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支援という言葉の代わりに [2012年05月14日(Mon)]
いきなり更新が滞りました!
いろいろ言い訳は思いつきますが、ここはぐぐっと飲み込んで、これから更新をすることに邁進したいと思います。

ではでは本題に。

5月12日(土)京都にて、場とつながりラボhome's viさんフリンジシアタープロジェクトさんとの共催でワークショップを開催させていただきました。

今回のワークショップは初めて自分でゼロから企画をしたもので、日本財団としてもこれまでそれほどやってきていないタイプのものと思います。

タイトルは「NPOと日本財団が共に成長していくことのできる新たな関係を目指して」。
当初は2011年度にお世話になった助成先の団体さんと一緒に、昨年度の成果についてどっぷりと考え、助成が終わった今後のことを一緒に描く場にする予定でしたが、助成先以外の団体さんにも多数参加していただけることになり、方向転換。京都で活発に活動なさっているNPOや社会起業家のみなさん、また「場づくり」に関心をお持ちのファシリテ―タ―のみなさんにもお越しいただき、「ソーシャルな事業を進めていく方々が本当に必要な支援とは何だろう」ということについてみんなで考えました。

そこで考えたこと。

本当に必要とされる「支援」って、究極的には肉親や友達にしてあげたくなることに近いのかもしれない。

辛いときにただ話を聞いてくれること、なんとなく前を向かせてくれること、中身がなんであれ親身になってアドバイスをくれることなどなど・・・。

でもこれらのことを、ぼくたちは日常において「支援」とは呼ばない。
大切に思っているのだから、一緒に生きているのだからしてあげて当然のことだし、してあげたいことなのだ。だからこそ、がんばらなくても僕らは誰かを助けることができる。

とすると、「支援をする立場」からすれば、相手をどれだけ「自分ごと」として考えられるか、そして相手のことを知ることができるかが大切になる。

「支援をされる立場」からすれば、逆のことになるが、やはり相手のことを知ることが必要なんだろう。

でも究極的には、きっと「支援」という言葉を超える関係性を築くことが、支援継続の限界から抜け出る唯一の方法なんじゃないか。そう思った。

これは助成財団(中間支援組織)とNPOに限った話ではない。

男女のことで考えてみてもきっとそう。

どんなに相手のことが好きだって、デート代を払い続けられるわけじゃない。払い続けられないことをおもんばかって、「ぜんぜん無理しなくていいよ」とか「お金を使わずにいっしょにできることを考えよう」とかって言われる展開にならないと、パートナーにはなれない。あるいは最初からお金を出しすぎるのが悪いのかもしれない。二人の間に「お金を出す側」「出してもらう側」という軸が入りこんでくるから。出してもらえなくなったら、「なんだ、残念」と思われてしまう。

そう考えてみると、「お金を出す」ことを外部とお付き合いする主な手段としている助成財団ってやっぱりよっぽどうまく制度を設計したり、自分たちが気をつけていないと、助成先の団体とよきパートナーにはなれないですよね。

いや、しかし、こうやって考えてみるとすごく分かりやすい!
なぜかw!!!

とにかく、熱があり、なお且つとてもリラックスした雰囲気のとても素敵な場となりました。
お見事と言うしかない、すばらしいファシリテ―ションをしていただいた嘉村さんをはじめそれそれぞれスペシャルな能力を発揮していただいていたhome's viのみなさん。
準備段階からさまざまご配慮いただき、本企画に熱い思いを注入していただいた大橋さんをはじめ、会場まわりでいろいろとお手伝いをいただいたフリンジシアタープロジェクトのみなさん。

本当に、ありがとうございました!
今後ともよろしくお願いいたします。
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