今年に入ってようやくシーズ加古川の理念でもあり、私が目指したい社会の理念である「市民セクター」ということが分ってきた気がする。
理念のくせに何をいまさら・・・と言われるかもしれないが、ボンヤリとはわかっていたものの、明確に定義できていなかったなと改めて感じたのが、最近なのだ。
私が考える「市民セクター」とは、「エンパワーメントを持った自律した市民」が多い社会なのだと思う。
そんな訳で、エンパワーメントと、自律を改めてネットで検索して調べてみた(笑)
■エンパワーメント(empowerment)とは
個人が自分自身の力で問題や課題を解決していくことができる社会的技術や能力を獲得すること。(出典:はてなキーワード)
■自律とは
他からの支配・制約などを受けずに、自分自身で立てた規範に従って行動すること。(出典:yahoo辞書)
・・・と言うことらしい。が、私の考えを以下に述べたい。
この産業社会の中では、他者へ依存する傾向が強くなる構造をうんでしまう。
まず一つに、お金を払うと様々なサービスを受けることができることがある。
お金さえ払えば、そのサービスを受けることに何も努力しなくても、欲求が満たされてしまう。
二つ目として、行政が税金によって様々なサービスを提供してくれることがある。
税金によって行政が個人の生活までも保障してくれる生活保障の仕組みそのものも、産業社会の仕組みの中ではセーフティネットとしては必要不可欠だが、生活を行政に依存する傾向を生んでしまうことになる。
様々な法律やルールに縛られて、人々が自ら考えて行動することが制限されてしまうのだ。
このことは、人々が自分で考えて自分で行動する必要がなくなってしまい、無力化した市民が多くなってしまう構造になってしまう。
シーズ加古川のひとつの事業として、若年者の就職支援をする事業があるが、相談者の傾向として、「しんどくない仕事がしたい」「給料がいくら以上必要」「土日休みの仕事がいい」と個人の主張ばかりする若者が多くいる。
自らがどうしたいとかどのように生きていきたいという想いがあまり感じられず、とりあえず職について稼げればいいといった考えなのだ。
しかし、これではきっと人生は豊かなものにならないのではないだろうか。
就職につけたとしても、言われたことだけをやり、お金をもらうということだけになってしまい、しんどくなってしまうだろう。
離職率が高いことや、鬱になってしまう人が多いのは、「仕事」が「稼ぐ」という行為のみになってしまっているからだと思う。
決められた枠やこうあるべきという型の中にはまってしまうのではなく、自分でこうあるべきだと考え、自分で行動できることがこれからの社会には必要である。
つまり、「エンパワーメントを持った自律した市民」とは、自分で考え、自分で行動できる市民なのだと思う。
若年者の就職支援事業は、単なる就職ということをゴールにするのではなく、相談者が就職後も自分で考え、自分で行動し、自分の「仕事」ができる人材を育てられる機関にしたい。
そして、シーズ加古川の活動全体としても、自分自身でこだわり、考え、言われたことを行動できる市民が多い社会を作って行きたい。
それが、シーズ加古川の理念でもある市民セクターだと最近ようやく改めて定義できた気がする。
そんな社会になる手伝いがシーズ加古川の活動を通してできればいいなぁ・・・。