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2010年04月06日

南京キャンプ?

FIWC九州委員会の谷之木勤任(ゆきと)が3月から南京に留学している。
彼はいま方々をあたって、南京のハンセン病快復村でワークキャンプを開催しようとしている。

2007年3月、確か大学1年だったゆきとが中国に初めてきたときのことを思い出す。
「小林」と胸に書いてあるジャージを着て、誰かに会うたびに「My name is Yukito」と丁寧に握手をし、素直で少しあどけない笑顔をしてたのが印象的。
ゆきとはあのとき桂林のキャンパーといっしょにハンセン病快復村を下見し、2007年8月にワークキャンプをつくった。
その後、ずっとワークキャンプをつづけ、FIWC九州の委員長にもなった。

すっかりいい男になったゆきと。
キャンプがうまく開催できることを願う…。
posted by tynoon at 12:26| 日本のキャンプ団体

2009年09月27日

FIWC東海委員会復活?

2008年3月にFIWC関西委員会の湖南省ヘク村キャンプに参加した日高将博(ジャンボ)が、名古屋の社会人や学生を率いて9月の終わり、ワークキャンプの下見をした。

場所はドングワンという広州の隣街。船で小さな島に渡ると、そこにスーアン村(ハンセン病快復村)がある。ヘクのような厳しい生活環境を想像していたジャンボは、スーアンのキレイな施設に驚いた。本当はもっと肉体労働のある村でキャンプをしたいと考えていたが、ドングワンのキャンパーたちのアツい想いにひかれ、スーアンで来年の春キャンプをすることにする。

ジャンボらが住む東海地方にはFIWC東海委員会がある。しかし、東海はほとんど活動をしていないようだ。もしジャンボらが東海委員会としてスーアンでキャンプをするとすれば、FIWC関東、関西、九州につづいて4つ目のFIWCが中国で活動することになる。
posted by tynoon at 00:08| 日本のキャンプ団体

2009年07月03日

高島雄太、インドネシアキャンプ開催へ

フレンズ国際ワークキャンプ(FIWC)関西委員会の高島雄太がインドネシアのハンセン病快復村コロニーでワークキャンプを開催することを宣言した。

さっき、雄太からそうメールを受け取り、読み、「おおーっ!」と叫ぶ。

向かいに座るスタッフのシャオヤオは、
「何かそんなにうれしいことでもあったの?キャンプの資金が見つかった??いくら??」
posted by tynoon at 15:09| 日本のキャンプ団体

2007年11月20日

日本も動く!

これまで中国のことをずーっと書いてきたと思います。
日本のことを書くことはほとんどなかったかもしれません。

今日は日本のことを書きます。
書きたくてたまらないので。

といっても、「書く」ではなく、正確には、「コピーしてペーストする」ですけど。

FIWC関西委員会がいま、あつい動きを見せてます。

2001年第1回中国キャンプの柳川義雄、劉成道、入澤隆一、2003年はじめて中国人キャンパーを巻き込んだ槻美代子、志賀純子、2004年から中国キャンプをしている五十嵐美穂子、彼女を支えてきた國分伸浩、小山悠乃、壹岐嘉彦、そして今の増本夏美、藤田美由紀、大谷亮輔へとつながる。そんなFIWC関西委員会をつくってきた湯浅進、青山哲也、西尾雄志。彼らが全部集まって、中国キャンプの経験を新しい世代につなげていく会が設立されました。
2008年の2月のキャンプをになっていくキャンパーたちはどんなキャンプをするのでしょう。

以下に趣意書を貼り付けます。

〜中国キャンプをつなげよう〜
連枝の会

 “連枝(れんし)”とは、兄弟の意味を持ちます。そう、この会は中国キャンプを作るにあたって、現役キャンパーの“横の繋がり”のみならず、“縦の繋がり”…歴代のFIWC関西キャンパーの“繋げてきた志”〜連(れん)志(し)〜を大切にしていこうという意味を持って名付けました。木の枝のように、現役キャンパーが歴代の先輩が作り上げてきた幹から自由に伸びていけるように。。。

趣旨

2007年夏中国キャンプ。参加者9名中、総リーダーを含む6名が初参加で、その上経験者は留学中や就職活動等の理由により、実質キャンプ地・日程決めの段階から初参加者のみで四苦八苦しながら作り上げました。それは、そもそもFIWCって何?ハンセン病って何?というレベルから学ばないといけないという悲惨な状態でした。しかし、だからこそ、みんなの力がキャンプに集中して、一人ひとりが“何かしなければいけない”という責任感がもてたので、メンバー全員の力で作ったキャンプが出来た事には心から満足しています。しかし、航空券予約や、保険の手続き、キャンプ地へ行くまでの手段、買出し等、キャンプに行くまでの事への準備で時間がとられ過ぎた為に、実際キャンプ地に行くと、ワークの内容であったり、パーティーの催し物であったり、キャンプの中身については、ほぼ中国側任せの状態でした。

 いいキャンプを自分たちの力で作るためには、早い時期からの準備、下見の段階からプロジェクトに参加することは必然だ。という第四回JIA国際会議において、原田燎太郎と外国人キャンパーで行ったディスカッションの結論。しかし、私たちの場合、参加メンバーが揃ったのはキャンプのほんの2ヶ月前だったし、次のキャンプに絶対参加できる!と現段階で断言できるキャンパーもほぼいません。でも、みんな次のキャンプに参加したいという気持ちだけは強く持っているし、今後もずっと何らかの形で関わっていきたい。そして、これからは準備をしっかりして、いいキャンプを作っていきたい。。。じゃあ、どうしよう??
 
 ホテルの一室に集まって、何日にも渡って夜遅くまでミーティングを行い、そこで決まったのがこの会の結成です。この会は、今後の中国キャンプの発展と向上のために、現役キャンパーだけでなく、かつて中国キャンプに関わってきた方々を中心に、より多くの人が力を合わせて、今後の中国キャンプを作っていくことを目指します。

 新しいキャンプを作って行くメンバー達に、選択肢のひとつとして、情報はできる限り残し、繋いでいき、彼らがいいキャンプを作れる様に、精一杯バックアップしましょう。しかし、どの選択肢を選び、どんなキャンプを作るかは、キャンパー次第。もしくは、どの選択肢も選ばないかもしれません。ワークキャンプは楽しんでこそ、ワークキャンプです。私たちは、あくまで楽しむための、手伝いをします。自ら動き、求めなければ、本当に楽しみはない。私たちは身を以ってそれを知っています。それに気付く段階までに、新しいキャンパー達を導くまでを、この会の役割とします。

 記念すべき第一回中国キャンプを語る会。これ開いて分かったことは、毎回中国キャンプをつなげていこう!という気持ちはみんな持っているものの、その意思が結果につなげられていないということ。
 会が始まった直後、一人のメンバーから「自分の行動はまわりを変えられる、何事もすべて自分の責任」という考え深い発言がありました。例えば、中国キャンプ参加者が集まらないのも、自分がもっと行動していたら変わっていたかもしれない。誰かがキャンプに不満を残してしまったとしたら、それはその人の問題だと諦めるのではなく、それに気づいて、変えてあげられなかった自分の責任。。。そう思えれば、その瞬間すべては変えられる可能性がいつもある。“自分のアクションが、すべてにつながっている。”この考えはとても大切なものだと実感しました。

 だから私たちは、先輩方がつなげてきてくれたキャンプを、もっといいものに変えていくために、アクションを起こしました。この会を開き、今後どう活動をしていくかによって、中国キャンプの未来が変えられる!!そう信じて、アクションを起こし続けたいと思っています。


活動内容

・2ヶ月に一回のミーティング
新キャンパーが集まるまで
次回キャンプに向けて、広報活動や、キャンプ地決め(下見)、資金集め、JIAとの連絡等
新キャンパー結成後
リーダー研修、情報の提供、相談等
・資料の保存と開示
→過去の実績をきちんとまとめ、印刷物と、電子データとして保管しておく。 
→自分たちの経験をきちんと後輩に申し送りする。
・慣習法の作成
→その場の知恵で、常に書き足し、修正できるもの。
・資金管理
→会計、カンパの募集、助成金の申請
・ 韓国キャンプ、国内キャンプ等、他のキャンパーとの交流促進
・ その他、この会の趣旨に基づく活動
posted by tynoon at 22:50| 日本のキャンプ団体