夏休みに子どもや保護者とまち歩きと「読札作り」のワークショップをして読み札を作り、
また、区民の皆様から寄せられた読み札の案も600通を超えたそうです。
昔の港南台は、江戸時代から日野郷と呼ばれ広大な山林が広がり、
豊かな水に恵まれていたそうです。

昭和44年から造成が始まって団地が建ちはじめ、5年後に駅と学校ができました。
縄文時代からの遺跡もたくさんあったそうですが、今も残っているのはわずかです。、
江戸時代の生き証人のような四ッ切墓地の常夜灯。
大山講 雨乞い帰りの常夜灯
大山に雨乞い祈願に行った帰り、暗闇で目印になったのが常夜灯だったそうです。
港南台開発時、重機により傷つけられた痕跡が残っています。
また、上郷舞岡線の道路の下にが上郷深田遺跡があったそうで、
渡来人が製鉄をしていたようです。
日本に黒船が来たのが1853年
日本は開港を迫られます。
2回目の来航が1854年。
沢山の人が上大岡の裏山に黒船を見に行ったそうです。
黒船は 見たあと姿倍になり
黒船が見える丘には茶店やお団子屋さんも出たようです。
日米修好通商条約が締結され、横浜港が開港すると、
物資の流通が盛んになります。
山を切り 開いた道は七曲り
鎌倉方面からの物資を運ぶために
七曲りが開通
迎陽隧道 「武蔵」と「相模」がこんにちは
その後、迎陽隧道ができて野庭と鎌倉街道が結ばれ、
人や物の流れが一層活発になったそうです。
そんなお話を伺いながら、
かるた取りは第2ラウンドへ。

みなさん童心に帰って
大きな声で「はいっ!」
あ〜、すぐ目の前にあったのに…
と悔しがる人も。
なんとも楽しく実のあるひとときでした。
金子さん、貴重なお話をありがとうございました。