春ですね [2011年04月03日(Sun)]
ものみな春を歌う4月がやってきました。
3月末までつぼみのままだった桜も、4月の声を聞いたとたん 一斉に咲きほころびました。 ともの家に今年やってきたしだれ桜も満開の花をつけています。 ![]() 3月中に異動を終え、新メンバーで各事業所 新しい年度がスタートしました。 が、残念なご報告も。 かつてM・Kさん(拙著では“松浦イト”さん)の自宅であり、 ともの家の活動原点であった、「岩崎ともの家」が ついに親族により売却され、近日中に取り壊されることになったのです。 残ったものは廃棄処分にする、と聞いたホーム長、 ご親族に電話して承諾を得、 M/Kさんの形見の品を運び出すことに。 休日、ホーム長・理事長とともに荷物の整理に出かけました。中庭に続く縁側があって、玄関脇に6畳の応接間と台所、 4畳半と6畳の和室、急な階段を上がって二階一室の古いふるい、昔の家。 いたるところM/Kさんの生活のあとがあります。 和式の鏡台。着物を入れた桑折。夏場にご飯が腐らないようにかけていたかご。 嫁入りのときに持ってきたのだろう、老舗であつらえた昭和10年代の 素敵な訪問着と留袖も出てきました。 ビルマの出征で亡くなったご主人の遺影が、丁寧に風呂敷に包まれて しまわれていました。また、年金手帳や市役所からの通知、 靖国神社での勤労奉仕を慰労する国からの手紙などが、大事そうに 塗りの箱にしまわれていました。 戸も窓も、電球も、すべて大切なM/Kさんの思い出。 ここがなくなるなんて、寂しさでいっぱいです。 「木の塀に、“何日に食事会をします”、なんて看板をつるしてね。 草を抜いて、ここに花を植えて…」 ホーム長が懐かしそうに話してくれました。 採算など考えず、何もかもを工夫して手作りしていた そのころが一番楽しかった、とホーム長は言います。 「介護保険事業」の始まる前の話。 ホーム長たちの取り組みは、純粋に、地域福祉を実践していたのかもしれません。 今は役割分担ができ、いろいろな面で効率的になった代わりに、 職員もサラリーマン化している気がします。 本来福祉とは、お金に換えられぬものであったはずなのに。 福祉だけでなく、人間の営みそのものが M/Kさんの時代と変わってしまった気がしました。 7月に、協力医療機関であった井谷内科の跡地をお借りして、 新しい小規模多機能居宅介護事業所がオープンします。 私のイメージでは、そこが「岩崎ともの家」に近い形になるはずです。 医院を改装した建物なので、ハード面では期待できませんが、 M/Kさんの遺品をそっくり再利用し、新しいものは極力買わず、 古いものをリユースしながら昔ながらの生活をしたい、と思っています。 ほろびつつある「和の心」が復活できるかどうか。 どうぞご支援ください。 ![]() |