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いっしょに劇をみるということ [2012年11月13日(Tue)]
 9月例会のあとで、「あの最後の劇の終わりの意味がわからんかった。」と言われました。
 『あとむの時間はあんでるせん』の中の4番目のお話し『ある母親のものがたり』のことです。皆さんはこの作品について、どう思われましたか?
 『とうさんのすることはみんなすき』で楽しい気持ちになったあとで、どうしてあんな暗いお話しがくるのだろうというのが、初めて観たときの感想でした。暗くて悲しくて、痛いし寒いし、最後も救いがない感じで。子どもには難しすぎるんじゃないかと思うし、大人にもよくわからない終わり方なのです。
 ところが、観劇後時間がたっていくと、この「わからなかった」ことが大きな意味をもつことに気付きます。つまり、いつまでも心にひっかかるのです。この作品は観る人の心にとても強烈なイメージを想起させるシーンの繰り返しです。病気の子どもの苦しみ。母親の不安感。外の寒さ、雪の冷たさ。「夜」のために歌う母親の子守唄。雪の中でいばらを抱きしめる母親の流す血の赤さ。そして、雪の中で咲くいばらの花の紅色。ほかにも夜の湖と母親の真珠のような目。色とりどりの花で埋まった死神の温室。老婆の白髪と母親の黒髪。とにかく、五感にうったえるイメージが鮮明な作品です。感覚にうったえるシーンが多いというのでしょうか。だから、観劇後も思い出すことが多いのだと思います。そして、最後にみんなの心に「なぜ?」という気持ちが残るのではないでしょうか。それで良かったのか。悪かったのか。母親はなぜ「かみさま、私の祈りを聞かないで。」と歌ったのか。
 もし、神様が母親の熱意に報いて子どもを返してやって、めでたし、めでたしで終わっていたら、こんなに心に残らなかったでしょう。もし、マッチ売りの少女のように、喜びに包まれて子どもが天国に召されていったなら、ここまで考えることはなかったでしょう。なぜ、『あとむの時間はあんでるせん』の最後がこのお話しなのかと考えるとこの作品のすごさがわかると思います。
 心にひっかかっているうちに、一緒に観た人と話すのが劇を観ることのもう一つの楽しみだと思います。私がこうしてブログに書いていることも、ただ私がそう感じただけで、読んでいる皆さんの感じられたこととは異なると思います。だから、話すと楽しいし、もっと理解が深まると思うのです。おやこ劇場で親子での入会にこだわっているのは、いっしょに観てあげてほしいからです。子どもが観たものをちゃんとお母さんに話せるように、いっしょに観てあげてほしいのです。それは、観た日じゃないかもしれません。もしかしたら、何年もたって、「あのとき、すごく怖かった。」と言われるかもしれません。劇中の歌を何日もたってから歌っているという話もよく聞きます。お家でお子さんがどんなことを話してくれたか、それをブロックのみんなと話すのも楽しいですよね。
Posted by おやこ劇場でまってるよ at 22:07
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