とよなかまイベントではありませんが、
いつもお世話になっているグループ・団体のイベント情報です。
ふるってご参加下さい♪
英会話お茶会 English Conversation Tea Party
presented by Nelson's Global Cafe
日時: 7月31日(日)15:00〜18:00
場所: Indonesian cafe CAPE COD
(阪急千里線 関大前 徒歩5分)
英会話を練習してみたい、新しい友達を作りたい方へ:
楽しいお茶会しながら、簡単な英会話で友達を作ってみませんか。
当日のスペシャル ゲスト・イベント:
三味線演奏家 市川聖山先生による演奏。
会費: 飲食代のみ(約1000〜1500円)
主催: (英会話サークル) ネルソン グローバル カフェ
連絡先(ネルソン宛): nelson@yamawake.asia
CAPE CODの場所・情報: http://balilagoon.com/capecod/index.html
To those who is looking for chances to speak in English & to make new friends:
Let's enjoy tea and make new friends through English interaction.
Special guest:
Live performance by Mr Ichikawa Seizan, professional Shamisen (traditional Japanese three-stringed instrument) player.
Fee: meal fee only (about 1000~1500 yen)
hosted by: (English Speaking Society) Nelson Global Cafe
contact (to Nelson): nelson@yamawake.asia
about CAPE COD: http://balilagoon.com/capecod/index.html
「わからない」ということ
ほぼ日刊イトイ新聞で、
「福島の特別な夏。」という連載が始まっています。
(サイトにとびます。)
「福島について、考えることは難しい。
それでも、考えるのをやめることが
いちばんよくないことだと思った。
福島について、考えなくちゃいけないと思っていた。
といっても、それはぜんぜん義務じゃない。
ぼくは、福島について、考えたかった。
考えたかったけど、うまく考えられなかった。
(中略)
しかし、その「わからない」には、
意味があるとぼくは思う。
福島について考えるとき、
もっと大きくいえば原子力とか、
人の進歩について考えるとき、
あっさりとひとつの答えにはたどりつかない。
そこにはきっと辻褄の合わないことがあり、
矛盾やケースバイケースや暫定や保留がある。
なにかひとつのことだけを強く言うとしたら
ほかののことは切り捨てられてしまう。
(中略)
それで、ま、難しいねぇ、
というあたりのところから深入りしないようにする。
少なくとも、震災前のぼくはそんな感じだった。」
そんな筆者が、大の高校野球ファンということもあって、
福島県の高校野球を追いかけながら、
福島について、フクシマについて、考えていく連載です。
考えても答えがでないこと、
人と話しても結論や合意が得られないこと、が
事前にわかっている(ような気がする)こと
って、たくさんあると思います。
私自身も、「外国人の社会参加の促進・応援」とか
言っていますが、
はたしてどこまで、「当事者」の気持ちに寄り添えているのか、
「主流社会」を形成し、帰属する者として、
何ができるのか、何をすべきなのか、
ふっと立ち止まって考え、
答えがでず、
立ち止まったままになってしまうことがあります。
一度、在日コリアンの方で社会運動に携わっている人に
そんな自分の想いをうちあけたところ、
「でも、寄り添うって大事よね」
と言われました。
「わからない」と悩みながらも「寄り添う」ことができるのかな。
「わからない」を、わからないなりに考え続ければいいのかな。
この連載を読んで、そんなことを考えたのでした。
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「福島の特別な夏。」という連載が始まっています。
(サイトにとびます。)
「福島について、考えることは難しい。
それでも、考えるのをやめることが
いちばんよくないことだと思った。
福島について、考えなくちゃいけないと思っていた。
といっても、それはぜんぜん義務じゃない。
ぼくは、福島について、考えたかった。
考えたかったけど、うまく考えられなかった。
(中略)
しかし、その「わからない」には、
意味があるとぼくは思う。
福島について考えるとき、
もっと大きくいえば原子力とか、
人の進歩について考えるとき、
あっさりとひとつの答えにはたどりつかない。
そこにはきっと辻褄の合わないことがあり、
矛盾やケースバイケースや暫定や保留がある。
なにかひとつのことだけを強く言うとしたら
ほかののことは切り捨てられてしまう。
(中略)
それで、ま、難しいねぇ、
というあたりのところから深入りしないようにする。
少なくとも、震災前のぼくはそんな感じだった。」
そんな筆者が、大の高校野球ファンということもあって、
福島県の高校野球を追いかけながら、
福島について、フクシマについて、考えていく連載です。
考えても答えがでないこと、
人と話しても結論や合意が得られないこと、が
事前にわかっている(ような気がする)こと
って、たくさんあると思います。
私自身も、「外国人の社会参加の促進・応援」とか
言っていますが、
はたしてどこまで、「当事者」の気持ちに寄り添えているのか、
「主流社会」を形成し、帰属する者として、
何ができるのか、何をすべきなのか、
ふっと立ち止まって考え、
答えがでず、
立ち止まったままになってしまうことがあります。
一度、在日コリアンの方で社会運動に携わっている人に
そんな自分の想いをうちあけたところ、
「でも、寄り添うって大事よね」
と言われました。
「わからない」と悩みながらも「寄り添う」ことができるのかな。
「わからない」を、わからないなりに考え続ければいいのかな。
この連載を読んで、そんなことを考えたのでした。
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