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富海史談会

防府市富海の美しき海、
山の自然に恵まれた歴史を掘り起こし、
史跡、文化を広く紹介し、
観光振興はじめ整備事業等を通じて
地域の活性化を推進し交流の場を広める


国の登録有形文化財・富海清水家主屋、お披露目会 [2015年07月02日(Thu)]
富海清水家主屋は、明治11年(1878)の建築。建築面積は
約270uで、富海に今も残る江戸時代の山陽道に面して在ります。
 先に国の登録有形文化財となり、そのお披露目会がさる22日に
清水邸宅でおこなわれました。地元の染色作家飴村秀子氏の作品
展示、史談会会長の記念講話「清水家に見る富海の歴史と未来」、
声楽家林章子氏の富海賛歌斉唱が行われ、地元はじめ各方面から
約100名にも及ぶ参加があり大盛会となりました。

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 昨年来、山口県立大学と史談会が共同で清水家の古文書及び書画
骨董類を分類整理し、多量の電子データ化を完成させました。
 清水家は江戸前期頃より紺屋職を業とし、同中期終わり頃からは
酒造業に転じ財を築かれてきたと伝わっており、とりわけ江戸後期
から明治にかけて清水家4代にわたり、徳山藩はじめ地域への各種
貢献(献金、献納、作業奉仕等)を数多く行なわれ、そのご功績は
抜群であったことを紹介させていただきました。
 清水家邸宅が今後地域づくりの拠点として、藍原料蒅(すくも)の
加工作業場、各種催事場、地域の人々のふれあいの場等の計画が進め
れれています。地域の人たちの協働により富海の文化が大いに発展す
ることを目指します。 

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富海清水邸の登録有形文化財登録 [2015年05月12日(Tue)]
 清水家.JPG

  江戸時代からの旧山陽道が今に残る富海。その旧町筋の東入り口に有ります
 清水邸がこの度国の登録有形文化財に登録され、4月24日登録証とプレー
 トが、同家の長女・岡村由子氏に防府市長から伝達されました。
 
  清水家は江戸時代初期染め物業から酒造業に転じ、明治、大正とその生業を
 維持され、江戸時代から明治初めにかけては地域の年寄、庄屋を、その後も
 大正時代にかけて戸長、村長を務めて、常に世話役として地域の開発はじめ、
 救済、再生等において献身的な活躍をされ、代々その役割を果たされました。
 
  登録有形文化財に登録されましたこの家屋は明治の初め頃に再建されたもので
 130年を超える広大なたたずまいが、見る人に古き歴史を今に語りかける様な
 趣を感じさせてくれます。来る6月22日午後、お披露目の会が催され、内部
 見学はじめ記念講演、富海賛歌斉唱、藍作品の展示があります。お問い合わせの
 場合は富海公民館内富海史談会(0835−34−0034)をご利用ください。                               


 
 
富海文化祭・「連合艦隊と富海」 [2014年11月03日(Mon)]
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  11月2日(日) 富海文化祭が、地区の公民館にて
 開催され、地域の大勢の方たちを中心に、賑わいました。
 各種講座、サークル活動の製作による写真、絵手紙、
 手芸品、ラッピング品はじめ、小中学生の絵、書、作文
 等がたくさん展示され、多くの人の目を引き付けました。 
  屋外では、バザーはじめ、餅つき、野菜安売り、大声
 大会、餅まきなどが行われ、大いに盛り上がりました。

  富海史談会は、「連合艦隊と富海」と題し、昭和2年に
 連合艦隊66隻(約19,000人)が演習のため、
 富海沖の周防灘に集結した、目を見張るような貴重な
 パノラマ写真(富海在住の方が所蔵のものを複製)を展示
 しました。 当時定期的に行われた海軍演習で、徳山燃料廠に
 近く、波静かで広大な海面を使って約1か月行われています。
  この時は防府右田出身の第二艦隊司令官・吉川安平中将も
 加わっており、防府町が連合艦隊を大歓迎した様子が当時の
 防長新聞に載っております。

  遠浅の砂浜の富海海岸を利用して、偵察機搭載艦「能登呂」
 水上偵察機が、訓練で砂浜にビーチング(接岸、乗揚げ)して
 いる様子が下の写真です。
  このように、富海海岸、富海沖の周防灘が海軍の各種訓練に
 使用され、富海の人たちは、海岸や旅館での乗員休息等の支援
 をしております。

  現在、台風が接近すれば、多くの船舶が風を避けるため、
 大津島、野島付近の海面に停泊して、その通過を待ちます。
  それほどに、穏やかで広い海面が富海沖にいつも青々とあり
 砂浜海岸と合わせて、この天与の資源・海を大切にして、共存
 していくことが、我々の不変の務めと感じるところです。


 
  
  




富海村歌CDの製作 [2014年09月21日(Sun)]
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県立山口大学との共同研究により、旧富海村歌を編曲した
富海賛歌をCD製作し、21日(日)富海敬老会において
披露し、曲に合わせてみんなで声高らかに歌いました。

戦前から伝わる富海の状景を美しく歌う富海村歌を、
作曲家・田村洋氏により、現代風に編曲していただき、
同大学出身の声楽家・林章子氏に声高らかに歌って
いただいたものです。

江戸時代、山陽道が最も海に近接し、陸から海、海から
陸への乗り換えの利便性が高かった富海、とりわけ多くの
勤皇の志士たちが利用した富海飛船は、大阪との海上交通の
飛脚船として幕末期の歴史文化を築きました。

この富海賛歌は、その素晴らしい海をはじめ、山や野を
美しく歌い上げた抒情豊かな曲と申せましょう。
富海に馴染や興味のある方には絶好のCDになることと
思います。耳を傾けてはいかがでしょう。
ご希望の場合は富海公民館(0835−34−0001)
へお問い合わせください。
  CDcopi.bmp


  
英語看板「ガントレット博士と富海海岸」 [2014年08月07日(Thu)]
 先日富海海水浴場に、明治の終わり頃富海海岸を広く世間に紹介し、
 人気のリゾート地としたガントレット博士の英語看板を設置しました。
 
 明治・大正・昭和と、富海海岸は海水浴地、別荘のある避暑地として
 賑わってきましたが、このリゾート地のきっかけを作ったのが、当時
 山口高商に英語教師としてきていた英国人・ガントレット博士でした。
 秋芳祠、長門峡を探検し最初に紹介した人物でもあります。
 
 明治23年(1890)来日以来66年間日本に住み、日本の教育、
 文化の向上に寄与し、作曲家、山田耕作の姉・恒子と日本で最初の
 国際結婚をし、日本に帰化し、昭和31年(1956)88歳で東京
 でなくなりました。

  地域の観光活性化についての山口県立大学との共同研究において、
 英語看板の原案を作成し、富海史談会が製作、設置しました。
  防府市内におけ最初の英語看板ともいえるものです。これを新たな
 きっかけとして、先人たちが切り開き、残してくれた素晴らしい海岸を
 より、美しく、楽しい場所として守っていければと願うところです。
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最近の活動について [2014年07月12日(Sat)]
 台風も難なく通り過ぎ、強い日差しになり、海水浴の
シーズンがきました。
 富海海岸の砂浜をビーチサッカーの練習場としています
プラシア・山口が、先般中国大会で優勝し、次は来月
全国大会での優勝をと、気勢が上がっております。
 日本屈指といわれる練習場の砂を、耕耘機で掘り起し、
中に埋まっている小さな石などの危険物を取り除き、
安全に練習ができるようにと、史談会、琴音の滝など
みんなで今朝1時間半かけて作業を行いました。
 作業後早速、掛け声良く練習に入るのを見て、富海
の砂浜で鍛えたプラシア・山口が日本一となる日が近いと
感じたところです。
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 6月から今日までの3回、山口県立大学の公開講座が
防府市の文化福祉会館で開催されました。
 「若者とさぐる防府の魅力」、「百歳時代を迎えて」、
「活きている藍」、「山口の染め織りに学ぶ」
「大学生を地域に呼ぼう」とのタイトルで県立大学の教授、
更には専門家によるお話です。 
 
 地域活性化が基本テーマで、そのとらえ方、アクセスの
仕方、更には実践例をスライド等により、お話しいただき
ました。 とりわけ、最後は国際学部安渓遊地教授による
富海地区における大学生との活性化の実践例の紹介でした。
 昨年度1年をかけて、県立大学と共同で富海観光マップ、
富海賛歌CD、富海饅頭及び史跡の英語看板の作成、また
海岸の砂の解析を通じてビーチサッカーと地域との共生と
いうテーマ研究も行いました。
 いづれも期待通りのものが出来上がり、今年度はその
成果を検証しているところです。

 このようにして、外からの新鮮で柔らかい考え、見方で
富海を掘り起し、刺激してゆけば、この素晴らしい天然の
海、山、里に恵まれ、歴史の面影が随所に残る富海が活性化
され、より文化豊かで、住みよい街となって多くの人が四季を
通じて訪れ楽しみ、親しんでいただけると思います。

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飛船研究誌の発刊 [2014年06月10日(Tue)]

  このたび、「大阪通いで活躍した飛脚船・富海飛船の歴史」の
 タイトルで、本会において研究誌を発刊しました。
  A4横書き、カラー版、63ページ
  

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  富海飛船は、江戸時代の後半、文化・文政・天保期ころから
 幕末にかけて徳山毛利藩の御用船として、手紙・銀子等の御用物、
 人を、また多くの勤皇の志士たちを頻繁に、大阪へ運び、


  「江戸時代公私を問わず連絡に急を要するとき、日和・風向き
 を無視して櫓走と帆走を駆使して急行する小船」の飛脚船として、
 瀬戸内海上交通の歴史文化を担う役割を果たしました。


  冊子ご希望の場合は、次にお問い合わせください。
  747−1111
  山口県防府市富海2829 富海史談会 出穂稔朗
  0835−34−0118
  Eーmail izuho-ts@c-able.ne.jp 

    
  



  
JRふれあいウオーク [2014年05月25日(Sun)]
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  飛船(とびふね)が行く! 旧山陽道と富海の歴史と自然満喫」

 5月24日(土)1000〜1500 防府市おもてなし観光課とJRの共催、
富海史談会のガイドで、遠くは広島からの男性一人を含む36人の多くの
男女が各地から参加してJRふれあいウオークが開催されました。


 
 富海駅前をスタートし最初に、大きく広がる海を前にした浜辺でパネルに
よる「飛船の歴史」と貴重なパノラマ写真による「連合艦隊と富海」の説明、
その後順次海岸にそって歩き、伊藤・井上両公上陸跡地(元治元年6月24日
今から150年前、両公イギリスから急きょ帰国、姫島からひそかに富海へ
上がる)、小田海僊生誕地(江戸時代後期の京都画壇で活躍した富海出身の
文人画家)、飛船が頻繁に出入りした船蔵通りに残る大和屋政助船蔵を見た
後、近接する旧山陽道に出で、天璋院篤姫が休憩した富海本陣を見て道幅・
道の曲がりが昔からほとんど変わることなく残る町筋を歩き、国津姫神社に
向かいそばの憩いの家で昼食。  

 午後は、新緑小鳥さえずり、流れ落ちる水清らかな琴音の滝へ向かい、
更に瀬戸内海の見晴し絶好の場所、いこいの森(標高約250m)へ上がり、
遠く広がる瀬戸内の景色を堪能。 
 下山途中の琴音庵(ことねあん)において、小休憩しながら地元JAひま
わり会手作りのケーキやジャム等が好評でした。

 史談会の5人のメンバーがそれぞれ得意とする史跡説明を、各ポイントで、
パネルや写真で分担して行い、参加された方に「わかりやすく、楽しい」と
おっしゃっていただきました。
 富海の歴史・文化、自然を十分に堪能して気候、風土、たたずまいを心に
感じていただけたことと思います。

 夏の海水浴をはじめ、おりおりの自然散策等、またのお越しをお待ちして
おります。

年間通じての活動場所 [2014年03月13日(Thu)]

  毎年、偶数月の第4月曜日1330〜1500を定例会として、富海公民館(*1)において、研究会、講演会等を開催しています。
 平成25年度現在、正会員、賛助会員(遠隔地を含む)合計約50名の方々が会員として加入されており、定例会には、通常20名前後の方が参加されます。平均年齢は70歳弱くらいです。
 公民館を事務局としております。 お問い合わせや加入ご希望等がございましたら下記へご連絡いただければ幸いです。
 *1富海公民館 0835−34−0001or0034  
   747−1111 防府市富海1203−1
   アクセス:国道2号線富海・琴音の滝入口から直ぐ

生涯学習「富海レインボー発表会」への参加 [2014年03月10日(Mon)]
 3月9日(日)1300〜1530、富海公民館において生涯学習「富海レインボー発表会」が開催されました。
レインボーとは、活動を通じてお互いが心を通わせ合い、絆を結ぶことを象徴する「虹の架け橋」の意味です。
 パソコン、写真、いけばな等各種サークル、俳句、絵手紙等の講座活動の作品展示とともに、大会議室においてコーラス、太極拳、カラオケ、富海の歌、藍染めのファッションショーがステージ披露されました。
 その中に富海史談会も参加し「美しき富海」というタイトルで、スライドによるスクリーン説明し(約20分)、先人たちが築き、残してくれたこの美しい自然と文化をどのように継承し、守っていけばよいだろうかということを提案しました。  
 日本でも屈指といわれるきめ細かく美しい砂を持つ海水浴場が近年砂浜が痩せてきており、夏の海水浴も閑散の状態です。この痩せた砂浜を復活させ、ビーチサッカー、シーカヤックをとりこみ、各種施設も装い新たにしたリゾート地を描いた将来図を提案して、美しき富海の継承を提唱したところです。 江戸時代の飛船をルーツとし、先人たちは時代に沿って天與の海、山、川、田畑の自然資源と共生して営みを築き、文化を高めて今日、われわれにその恵みを残してくれております。 その精神を受けて継いで地域の活性化を図りながら美しき富海を守っていければとの願いです。
将来図.JPG
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