LOVEについて語るときにぼくたちが語ること
[2013年05月14日(Tue)]
昨日、神奈川県の三浦市の城ケ島・三崎を訪問させていただいた。
三浦市は、まちのために素敵なことをやろうとしている複数のグループ、個人がゆるやかにつながって、少しずつ全体的な動きが顕在化してきている地域。
動きをかぎとった一部の人たちからは、「今、あそこがアツい!」と言われている地域だそう。
とはいえ、地域の人たちはもっと冷静で、地域の象徴でもあったまぐろ漁の急激な衰退と少しずつ閉まる商店街のシャッター、平日のまちの静けさに対して、強い危機感を持っている。
自分たちが地域のために何かをしなくては。
という思いの裏にあるもの、それは商店街で「ミサキシエスタサヴォリクラブ」を営む寒川さんいわく、”LOVE"なんだそう。
日本財団の職員として働いていると、地域のために、思いを持って活動している人との出会いをたくさん頂戴する。(これは本当に素敵で、この仕事をしてて良かったと思うことです!)
そんな人たちはみんな一様に素敵です。LOVEにあふれています。
でもそんな人たちじゃなくても、地域に対するLOVEはあるはず。問題意識を明確に抱いている人もいるはず。でも一体何が違うんだろう?
もしかすると、地域のために何らかのアクションが形にできる人は、改めて地域へのLOVEについて語ることができる人なのかもしれない、と寒川さんとお話をしていて思った。
地域を会社に置き換えてもいい。
会社をどうにかしたい(だって好きなんだもの!)と思っている、いつも考えている人ほど、「今の会社はここがダメなんじゃないか」「ここをこうやって変えれば」ということをいつも考えているために、そこら辺のコミュニケーションから入りがちなのではないか。
そこら辺のコミュニケーションは、間接的に「これまでのやり方(とそれを作ってきた人たち)はなんかダメなところがある」という意味を含んでしまう。そんなことは意図していなくても、攻撃された、負けたと思う人が出てしまう。そうすると、会社(および地域)の中ではアクションをとても形にしにくい。
寒川さんいわく、地域のために一番大切なのは、「好きだと言い続ける」こと。言い続けているうちに「地域のことを好きな人を好きな人」が出てくる。
「好きだ」と言うとき、ぼくたちは誰も傷つけない。気持ちをほっこりさせて、やわらかくする。変なものを好きだと言う人は、なんだか面白そうな感じもする。そうすると、なんとなく周りに人が寄ってくる。うーん、すごく説得力がある気が。
仕事の文脈でLOVEという言葉は敬遠しがちだし、これまであえてそういう切り口で地域の中での仕事について考えたこともなかったけど。
これはやはり、とても面白くて深遠な切り口なのではないか、と考えた。
というわけで次回もLOVEについて。
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