劉伯の息子はその後、劉伯が実家に数日帰ってくることに同意した。
チュンランらは春節(旧正月)のときに劉伯と共に「帰航 [Gui Hang](里帰り)」をすることに決め、準備を始めた。
11月1-2日、チュンランは村人に頼まれていた漢方薬を持ってピンシャン村にいく。
そして、劉伯をいつものように訪ねた。
そのとき劉伯はチュンランに言った、
「息子はまたおれに帰ってくるなと言っている」。
チュンランは今、この問題をどうしたらよいかで悩んでいる。
2008年11月02日
帰航 [Gui Hang] ―ハンセン病快復者の里帰りの旅 (3)
posted by tynoon at 12:03| ハンセン病快復者の里帰りの旅
2008年10月02日
帰航 [Gui Hang] ―ハンセン病快復者の里帰りの旅 (2)
チュンランら3名の桂林のキャンパーは10月の国慶節、劉伯の実家を訪ねていく。
劉伯の家族は、劉伯が実家に帰ってくることに対してかたくなに反対している。
チュンランは何とか説得するために、家族に会いに行く。
やっとのことで会う約束をすることができた。
しかし、待ち合わせ時間を過ぎても家族はやってこない。
チュンランは家族の携帯電話に電話をかける。
野太い声で家族の人はチュンランらにもう少し待っているようにいう。
それでもなかなか家族は現れない。
そのうち家族の携帯は電源がオフになってしまった。
雨が降ってきた。
もう待ち合わせ時間を2時間過ぎた。
…もしかしたら、家族はわざと待ち合わせ場所に来ないのかもしれない。
チュンランは劉伯の話をもとに町の人々に尋ね回って、劉伯の実家を探す。
雨の中をさまようこと数時間、ついに実家を見つけた。
「ごめんなさいね…」。
野太い声の主はおばさんだった。
劉伯の息子の奥さんだ。
おばさんは待ち合わせ場所に向う途中、携帯の電源が切れてしまい、チュンランをみつけることができなかったという。
意外にも暖かい歓迎ムードなので、チュンランはちょっと拍子抜けする。
もっと険悪な雰囲気を勝手に想像していた。
劉伯の息子も笑顔で家に帰ってきた。
病院に行っていたという。
チュンランらがよく話を聴いてみると、劉伯の息子は癌を病んでいるという。
それを劉伯に知られたくないため、息子は父である劉伯に「帰ってくれるな」と念を押した。
もし劉伯が息子の癌のことを知ったら、劉伯の悩みがまたひとつ増えてしまう。
息子はそれを心配しているのだった。
劉伯の家族は、劉伯が実家に帰ってくることに対してかたくなに反対している。
チュンランは何とか説得するために、家族に会いに行く。
やっとのことで会う約束をすることができた。
しかし、待ち合わせ時間を過ぎても家族はやってこない。
チュンランは家族の携帯電話に電話をかける。
野太い声で家族の人はチュンランらにもう少し待っているようにいう。
それでもなかなか家族は現れない。
そのうち家族の携帯は電源がオフになってしまった。
雨が降ってきた。
もう待ち合わせ時間を2時間過ぎた。
…もしかしたら、家族はわざと待ち合わせ場所に来ないのかもしれない。
チュンランは劉伯の話をもとに町の人々に尋ね回って、劉伯の実家を探す。
雨の中をさまようこと数時間、ついに実家を見つけた。
「ごめんなさいね…」。
野太い声の主はおばさんだった。
劉伯の息子の奥さんだ。
おばさんは待ち合わせ場所に向う途中、携帯の電源が切れてしまい、チュンランをみつけることができなかったという。
意外にも暖かい歓迎ムードなので、チュンランはちょっと拍子抜けする。
もっと険悪な雰囲気を勝手に想像していた。
劉伯の息子も笑顔で家に帰ってきた。
病院に行っていたという。
チュンランらがよく話を聴いてみると、劉伯の息子は癌を病んでいるという。
それを劉伯に知られたくないため、息子は父である劉伯に「帰ってくれるな」と念を押した。
もし劉伯が息子の癌のことを知ったら、劉伯の悩みがまたひとつ増えてしまう。
息子はそれを心配しているのだった。
posted by tynoon at 11:40| ハンセン病快復者の里帰りの旅
2008年09月18日
帰航 [Gui Hang] ―ハンセン病快復者の里帰りの旅(1)
帰航 [Gui Hang] ―ハンセン病快復者の里帰りの旅
人、それは一艘の船のようなもの。人生の海を航海し、漂白する。ピンシャン村の村人は人生の海を数十年も航海した船のようだ。この長い長い旅の途上、彼らは大風や大波の衝撃を受け、いくたびも幻想にまみえ、どうしようもない状況や凄惨な苦しみを経験した。
残酷な現実は彼らの里帰りへの渇望を無に帰し、自分の故郷の港へとはたどり着けなくさせている…。
今日、僕たちは彼らのために満満と帆を揚げて彼らと故郷へ向けて出発する!僕たちが踏み出す一歩一歩は確実に村人を故郷へと向わせる航海線だ。この船を安全に、順調に向こう岸にたどり着かせるため、僕たちは一歩一歩に気をつけて、慎重に進んでいく。
黄色い枯れ葉が秋風にひゅうひゅうと舞い、そして木の根元に戻っていく。人はみなひとつの帰るべきところがあるんだ。その人がどこにいようとも、彼を産み、彼をはぐくんだ土こそが魂の帰るべき場所だ。
荒く、しわだらけの手をとって、20年間閉じ込められていた檻の門を出る。ある種の想いは、人をして不屈の力量をもって苦しみに挑み、打ち勝つことを可能にするんだ。人生の雨風に当たっていくことができる。
どのようであっても、それは躍動する生命だ。僕たちは遺棄することはできない。もし僕たちの少しの力によって、ぼろぼろの生活を送っている人を普通に生活させることができるなら、どうして行動を起こさないでいられるだろうか?
僕たちが少しの努力をすれば、その人の一生を変えられるんだ!
人、それは一艘の船のようなもの。人生の海を航海し、漂白する。ハンセン病快復村に住んでいる村人たちは、すでに人生の海を数十年も航海した船のようだ。ゆっくりと進む途中、船上にはすでにたくさんのたくさんの悲惨な苦しみという過去や辛酸な記憶、人々の冷淡さを積み上げてきた…。年老いて障害を持つ彼らがあの山を越え、あの海を渡る気力を失いかけたそのとき、JIA(家)が彼らの遥かに届かない夢を達成した。
ワークキャンプがやってきて、彼らの生活環境を改善し、彼らと心の底から語り合った。しかし、僕たちが村を離れるとき、村人が心の中で想い続けるのは誰だろうか。僕たちだろうか?僕たちがすべてではない。家族こそ、彼らが心のいちばん底から想う人であり、里帰りこそが彼らの心からの願望だ!村人がずっと願ってきたのは、彼らの家族からの気遣いであり、また彼らの家族から「らい家族」という形のない帽子を取り除くことだ。
里帰りの旅はピンシャン村(桂林)でつづいていく。キャンパーは村人と共に里帰りし、村人の家族に会い、家族となごみ、貴重な時間を共にする。同時にキャンパーは村人と家族との間の架け橋となり、村人が気兼ねなく里帰りするだけでなく、家族と本当に一緒に住み、社会に戻ることを目指す。
(チュンランからのメールより)
――――
桂林医学院で学ぶチュンランは2006年から桂林ピンシャン村の村人の里帰りプロジェクトを続けている。今年9月大学4年になる彼女は授業が増えるので里帰りプロジェクトを後輩に任せて学業に専念することにした。そして夏休みの最後、彼女はピンシャン村を訪ねる。村から戻ると、彼女は次のようなメールをくれた:
「ピンシャン村に戻った5日間の最大の収穫は、私が里帰りプロジェクトをつづけることを決心したこと。私は大学の最後の時間をつかって、ルー伯と劉伯の『帰航』をする。でも、いまの状態ではやり遂げることができないかもしれない。それでも、この半年努力して劉伯の「帰航」をやりたい。いま劉伯の実家を事前に訪ねるための資料を準備しているところ。この二日間はずっとパソコンに向かうことになると思う。もし「帰航」のビデオを編集することのできるパソコンがあったら、私が編集したビデオをもって劉伯の実家を訪ねて、劉伯の息子に見せることができるのに。劉伯の息子に劉伯の心の叫びを聞かせてあげたい。
私から見ると、劉伯は偉大な父親。彼は何度も私に頼んで息子に電話をし、息子がピンシャン村に来て劉伯に会いにくるように言った。それでも、何度も何度も拒絶された。やがて、劉伯は私に言った『おれはいい父親ではない。息子に申し訳ない。ハンセン病を病んだために息子の成長を見守ってやることができなかった。息子に許しを請ってほしい』。劉伯はこうも言った『おれは80歳以上で、残された日々はたいしてない。息子に残してやれるものも何にもない。幾ばくかのカネがあるので、息子がピンシャンに来てくれたときに渡して、彼がの生活の足しにしてやりたい』。劉伯は息子にそう伝えるよう私に頼んだ(劉伯は耳が遠いため、直接電話で話すのは難しい)。
私が劉伯の話を息子に伝えると、彼らはピンシャン村に来てくれた。その後、私が知ったのは、彼らはお金を受け取るとき劉伯にこう言ったということ:『実家には戻ってこないでくれ。ここにいてくれ』。劉伯は私に言った『34年も家に帰っていないんだ。家がどうなっているのかもまったくわからない…。帰りたい。しかし、息子が帰ってくれるなという。やっぱり帰れない。ここにいるしかない』。
だからわたしは劉伯の『帰航』をやりたい。彼が実家に帰れるようにしたい。ピンシャンにはこんなにもたくさんの老いた村人がいる。劉伯はわたしが本当に好きな何人かの村人のうちのひとりなんだ。わたしは小さいころからおじいちゃんがいなかったけれど、劉伯はわたしに祖父の慈愛を経験させてくれた。毎回、ピンシャン村で疲れてもう話をしたくないとき、わたしは劉伯の部屋にいく。劉伯は耳が聞こえないので、わたしも別に話をしない。わたしはただ静かに座って、劉伯がたばこを吸うのをみてる。劉伯の家はわたしがピンシャンでただひとつ静かに休むことのできる場所なんだ。
わたしは劉伯の家族を説得して劉伯が実家に帰れるようにできるかはわからないけれど、力を尽くしてみる。10月の国慶節の休みのとき、わたしは劉伯の実家に行ってみる。家族を説得できればよいのだけれど」。
posted by tynoon at 11:30| ハンセン病快復者の里帰りの旅