。私は持っていた携帯のテレビを隣の席の県老施協会長の近藤さんと一緒覗き込みました。震源が東北地方とわかりすぐに仙台市内の大学に通う長男に電話しましたがすでに通じませんでした。その後、職場に電話するも繋がらずメ−ルを入れました。参加者の皆さんも職場の様子が心配だ、という事でユニゾンプラザを後にしました。
帰路に施設へ一度携帯メ−ルが繋がり安全は確認できましたが、ケアホ−ムの安全確認に職員が向かった報告を受けました。関連の施設の被害は無いことが確認でき7時前に帰宅しました。9時すぎ長男より無事と電話が入り安堵しました。
それから数日経過、災害支援や募金が本格化しましたが、私は13日の夜に山形駅まで戻ってきた長男を7時間かけて迎えに行ってきました。長男のゼミの留学生は皆、一旦母国に戻ってしまったとのことでした。長男は丁度、地震の10日ほど前まで実習で東海原発等を見学したり燃料棒なども実際見てきたとの事で多少知識がある分、原発事故を恐れてました。
そういえば、今日のニュ−スで福島第1原子力発電所の吉田所長が体調を壊さ退任されるとの事、第1線で陣頭指揮を執り頑張ってこられ頭が下がります。早期のご回復をお祈り致します。
その後は、地元のS県議が泥上げボランティア募集などもしており参加も考えたのですが、昨年2月に脊柱管狭窄症でOPをして、チタンのボルトで腰椎を固定しているのでいまいち重労働の作業に不安があり決断できないで今日至ってしまい、心残りがあります。
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