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2002年11月25日

中国人学生

中国人学生が、ハンセン病関係のワークキャンプに参加した。村人と水くみ・パーティー・ワークをともにし、村人・建設業者の話を通訳し、自分たちで買ってきたギョウザを村人全員に配った。彼らの活躍なしに今回のキャンプの成功はありえなかった。
 中国人キャンパー10人はすべて潮州市にある韓山師範学院の学生。授業期間中であるため、週末を中心に部分参加した。唯一、実習の代休を利用して平日も参加したのは、英語学科の3年生・マーク。彼は今回の最重要人物。当初は戸惑いがあったが、次第に村人と仲良くなり、結局はFIWCが日本に帰ったあとも村での活動をつづけることを約束してくれるまでになった。マークが次第にキャンプにのめり込んでいく過程を追いたい。
★マークの変化
 ・「医院に泊まる!」
 マークはキャンプ初日の11月1日、FIWCが借りた村の1室に眞人・私とともに泊まることになった。彼は村での宿泊に消極的だったが、断固として村に泊まると言いつづける私に譲歩するかたちで、医院に泊まることを渋々あきらめた。
 寝る段になるとマークは、どこから持ってきたのか、自分のベッドにだけ―といっても、ベッドは1つしかないのだが―蚊帳を張り出す。横になるとマークは、おもむろにラジオを取りだし、チューナーをしきりに回している。英語放送を聴くそうだ。しかし、イヤホンが壊れているため、断念。気にせず聴くように言うが、そのまま電気を消して横になる。マークはいつまでもゴソゴソ動いていた。
 昨夜、寝袋を借りることを断ったマークは、寒さで午前6時前に目を覚ます。ラジオが聴けない上に寒いので、今日からは医院に泊まるというマークは、いらだっている様子だ。

 ・「丁寧で、心地よく、親切で、優しい」。
 リンホウでのはじめての朝。郭さんの水くみについて行かせてもらうことにする。マークを誘うと、彼もついてきた。
 許さん宅。許さんには9月の下見以来1ヶ月半ぶりに会う。マークを通して私のことを覚えているか尋ねると、おまえさんはハンダ・西尾さんと一緒に来たねと、日めくりカレンダーの9月12日を見せてくれる。そこには「西尾雄志」「茂木亮」「原田僚太郎」とある。あのとき書いたそのままだ。
 許さんがお茶をいれるための湯を沸かしている部屋の入り口に、タバコをふかしている人がいる。赤いニット帽をかぶった彼は、曽繁餘さん。2人はマークに質問を浴びせる。学生か、どこに住んでいるのか、歳は、家族と一緒に住んでいるのか。笑い声も聞かれる。
   *
 郭さんは水を担いで、蘇さんと若深さんが住む長屋にいく。蘇さんは、部屋の奥から、9月の下見スタッフが名前を書いた紙片を持ってきて見せてくれる。それをのぞき込むもう1人の村人。下見のとき名前をききそびれた人だ。タバコをふかしている彼は許松立。少々こわばった笑顔のマークと話す2人は、満面の笑みで「謝謝、謝謝」という。
   *
 「ホントに丁寧で、話していて心地よく、村の外の人より親切だった。人を気遣う方法を知っているみたいだ」。
 そう語るマークに、彼らが何十年も隔離されてきたことを伝えると、
 「わかってる」
 とマークはうつむき加減に横を向き、何度もうなずいていた。

 ・パーティーへの招待
 11月5日、村人全員を招待して9日にパーティーをすることを決定した。マークに招待の通訳を頼むと、今すぐに行こうとマークは言う。
 水くみコースで村人をまわると、まずは許さんだ。マークがパーティーの話をすると、許さんに必要ないといわれてしまう。マークはしゃがみ込み、足が不自由な許さんと目線を同じ高さにし、来てくれるように頼む。はじめはケゲンそうな顔をしていた許さんは、昼食パーティーならと納得してくれ、笑いながらタバコをくれる。
 カンペイちゃんのところへ行く途中、長屋Aの裏で若深さんに会う。マークがパーティーの話しをしていると、畑帰りのシュウシュウとこの騒ぎを聞きつけたカンペイちゃん、たまたま通りかかった曽さんが加わり、通訳してもらう間がないほどの笑い声の輪ができる。どうやらマークは逆に村人からパーティーに招待されているようで、皆がしきりに「来、来、来」といっている。マークは恥ずかしそうに笑って、ノートを持った両手を口に当てて上半身を前に傾ける。マークが照れているときの仕草だ。ションリーも来た。みんなパーティーに賛成してくれる。

 ・「ダメ人間」・マーク
 11月6日、マークの実習の代休が終わり、8日金曜日の授業後にまた村にくるという言葉を残して、彼は大学に戻った。
 11月8日。夕飯を食べ終わっても、マークは来ない。正直、がっかりした。
 あきらめて、医院にシャワーを浴びにいくと、会議室から例の照れのポーズで飛び出してきたのは、マーク。スピーチコンテストをキャンセルしてここに来たという。ダメ人間がまた1人増えた。

2002年11月24日

「コ」の字型長屋建設に関するアンケート

FIWCは11月16日、全村人を対象とし、「コ」の字型の長屋を新築する計画(ハンダ・医院が作成)の必要性・有効性に関するアンケートを、ジルとマークの通訳でおこなった。その結果、ハンダ・医院側のプランを一部変更し、新しい「コ」の字型長屋を建設する方向で調整を進めることになった。この過程でジルとマークは、FIWCのワークプランを自分たちの問題として捉えるようになった。

★ハンダ・リンホウ医院の計画
 現在ある長屋A(8室)はそのまま残し、老朽化した長屋Bを建て替えて7部屋つくり、うち1室を共同台所とし、さらに倉庫・集会所を建設する。
(図)

★ ディスカッション
 この聴き取り調査に先立つ11月13日午後10時30分、日本人キャンパーは次回キャンプのワーク内容についての話し合いをもった。3時間半つづいたその議論が直接の引きがねとなり、実績のあるハンダの計画を疑うわけではないが、今回のアンケートを実施するに至った。論点をまとめると、以下のとおり。
   *
1. 下見時のリンホウ滞在は半日と短く、村人の生活の実態を把握できなかった。
2. 下見でワーク計画を説明したときは、ハンダ・医院の職員・県の衛生局長・FIWCの合計十数名で村人を1人ずつ訪問したため、村人は真の必要あるいは反対意見を率直に語ることはできなかったのではないかとの懸念がある。
3. 約3週間、村人の生活を目の当たりにした結果、新家屋建設は村人の長年のうちに確立された生活を壊し、身体の不自由な村人は、新しい住環境に適応できないのではないかという疑問を持った。
@ 村人が現在住んでいる家は倒壊寸前といえるほど老朽化してはいないようにみえる。
A 村人は1人で2〜3部屋を使っており、倉庫や鶏小屋に多くのスペースを割いているため、新しく建設する部屋では小さすぎるのではないか。
B 村人の食事は各自がその嗜好に合わせて料理しているので、狭い共同台所は利用されないのではないか。
C そのため、結局村人は七輪を使い続けるが、新しい室内をススで汚すまいと気を遣い、結果として屋外で料理することとなり、雨の日や寒い日に困るのではないか。
D 水くみを愛する郭さんは水道ができたら失望するのではないか。
E 一部の村人は人間関係がうまくいっていないようなので、共同生活はつらいのではないか。
4. ワークの必要性に関する調査に時間をかければかける程、新たな問題が見えてくる。しかし、村人に残された時間は少ない。どこかで妥協線を引かなければならない。この調査をひとつの区切りとし、学者や研究者としてではなく、人間として、少数派の意見を抹殺することなく、ワーク実行の是非を決断したい。

★FIWCによる代替案
 以上の点を考慮し、FIWCはワーク計画の代替案をつくった。
@ 村人は現在13名なので、個室は13部屋でよい。
A 集会所・倉庫は計画どおり立てる。
B 鶏小屋を建設する。
C 共同台所として広い部屋を確保し、複数のカマドをつくる。
 マークとジルの通訳で、この案を村人に諮ることにした。
(図)

★調査結果
(エクセルの表)
※平均で1人20分以上の時間をかけた。家屋新築完成予定図を渡し、まずジルがプランの全容を説明し、その後、上記の質問事項をきいた。

★結果の分析
1.現在住んでいる家の危険性
 現在の住居の危険性については、6対7で安全派が多い。ただ、安全派の内訳をみると、郭さんと曽さんの家は(本人たちには申し訳ないが)危険で、孫さんと陸さんは「コ」の字計画の一部に含まれる予定の長屋Aに住んでおり、1人は危険な部屋に住む人を気遣って新家屋建設計画に賛成しており、残りの2人も共同の台所がある新しい長屋に住みたいと言っているので、計画遂行に問題はない。
 危険だと答えた人の部屋は、本当に危険だ。屋根が動いているという許炳遂さんの家は、ヒサシの傾斜が次第に角度を増している。村でもっとも危険なのは蔡玩郷・玩銀さんがいる長屋だ。特に危険なのは壁で、室内の四隅にヒビが入っており、それは床から天井―といっても天井は張っていないが―まで走っている。ヒビの幅は平均5cm、最大7cmだ。

2.共同台所
 今回の計画の成否を鍵を握っているのはこの共同台所だ。賛成4、反対3、条件つき賛成6人だ。以下は共同台所に関する村人の意見だ。
@ 狭い共同台所で一遍に料理する案…それぞれ食事の時間が違ったり、食べ物の好みが違うので反対。(蘇文秀・方紹平)
A 広い共同台所に複数のカマドをつくる案…煙たくなりすぎる。(許炳遂・曽繁餘)
B 換気扇をつける案(原田案)…維持費がかかる。
C 各自が七輪で料理する案…部屋がススで真っ黒になる。現在のように台所と生活空間を分けるだけの部屋数もない。(許炳遂)
D 部屋を汚さないために外に七輪をおく案…雨の日や寒い日は大変。(許炳遂)
E 部屋を汚さないために共同の台所に七輪をおく案…同時に皆が使うと煙たくなりすぎる。
F 各自が自室でプロパンガスを使う案…ガス代や町までプロパンガスのタンクを運ぶ人手の問題。(許炳遂・許若深・蔡玩郷・蔡玩銀)
G 現在ガスを使っているのでどちらでもいい(劉友南・陸裕城・孫バン盛)
H 特に異存はない(許松立・蘇振權・郭リン浩)
 これらの諸事情を考えて、藤澤が考え出した案は、「煙突つきのカマドを共同台所にたくさんつくる」というものだ。現在、マークがいくつの煙突つきカマドが必要かを調査している。

3.鶏小屋
 意外なことに13人全員が鶏小屋はいらないという。屋外で飼うか、現在の村長宅を利用する。

4.倉庫・5.水道
 倉庫・水道については全員の賛成を得ることができた。水道を建設する上で問題だったのは郭さんから水くみという仕事を奪うことだ。藤澤と私は郭さんの水くみに毎朝ついて周り、彼が単なるアルバイト以上に水くみと井戸に対し愛着を感じていることを知っている。そんな郭さんからその仕事を奪うことは残酷なことに思える。しかし、郭さんは水道を引くことに賛成してくれた。ただ、悲しみは感じるとは言っている。村長と方さんは、郭さんが生活費を稼ぐ他の仕事を探してくれる。

6.共同生活
 村人13人全員が1ヶ所に集まって暮らすことにも賛成を得られた。
・ 村長・方さん
 時には対立することもあるだろう。ぶつかり合いがない方がおかしい。しかし、それよりも重要なことは互いに助け合うことだ。特別な性格をもった人もおり、はじめから全員が新しい長屋に引っ越してくるのは難しいかもしれない。引っ越したくない人もいる。しかし、いずれは皆がともに暮らせるだろう。
・ 曽繁餘
 他の村人は集まって暮らすのが大事だ。ただ、私は静かに1人で暮らす。酒好きなので、騒いでみんなに迷惑をかけるのがおちだから。発電機を動かすにもここが便利だし。寂しくないかって?心配しすぎだ。
・ 許炳遂
他の村人の意見を尊重する。
・ 蘇振權
 心配いらない。助け合うことができるので、今よりも生活は楽に、便利になるだろう。確かに生活は劇的に変化するだろうが、平気だ。
・ 郭リン浩
問題ない。みんな協力して一緒に住むべきだ。
・ 蔡玩銀
 問題ない。引越しを手伝ってくれさえすれば。
・ 劉友南
このことについては心配していない。

7.部屋の大きさ
 全員が長屋Aの部屋の大きさで構わないといっている。

8.質問・心配な点
 ・郭さん
 いまの古い家を壊さないでくれ。ものがたくさん置いてあるから。
 ・村長・方さん
 長屋Bの5部屋の真ん中に集会所をつくれば、皆が来やすい。
 ・シュウシュウ・陸さん
 集会所にあるテレビを夜遅くまで見たいので、集会所はFIWC案のままがいい。
 集会所の建設場所については、現在マークが村人と話し合っている。

★マーク・ジルの意識の変化
 この聴き取り調査を通じて、ジルとマーク「お客さん」としてのキャンパーから、キャンプを「運営する側」へと意識が変化した。
 ジルは終始丁寧に、熱心に説明をする。歩けない村人のところへいくときはしゃがみ込んで目線を同じ高さにして話す。話したいことがたくさんある村人は話しが長くなりがちだが、いやな顔ひとつしない。村長宅での説明が終わり通訳のお礼を言うと、ジルは「私たちの義務よ」と軽くいった。
 村長宅でワーク計画の説明をしているときのことだ。水道建設について、村長が資金面で心配していると、マークは通訳する。私が日本で何とか寄付を集めるので心配しないように言うと、マークは「ありがとう!」という。マーク自身にこのプランを創っていっているとの自覚が芽生えた。
 マークは現在、医院の職員・黄組長と連絡をとりながら、ワーク計画の変更点について村人と話し合っている。ジルは、彼女が所属するボランティア団体が村で活動する可能性を探っている。

★調査を終えて
 「コ」の字型長屋を新築しよう。村人はそれを必要としている。彼らの生活は、私たちの想像を超える厳しさだ。
 3週間の滞在を通し、村人の生活を理解している気になっていた。勘違いも甚だしい。キャンパーの生活は、村人とかけ離れている。1日につき1人20元使って毎日肉を食い、常に満腹状態。歩いて30秒ほどのトイレにも、夜は懐中電燈を持っていく。あたたかいシャワーをほぼ毎日、医院で浴びる。郭さんが運んでくる水も使いたい放題。寝泊りしたのは村でいちばんいい部屋。それで村人と同じ生活をしているような気になっていた。
 村人の生活はもっと過酷だ。家の老朽化は外見では判断しにくい。室内を隅々まで注意深く見させてもらわなければわからない、長年住んでいる人にしかわからない問題だ。家にはヒビが入り、天井の張っていない部屋は夜、寒く、郭さんはズボンを2枚重ね着して寝ている。食費は平均して1日4元(60円)。肉は滅多に食べられない。トイレは、村長の場合、松葉杖をついて石だらけの草はらを歩いて2分はかかる。彼はまだいい方で、尿瓶を使っている歩けない村人もいる。風呂は長屋の裏で身体を拭く程度。水は1日バケツ2杯を節約しながら使う。

2002年11月23日

村人との関係

キャンパーは、村に着いてすぐは村人から完全に「お客さん」扱いされていたが、ワークを通して徐々に村人との間にある壁を低くしていった。毎朝、郭さんと水くみで各村人を訪問し、飲茶タバコを繰り返すうちに、日に日に村人と打ち解けていくのを村人の言動から感じた。また、ワークの合間や夕食後に村長をはじめ村人と筆談をかさね、いつしか「朋友」と呼んでもらえるようになった。
 11月11日に村に着いた西尾さんは、「村人の表情が明るくなってる」と語った。9月の下見時の村の印象は「スラム−犯罪=リンホウ」だったが、今はみなニコニコしている。

★キャンパーは「お客さん」
 リンホウでの2日目、11月2日午後4時。ガスレンジとプロパンガスを買って村に帰り、長屋Aのいちばん奥の部屋に台所をつくる。プロパンガスとレンジをガスホースでつなごうとしていると、孫さんが工具を持ってくる。
 「謝謝」。
 それを借りようと手を出すと、にっこり笑って拒み、孫さんはプロパンとレンジを手際良くつなぎ、ガス台を設置してくれた。
 ガスの作業が終わると、方さんがカマを持ってきて、新しくできた台所の前の草を刈り始める。郭さんもクワで草刈。手ぶりでカマを貸してくれるように孫さんに頼むと、彼はカマを部屋から持ってきた。
 「謝謝」。
 使わせてもらおうと手を出すと、指を切ったらたいへんだからなという身振り。孫さんは草を自分で刈り始める。
 何とか「お客さん」扱いを脱したい私は、郭さんが刈った草をカゴに入れ、捨てにいく。村長がここに捨てろと指差すところに草を放り出した。他にもクワが2つあったので、眞人と草を刈る。いつの間にか、マークと黄組長をふくめた一同が草刈ワークをしている。マークの通訳を通して、中国人と日本人の間に笑いが起きる。郭さんがゲップした。あまりに立派なゲップだったので、笑ってしまった。郭さんも大笑い。壁が低くなっていくのを感じた。

★郭ちんと水くみ
 冷気が心地よいリンホウの朝、11月4日午前7時前。
 「フィーッ、タァー」。
 郭さんは、湧き水で満たされたブリキのバケツを井戸から引き上げる。今朝も郭さんの水くみが始まる。ついていくのは今日で3日目だ。彼は1日バケツ2杯の水を村9人の家に運ぶことで、毎月約20元を稼いでいる。
 ザバーッ。水は、彼の右に置かれた、少し大きめのバケツにあけられる。郭さんが毎朝そのバケツをおく場所は、草が円く生えていない。
 バチャン。再度、井戸の縁から80cmほどの深さの水面にバケツがぶつかる音。小柄な郭さんは、バケツに半分の水を無言で引き上げ、大きい方に清水を継ぎ足す。のこりは決まって小川の土手にぶつける。パシャーン。毎日かかさない、郭さんの儀式。
 「フィーッ、タァー」。
 バケツになみなみと3回目の水を引き上げ、左側におく。郭さんは、壊れた井戸の手動ポンプにさし込んであった天秤棒をそっと取り上げ、両方のバケツの持ち手についたロープをその両端にゆっくりと掛け、左肩に据える。15年もの間、水を運びつづけたその肩の筋肉は、グッと盛り上がっている。
   *
 北側に1分ほど歩いていくと、小高いところに長屋が立っている。
 「ニーハオ、ニーハオ」。
 許炳遂さん宅だ。その入り口には赤いニット帽をかぶった曽繁餘さんが今日も座っている。昨日までは無愛想だった彼はタバコをくれた。
 「喝茶、茶!(茶飲んでけ!)」
 許さんは威勢のいい声でお茶を飲ませてくれる。お猪口でグッと一息に飲み干すその濃いお茶は、いい目覚ましになる。
   *
 「ニーハオ、ニーハオ」。
 許炳遂さん宅の北側の長屋はにぎやかだ。住んでいるのは、西側から許若深さん・許松立さん・蘇振權さん。今日、若深さんはいない。インイン・インチン(蔡玩郷・玩銀姉妹)のところに行っているのだろう。ションリーがビニール袋に入れた卵を、指が小さくなった手に提げている。足が悪く、部屋の前に座っている蘇さんが、タバコの吸殻に水をつけて文字を書く。<振權、松立、2人合送>。卵をくれるというのだ。ションリーと蘇さんからのプレゼントだ。
   *
 長屋A・Bを見下ろす高台にはカンペイちゃん宅がある。墓石を再利用した、10段ほどの階段を登り切ると、いきなりカンペイちゃんが茶器を持って部屋から飛び出してきた。
 「来来、来来…」。
 水くみの3人にお茶を入れてくれる。
 「好吃!(うまい!)」
 わざとそういうと、期待を裏切らず、カンペイちゃんがダミ声で中国語講座をはじめる。
 「潮州話・ホーチャ、広東話・ホーセ、普通語・ハオチー…」。
 毎朝3回は発音練習だ。

★村長と筆談
 朝食後のトイレから戻ってくると、村長につかまる。
 「来来、来来、喝茶!」
  人差し指が小さくなった右手で、村長は青いペンを器用に動かす。達筆だ。
 <勿担太重。保重身体(重い水を担ぐな。身体に気をつけろよ)>。
 そういって豪快に笑う村長は、昨日フラフラしながら重い水を天秤棒で担いでいた私を、気遣ってくれる。
 「茶、茶!」
 ひっきりなしに村長はお茶とタバコをすすめてくれる。
   *
 村長との筆談には、考えさせられることが多かった。
 ・死
 村人は「死」と背中あわせで生きている。村長は次のように書いた。
 <現在這里現住13人(ここには13人が住んでいるんだ)>
 下見のときは14人だったはずだ。ふと、陳宏広さんが部屋にいつもいないことを思い出す。
 <陳宏広?>と書くと、村長は非常に驚いた顔で私を見つめ、その下に<天這人>と斜めに走り書き、にらむように私を見る。天国にいるってことか?村長はつづけて<他死>と斜めに書き加えた。
 75歳の陳さん自身が年をとったことを感じており、長い間苦しんだが、もはや医者は無用だった。そう語る村長自身、74歳。文字通り肩を落とし、カンペイちゃんやシュウシュウ話す村長の声に、いつもの張りは消えている。
 ・金銭感覚の違い
 村人には、県の民生局から毎月1人120元(約1800円)が支給される。そのうちの現金60元と米を買うお金が村人に渡され、残りは村長が春節・中秋節・清明節のために積み立てておく。そんな村人にとって、私たちの買い物は信じられない額だ。
 11月7日はフリーデーで、古巷の町まで遊びにいった。その帰宅後のことだ。
 村長「(小型の英中辞典をみて)この英中辞典も買ったのか?いくらだ?」
 <9.8元(約150円)。>そう書く私の手元を、身を乗り出すようにして見ていた村長は、
 「太高!(高い!)」
 といいながら椅子にもたれかかり、ニコリともせず私の顔を見つめる。
 村長が小数点を見落としたのかなと、<9元8角(1元=10角)。>と書きなおしたが、村長はふたたび、
 「太高!」

 ・現在も残る差別
 村長は賢い。筆談をしているとよくわかる。彼ならその生涯を本にまとめ、多くの人にハンセン病問題を考えてもらうキッカケをつくれる。執筆をすすめてみた。
 村長「必要ない、必要ない。ハンセン病が感染しにくいことを中国政府は2000年に宣言したんだから。しかし、まだ多くの人が差別し、軽視する。彼らの目に我々が入ると、すぐに目をそらす。それでも、同じように隔離された我々13人は、山間区に住み、自分たちでうまく生活してるんだ。
 左手は不自由になり、1979年には右足を切断した。そんなおれが村の事務をすべてやっている。相当たいへんなものだ。おれはもう74歳になった。人生ここに至ればもはや意味がない」。
   *
 中国にもハンセン病差別は残っている。11月2日、市場ではじめての買い出しをし、村まで帰るキャンパーを乗せてくれた三輪オートバイの運転手は、村に着くと「マーフォン、マーフォン(「麻風、麻風」(「麻風」はハンセン病のこと))」と言いながら、しかめた顔の前で小刻みに手を振り、マークに特別料金を請求し、通常15元のところを3元多くとった。
 村長は差別の存在を当然のものとして受けとめ、その状況を変えようとはしない。

★パーティー
 11月9日土曜日は、村人全員を招待して昼食パーティー。村人は午前11時30分、木陰に敷いたレジャーシートに集まり始め、韓山師範学院の学生5名と医院の職員1名を交えてエビ・豚の角煮・お菓子などを食べた。パーティーは午後2時30分までつづき、満腹で眠くなった村人は昼寝しに帰っていった。しかし、すべてが順調にいったわけではなく、反省点や中日の習慣の違いによる戸惑いもあった。

・ 感謝の手紙
 パーティーが始まる前、マークが村長からの手紙を英語で読み上げる。
   *
 親愛なる日本の若い友人、こんにちは!
 村人を代表して万分の感謝を表明します。あなたたちは頂点に立つ英雄です。千山萬水の遠路を畏れず貴国・日本より中国広東省潮州市古巷鎮リンホウの山間区の地に到り、我々に慈善・隣人愛の心をもってトイレ建設と断熱材設置をなし、我々の生活を快適にしてくれるという。その上、今日9日には我々全員を招待してパーティーをしてくれる。あなたがたの功労は小さいものではなく、我々は忘れることができない。永遠に記憶にとどまることだろう。
 感謝を込めて 村管理会代表人 蘇文秀

 ・パーティー中に
 潮州の学生が通訳してくれるので、筆談よりも楽に村人と話すことができる。
 村長「香織はあんまり食べてないな、もっと食べろ」。
 郭ちん「(水くみの話で)眞人が第1で、おまえさん(原田)は第2だ。眞人は力強く天秤棒で水を担ぐからな」。
 村長「おまえさん方は村に笑い声を持ち込んだ」。
 カンペイちゃん「香織はずいぶん日に焼けたな。日本に帰ったらちゃんとケアしなさい」。
 村長「あの柔らかいの(グミキャンディー)をとってくれ」。(歯が悪いらしい。)

・ 20元
 午後2時30分、パーティーが終わって片づけが始まると、シュウシュウと村長が改まって話があるという。マークが2人の感謝の言葉を通訳すると、シュウシュウにその手の中の、お守り大の赤い包みを渡される。
 あとで開けると、丁寧に折りたたまれた20元が入っていた。村人の現金収入の10日分だ。マークによると、中国の習慣だという。パーティーは、村人の負担にもなったのだろうか。

・ 返礼パーティーを開けず、苦しむ村人
 私たちは、2回目となる昼食パーティーを、リンホウを去る前日の16日に開くことにし、15日にそのことを村長に伝えた。しかし、断固として必要ないという村長。凄むかのように拒否する。仕方がないので、感謝の気持ちをこめて料理を各村人に届けることにし、パーティーは中止した。
 村長の断固たる拒絶の意味は帰国後、わかった。キャンプ中に翻訳できなかった手紙の中でそれが説明されていた。それによると、中国では返礼パーティーを開くのが礼儀だが、村人にとってそれは経済的に不可能なので、替わりに、医院がパーティーを開くことで返礼とするよう、医院の職員に依頼したとある。
 このような事情があるとも知らず、2度目のパーティーの話を持ちかけてしまった。

2002年11月22日

ワーク(水洗トイレ)

今回のワークは水洗トイレの建設と断熱材設置(長屋Aの屋根へ)を行った。FIWCは建設業者を4人雇い、その仕事を手伝うというかたちで作業を進め、ワーク開始後11日目の11月13日、トイレは完成した。予定では完成を見ずに帰国するはずだったが、好天がつづいた上に、そのスケジュールはキャンパーの働きを計算に入れずに立てられたものだったようで、予定より早く完成させることができた。
 このワークは、隔離されてきた村に人の往来をもたらし、村人・建設業者・中国人キャンパー・日本人キャンパーが仲良くなるキッカケとなった。
簡単な地図を入れたい

★建設業者紹介
・ 「棟梁」こと蘇壮祥…「潮安県古巷鎮建築公司」の社長。
・ 「メキシコ」こと蘇錫栄…中南米風の帽子をかぶっていることから名づけられた。
・ 「童顔」…姓名不詳。童顔だから、「童顔」。
・ 「リーダー」…姓名不詳。あくまでキャンパーの「リーダー」であって、業者4人の中では下っ端。「棟梁」にタバコを投げ与えられる。

★「お客さん」扱い
 キャンパーは始めからすんなりとワークへ参加できたわけではない。業者との会話は、いちいち通訳を介さなければならない。中国人の習慣もよくわからない。まったく手さぐり状態でワークははじまった。
 ワーク初日の11月3日、午前9時ごろ村にきた建設業者の4人は、トイレの基礎になる穴をクワで掘りはじめた。彼らに歩み寄り、マークの通訳で交代してくれるよう頼むと、
 「不用(プーヨウ)、不用(プーヨウ)」。
 建設業者は、私たちを完全に「お客さん」扱いし、手伝わせてくれない。
 トラックで袋入りのセメントが大量に運ばれてくる。どうやら長屋Bに運び入れるようだ。セメントを持とうとすると、
 「不用、不用」。
 このままワークに絡めずに、トイレの完成を見るのだろうか。そんな不安を感じながら、午前中はおわった。
   *
 午後になると業者との信頼関係が生まれはじめた。昼休み後の午後1時30分、トラックで大量に運び込まれたレンガに水をかけるという仕事を仰せつかった。しょぼいワークだが、ここで丁寧な仕事ぶりをアピールせねば。
 次の仕事は、セメントをバケツで運ぶこと。「リーダー」が中庭でセメントをこね、「メキシコ」と「童顔」が基礎の穴に流し込む。「棟梁」は2人に指示を飛ばす。成り行き上、セメントを中庭からトイレ建設予定地に運ぶ仕事がキャンパーに回ってきた。
 基礎にセメントを流し込み終え、次はその上にレンガを積んでいく。無造作に中庭におかれたレンガを数m離れた作業現場まで運び、業者の人が積み上げやすいようにきれいに並べていく。モルタルを入れた「棟梁」のバケツが空になる前に、モルタルでいっぱいのバケツを持っていくキャンパー。空バケツを持ち去るキャンパーに「棟梁」が言う、
 「好(ハオ)!」
 おまえら、使えるじゃないか。そういう口調と表情だ。3時間ほどでレンガは1m積み上げられた。

★村人といっしょ
 ・おしゃべりな曽さん
 午後4時半ごろ、いつも赤いニット帽をかぶっている村人・曽さんがきた。タバコを吸いまくりながら、作業中の「棟梁」・「メキシコ」としゃべる。彼らの大きな笑い声に交じって、ときどき「ジップン、ジップン(日本、日本)」という声が聞こえる。
   *
 曽さんは2日目(11月4日)も現場にやってきた。今日はヘルメットをかぶっている。ションリーもいつの間にかきている。キャンパーが休憩をとって輪になって座っているところに彼らも加わり、マーク(朱佳栄)と話す。マークはスープに入れる野菜の茎と根をちぎりながら、曽さんはタバコを吸いながら、おしゃべりは止まらない。

 ・郭ちんも気合い十分
 3日目(11月5日)午後3時、レンガは積み終わり、屋根に木枠と鉄筋が張り巡らされると、バケツリレーでセメントが屋根の上に運ばれていく。「童顔」が中庭でセメントをこね、バケツにガシガシ入れる。それをキャンパーが足場の下にいる郭ちんに渡す。
 「フィッ!」
 気合いを込めて、郭ちんは決して重くはないバケツを「リーダー」が立っている足場に持ち上げる。それを受け取った「リーダー」は屋根の上にいる「メキシコ」にリレーし、屋根の上にバケツはあけられる。

・ シュウシュウは業者と仲良し
 4日目(11月6日)、コエダメの内側にレンガを積み、底をセメントで固める。
 「棟梁」は毎日午前10時半ごろになると、シュウシュウの部屋のガスを借りて昼食をつくる。「棟梁」の料理はワンパターンだがうまい。ガスを借りていることに対するお礼なのだろうか、業者の4人はシュウシュウといっしょに昼ごはんを食べる。長屋Bの横の木陰(村長宅側)に廃材をおき、その上に料理をならべ、それを囲むように5人が座る。いつも冗談をいっている「メキシコ」を中心に、笑いが絶えない。
   *
 5日目(11月7日)はフリーデー。6日目(11月8日)は長屋Aに断熱材を設置した。厚さ5cmほどの発砲スチロールの板を屋根に敷き詰め、セメントで固めるという簡単なものだが、性能はすばらしい。部屋は、暑い昼間には涼しく、寒い夜はあたたかいという快適なものに変わった。

・ 郭ちんの男気
 11月8日の午後。明日は村人を招待してのパーティー。眞人と私は、プロパンガス・食器を100枚近く・大鍋2つ・全員が座れるレジャーシートの買い出しで市場へ、陽子と泉は明日の料理の準備をすでに始めている。必然的に、バケツリレーでセメントを屋根に上げるワークを夕方までするのは、カオリンだけ…と思いきや、郭ちんが手伝ってくれた。この日以来、カオリンは郭ちんとの間に壁がなくなり、仲良くなれたことを感じている。

★中国人女子大生はハードワーカー
 11月10日。今日は日曜日なので、ウィンディー・ジル・アマンダ・デリック・シャロン・ハマー・ジェイソンがキャンプにきて、土曜日から参加しているマークと合わせて8人の中国人学生がワークをする。ワークは壁塗り。筋肉隆々のデリックは中庭で力強くセメントをこねる。彼につられて皆よく働く。
 私が中庭でセメントをこねていると、ウィンディーがセメントを現場に運ぶためのバケツを持ってきた。女の子だからと気を利かしたつもりで、少なめにセメントを入れると、
 「何してんのよ、もっと入れてよ!」
   *
 ジルはゆっくりと、重そうに、スコップでセメントをこねているが、その口元は微笑んでいる。
 「ワーク好きなんだね?」
 「おもしろいわ!」
   *
 ハマー・ジェイソン・マークよりも女の子たちのほうが圧倒的によく働く。
 眞人(藤澤)が「棟梁」のスコップを奪うと、「棟梁」はジルのを奪う。ジルはさびしそうに、手桶でセメントに水を注ぐ役にまわったが、スコップで掻き回されているセメントを、もの欲しそうに見つめている。それに気づいたのか、眞人がスコップをジルに渡すと、
 「ありがとう!」
 今日いちばんの笑顔だ。ウィンディーもスコップを欲しそうな顔。アマンダは我慢できず、ついにジルから奪った。ところが、3分と経たないうちに、ウィンディーがスコップをアマンダからうれしそうに取り上げる。しばらくこね回しているウィンディー。もう疲れたんじゃないかな。
 「替わろうか?」
 「やだ!」
   *
 出る幕がない眞人と私は、セメントまみれになった靴を洗いながら、ガシガシ働く中国人女子大生を遠くから眺めていた。

★「コ」の字計画の値下げ交渉
 「コ」の字型の長屋をつくる計画は約12万7000元(約190万円)かかると言われていたのだが、マークの通訳で業者と交渉した結果、10万元(約150万円)以下にまで下げることに成功した。一時は「11万元が限度だ」という棟梁と険悪なムードになり、ちょうどハマーがギターで弾いていた『禁じられた遊び』が妙に切なかったが、何とか値段を下げられた。勝因は、交渉する日を業者との信頼関係ができるまで延ばし、ワーク開始後8日たった11月10日にしたことにあるだろう。「棟梁」と仲がいい眞人とカオリンが拝み倒すかたちで値下げが実現した。ただし、その条件として部屋を1室減らすよう求められた。くわしい見積りは後日だすという。今後はマークが交渉にあたってくれる。

★トイレ完成記念パーティー
 11月13日。8時半すぎに「棟梁」はバイクでやってきた。たくさんの食材とビールを持っている。さては…!トイレのドアを水色のペンキで塗り、排水パイプに土をかぶせると、トイレは完成し、パーティー。和式便器…ではなく、中華便器(?)での初小便は眞人。洋式の方をはじめて使ったのはカオリン。

2002年11月21日

村人・医院の職員紹介

★リンホウの人々
・ 許炳遂(70)…威勢のいい許さんは毎朝、「茶、茶!」と何杯でもお茶を飲ませてくれる。途中参加の西尾さんが村に来るのを心待ちにして、カレンダーを見ながら「あと2日だな…」とつぶやいていた彼は、西尾さんに「ションチー(雄志)来、来!」としきりにお茶を飲ませていた。
・ 曽繁餘(66)…曽さんがくれるタバコの銘柄はきまって「幸福」。2.5元と最も安いそのタバコは、名前とは裏腹に、まずい。酒好きの彼は、普段はシャイだが、酔うとしゃべりまくる。自宅に隣接されている発電所で発電の仕事をしている。
・ 蔡玩郷(69)…インチン(玩郷)はインイン(玩銀)の姉。目の見えないインチンはいつも爆音でラジオを聞いているが、わたしたちに気づくとスイッチを切るようになった。そして、つたない中国語や日本語の声をじっと聴いている。「再見、再見(チョイキン、チョイキン)!」と手をブラブラと上下に振りながら、ベッドに座ったまま私たちを見送るその姿と声は、目に焼きついて離れない。
・ 蔡玩銀(68)…インイン(玩銀)は何か言ったあと必ず「ウッフフ」とかわいい声で笑う。インチンの隣に住んでおり、2人は壁越しに大声でおしゃべりする。1度写真を撮らせてもらったが、その後はうつむき加減に横を向いてしきりに手櫛で髪を梳いていた。
・ 郭聯浩(48)…郭さんとは毎日いっしょに水くみにいった。いつしか、ふざけて私に帽子をかぶせたり、ティーシャツのよごれを払ってくれたり、突然肩を組んできたりするようになった。彼は10歳で村にきた。父母はすでにない。幼いころ脳膜炎を患ったという彼は、村人に<精神不正常>と言われている。字が読めず、潮州語しか話せない郭さんの言葉をジルに通訳してもらうと、「家族と他の人々を愛せ。我々は同じ人間だ」と言っていた。「すごく親切な人」(ジル)。
・ 許若深(69)…若深さんはインイン・インチンと大の仲良し。自室にいるよりも2人のところにいることの方が多い。彼のハンサム度は郭さんと1、2を争う。
・ 許松立(?)…ションリー(松立)と言えば、タバコ。常にポワーッとタバコをふかしている。お隣さんの蘇さんと仲が良く、一緒に鶏を飼い、料理している。村でいちばんシャイなションリーは、はじめはキャンパーを遠巻きに見ており、あいさつしても微笑み返すだけだったが、いつの間にか彼の方から、はずかしそうに「ニーハオ、ニーハオ」と言ってくれるようになった。
・ 蘇振權(75)…実は酒好きだった蘇さんは、毎晩ショットグラスで焼酎を飲んでいる。一度、彼と差しで飲んだ。肴は豚の丸焼き―肉はめったに食べられない―・パクチー・落花生。この500ccで約20円の酒は、2人で飲むと異常にうまかった。
・ 方紹平(68)…間寛平に似ていることからついたあだ名は「カンペイちゃん」。とても陽気なおじいちゃんで、金歯を光らせながら、ダミ声でよく笑う。はじめの頃カンペイちゃんは私に手紙をよくくれたが、後半はしきりにカオリン(枡田香織)と文通していた。
・ 劉友南…劉さんからは合計10通の手紙をもらった。遊びにいくと、机の引出しから大事そうに、ビニール袋に入れて保存してある「紅金」という高そうなタバコをくれる。室内には観音や鶴の絵、造花が飾ってあり、玄関は色とりどりのお札が貼ってある。香水をつけてくれたり、砂糖入りのお茶を入れてくれたりと、至れり尽せりのもてなしだった。
・ 蘇文秀(74)…村長との筆談の話題は多岐に渡り、村での生活や中国のハンセン病の状況から恋話にまで及んだ。かなり突っ込んだ話題が多かったので、失礼はなかったか心配だったが、村長は泉(松村)のノートにこう書いていた:<僚太郎毎天至各地交談生活状況、很好。(僚太郎(原田)は毎日村人を訪ね、生活状況について話し合っている。とてもよい。)>
・ 陸裕城(?)…陸さんは快復後、ハンセン病を病んだことのない女性と結婚し、子供は3人いる(20歳の娘・18歳と15歳の息子)。体の自由がきく陸さんは村の果樹園の世話をしており、村の外にも家を持っている。
・ 孫ルン盛(?)…キャンパーから親しみを込めて「叔叔(シュウシュウ)(「おじさん」)と呼ばれている孫さんは、キャンパーの面倒をホントによくみてくれた。毎晩、医院までシャワーを浴びにいくときや、町まで買い出しに行くときに付き添ってくれた。身体に不自由なところがないシュウシュウは、果樹園でオレンジを栽培し、歩けない村人のために町へ買い物に行っている。
・ 陳宏広(75)…村でいちばんひどい傷を持っていた彼は、亡くなっていた。(下見報告の「許宏広」は「陳」の謝りでした。訂正してお詫び致します。)

★ 村管理会
・ 蘇文秀…村管理会の正主管生活員(村長)、生活資金出納員を務め、毎月約50元を医院の事務所から受け取る。薬局員でもあり、毎月事務所から40元の補助を受け取るという。
・ 方紹平…村管理会の副主管生活員。毎月事務所からの補助25元を受け取る。
・ 孫バン盛…村管理会の副主管生活員、集団食堂室炊事員、食料購入員。毎月事務所からの補助25元を受け取る。
・ 劉友南…医師助手、看護士、注射員。毎月事務所からの補助が32元支給される。
村管理会の成員への補助金は、村人1人につき1ヶ月120元支給される中から差し引いて支払われるという。

★リンホウ医院の職員9人(括弧内は10月の勤務日数。)
・黄紹傑…正院長。(7日間)
・翁炳祥…副院長。元正院長。来年、定年を迎える。(4日間)
・ 陸瑞光…医師。毎週1回巡回診察していることになっているが、診察らしいものをみたことはない。(11日間)
・許錦潮…資金出納員・薬品購入員。(9日間)
・ 黄楚偉…行政組長。医院でいちばん若い。兵役後、医院に割り当てられた。マークと仲良し。(7日間)
・ 高戦受(9日間)
・ 劉錦和(2日間)
・ 尚麗文(2日間)
・ 鄭嬋炎(7日間)

★医院の職員の給与
 この9人はみな国家より給与を受け取っており、毎月衛生局からそれが支給される。給与は3等級に分けられており、1級は毎月1人500元、2級は700元、3級は800元を受け取る。「職員の給与は皆とても高い」(劉友南)。

★医院の業務内容
職員2人1組で2日ずつ勤務し、1日目は医院に泊まりこむ。村の状況視察が義務付けられており、村長宅にある登記表―大学の出席カードのようなもので、代返可能―に名前を書くだけ。毎月8日は村人に生活費を支給する。支給額は1人120元。

2002年11月20日

第1回リンホウ村キャンプ報告

第1回リンホウ村キャンプ報告
主催:FIWC関東委員会
キャンプ地:広東省潮州市潮安県古巷鎮リンホウ村(ハンセン病快復村)
日程:10月31日〜11月18日
中国側日帰り参加者:朱佳栄(マーク)・呉欧宏(ジェイソン)・徐中茂(ハマー)・ツァイ=ジーシャン(ジル)・フェン=リーファン(ウィンディー)・蘇敏(スカイ)・パン=シュウカン(デリク)・陳秀華(アマンダ)・リトル・シエ=シュウチュン(シャロン)
日本側参加者:島倉陽子・西尾雄志・原田僚太郎・藤澤眞人・枡田香織・松村泉

<中国キャンプの概要>
 9月、リンホウの空は灰色だった。小雨が、壁の崩れた家に降りる。その薄暗い部屋には、顔や手足がくずれた老人が座り込んでおり、何度もため息をつく。

 
 第1回中国ワークキャンプは11月1日から17日、広東省潮州市潮安県古巷鎮リンホウ村にて開催され、中国人学生も参加してトイレを建設した。今回のキャンプでは、スタッフが立てた3つの目標―@村人との良い関係を築くこと、Aワーク(水洗トイレ・断熱材)を完成させること、Bその過程に中国人学生を巻き込むこと―を達成し、次回以降のキャンプの土台をつくることができた。
 また今回のキャンプでは、最終日の前日、村人全員に対してアンケートを実施し、「コ」の字型長屋の建設計画(集会所・倉庫・共同台所・新家屋・水道)の必要性に関して再調査した。これにより、ワーク計画の意義をあらためて確認することができた。再調査をした理由は、約3週間村で生活し、村人の生活を目の当たりにするうち、「コ」の字計画によってもたらされるかもしれない弊害は、その利益を上回るのではないかとの疑問をもったことにある。
 この聴き取り調査を村人1人1人に行ったことによるもう1つの大きな収穫は、中国人の学生がハンセン病問題を自分たちの問題として考えるようになったことだ。はじめは主に通訳係として村人の話を聞いていた彼らは、次第に村人の話にのめり込み、じっくりと村人の要望を聴きはじめ、通訳という任務を忘れることさえあった。この中国の学生たちは、FIWCの帰国後も村での活動をつづけることになっている。

2002年11月17日

インチンとの別れ

11月17日、空が青くさえ渡る。リンホウを去る日だ。マークは村人と打ち解けているが、この日までまだ握手をしたことはない。
   *
 午前8時すぎ、村人1人1人に別れをつげてまわる。許さんは静かに、お茶を入れつづける。合計で6杯飲んだ。
 蘇さんは紙片をくれる。<緒位日本朋友你們好身体健康、祝你們一路平安。敬礼再見>。握手し、消えそうな声で、
 「再見」。
 蘇さんに聞こえただろうか。
   *
 歩ける村人はすべて中庭に集まっている。まずはインイン・インチンのところへ行こう。
 「ハア、ハア、ハア、ハア…」
 インチンは薄い布団をかぶってうつぶせに横になっている。まさに「虫の息」だ。昨日も寝ていたが、具合が悪かったからか。インチンが搾り出す言葉を、入り口にたたずむマークが通訳する。帰路の安全を祈る言葉だ。
 時々、苦しそうに息が高くなる。インチンは、彼女の手をさすっている陽子に、おまえさんは親切だねと、泣く。涙を拭いてあげる泉。私はいたたまれなくなり、外に出て座り込み、泣いた。隔離政策が憎い。郭さんは私の肩に腕をおき、涙を流し、声をあげて泣き、
 「インチンは姉のような存在だ。みんな死んでいく…」。
 マークはしゃがみこんで郭さんの肩を抱き、うつむく。部屋からインチンの声がする。
 「私のことは心配しないで、幸せに日本に帰りなさい。謝謝、多謝…」。
 マークは彼女の部屋に入り、しゃがみこんでインチンを見る。陽子はひざまずいてインチンの手をさすりつづける。と、マークは、木のベッドに近づき、指が小さくなったインチンの手を両手で包み込んだ。しばらく動かない2人。
 「謝謝你、多謝你」。
 インチンはそう繰り返す。
   *
 「これがハンセン病を病んだ人の最後だ。おれは政府を許さない」。
 中庭に戻りながら私がいうと、マークは横を向いて目を落とし、2度3度うなずいた。
   *
 午前9時、潮州市のバスステーションに向かうバスを医院で待つ。院長は私の目を指差し、泣いただろという。黄組長はいつもの笑顔。
 医院の職員の不作為を憎むのは簡単だ。しかし、それでは何も変わらない。医院でいちばん若い黄組長がインチンを見舞うように、私はマークを通して頼んだ。組長は笑顔でうなずきながら握手してくれた。マークからのメール(2002年12月1日)によると、組長は医者を伴ってインチンを見舞った。彼女の病状は快復に向かっている。

2002年11月16日

調査時の村人・ジル・マーク

・ マーク
 村長宅で説明しているとき、村長が水道建設について資金面で心配していることをマークに伝えた。それに対し、日本でがんばって寄付を集めるから心配するなというとマークは「ありがとう!」という。マーク自身がこのプランを創っていっているとの自覚が芽生えた瞬間だ。
マークは台所の問題について医院・業者側と話し合ってくれるといっている。
・ ジル
 ジルは終始丁寧に熱心に説明をする。歩けない村人のところへいくときはしゃがみ込んで目線を同じ高さにして話す。話したいことがたくさんある村人は話しが長くなりがちだが、いやな顔ひとつしない。村長宅での説明が終わり通訳のお礼を言うと、ジルは「私たちの義務よ」と軽くいう。
・ 許炳遂
 ジルの説明を聞きながら許さんは「好(いいね)」を連発。笑い声も多く聞かれる。水道設置については、他人に頼らずに生活できると喜んでいる。
・ 曽繁餘
 いつもはシャイな曽さんは酒の勢いを借りてしゃべりまくる。ジルとマークは圧倒されている。話したいことがかなりたまっているようだ。以前彼の家を訪れたとき、玄関先に椅子を出し座らせてくれた。曽さんは部屋の奥に座り、合計2本タバコをくれた。ときどき話しかけてくれるのだが、言葉がわからずもどかしい思いをした。彼は手に力が入りにくいので筆談が難しいのだ。
 曽さんとは80分近く話し合ったが、さまざまな理由で現在の家に住みつづけるという。主な理由は、酔って騒ぐと迷惑をかけること、彼の家は安全であること、発電係なので、発電機に隣接する現在の家に住んでいる方が仕事をしやすいことだ。
 曽さんは最後にジルと握手して言った、「ジルは女を代表して、おれは男を代表して感謝する」。

・ 蔡玩銀・蔡玩郷・許若深
 ジルの説明を、玩銀は例の高い声で「ウッフフ…」と笑いながらうれしそうに聞いている。若深さんも「好、好」といいながら聞いている。ただ、共同台所の説明に入ると、2人とも少し困った表情と口調になる。台所の問題は慎重に考えていかなければならない。仲の良い姉の玩郷は昼寝中だったので、玩銀に彼女の意見を推測してもらった。

・劉友南
 劉さん自身は特別生活に困っている風ではない。目は悪いが、その他の身体が不自由なわけでもなく、ガスを使って料理しており、部屋もきれいにしている。それでも家屋新築計画に賛成してくれたのは、彼が他の身体が不自由な村人の側に立ってこの計画を考えてくれたからだ。

・郭リン浩
 「いい案だ。満足だ」といって郭さんはマークと握手した。マークにとって初めての握手だ。

・ 陸裕城
 陸さんは終始淡々としていた。集会所については、テレビを遅くまで見ると村人の眠りを妨げるので、村人の部屋から離れた所につくるFIWC案の方が村長案よりもいいとのことだった。
・ 孫バン盛
 孫さんはプラン案を渡すとまず「好」、集会所を見てさらに「好」。集会所の位置については陸さんと同じ理由でFIWC案に賛成。劉さんと他の村人との関係が気になったので少し突っ込んできいてみると、いざこざはないとしか言わなかった。少しかわった性格だとは言っていた。

調査を終えて…
家の老朽化は外見では判断しにくい。室内に入ってみたり、長年住んでいる人にしかわからない問題だ。
 キャンパーは村人よりはるかに物質的に豊な暮らしをしており、身体も不自由ではないので、村人の生活を本当に理解してはいなかった。1日につき1人20元使って毎日肉を食い、常に満腹状態。歩いて30秒ほどのトイレにも懐中電燈を持っていくことができる。あたたかいシャワーを毎日、医院で浴びることができる。郭さんが運んでくる水も使いたい放題。寝泊りしたのは村でいちばんいい部屋・長屋A。それで村人と同じ生活をしているような気になっていた。しかし、村人の生活はもっと過酷だ。食費に割くことができるのは、1日4元。日本で使う日本円でなら約600円の価値しかない。肉は滅多に食えない。皆やせている。トイレは松葉杖をついて石だらけの草原を歩いていく。尿瓶ですませている歩けない村人もいる。風呂は長屋の裏で身体を拭く程度だ。水は1日バケツ2杯を節約しながら使う。叔叔に何度ムダ使いをとがめられたことか。家にはヒビが入り、夜は寒い。


★問題点
 1.「トイレ、あるがな!」
 村にはトイレがないと聞いていたが、あった。石を積んでつくった、縦3m・横2m・深さ2.5mのコエダメの上に、墓石でできた踏み台が4つ張り出しているという簡単なトイレ(中国では墓石が再利用される)。小さな壷をセメントで固めた囲いと木製の屋根もついている。ただ、排泄物は丸見えで、緑色に輝く背中をしたハエだけでなく、ハチやアリもびっちりとたかっており、中国人女子大生は引いていたが。
 このトイレは郭さん宅の裏にある。右足がなく松葉杖をついている村長は、石だらけの道なき道を1分ほどかけてゆっくりとトイレに向かう。歩けない村人は利用不可能。そもそも彼らには遠すぎる。

調査

調査
ハンダ・リンホウ医院の計画:15部屋の長屋(うち1室は共同台所)・倉庫・集会所

調査をするにいたった動機:
@村人が現在住んでいる家は倒壊寸前といえるほど老朽化してはいないようにみえる。
A村人は1人で2〜3部屋を使っており、倉庫や鶏小屋に多くのスペースを割いているため、新しく建設する部屋では小さすぎるのではないか。
B村人の食事は各自がその嗜好に合わせて料理しているので、狭い共同台所は利用されないのではないか。
Cそのため、結局村人は七輪を使い続けるが、新しい室内をススで汚すまいと気を遣い、結果として屋外で料理することとなり、雨の日や寒い日に困るのではないか。
D下見時はハンダ・医院と鎮の衛生局長・はじめてみる日本人の総勢十数名が1人の村人の所に押し寄せ、自由に反対意見をいえなかったのではないか。
E下見の時間が半日と短かったため、ハンダと医院の計画にぶら下がっているだけで、村人の必要とはかけ離れた建設計画であり、村人の生活を改悪してしまうのではないか。
F水くみを愛する郭さんは水道ができたら失望するのではないか。
G劉さんは一部の村人との関係がうまくいっていないので、共同生活はつらいのではないか。
⇒FIWCによる代替案:13部屋の長屋・集会所・倉庫・鶏小屋・共同台所(広い部屋に複数のカマド)

調査項目:
1. 現在の部屋の危険性
2. 共同台所
3. 鶏小屋
4. 倉庫
5. 水道
6. 共同生活
7. 部屋の大きさ
8. 疑問点・不安な点
※ 平均で1人20分以上の時間をかけた。家屋新築完成予定図を渡し、まずジルがプランの全容を説明し、その後、上記の質問事項をきいた。


1.現在住んでいる家の危険性
 現在の住居の安全性にはかなりのひらきがある。
危険だと答えた人
・許炳遂
 現在住んでいる家は「屋根が動いている」そうだ。この築22年の木造建築物はシロアリに食われ、庇の傾斜が次第に角度を増している。
・許若深・蔡玩銀・蔡玩郷
 若深さんの部屋は、室内から空が見える。村でもっとも危険なのは玩銀・玩郷がいる長屋だ。シロアリのために屋根が危ない。窓は斜めに角材を打ちつけて補強してあるため、開かない。特に危険なのは壁で、室内の四隅にヒビが入っており、それは床から天井―といっても天井は張っていないが―までに走っている。ヒビの幅は平均5cm、最大7cmだ。
・ 蘇文秀・方紹平
 シロアリの被害で壁が崩れ、ヒビが入っている。古い家には天井板が張られていないので夜寒い。そのため、2人は長屋Aで寝ている。

安全だと答えた人
・ 曽繁餘
 曽さんの家は長屋Aと同じ時に建てられた発電所なので、「安全で強い」と本人は語るが、実際に寝ているのは隣接する建物で、それは安全には見えない。
・許松立・蘇振權
 2人の家は築後20年以上たつが問題ない。特に松立さんは部屋をキレイに磨き上げ、大事に使っているのがよくわかる。
・劉友南
 室内にはお札や造花、新聞の切りぬきや絵がはってあり、とてもきれいにしている劉さんの家は十分住むことができる。しかし「他の村人の家は危険なので、新しい家を建てたほうがいい」と語った。
・ 陸裕城・孫バン盛
2人は家屋新築計画の一部に含まれる予定の「長屋A」に住んでいるので安全だ。
・郭リン浩
 郭さんは自宅について「安全でキレイ」と語るが、見るからに壊れそう。外側の壁には角材で補強したあとがたくさんある。塗り壁もはがれ落ちている部分が目立つ。棟梁の息子が石をぶつけると1mほどヒビが入った。夜は寒いという郭さんは、長ズボンを2枚はいて寝ている。

2.共同台所
 今回の計画の成否を鍵を握っているのはこの共同台所だ。
※以下は表にするか??
・ 狭い共同台所で一遍に料理…それぞれ食事の時間が違ったり、食べ物の好みが違う。(蘇文秀・方紹平)
・ 広い共同台所に複数のカマド…煙たくなりすぎる。(許炳遂・曽繁餘)
・ 換気扇をつける(原田案)…維持費は?
・ 各自が七輪で料理…部屋がススで真っ黒になる。現在のように台所と生活空間を分けるだけの部屋数もない。
・ 外ノ七輪をおく…雨の日や寒い日は大変。(許炳遂)
・ 共同の台所に七輪をおく…同時に皆が使うと煙たくなりすぎる。
・ 各自が自室でプロパンガスを使う…ガス代・町まで運ぶための人件費。(許炳遂・許若深・蔡玩郷・蔡玩銀)
・ 現在ガスを使っているのでどちらでもいい(劉友南・陸裕城・孫バン盛)
・特に異存はない(許松立・蘇振權・郭リン浩)
・ 煙突つきのカマドを共同台所にたくさんつくる(藤澤案)

3.鶏小屋
 意外なことに13人全員が鶏小屋はいらないという。屋外で飼うそうだ。ただ1人「鶏小屋があった方がいいかもしれない」と言ったのは曽繁餘さん。理由は、「鶏を放し飼いにしていると、犬に食われる可能性があるから」。そんな彼のジレンマは、「放し飼いにすればりっぱな卵を生んでくれる」こと。

4.倉庫・5.水道
 倉庫・水道については全員の賛成を得ることができた。許ヘイスイさんは「他人に頼らなくていいのがうれしい」とかたった。孫さんは建設費用が高くなることを心配してくれた。問題は郭朕浩さんだった。藤澤と私は郭さんの水くみに毎朝ついて周り、彼が水くみを愛していることを目の当たりにした。郭さんは村人に水を運ぶことによって少額の賃金を得ているが、単なるアルバイトとして水くみをしているとは思えない愛情を井戸とその水を運ぶ天秤棒・バケツに対して抱いている。井戸にタバコが落ちていたときのあの怒り様。天秤棒は決して地べたにおかず、もし泥がつけば即洗う。バケツの取っ手と天秤棒を結ぶロープが切れそうになったため、四川省の若い女の人がロープを手荒く直してくれたのだが、そのときの郭さんの心配そうな顔。そんな郭さんから水くみという仕事を奪うことは残酷なことに思えた。しかし、水道を引くことに賛成してくれた。悲しみは感じるとはいっていたが。村長と方さんは、郭さんが生活費を稼ぐ他の仕事を探してくれるといっている。

6.共同生活
 村人13人全員が1ヶ所に集まって暮らすことへの不安はないのか。劉さんと他の村人の仲がどうなっているのか、今回の取材では把握しきれなかった。それをほのめかす客観的事実は3つある。1つは、郭さんの水くみに同行した陽子が劉さんと握手し、彼の部屋に入ったときに郭さんが異常に怒ったこと、村の管理会のメンバー3人を紹介したとき村長は劉さんを含めなかったが、劉さんからの手紙によると彼も管理会のメンバー4人のうちの1人だということ、孫さんに伴われて陽子と泉が市場へ行く途中劉さんとすれ違ったとき、孫さんは彼女らが劉さんと話すのをやめさせようとしたことがある。
・ 村長・方さん
時には対立することもあるだろう。ぶつかり合いがない方がおかしい。しかし、それよりも重要なことは互いに助け合うことだ。特別な性格をもった人もおり、はじめから全員が新しい長屋に引っ越してくるのは難しいかもしれない。引っ越したくない人もいる。しかし、いずれは皆がともにくらせるだろう。
※ なぜこのようなことを言えるほど人間ができている人たちが隔離され、愛する家族から引き離されなければならないのか。普通に生活していたら彼らもそこらへんにいる人間と変わらない・卑しい人間になっていたかもしれない。極限状態で生きている彼らだからこそ、このようなことが言えるまでに人格を陶冶できたのかもしれない。人間とは悲しい生き物だ。追い詰められて初めてここまで悟ることができる。彼らと1人でも多くの人が知り合うこと―人類に残された1つの可能性だろう。マークは変わった。その生きた証拠だ。彼らの生き様を伝えることこそ、おれに課せられた使命だ。
・ 曽繁餘
他の村人は集まって暮らすのが大事だ。おれは静かに・1人で暮らす。おれは酒好きで、騒いでみんなに迷惑をかけるのがおちだからな。寂しくないかって?心配しすぎだ。
・ 許炳遂
他の村人の意見を尊重する。
・ 許松立・蘇振權
心配いらない。助け合うことができるので、今よりも生活は楽に・便利になるだろう。確かに生活は劇的に変化するだろうが、平気だ。
・ 郭リン浩
問題ない。みんな協力して一緒に住むべきだ。
・ 許若深・蔡玩郷・蔡玩銀
問題ない。引越しを手伝ってくれさえすれば。(そう語る玩郷は8月の家屋完成まで生きていられるだろうか…)
・ 劉友南
このことについては心配していない。
・ 孫バン盛・陸裕城
問題ない。

7.部屋の大きさ
 全員が長屋Aの大きさで構わないといっている。ただし、今のところ曽さんは、先に書いたように引越してこないといっている。

8.質問・心配な点
 郭さんが古い家を壊さないように頼んだ他は、質問・心配な点はでなかった。

村長・方さんの代替案:長屋Bの5部屋の真ん中に集会所をつくり、共同台所・鶏小屋はつくらず、倉庫だけつくる。

2002年11月15日

蘇文秀村長との筆談

村長「昨晩は<飯店>にいたのか」。
原田「はい、<飯店>でヘビしゃぶを食べましたよ」。
村長「いくらだったんだ」。
原田「泉が払ったのでわかりません」。
村長「おまえさんは来年の2月か3月にくるのか」。
原田「ぼくは確実に来ます。新しいキャンパーも来るはずですよ。日本人10人・中国人10人で来たいと思ってます」。

村長「西尾委員長、昨日かいた7210元の建設の領収書をもって明日院長を尋ね、院長印をおしてもらいなさい。会計計算に都合がいいように」。
原田「夜のパーティーのときに持っていけばいいですかね」。
村長「パーティーは昼だろ」。
原田「昼は村でお別れパーティーですよ。11時半の約束でしたよね」。
村長「医院が昼に準備しているからそっちにいけ」。
原田「医院の職員が明日の昼にパーティーを用意しているんですか」。
村長「そうだ」。
原田「でも、もう師範学院の学生を村でのパーティーに招待しちゃいましたよ。医院でのパーティーは夜だって師範学院の学生・朱が昨日いってましたよ」。
村長「おれは昼だと聞いている。職員からいわれてないのか」。
原田「昨日、朱がそういってましたけど、昼間は村でパーティーがあるからと断り、夜にずらしてもらいました」。
村長「今晩、医院に風呂にいったときにでも知らされるだろう」。

村長<僚太郎毎天至各地交談生活状況、很好>