• もっと見る
«4度目の東北訪問 | Main | 「淡路島美術大学」へ行ってきました☆»
<< 2018年02月 >>
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28      
カテゴリアーカイブ
最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
「市民活動」と「市民公益活動」 [2011年08月14日(Sun)]
ずいぶん前に、色々とインターネットで市民活動について調べていたときに、行きあたったホームページを見て、「なるほど〜!」と感動したことがあります。
どうやって行きついたのかも覚えていませんが、それは青森県八戸市の市民活動促進検討会の議事録でした。

八戸市はずいぶん前から「協働」についてや「市民活動」の促進等の議論が活発に行われています。
八戸市の市民活動促進検討会の議事録を読んで、人口は明石市や加古川市よりも少し少ないくらいの町なのに、なんとレベルの高い議論が行われているのだろうと感動したことを覚えています。

八戸市では、「市民が自らの自由意志に基づき、その目的の下、自主的・自発的に行う多様な諸活動を市民活動と呼び、それを行う集団を市民活動グループと呼ぶ。」としています。
なので、「市民活動は市民の地域社会への参加の窓口」としては重要であると観点から、趣味やサークル活動も重要と考えられています。

そして、もう少し公益性を帯びてきたものを市民公益活動として、下記のように定義しています。
「市民活動として、幅広い人たちの幸福や地域社会全体の問題解決のために行われる活動のうち、市民の多くがそれと認めるものを市民公益活動(公共を担う市民活動)と呼ぶ。
また、専ら市民公益活動をおこなう目的で設立された団体を市民公益活動団体という。市民公益活動団体は、公共を担う責任の自覚から、継続的な活動を組織的にすすめ、市民に開かれた運営に努めなければならない。
(また、専門性を高め、先駆的な事柄に取り組むことで、地域社会に公共の利益をもたらすことが期待される。)」

定義なので少し難しいかもしれませんので、私なりの解釈で説明すると、、、。
どうしても市民活動は自己アイデンティティを確立するために、「我が」ということに走りがちになってしまいますが、市民の主体性という観点で考えると、「我が」というような活動も大事。
しかし、「公共の担い手」という点を考えると、「我が」というだけでは、成り立ちません。
「公共の担い手」というからには市民の多くが認めなければいけません。
そのためには、「自由」だけではなく、「義務」も「責任」も果たさなければなりません。
そういった活動を市民公益活動と呼ぼうという議論でした。

こんな議論が兵庫県のあちこちで繰り広げられると良いのに・・・と思います。
トラックバック
ご利用前に必ずご利用規約(別ウィンドウで開きます)をお読みください。
CanpanBlogにトラックバックした時点で本規約を承諾したものとみなします。
この記事へのトラックバックURL
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
トラックバックの受付は終了しました

コメントする
コメント