「戦後70年」子々孫々まで不戦を誓う「戦争語り部のつどい」[2015年08月04日(Tue)]
2015.8.1
登米市歴史博物館 旧亘理邸で、
「戦争語り部のつどい」が開催されました。

写真は、主催の登米市遺族会、
関 嘉基会長のご挨拶です。

戦禍と不戦の誓いを肉声で次の世代へ

登米市内に住む戦争体験者や関係者による体験談を
聴講し、平和の尊さを改めて感じるという機会ですが、
「戦後70年」という現在
体験者の生の声を聴くということが
大変に貴重であり、希少な機会でもあります。
本日語り部として登場していただくはずであった
故佐藤勝志氏の「ガダルカナル島撤退追憶記」

手元に資料として、頂きましたが、
ご本人のお声を聴くことは叶いませんでした。

司会の星 勲氏により
会場の皆さんと黙とうをしました。
最初の登壇者は、佐藤栄さん(94才)
昭和17年、ベトナムで前線にたった現役兵の経験者です。
所属した陸軍では「行軍」と言って、
敵を追及するという役割があったそうです。
戦場とは、銃剣を持って戦うばかりでなく
「行軍」のその過酷な状況。
「食糧難」「病」に倒れ亡くなる方のいかに
多かったことなど、お話しされました。

後藤忠衛さん(79才)
昭和17年新京(長春)の小学校に入学。
終戦を北朝鮮の平壌で迎え、
引揚げの途中母親を亡くされました。

高橋正勝さん(72才)父親が昭和20年、
フィリピンミンダナオ島で戦死された戦争遺児。
戦没地を慰霊訪問された体験談です。

故佐藤勝志さんの達筆な自筆で
平成13年に、書かれている追憶記。
「永久に忘れないあの湾の出発地を
宇品湾と周囲の山々の風景を」
と最後に書かれています。
ご本人にしかわかりえない
語りつくせないほどの
つらい経験がそこから、
あったに違いない。
今の私たちには
想像もできないことであっても
ただ決して忘れてはならない戦争
「繰り返してはならないことだよ」と
勝志さんが語ってくれているように
感じるのは自分だけだろうか。
8月30日まで、登米市歴史博物館では、
「戦争と暮らし 資料で振り返る戦中・戦後」
(同館主催)も開催している。
(川久保)
登米市歴史博物館 旧亘理邸で、
「戦争語り部のつどい」が開催されました。
写真は、主催の登米市遺族会、
関 嘉基会長のご挨拶です。
戦禍と不戦の誓いを肉声で次の世代へ
登米市内に住む戦争体験者や関係者による体験談を
聴講し、平和の尊さを改めて感じるという機会ですが、
「戦後70年」という現在
体験者の生の声を聴くということが
大変に貴重であり、希少な機会でもあります。
本日語り部として登場していただくはずであった
故佐藤勝志氏の「ガダルカナル島撤退追憶記」
手元に資料として、頂きましたが、
ご本人のお声を聴くことは叶いませんでした。
司会の星 勲氏により
会場の皆さんと黙とうをしました。
最初の登壇者は、佐藤栄さん(94才)
昭和17年、ベトナムで前線にたった現役兵の経験者です。
所属した陸軍では「行軍」と言って、
敵を追及するという役割があったそうです。
戦場とは、銃剣を持って戦うばかりでなく
「行軍」のその過酷な状況。
「食糧難」「病」に倒れ亡くなる方のいかに
多かったことなど、お話しされました。
後藤忠衛さん(79才)
昭和17年新京(長春)の小学校に入学。
終戦を北朝鮮の平壌で迎え、
引揚げの途中母親を亡くされました。
高橋正勝さん(72才)父親が昭和20年、
フィリピンミンダナオ島で戦死された戦争遺児。
戦没地を慰霊訪問された体験談です。
故佐藤勝志さんの達筆な自筆で
平成13年に、書かれている追憶記。
「永久に忘れないあの湾の出発地を
宇品湾と周囲の山々の風景を」
と最後に書かれています。
ご本人にしかわかりえない
語りつくせないほどの
つらい経験がそこから、
あったに違いない。
今の私たちには
想像もできないことであっても
ただ決して忘れてはならない戦争
「繰り返してはならないことだよ」と
勝志さんが語ってくれているように
感じるのは自分だけだろうか。
8月30日まで、登米市歴史博物館では、
「戦争と暮らし 資料で振り返る戦中・戦後」
(同館主催)も開催している。
(川久保)



