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まちサロン in cafe 1月『かるたを楽しんでふるさとを知る』 [2025年02月28日(Fri)]

港南歴史協議会の金子玲子さんをゲストにお招きし、
「ふるさと港南の歴史かるた」ができた経緯や、
港南区の昔のことについてお話しいただきながら、
参加者のみなさんとかるた取りを楽しみました。

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「ふるさと港南歴史かるた」は区政50周年の記念イベントとして、
何か記念に残るものを作りたい…ということで誕生したのだそうです。
夏休みに子どもや保護者とまち歩きと「読札作り」のワークショップをして読み札を作り、
また、区民の皆様から寄せられた読み札の案も600通を超えたそうです。

昔の港南台は、江戸時代から日野郷と呼ばれ広大な山林が広がり、
豊かな水に恵まれていたそうです。

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昭和44年から造成が始まって団地が建ちはじめ、5年後に駅と学校ができました。
縄文時代からの遺跡もたくさんあったそうですが、今も残っているのはわずかです。、
江戸時代の生き証人のような四ッ切墓地の常夜灯。

大山講 雨乞い帰りの常夜灯

大山に雨乞い祈願に行った帰り、暗闇で目印になったのが常夜灯だったそうです。
港南台開発時、重機により傷つけられた痕跡が残っています。

また、上郷舞岡線の道路の下にが上郷深田遺跡があったそうで、
渡来人が製鉄をしていたようです。

日本に黒船が来たのが1853年
日本は開港を迫られます。
2回目の来航が1854年。
沢山の人が上大岡の裏山に黒船を見に行ったそうです。

黒船は 見たあと姿倍になり

黒船が見える丘には茶店やお団子屋さんも出たようです。

日米修好通商条約が締結され、横浜港が開港すると、
物資の流通が盛んになります。


山を切り 開いた道は七曲り

鎌倉方面からの物資を運ぶために
七曲りが開通

迎陽隧道 「武蔵」と「相模」がこんにちは

その後、迎陽隧道ができて野庭と鎌倉街道が結ばれ、
人や物の流れが一層活発になったそうです。

そんなお話を伺いながら、
かるた取りは第2ラウンドへ。
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みなさん童心に帰って
大きな声で「はいっ!」
あ〜、すぐ目の前にあったのに…
と悔しがる人も。

なんとも楽しく実のあるひとときでした。

金子さん、貴重なお話をありがとうございました。
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