• もっと見る
«ブログ始めました! | Main | 今日は理事会でした»
<< 2018年02月 >>
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28      
カテゴリアーカイブ
最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
市民セクターとは何か [2010年02月07日(Sun)]
今年に入ってようやくシーズ加古川の理念でもあり、私が目指したい社会の理念である「市民セクター」ということが分ってきた気がする。

理念のくせに何をいまさら・・・と言われるかもしれないが、ボンヤリとはわかっていたものの、明確に定義できていなかったなと改めて感じたのが、最近なのだ。

私が考える「市民セクター」とは、「エンパワーメントを持った自律した市民」が多い社会なのだと思う。

そんな訳で、エンパワーメントと、自律を改めてネットで検索して調べてみた(笑)
■エンパワーメント(empowerment)とは
個人が自分自身の力で問題や課題を解決していくことができる社会的技術や能力を獲得すること。(出典:はてなキーワード)
■自律とは
他からの支配・制約などを受けずに、自分自身で立てた規範に従って行動すること。(出典:yahoo辞書)

・・・と言うことらしい。が、私の考えを以下に述べたい。

この産業社会の中では、他者へ依存する傾向が強くなる構造をうんでしまう。
まず一つに、お金を払うと様々なサービスを受けることができることがある。
お金さえ払えば、そのサービスを受けることに何も努力しなくても、欲求が満たされてしまう。
二つ目として、行政が税金によって様々なサービスを提供してくれることがある。
税金によって行政が個人の生活までも保障してくれる生活保障の仕組みそのものも、産業社会の仕組みの中ではセーフティネットとしては必要不可欠だが、生活を行政に依存する傾向を生んでしまうことになる。
様々な法律やルールに縛られて、人々が自ら考えて行動することが制限されてしまうのだ。
このことは、人々が自分で考えて自分で行動する必要がなくなってしまい、無力化した市民が多くなってしまう構造になってしまう。

シーズ加古川のひとつの事業として、若年者の就職支援をする事業があるが、相談者の傾向として、「しんどくない仕事がしたい」「給料がいくら以上必要」「土日休みの仕事がいい」と個人の主張ばかりする若者が多くいる。
自らがどうしたいとかどのように生きていきたいという想いがあまり感じられず、とりあえず職について稼げればいいといった考えなのだ。

しかし、これではきっと人生は豊かなものにならないのではないだろうか。
就職につけたとしても、言われたことだけをやり、お金をもらうということだけになってしまい、しんどくなってしまうだろう。
離職率が高いことや、鬱になってしまう人が多いのは、「仕事」が「稼ぐ」という行為のみになってしまっているからだと思う。

決められた枠やこうあるべきという型の中にはまってしまうのではなく、自分でこうあるべきだと考え、自分で行動できることがこれからの社会には必要である。

つまり、「エンパワーメントを持った自律した市民」とは、自分で考え、自分で行動できる市民なのだと思う。

若年者の就職支援事業は、単なる就職ということをゴールにするのではなく、相談者が就職後も自分で考え、自分で行動し、自分の「仕事」ができる人材を育てられる機関にしたい。

そして、シーズ加古川の活動全体としても、自分自身でこだわり、考え、言われたことを行動できる市民が多い社会を作って行きたい。

それが、シーズ加古川の理念でもある市民セクターだと最近ようやく改めて定義できた気がする。
そんな社会になる手伝いがシーズ加古川の活動を通してできればいいなぁ・・・。
トラックバック
ご利用前に必ずご利用規約(別ウィンドウで開きます)をお読みください。
CanpanBlogにトラックバックした時点で本規約を承諾したものとみなします。
この記事へのトラックバックURL
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
トラックバックの受付は終了しました

コメントする
コメント
>たるさん

コメントありがとうございます。
市民セクターへの意見は、とっても嬉しいです。

そう、どちらが正しいというわけではないけれども、日本人が持っていた価値観を評価すべきとのたるさんの意見は、私も同じ思いです。
ただ、戦後アメリカナイズされていく過程というよりは、この近代社会の特徴なのだということを最近大学院で勉強しました。
近代に入り、社会全体が個人主義的自由主義の価値観によって、大きく経済発展していきました。
その過程の中で、「稼ぐ」ということが重要になってしまい、「仕事」の上で身につけられる自己実現や人とのふれあいや共有といった視点が重視されなくなってしまいました。

たるさんの言われるように、日本人は仏教の思想によって、自然を恐れ、自然を敬い、自然とともに生きてきたのだと思います。
それが、経済社会は自然さえも技術発展によってコントロールできると考えてしまいました。
でも、今はもう資源も枯渇しつつあります。
今こそ、本当に日本人の持っていた価値観が大事なような気がしますね。
Posted by: toki  at 2010年02月09日(Tue) 01:12

市民セクターって言葉、確かに良く聞きますが
今回、初めて知ることが出来たような気がします。
実際結構いい加減にこの単語を使っている人も多いですね。

思えば、日本の仕事に関する価値観は儒教と農耕により
実っても働く、実らなくても働くという生活の一部でした。
毎日の労働がいつか収入につながるが、天候など自分の力で
どうにも出来ないものにも大きく左右されるので取り分は
全体で共有する、という感覚がそこにはありました。

それが、戦後アメリカナイズされていく過程において
稼げるときに稼げばいい。稼いだ蓄えを使って人生を楽しむ
といった狩猟民族的な価値観が増えているように思います。

どちらが正しい、ではないかもしれませんが
もう一度日本人が持っていた価値観を評価し
コツコツと積み上げることの重要性を見直さないと
経済大国まで持ち上げてきた先人の苦労が
水泡に帰すような気がしてなりません。
Posted by: たる  at 2010年02月08日(Mon) 06:52