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本日の語り場 [2007年10月30日(Tue)]

3ヶ月に1度くらいのペースで回ってくる、会長との語り場。

いつもは役員(会長・理事長・常務理事4名)ずらりと勢ぞろいなのですが、今日は会長と常務理事1名のみと、だいぶ話しやすい雰囲気でした。

今回のテーマは、「会長をいじめる会」。

日頃の業務で感じている疑問や、このままでいいのか日本財団!という疑問を、直接会長にぶつけよう、という意図から。


…おもしろかった。

会長と職員との双方向のコミュニケーションができ、今までの語り場で一番、本来語り場が目指していた雰囲気に近かったような気がします。

忘れないうちに、印象に残った言葉。

---------------

・何かをやり遂げるには、10年間やり続けなければいけない。

・人の批判は気にしない方が良い。人が批判するということは、それだけ評価(期待)されているということ。

・(財団会長としての仕事と、個人としての仕事と、どう分けている?という質問に対して:)
 自分は「公人」。分けられるものではない。
 ただひとつ、お金の管理についてだけはきっちり分けている。

・情報には、2種類ある。
 すぐ役に立たなくなる情報と、今すぐは役に立たないが人物形成の糧となる情報。
 若いうちは、まず濫読すること。

・プロのスポーツ選手はトレーニングをする。
 サラリーマンは9時17時の間事務所にいれば仕事をしていると、勘違いをしている。
 トレーニングをしないで試合だけしているようなもの。
 プロであるならば、試合以外の時間でのトレーニングは、仕事をする上で不可欠。

・ボランティア支援について
 (……は、まとめきれていないので、後日きちんと整理して出したいと思います。)

---------------

やっぱり、役員と直接話す場は、業務に関連する話をした方が、現実的な本音を聞けて面白い。
職場のコミュニケーションが円滑にいっているかどうかは、業務に直接影響するから。

ちょっと靄が晴れた一日でした。
帰国報告 [2007年10月23日(Tue)]

先ほど、スーツケースと荷物たちをロンドンの空港に残して、体は全員無事に帰国いたしました。

18日間の長い出張が、なんとか終了しました。
どれくらい長いかというと、途中で2回爪を切らなきゃいけないくらい、長い。(え? 解りにくい?)


少し前のクレジットカードのCMであった、゛There's something money can't buy゛(お金で買えない価値がある)という文句。

今回の出張は、本当にそんな価値の出張だったと思う。

このような機会をつくってくださった方々と、
同行者の皆さんと、
現地で受入対応していただいた方々と、
日本で留守中見守っていただいた皆さんに、
心から感謝します。
ありがとうございました。

pricelessな体験談の中味は、後ほどアップします。


とりいそぎ、帰国のご報告まで。



(写真は最終国アゼルバイジャンの空港にて、荷物チェック×3回とパスポートチェック×2回をくぐり抜け、ようやく飛行機に乗りこむところ。)
4カ国目:トルコ [2007年10月17日(Wed)]

トルコはイスタンブールに来ています。

本出張、4カ国目。

アンカラで調整中だった面談がキャンセルになり、怒涛のインド・ネパールから比べるとだいぶ時間に余裕のあるスケジュール。

ちょっと中休み。

でもまだあと半分!


トルコは思ったよりヨーロッパ色が濃い。
けれどトルコ通の方々いわく、街によって全く印象が違うとのこと。

捉えどころがどこか解るまで時間がかかりそうな、不思議な国です。
from Nepal [2007年10月15日(Mon)]



Now I'm writing this at the international airport in Nepal.

We had delegation of 12 members in India and Nepal, including 3 members from Kokusai(International) Department and 1 from Kouhou (Publicity) Team from TNF, two members from Sasakawa Memorial Health Foundation, and two reporters from local newspaper in Japan.

Now we are back to 7 ppl, flying to Istanbul, Turkey.

Little trouble with my throat, but so far, so good.

A lot to see, a lot to experience, just hope that my cold will go away soon.

*********************
Nepal no kokusai kuukou de korewo kaite imasu.

India to Nepal ha souzei 12 nin no ikkou dattakeredo, kokokara ha mata 7 nin ni modorimasu.

Kon-ya no flight de, Toruko no Istanbul he.

Nodo no choushi ga warui no ga sukoshi kininarukeredo, soreigai ha imano tokoro jyunchou desu.

Miru koto mo keiken suru koto mo takusan, hayaku kaze ga naori masu you---- ni!
インド9:終わりのない闘い [2007年10月12日(Fri)]

Trombay Colonyからの帰り道、車窓からの風景を見ながら考えさせられてしまった。


線路沿いにスラム街が並ぶ。

どこからどこまでを「スラム街」と呼んでいいのか、わからない。
ゴミと見分けがつかないような、ベニヤ板やビニールシートの廃材で組み立てられた家々。

その中で横になり眠る人、そして家の前で煮炊きする人。
路上で物乞いをする人々は、夜こういう家に帰っていくのだろうか。

そんな町並みが、コロニーを出てムンバイ中心地まで向かう約2時間の渋滞の間中、延々と続く。



インドでは、「物乞い」が職業だ。

ある人の話によると、リキシャの運転手をして稼ぐ金が、一日150ルピーほど(約450円)。
うち、ガソリン代などを抜くと、手元には30ルピーほどしか残らない。

物乞いをすると、60〜70ルピー手に入るという。
そして大人よりも子どもの方が、“稼ぎ”やすい。



そんな状況のインドという国の中で、ハンセン病患者および回復者の尊厳回復を目指す。
社会復帰、経済的自立を目指す。

コロニーの外では、同じように経済的に自立できていない人々が何万といる国で。

どこまでいったら終わりなんだろう。

式典やメディアインタビューで繰り返される言葉。それは、
目標は、インドのハンセン病コロニーから物乞いをなくすこと。
そして、インドからハンセン病コロニーをなくすこと



自ら進んで物乞いをする人たちに、もらうのではなく働くことで報酬を得ることの方が尊いのだと気づかせる。
物乞いよりも、収入の高い職業を確保する。

それは、言葉でいうのは簡単だけれど、とてつもなく困難な作業だ。


終わりのない闘い。
まだ、始まったばかり。








インド8:beggerのいない集落、Trombay Colony [2007年10月12日(Fri)]

10/12(金)午後、全員合流して向かった先は、Trombay Colony。


1942年に設立されたこのコロニーでは、約3,500人のハンセン病回復者およびその家族たちが暮らす。

子どもの数は1,040人。

この集落では1965年に学校が建てられ、集落内外の子どもたちに対して無料で教育を行っている。
学校に通う子どもの55%は、集落の外から通う子たちだ。

こうして、ただ一方的に支援を受けるのではなく、周辺の貧しい家庭の子どもにも無料の教育を提供することで、give and take の、差別のない関係が築かれていっている。


ここの集落では、物乞いをして生計を立てている人がいない。
それが、ここに暮らす人たちの誇りだそうだ。



集落を歩いていると、髪をおさげに編んだ制服姿の女の子たちが、あちこちから出てくる。
みんなすごい笑顔で、人懐こい。

まるでハーメルンの笛吹き男のように、子どもたちが集団になって後からついてくる。
(特にシンザトさんとJonathan、大人気。)

人々の表情が、とにかく明るい。
建物も新しく、清潔。
「ここに住め」といわれたら、住んでも良いくらい。


インドには700のハンセン病コロニーがあるといわれているけれど、きっと状況は千差万別なのだろう。
そして、日本から来る私たち一行に見せてくれるのは、その中でも比較的状態の良いところなのだろう。

それを踏まえても、これまで抱いていたハンセン病コロニーのイメージを大きく覆すような雰囲気だった。




…正直、大人数なので、あまりじっくり話を聞くことができませんでした。
(ここに書いてある情報は、ほとんど帰りのバスの中で田南さんがアナウンスマイクで話してくださったこと。)

そしてここではカメラマン・ナツさんと一緒だったので、写真を撮りませんでした。

代わりに、ムンバイの風景を。







インド7:Sanjai Nagar Colonyの風景 [2007年10月12日(Fri)]



私たちが訪れたときは、ちょうどヒンデゥー教のNavratriのお祭りの初日。
9日間、夜通し食べて踊って騒ぎ続けるらしい。

コロニーの小さな寺院に祭られた神様。




集落の入り口にある、看板&ステッカー屋。
回復者の方やその家族たちが働く。

小さな男の子が歩み寄り、紙とペンを差し出し"what's your name?"と訊く。
紙に名前を書くと、愛想よく笑うわけでもなく、スッといなくなる。

なんだろう?と思っていると、集会所に私の名前がプリントされたステッカーを持ってきてくれた。
1分足らずの、早わざ。

びっくり。

ありがとう。







インド6:川べりの集落、Sanjai Nagar Colony [2007年10月12日(Fri)]

10/12(金)

朝一の飛行機で、笹川記念保健協力財団の山口さんと、たっしーはネパールへ。


残された人たちは2組に別れ、
1組目は午前中ホテルにて、財界・NGO関係者と面談。

2組目、日本から取材に来ている地方新聞記者のお2人と、記念保健のライターJonathanと私の4人は、ムンバイ近郊のハンセン病患者・回復者が暮らすコロニーを訪問することに。



街中にあるSanjai Nagar Colony


初めてとなるコロニー訪問。
行き先は、“Sanjai Nagar Colony”。

ホテルで頼んだ車のドライバーが、とても良い人だった。

英語はうまいし、
案内役としてついてきてくれた回復者の方の通訳はしてくれるし、
コロニーに着いて車を停めた時も、「一緒に来る?」と聞くと二つ返事でついてきてくれた。

最初の行き先だったハンセン病病院に行くことも、ハンセン病回復者の人を乗車させることも、コロニーに入ることも拒まれるんじゃないかと内心心配していたけれど。
心配無用。


ハンセン病回復者の方と歩いていても奇異な目で見られることが少ない気がするのは、私に気構えがあったからだろうか。
それとも、それだけハンセン病回復者人たちの数が多くて、慣れているからだろうか。


ムンバイ中心地から、車で約1時間半。
裕福とはいえない住宅が並ぶ町沿いを走っていたかと思うと、急に道沿いでドライバーが車を停める。

そこがコロニーだった。


1963年に設立されたというこのコロニーでは、現在約1,000人のハンセン病回復者やその家族たちが暮らしている。

集落を案内してもらう。
本当に、川のすぐ側に家が建っている。

日本の部落差別を連想させる。

実際、2005年6月に川の水が氾濫した時は、50軒もの家々が流されたという。
危険と隣り合わせ。

ただ、それを除けば、集落の中はわりと清潔だ
(といっても、ムンバイの周辺の家々と比較した場合での話だけれど)。


私たちのためにわざわざ仕事を休んできたという若い男性が、ヒンディー語しか話さない住民の言葉を通訳してくれる。
この集落から大学卒業者を出したということが、何よりも住民みんなの誇りのようだ。


家のすぐ脇を流れる川



この集落で何か問題はある? と尋ねると、職業の話が一番に出てきた。

問題その1。

一番多い職業はリキシャ(インドでよく見かける三輪バイク)の運転手だが、リキシャの運転手になるには免許証が必要。
リキシャ免許証は1年に発行される数が政府により定められており、すぐ発行が締め切られてしまう。
そのため、賄賂を積まなければ免許証を得ることができない。
しかし、賄賂を送るだけの金の余裕がない。

正規の免許証をとれるように政府に配慮して欲しい。


問題その2。

民間の企業に就職している者も何人かいるが、あまり良い職業ではない。
政府の職に就きたい。
(このことは異口同音に多くの回復者の方々が口にしていた)


問題その3。

土地が狭い。


問題その4。

もっと政府からの支援が必要(生活費)。


家と家の間の狭い路地を通っていく


帰り際、コミュニティーホール(集会所のような部屋)で、15人ほどのコロニーの自治会の人たちに詰め寄られる。

“この現状を見たのだから、必要な支援をくれ”。

言葉はストレートではないけれど、そのようなことを言われた。

思わず、一瞬言葉を失う。
が、負けてはいかん、と思い、設立されたばかりのSILFの設立趣旨と、今後予定されている活動を説明し、
「支援をもらうだけではなく、どんなプロジェクトをどのようにやっていくのがいいか、あなたたちの意見と協力が必要」
と、とりあえずキレイ事を並べる。
SILFの理事会をちゃんと聞いていてよかった)

なんとかその場は納得してもらえたようだったけれど。


SILFのお披露目式典に代表者が来るようなコロニーの自治会でさえ、必要な支援は「生活費のための補助金」だという。

ただお金を渡すだけの支援では、状況は改善しないことは明確なのに。


人々の意識を変えていくことは、困難で、果てしなく根気がいる作業だ。
その困難さを、改めて痛感させられた。


コミュニティーの中にある集会所



カメラを向けると、みんななぜか集合して家族写真(…に、なりきりませんでした)
インド5:人が溢れる町、ムンバイ [2007年10月11日(Thu)]

10/10(水)

午後、SILF立ち上げ式典。
今回の出張の一、二番を争う目玉……だけどここはブログマガジンの記事で詳しく紹介されているので、そちらに譲ります。

夜、お披露目パーティー。


10/11(木)

朝8:00 デリー発、飛行機でムンバイへ移動。

財界の人たちやメディアとの個別インタビューに続き、
夜はSILFのお披露目パーティー。

なぜ同じ内容のものを2ヵ所でやるのかというと、多くの企業が集まるムンバイにおいて、インド国内の企業からSILFの活動を支える基金を集めるためです。




デリーといえば首都であり政治の中心、一方ムンバイは企業が集まるインド最大の商業都市。
私の狭いインド理解では、デリーは東京でいう霞ヶ関、ムンバイは新宿のイメージ。
(伝わるでしょうか。……あってるでしょうか??)

街の雰囲気しかり、建物の汚さしかり。



ムンバイは、港町。
デリーもそうだったけれど、街全体がもやに覆われているように見える。
排気ガスのせいなのか、湿度のせいなのか、はたまた両方なのか。

デリーに比べて、緑がほとんどない。
建物は古い重厚なものが多く、ところどころに同じくらい年季の入ったガジュマル(?)らしき木が、建物に寄りかかって生えている。

インドのアパートは、色彩豊かだ。
無機質なコンクリートの箱を飾るように、窓枠の中に色とりどりの布が干されている。


布の使い方は、感動的。
アフリカもそうだけど、衣服の原点は布だということを思わせる。
袖や、ウエストやズボンがなくても、布1枚で人は生きていける。




川の向こうに広がるスラム





ムンバイ大学



インドではクリケットが大人気、らしい


“life work”の重み [2007年10月10日(Wed)]

インドでは、分刻みのスケジュール。
大げさでなく、1日に8個くらいアポが入る。

現地に有能なコーディネーターがいると、忙しくなる。
(勝手がわからない土地で、現地コーディネーターがいなければかなり余裕をもったスケジュールを組まざるを得なくなるだろうから)

でも異国で、自分たちの活動を理解して、動いてくれる人たちがいるのは有り難いことだ。

と、それはさておき。



「ハンセン病が私のライフワークです」
と、会長がよく仰る言葉。


インドでの過密なスケジュールを過ごしながら、“life work”という言葉の重みを感じた。


激務だ。

誰よりも一番頭を動かしているのは会長だ。

随行者も大変だけれど、少人数しか入れない要人との面談の間休むことはできるし、
常に気を配っていなければいけないけれども、周囲から注目されているわけではない。

一挙一動が見られている。
何をしゃべるのか。
誰と話すのか。
誰と握手するのか。
食べるのか。食べないのか。

この注目があるからこそ、
ハンセン病コロニーを訪問して、回復者の人たちと握手をして、
公式の場で回復者の方にかけよって挨拶をすることで、
メディアや社会に影響を与えていくことができるのだろう。


performanceといってしまえば、そうかもしれない。
でも、performance based on critical thinking and devotive passion.


デリーでのSILF立ち上げ式典で、Dr.Dasが話されていた、
「この3年間で20回インドを訪問した。今回も、この後4カ国を訪問する。この激務をこなすには強い情熱がないとできないことは想像できるだろう」


“devote life”
命をかける、という言葉の意味。


ギリシャで一緒だったUさんが言っていた、
“命がけの仕事はあるけど、命より大事な仕事はない”という言葉を思い出す。


でも明らかに、身体を削ってやっている。
もっと余裕のあるスケジュールで、身体を削らずに、やる方法もあるのでは?という気もする。



インドの車窓から



旅は、まだまだ続きます。
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