東日本大震災 NYの学校が千羽鶴づくり 被災者支援で
【ニューヨーク山科武司】東日本大震災の被災者を支援しようと、米ニューヨーク国連本部近くの「国連インターナショナルスクール」(生徒数1560人)の児童・生徒が23日、千羽鶴づくりに励んだ。完成した鶴は、世界中から折り鶴の寄贈を募っている米サンフランシスコの非営利団体「スチューデンツ リビルド」に送る。同団体が1羽あたり2ドルの義援金に代えて日本に送るほか、千羽鶴も日本の被災地の子供たちに届けられる。
同校には10年前の米同時多発テロ事件(01年9月11日)の後、日本の児童から千羽鶴が届いた。「あの時は助けてもらった。今度は私たちが助ける番。お金がない子供でもできます」(小学校部のジャクリーン・ジェンキンス校長)
5歳から10歳の小学生を中心に、さまざまな国の子供たちが説明書をにらみつつ鶴づくりに挑戦。ちょっと不格好なものもあるが、思いのこもった鶴が次々と生まれた。フランス人のサラさん(9)は「複雑だけど頑張った。日本の子供たちも頑張ってほしい」と話した。この日は始業前の1時間ほどで1350羽が完成。3000羽が目標という。
同校には各国の駐在外交官や地元住民らの小学生から高校生までの子弟が通っている。
記事 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110325-00000005-maip-int.view-000 より
日本は今まで たくさんの国々を支援してきました。
昔から、良い事をすると 戻ってくると言われていた通り
日本がたくさんの国々を支援していて
今回は、たくさんの国々から支援してもらっています
言葉や国は違えでも、良い事にたいする思い
平和への思いは同じということですね
日本は世界のために 世界は日本のために
本当に今回の地震では、改めてたくさんの気持ちに 思いに感動しました
2011年03月25日
今日の作業報告
本日の、千葉県浦安市液状化に対する災害復興ボランティアの活動報告です。
作業場所 : 明海大学横の歩道
作業人数 : 11人
晴れていたのでみんな良い汗かきました。
通りすがりの方に幾度となく写真を撮られたり声をかけていただいたり。やりがいを感じます。
今日も 日本の未来のため 復興のため
集まってくださりありがとうございました
また よろしくお願いします。
消防団員、涙こらえ懸命の捜索 大震災から2週間
消防団員、涙こらえ懸命の捜索 大震災から2週間
東日本大震災は25日で発生から2週間。
本県に甚大な被害を与えた震災の傷痕はなお痛々しく、原発の不安も収まらない。
津波が襲った浜通りでは自衛隊や県警などによる捜索が続けられ、流木や倒壊した家屋によって閉ざされた道を重機が切り開く。
半径20キロ圏内の避難指示区域の現状も分かってきた。
南相馬市で捜索に当たる消防団の中には仲間と音信が途絶えたままの団員もいる。
「前に進むしかない」。悲しみを胸にしまい現状を打破するために家屋などの廃材の山と闘っている。
南相馬市鹿島区の消防団が24日、数日ぶりに捜索を再開した。津波が起きた直後も行方不明者を捜していたが、原発の事故で一時中断。使命感にかられた団員が集まり、これまで継続的に捜索してきた相馬地方広域消防本部に合流する形で再始動した。
「被害現場は想像のつかないような惨状。身が引き裂かれる思い」。現場で指揮を執る市消防団副団長で鹿島区団長の長沢初男さん(63)はつらい心情を吐露した。不明者の家族に会うと「よろしくお願いします」と声を掛けられるという。悲痛な家族の姿を見ると切なくなる。
これまで苦楽をともにしてきた大切な仲間のうち、3人はいまだ連絡が途絶えたままだ。
この日の捜索では1人の遺体を発見した。「現状を変えるためには、前に進むしかない」。長沢さんは決意を込めて語った。
(2011年3月25日 福島民友ニュース)http://www.minyu-net.com/news/news/0325/news8.html
いよいよ、震災発生から2週間が経ちました。
日本と世界と一丸になり 復旧に向け活動しています
消防団員 警察官 自衛隊 海上保安庁 ボランティアの方々など
本当にありがとうございます。
今回の地震は、まだ私も整理がつかない状態です
首都圏にもダメージを与えたこの大地震...
一瞬のうちに奪われた命
必死に生きる 被災地のみなさん
本当に、胸が痛くなってきます
私も、全力を尽くして日本の復興のため活動していきます
東日本大震災は25日で発生から2週間。
本県に甚大な被害を与えた震災の傷痕はなお痛々しく、原発の不安も収まらない。
津波が襲った浜通りでは自衛隊や県警などによる捜索が続けられ、流木や倒壊した家屋によって閉ざされた道を重機が切り開く。
半径20キロ圏内の避難指示区域の現状も分かってきた。
南相馬市で捜索に当たる消防団の中には仲間と音信が途絶えたままの団員もいる。
「前に進むしかない」。悲しみを胸にしまい現状を打破するために家屋などの廃材の山と闘っている。
南相馬市鹿島区の消防団が24日、数日ぶりに捜索を再開した。津波が起きた直後も行方不明者を捜していたが、原発の事故で一時中断。使命感にかられた団員が集まり、これまで継続的に捜索してきた相馬地方広域消防本部に合流する形で再始動した。
「被害現場は想像のつかないような惨状。身が引き裂かれる思い」。現場で指揮を執る市消防団副団長で鹿島区団長の長沢初男さん(63)はつらい心情を吐露した。不明者の家族に会うと「よろしくお願いします」と声を掛けられるという。悲痛な家族の姿を見ると切なくなる。
これまで苦楽をともにしてきた大切な仲間のうち、3人はいまだ連絡が途絶えたままだ。
この日の捜索では1人の遺体を発見した。「現状を変えるためには、前に進むしかない」。長沢さんは決意を込めて語った。
(2011年3月25日 福島民友ニュース)http://www.minyu-net.com/news/news/0325/news8.html
いよいよ、震災発生から2週間が経ちました。
日本と世界と一丸になり 復旧に向け活動しています
消防団員 警察官 自衛隊 海上保安庁 ボランティアの方々など
本当にありがとうございます。
今回の地震は、まだ私も整理がつかない状態です
首都圏にもダメージを与えたこの大地震...
一瞬のうちに奪われた命
必死に生きる 被災地のみなさん
本当に、胸が痛くなってきます
私も、全力を尽くして日本の復興のため活動していきます