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deaf と Deaf の違い [2009年11月05日(Thu)]



手話の世界を訪ねよう
亀井伸孝
岩波ジュニア新書

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手話ネタ、3連続の最後です(たぶん)。


手話を勉強し始めたときに秋山なみさんと亀井さんによる共著『手話でいこう』を借りて読んでいたけど、それ以来の再会。

手話を聴者の文化から見るのではなく、日本語とは異なる「ろう文化」に基づく言語として理解してもらいたい、と書かれた入門書。

ろう文化について、言語として認められなかった苦い歴史について(残念ながらまだ一般的には言語としての認識は低い)や、世界各地のろう文化についてもわかりやすくまとめられています。


文化人類学者の観点から手話の世界をみる視点が、新鮮で面白い。
(しかもご専門はアフリカのろう文化)

ひとつの異言語、異文化であれば、中国やアフリカを研究する学者がいるように、ろう文化を研究する文化人類学者がいても当然。



手話とろう者の定義について:

世界各地で、耳の聞こえない人たちの集まりが、手指や顔の表情を用いた視覚的な言語を話していることが知られている。
この諸言語を『手話(手話言語)』と総称し、この人びとを『ろう者』と呼ぶ
」。


他、印象に残ったこと:
・『the Deaf』と『the deaf』の違い

「(自分は「ろう」という文化集団のひとりだという)アイデンティティに基づいたろう者の自称として、アメリカ英語では、Dを大文字とする『the Deaf』という表現がよく使われています。
小文字の『the deaf』が聞こえない人びと全般を指す広い医学的な表現であるのに対して、『the Deaf』は本人の文化への帰属意識に基づいた文化人類学的なカテゴリーです

(pp.73〜74)


・アフリカにおいて、ろう者に対する教育の向上などの初期の開発支援は牧師によってなされたこと。
黒人で初めてギャローデット大学を卒業し、「アフリカろう教育の父」といわれたアメリカ人のアンドリュー・フォスター牧師。

やっぱりこういう活動の初期にミッショナリーが果たした役割はすごいと思う。
(ハンセン病患者・回復者のケアも、ミッショナリーの存在抜きには語れません)



先週の報告会で亀井さんとお会いした際に、聴者と話すときでも自然と手話がついていました。
その滑らかさにすごい〜と思わず見入ってしまったけど、あれは手話と日本語両方一度に話していたのか? それとも日本語対応手話だったのか??

次に機会があったら手話に集中して見習わさせていただきたいと思います。
(同じように二言語同時に話せるようになるには、だいぶハードル高いけど…)
証人調書 らい予防法国賠訴訟 [2009年01月02日(Fri)]

証人調書1「らい予防法国賠訴訟」大谷藤郎証言
発行:皓星社


お正月から少々重い本を読んでます。
週末は仕事を忘れたいけど、長い休みの一日くらいは思い出してもいいや。


ハンセン病事業のパートナー、笹川記念保健協力財団の理事の大谷藤郎先生。
隔離政策が徹底される中で往来診療を行っていた小笠原登氏の弟子として学ばれ、厚生省医務局長、楓風協会理事長などを務められた方です。


去年10月のダミアン・ダットン賞受賞式で、日本財団広報アドバイザーのイシイさんとお知り合いだったことが判り、流れ流れてお借りした本。


1996年の「らい予防法」廃止後、この法律によってもたらされた被害に対する国家賠償請求を求めて起こされた裁判の証言記録。


印象に残った言葉。

----------------

私がらい予防法廃止を提起したのは、らいは伝染病でないからしたんだと短絡してお考えになっている方もいるが、
私も小笠原登も、らいは感染症であるという点では全く認めているけれども、それが社会から全く排除してしまうに足るだけのものであるかという点において、
それはそういう必要は全然ないと、
普通の病気の注意するのと同じであると、
STDといわれる性病や肝炎といった病気のほうがむしろ社会的には伝染の危険性があるが、しかしそれを世界的に隔離しようなんてことは当然考えられていないわけで、そういう視点から見ますとハンセン病を隔離するらい予防法というものはあり得るわけがないというふうに思われます。


ハンセン病問題については、単に伝染病でないことが分かりましたと、それじゃらい予防法を廃止しましたということで終わってしまうのではいけないのではないかと、
なぜこのように長くこういうふうになったかという点を明らかにしていくことが必要ではないかなと思っていた。

もちろん刑事訴追をするとか、告発をするとかいうようなことを申し上げているのではありませんで、一人ひとり自分の良心に照らして、(中略)
自分は一体何をしたのかということについて医学者、政府関係者だけでなしに、政治の方々も、関係のマスコミの方々も、更に言えば法曹の方々も、この問題について自分はどういう役割があったかなということを考えてみる必要があるのではないかなと思っている
(pp.168-170 ※一部要約)

----------------

ところどころ軽快退所や「難しい問題だと」言葉が曖昧になるところはあるけれど、双方からの質問に対して首尾一貫して自分の考えを述べる姿勢には、自分の責任を見つめて闘おうとする誠意が滲み出ているような気がしました。

法律撤廃の背景には、大谷先生だけでなく、入園者はもちろん様々な立場の方々の闘いがあったことを改めて感じさせられました。
『裸でも生きる』 [2008年02月18日(Mon)]

『裸でも生きる ―25歳女性起業家の号泣戦記―』
著者 山口 絵理子
発行 講談社
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いつもエネルギッシュなパワーをもらう、モリさんからお借りした本。

バングラデシュで天然繊維・ジュートを使用したバッグを生産し、日本で販売する「MOTHER HOUSE」というブランドを起こした女性の手記。


印象に残った部分を抜粋。

* * * * * *

(バングラデシュで初めてスラムを見て:)

「私は、どうして日本に生まれたんだろう。
もしこのスラムの中で生まれていたら、いったいどうやって生きていって、何を考えたのだろう。何かを考えることすらできなかったかもしれない。
どうしてこんな世界が今なお当たり前のように存在しているんだろう」(p.77)


「車にはねられても一言も言えずに立ち去る少年も、クラスメイトの女性も、リキシャ引きになる少年も、洪水の中泳いで薬を買いに行く子どもも、みんな、生きるために、生きていた。
そこに生まれなければ発揮できたはずの沢山の可能性がある。
しかし、正義や努力が日の目をみない腐った社会でも、自分の生きる道を何とか切開き、力強く、生きていた。」(p.111)


「ビジネスはビジネス。利益が出なけりゃやっていけない。社会貢献も何もない……ということ。
『利益第一』になるという意味ではなくて、NGOではなく、『かわいそうだから買ってあげる』商品でもなく、商品として勝負すると決めたのだから、価格、品質、デザインで勝たなければ、生き残れないという当たり前の現実だった。
ビジネスの世界で戦うと決めたのに、『社会的な意義』をアピールすることは、そういった要素に頼ってしまっている証拠だ」(p.165)

* * *

正直、「社会企業家」という言葉も、「フェアトレード」も「ジュートバッグ」も、(最近よく聞くよね)程度にしか思わなかった。

けれど、彼女の生き方は、よく聞く話でもどこにでもある話でもない。


開発援助に関わる国際機関(米州開発銀行)インターンとしてワシントンに単身で飛ぶ、…まではよくある、かもしれない。

でもそこで援助のあり方に疑問を持ち、単身でバングラデシュに乗り込む。

もっとその国のことを知るために、そのまま大学院に進学する。

悪い品質でも「かわいそうだから」と買われるフェアトレード商品に疑問を持ち、
途上国で高品質のバッグをつくる。

作ったバッグを日本で売るために、会社を立ち上げる。

商品であるバッグの価値を高めるために、職人養成学校に無理やり入学して皮の裁断から覚える。


その度に泣いて、ぶつかって、悩む。
その場その場で、自分が感じた疑問や直感に従って、嘘をつかずに生きてきた軌跡。
すごい、の一言だ。
久々にがつんと揺り動かされた一冊でした。

特にお父さんが寿司屋に連れて行ってくれるシーンは不覚にも電車の中で読みながら涙腺が緩んできてしまった。

ピンチのときに現れて、
「まぁ、今の辛さは将来に活きる」
とボソッというお父さん。…かっこいい。



「周りに流されず、自分が信じた道を歩く」

いうのはとても簡単で、でも口にするのは少し気恥ずかしくて、行動に移すのはもっと勇気がいる。
多くの人にとっては。

こういう生き方ができる人には、憧れます。



……でももし実際周りにいたら、危なっかしくて見てられないだろうな。
『東京マラソン』 [2008年02月12日(Tue)]


東京マラソン
著者 遠藤 雅彦
発行 ベースボールマガジン社

----------------------

広報のアドバイザーの方からお借りしました。

昨年の2007年2月、第1回目を迎えた東京マラソン
いよいよ今週末の2月17日(日)、第2回目の本番を迎えます。

私は去年はボランティアリーダーとして参加しましたが、今年は一般ボランティアとしてお手伝いする予定。



著者である遠藤さんは、東京都の教育庁の方で、東京マラソンにおいては組織委員会事務局次長として、各方面の調整に奔走された方。

この大会は、東京都日本陸上協議連盟東京都陸上競技協会、広告代理店、協賛企業、マスコミ、民間団体など、様々な立場の人が関わって行われています。


それぞれ立場ごとに思惑も、持っている資源も違う。
それをどうやって組み合わせて、日本で初めての大会をつくりあげるか?

大会開催までの経緯や本番の様子が、素直な言葉で綴られています。
コース距離測定の裏話など初めて聞く話も多く、面白く読ませていただきました。


以下、印象に残った言葉。


最初はどんな大会になるのか検討がつかず、まるで雲をつかむような状態でしたが、それでも『世界一のマラソン大会にしたい』という思いはありました。
(中略)
今から考えてみると、これがとても重要だったような気がします。
あのとき、『とにかく大会を開ければいい、3万人を走らせることができればいい』と考えていたら、東京マラソンは成功しなかったと思います



ロンドン、ニューヨーク、シカゴ、ベルリン、ボストンのファイブメジャーズ、5つの大会に匹敵するような都市マラソンを日本で実現させたいという夢。

この大会はそれぞれ立場が違いながらも、「ここは譲れない」「これだけは実現させたい」という熱い思いを持った人が集ったからこそ、魅力のある大会になったのだと思う。


その結果、ランナーへ送った記録証に載せた言葉は、
「We made it together」。

そしてボランティアへ送った感謝状の言葉は、
「あなたがいたから」。



日本財団では、笹川スポーツ財団への助成を通じて、コース管理および運営ボランティアに関わる部分を支援しています。

「一体何人の参加があるのか?」
「どうやって3万人を都庁からスタートさせるのか?」
「どうやって荷物をゴールまで運ぶのか?」

そういった場面場面での疑問や不安は、昨年度は同時進行で笹川スポーツ財団のスタッフの方々と共有しながら進めてき(…たつもり、)でした。


何ごとも一つ一つ確認しながら、恐る恐るやっていた昨年。

日曜日に開催される大会も、「2年目だから」と甘く見ることのないよう、大きな事故なく無事に大会が終了できるよう、願っています。


スポーツボランティアに興味がある方は、こちらもぜひご覧ください!

sfen 東京マラソン特集

東京マラソン2008 ボランティア応援ブログ
『白いスーツで内定を』 [2007年06月12日(Tue)]

『白いスーツで内定を』
著者 経沢 香保子
発行 ゴマブックス株式会社
----------------------

おなじみ、縁さんからの推薦本。
いつも目線の角度を変えるヒントをくださって、ありがとうございます。

トレンダーズ株式会社社長の経沢さんによる、就職活動中の女性のための、働く女性のための応援メッセージ本。

印象に残った部分をいくつか。


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女性が仕事で成功するかどうかは、最初の3年間で決まる、と思っています。この大切な時期に、いかに自分を磨き上げ、いかに自分の幹を太くすることができるか―。
(中略)仕事の基礎が脆弱ならば、将来、大成しないと思うのです。
(p.31)


「周りがこれくらいだから、私もこのぐらいでいいかな」と自分で自分の“枠”を決めてしまわずに、自分が変わることを恐れない勇気を常に持って、挑戦し続けてみてください。
自分の枠を打ち破ったところに、自分を成長させるための大きなチャンスは存在しているはずです。
(p.58)


私は、社員を大切にするということは、次のようなことだと考えています。
正しいことを伝えること
年齢性別にかかわらず能力に応じて機会を平等に与えること
たくさん経験を積ませること
(中略)
20代のときにどれだけ経験を積めるかで、その後のキャリアは大きく違ってきます。
入社した当初から空気を読んでみたり、最初から楽な感じでスタートしてみたりするのは、あまりいいことではないと思うのです。
(pp.88-89)


会社のことを全社員が大好きで、しかも社会の役に立つようなことを一致団結して行っている会社が絶対いいと思います。
実際に、数字的にも成果を出している会社というのは、それぞれが持つ仕事の枠を越えての助け合いが自然となされ、メンバー同士のコミュニケーションがとてもいい会社です。
(pp.104-105)

----------------

就職して最初の3年間、気がつけば終わってしまいました。
でも、「まだこれから3年間!」と心構えられるかどうかで、変わってくるはず。

胸に手をあてて考えさせられることの多い内容でした。


この環境で働くことができることに感謝して。
初心を忘れずに、気を引き締めてがんばります。
『LD教授の贈り物』 [2007年05月25日(Fri)]

LD教授の贈り物
 ―ふつうであるよりも個性的に生きたいあなたへ―


著者 上野 一彦 
発行 講談社
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LD親の会「けやき」の講演会の際、講師の上野先生からいただいた本。

「『お仕事は何ですか?』と尋ねられた時に、○○大学の教授だとか肩書きを名乗るよりも、『少々物を書いております』と言いたい」

と、最近は執筆活動にソフトランディングしていらっしゃるとのこと。

語り口がとても柔らかい、魅力的な方です。


さっそく読ませていただきました。
印象に残った部分、いくつか。

----------------------------

『ふつう』というコトバは不思議な言葉である。(中略)
『ふつう』とは統計的にいえば全体の中ほど(70%弱)をいう。そして明らかに特異なものは両端2〜3%、つまりは合わせて5%程度をいうと習った。しかし、日々生活をしながら自分が同じ年齢集団の何%ぐらいに位置しているかなど知る由もない。
」(pp.16-18)


私が幸運だったのは、苦手なことや不得意なことはたくさんあったが、好きなことや、得意なことを前面に出して生きてこられたことだろう。光と影があるとすれば、いつも光を見つめ、影についてはあまり意識せずに育つことができたというべきか。影の部分は、思いがけないときにひょこり顔を出し、それまでの自信やプライドを根こそぎ揺さぶる。」(p.19)


多くのLDの子どもたちにいいたい。なんでもできるスーパーマンみたいな人もいる。けれど、できることとできないことが混ざっている、つまり、マダラというかムラの目立つ、私のような人間も世の中には結構たくさんいるということを。」(p.27)


バブルの崩壊は、経済状況だけでなく、倫理姿勢を含む精神の弱体化、荒廃を招いた気がする。「貧すれば鈍する(貧乏になると品性もさもしくなるの意)」という言葉があるが、そうした影響は人間社会のあらゆる面に影響してしまうようである。」(p.93)


御伽噺、昔話、童話であつかう寓話は、たとえ話を通して、ものの善悪を子どもに教える伝承の知恵である。子どもはそうした話から、人の生き方の基本を学びとっていくわけで、幼児だからといって、筋まで変えてしまうのは、子どもの理解力を見くびった、大人の浅知恵といえなくはないだろうか。
(中略)子どもはそんなにヤワな存在ではない。
」(p.100)


人生に競走は付きものである。競う気もちが努力やする気もちの源となる。その競走が公正であれば、子どもたちは結果を受け入れる力を十分もっている。」(p.109)


でも一番印象に残ったのは、「はじめに」の部分。


私をこころから愛してくれた亡き母に、本書にいやおうなく登場し、私を支え続けてくれる大切なわが妻に、そして、自らの生き方をもって、LDへの関心を絶えずかきたててくれたわが父に贈りたいと思う」(p.7)

----------------------------

人の人生や幸福度は、近くにいる人間の存在で大きく変わる。

発達障害は一見他の子と変わらないために理解されにくい、といわれるけれど、一方でとても理解されやすい障害でもあると思う。
得意・苦手、こだわり、他の人と違うんじゃないかという不安…は、おそらく誰でもどこかで思い当たる節があるのでは。

「異」なものを受け入れる余裕がある、生きやすい社会になるといいなぁ、と思う。

LDとの関わりを含めつつ、プライベートもたっぷり織り込んでカズ先生の生き様を描いた、暖かい一冊です。
『街道をゆく6 沖縄・先島への道』 [2006年09月27日(Wed)]

沖縄・竹富島にて、宿の本棚にあった本を拾い読み。
司馬遼太郎著『ワイド版 街道をゆく6 沖縄・先島への道』より。








竹富島には、リゾートホテルがない。
あるのは民宿のみ。

すべての来訪者を民宿させることによって、住民の暮らしを潤わせるためである。
(中略)

住民がいまの暮らしの文化をそのまま維持できるよう、経済的にも配慮されたのが、この徹底した民宿主義なのである。
」(pp.101〜102)


集落は、じつに美しい。本土の中世の村落のように条理で区画され、村内の道路は珊瑚の砂でできているために、品のいい白味を帯び、その白さの上に灰色斑ともいうべきサンゴの石垣がつづき、そのぜんたいとして白と灰色の地の上に、酸化鉄のような色の琉球瓦の家々が夢のようにならんでいるのである。」(p.102)


印象に残った箇所を。


いわゆる沖縄問題の議論を青春のアクセサリーのようにして論じてきた東京の過去や現在の学生たちのなかで、それならば沖縄で骨を埋めようという決意をした人が何人いるかと思うと、いま私の前を横切りつつ、腕をのばして汁椀を置いたり、箸をならべているT君が、かれ自身がまったく気負うことなしにある種の示威をしているようにも思えた。
私の若いころも、私をふくめて青年というのは、いい意味をも含めていかがわしい面をもっていた。私のその頃、私の仲間の多くはアジアの僻地で生涯を送るといっている連中だったが、私をもふくめて、その決断に陶酔するいやらしさを持っていたし、そのことを語りあうときはナルシストが互いの皮膚を撫であうような無気味さがあったし、そういう陶酔や皮膚の相互摩擦がなければ、とうていその決心が保ってゆかないほどに、内実はかぼそいものだった。

ところが目の前の青年は、ただ、
『暑い所が好きだから』
と、ごく自然に本心を言い、あのいかがわしい青春の気負いなどはすこしも無さそうだった。かれは、脱都会などという、あのうそっぱちのまやかし言葉もつかわなかった。

(pp.107〜108)


今も通じる気がする。
「アジアに関わりたい」という気持ちと、「日本の暮らしを捨てられない」という気持ち。
その罪悪感を払拭するために自分を納得させる理屈を考えたりもする。

でも、結局今私は東京のど真ん中で働いていて、学生の頃こうなりたくないと思っていた思考停止、享楽志向に流されていく気がすることもしばしば。

実際、今回の旅行もそうでは?

そんな自分に対する自己嫌悪と戦ってみたり。
でも全ての思考を停止したくなったり。

…だけど、今は休もう。

ちゃんと東京でがんばるために。
『チェンジメーカー』 [2006年04月26日(Wed)]




『チェンジメーカー 社会起業家が世の中を変える』
著者 渡邊 奈々 
発行 日系BP社
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同じ職場のきださんからお薦めいただいて、読んだ本です。

「ソーシャルアントレプレナーシップ」という言葉を聞いたことがありますか?

Social Entrepreneurship:

「社会福祉」と「ビジネス」という相反するふたつの言葉を合わせた造語。
福祉の分野に先鋭的なビジネス戦略と的を射たビジョン、効率を重視するマネジメント手法を持ち込んで、様々な社会問題の解決を図るもの。
(p.12)

…3回くり返しても覚えられなさそうな単語ですが。
初めて耳に、というか目にしました。


この本は、世界各国で、ビジネスの考え方を取り入れながら社会問題に取り組んでいる18人の「社会起業家」の活動を紹介したもの。


すべてが寄付で成り立つのでは、寄付金がなくなったときにすべてが止まってしまう」(p.38)

そうではなく、ビジネスとして成り立つ手法を考える。

例えば、

マラリアが多く発生するタンザニアにおいて、先進国で製造した蚊帳を購入して寄付するのでなく、一般国民が購入可能な価格で製造できるようにタンザニア国内の蚊帳メーカーに技術支援を行ったり。

メキシコのセメント会社が作った「スラム住人には3割引でセメントを販売する」というサービスを、スラム住民に支持者の多いひとりの女性に営業してもらい、販売が成立するたびにセメント会社が彼女に対しマージンを支払う、というシステムを作ったり。

「これまでのチャリティは、穴のあいたコップに水をそそぐようなムダがある。
経済援助によって具体的に測定可能な効果を生むこと、社会事業への投資こそがフィランソロピーの新しい形」

(p.41、アキュメン・ファンド創設者 Jacqueline Novogratzの言葉)


…おもしろい。


助成という仕事をしていますが、大半の申請は「助成金がなくなったときに止まってしまう」事業。
でも本来は、そういったその場限りで終わってしまう事業を、助成期間終了後も資金が円滑にまわって継続できるような仕組みの事業に組み替えるアイディアとノウハウを提供することが助成する側の役割なんだ、と。

この本を読んで改めて感じました。


アイディアが生まれる頭が欲しい。

持って生まれた才能がないならば、本やメディアからヒントになるような知識と、経験を積んで人脈と実績を吸収するしかない。

一歩一歩、ひび勉強です。


とりあえずこの本、お薦めです。
『ドラマチック チルドレン』 [2006年02月07日(Tue)]



『ドラマチック チルドレン』
著   乃南 アサ 
発行 新潮社
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先日お会いした、北陸青少年自立支援センターの方からご紹介され、本屋で見つけて読んでみました。

ミステリー作家の乃南アサさんが、取材した事実に基づいて書いた小説。
不登校や問題を抱える子どもたちが共同生活を送る、「ピースフルハウス・はぐれ雲」がモデルとなっています。

次から次に子どもと家族が登場するのですが、心理描写が細やかで、自然に惹き込まれてしまいました。

印象に残った箇所。

思ったことは、ちゃんと言葉にして、相手に伝える。
そして、返ってきた言葉は受け入れる。
それは、簡単なようでも、結構難しい。
」(pp.251-252)

この言葉が一番ずしん、ときました。


子どもが思い通りになるはずがない。
少しでも意に添わない、またはトラブルを引き起こしたりすると、彼ら(親)は慌てて『対応』マニュアルを探そうとする。見守る、尊重する、相手を人間として信じる、子どもの内にわだかまっている問題の本質を見極めようとする―そういうことが出来ない。
もしも、マニュアルが見つからなければすぐに慌てて苛立ち、最終的には放棄すらしようとするのだ。
自覚、自信がなさすぎる。
要するに、一人前の大人として、人の子の親となるほどに成熟していないのだ。
」(p.306)


この小説に出てくる登場人物は、きっと「普通の人と明らかに違う特別な人」ではなく、
ただどこかズレてしまった、うまくいかなかった人たち。
普通に進学して、就職して、毎日を送る人との違いは紙一重だと思う。

1人が就職などで社会復帰して施設を出ていっても、また問題を抱えた新しい子がやってくる。
終わりのない、答えのない活動。

ある面、「自分のやっていることは正しい」という思い込みがないとできないことだと思います。

…頭が下がります。
「名言セラピー」 [2005年12月12日(Mon)]

久々にブックレビューを。


『3秒でハッピーになる 名言セラピー』
著 ひすい こたろう
発行 ディスカヴァー・トゥエンティワン
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ちょっと前までこういう処世術本(?)てあまり好きではなかったのですが、えにしさんにお借りしたので読んでみました。

「パッと読めちゃうから」
というお薦めの言葉通り、…ほんとにパッと読めます。

しあわせは、なるものではなく、気づくもの
という考えをベースに、しあわせに「気づかせる」小話を柔らかい言葉でまとめたもの。


印象に残った小話をひとつご紹介。

脳は不合理を許さない。
ある現象が起きたときに、
脳は、合理的な理屈を勝手に見つけ出そうとするのです。
不合理なままでは落ち着かないのが脳なのです。


幸せになるための脳の使い方。

人に『ありがとう』と声を出して言ってみる。
すると、脳はその人に対して感謝する合理的な理由を探し出す。
そうすると、周りの人のいいところが見えやすくなる

…という話。


いいかもしれない、と思った。

「ありがとう」じゃなくても、たとえば応用編で、「今の相手は最高のパートナーだ」とか、「自分がやってる仕事はいい仕事だ」とか。

一言でいってしまえば「自己暗示」。
でも同じ毎日を過ごすなら、「自分は幸せだ」「あの人はいい人だ」と、自分や周りの人のいいところに気づきながら生きていける方が「しあわせ」だし、精神的にも楽。

もし本当に改善しなければいけないような欠点や改善点があるなら、それくらいの自己暗示では誤魔化せないでしょう。自己暗示で誤魔化せるくらいの不幸せ、欠点は見えなくなる方がちょうどいいのかもしれません。


この逆の発想で、「1日1000回ため息をつくと、鬱病になれる」という話もありました。

…どうせならハッピーになれる方の自己暗示をしたいものです。
ため息は、自分だけでなく周りの人にまでマイナスの波長を与えてしまいますからね。

(といいつつ、今日もついてしまうのですが……気をつけます。)


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