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2012年11月25日

マザーアースフェスティバル!

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   11月3日(土曜日)葛西にて、「地球に生きる・地球と生きる 国境を越え、世代を超えて」「こどもが生きる地球のために今ママにできること」をテーマとしたイベントがおこなわれました。

  母なる地球をリレーしよう。マザーアースフェスティバルで副実行委員長として恵理さんに任命していただき、オープニングの司会やクイズのナビゲーターをさせていただきました。昨年に引き続いて、2回目と参加となりましたが、いつも思うことはママさんたちのパワーというのは本当にそごいものだなっということです。そして、あたるなんか思っておりませんでしたが、抽選会では大江戸温泉物語のペアチケットもあたり、リフレッシュしに今度いってきます!! 恵理さんと会うことができたことに本当に感謝 この日も久しぶりのひと、はじめてのひと、沢山のかたと会うことができて出会いに感謝です。木曜日から全然睡眠時間をとることができていなかったのですが、マザーアースでは笑顔から沢山力をいただけました。 

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  また、マザーアースフェスティバルには企業・NPO・農家などのブースが沢山でておりました。実は、クラブワールドピースジャパンでも出展させていただき、いつもの活動の紹介を手作りポスターて説明したり、震災のチャリティーポロシャツ・Tシャツを作っていこうとデザインを募集しました。こども連れのお客さんだけではなく、多くの方にブースに足を運んでいただくことが出来てました。NPO・市民活動と言うのは本当につながりというのが大事なものだと思っています。点から点でつながって線になって、こんどは平面になっていく、いつどのときもつながりを意識していけば、活動は広がっていくし、はやく目標に辿りつけるのではないでしょうか。改めて、マザーアースフェスティバルにご協力いただいたみなさんに御礼申し上げます。
posted by clubwpj at 23:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 富樫泰良

2012年07月12日

Vancouverから

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 バンクーバーはグリンピース発祥の地!今日はオフィスを訪れて、お話を伺いました。笑顔で出迎えてくれて、丁寧に当初のときのアクションのことから 今のアクションに至るまで教えてくださり。また、日本ではどのようなことがおこなわれているのかをお話してきました。


 日本では、そもそもNGOに対する理解が先進国に比べて少ないとされています。グリンピースの活動も、世界では評価されていても日本ではなかなか浸透しない現実があります。これはくじらの告発ことでも、原発の事でも、全てのアクションがnon-violenceなのに、メディアに責任があると思いますが、あまり良いイメージがないかもしれません。しかし、バンクーバーではだれもがNGOのアクションをしっていて、グリンピースバンクーバーの近くで、Officeへの道を聴いた時にもグリンピースに行きたいと言っただけで快く地元のかたが案内してくださいました。帰りの駅ではNGOによる首相へのメッセージ集め・展示等も行われおり、日本とのNGOに対する文化の差を改めて感じました。
posted by clubwpj at 16:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 富樫泰良

2012年06月24日

ゆりあげ

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 宮城県名取市閖上から深夜戻ってきました!閖上では、宮城のリーダーをしているひろきとひろきのお母さん、ドキュメンタリーの取材の方と日和山・閖上中学校と献花をさせていただいてから、閖上の記憶に寄らせていただき、お昼御飯はさいかい市場で食べました。そのあと閖上まちカフェにて、いまのこども会議の進展状況からアドバイスや予算の直しなどをさせていただいたり、暖かいお言葉をかけていただいたり、地元のこどもたちとはしゃいだり(笑)してきました。閖上は本当に大好きな街です。あと数時間でカナダに向かいますが、震災のとき日本にいたひとりとして伝えられることは伝えていきたいと思います。
posted by clubwpj at 16:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 富樫泰良

2012年06月10日

海プロを主催

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ご報告が遅くなりましたが、先日海とふれあいプロジェクトを東京で開催しました!

「海が好き、だから海を守りたい。」
この素直な好きだから守るという感情から僕の活動は始まりました。今回で20回目を超えるこの活動ですが、始まったときは10人にも満たない参加者で少ないゴミしか集めることも、半分のこどもの参加を得ることもできませんでした。しかし、今は多くの中高生が中心となって海とふれあいプロジェクトは全国に広まっています。


青海南ふ頭公園から中央公園、暁ふ頭公園と海岸清掃、バーベキュー、スポーツを通じて海を好きになってもらうイベントを開きました。この青海で行うのは3年目です!いまではベースとなり始めたこの場所で盛り上がりました。中高生が多く集まってくださり、当初の参加予定よりは減ったものの20人以上のメンバーが集まりました!多くの中高生がアクションを起こしていきたいと想いを共有することもできよかったです。次回も宜しくお願いします。
posted by clubwpj at 23:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 富樫泰良

2012年06月02日

素敵な機会をいただきました。


 黄色い叫び アフタートークショー

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 黄色い叫びのアフタートークショー。ご報告が遅くなりましたが、下北沢の舞台で行われたこの黄色い叫びは全席満席で大盛況でした。舞台そのものがほんとにほんとに素晴らしいもので、僕も見ていて感動して涙がでてしまいましたし僕の想いを後押しするような舞台でありました。舞台を見ていて、僕がほんとにトークショーに出て良いのだろうかと心底からほんとに思いましたが、そんな心配は俳優の田島さんを始めとした役者のかたがたとスタッフの方々がほぐしてくださいました。ほんとにこの舞台のアフタートークショーに出ることができ良かったです。

 黄色い叫びに出演することになったのは、俳優の田島さんと東日本大震災の復興支援活動でご一緒して、それから連絡を取り合っており田島さんから黄色い叫びに出演してもらえませんか?とご連絡をいただき今回出演することになりました。

 私は、黄色い叫びへの田島さんの想いが本当に大好きです。

----「黄色い叫び」への想い---- ホームページより

去年、東日本大震災を受け、自分とあの震災をどう結び付けたらいいか、頭では考えていても精神的にはまだまだ混乱状態だった頃、僕は芝居と現実の両方で、答えが出ない自分を見つめもがいていました。そんな時に中津留章仁さんの「黄色い叫び」という作品に出会いました。新宿のタイニイアリスという、50人ほどしか収容出来ない小さな劇場でそれは公演されていました。始まって数分で、僕の心はわしづかみにされました。

テレビでも、仲間内での会話ですらも、震災のことに関してはまだどう扱っていいか悩んでいる頃で、CMソングでは「上を向いて歩こう」が流れていたり、演劇などでも「これはもしかしたら震災とかけているのかな」と想像させる演出だったり、曖昧に震災に触れることが多い時期でした。

そんな時、この「黄色い叫び」では、思いっ切り3月11日について語られていたのです。それも極めて冷静な目線で。賛否両論が間違いなく飛び交う内容でしたが、作者の中津留さんが震災と死ぬ気で向き合い、命懸けで書いた作品だということがひしひしと伝わって来ました。僕にとって人生で初めて聞く衝撃的な台詞の連続で、観てるこちら側が始まりから終わりまでアドレナリンが止まらない…

 僕が観た作品は実は再演で、この初演は4月に行われていました。「震災からわずか1ヶ月で発表したのか!」挫折にも似た感動を味わい、その衝撃は未だに拭い去ることが出来ません。

 「災害と人間」「主要都市と過疎地方」という人間がいつまでも持つであろう普遍的なテーマを扱っている作品です。50年後でも100年後でも、逆に50年前でも100年前でも通用する物語なのではないかと僕は思っています。

 僕が味わった挫折ともいうべき感情を、一人でも多くの人に伝えたい。 この作品がどなたかの表現者の心に伝わり、再び中津留さんの鎮魂歌が違う人の手によってうたわれて欲しい。違うカンパニーがこの台本を上演し続けることによって、この優れた台本を単なるオリジナル作品でなく、古典作品として下の世代に繋げたい。様々な想いが詰まった作品です。
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ほんとにこんなにも素敵な舞台に出させていただくことができたことに心からお礼申し上げます。この舞台の中で、心に残った言葉がいくつかあります。「3月11日に好きだった人を失った人もいるんだよね」この言葉は本当に響きました。ほかには、防災にかける予算がないときに「じゃあ原発を誘致するか」と。一番想いが繋がったのは「原発を建てる前に街の防災対策をなぜ優先しなかったか」ということば。ほんとに素晴らしかったです。
posted by clubwpj at 11:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 富樫泰良

2012年06月01日

また新たな企画がスタートします。

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 阪口直人衆議院議員と「国会での子どもたち(高校生)による、原発や日本のエネルギー政策についてのディスカッション」を開催していけるようにと打ち合わせをお時間をいただきさせていただきました。阪口議員はちょうどお会いした日の前の夜にキルギスでのマラソン大会から帰国されておりハードなスケジュールの中にもかかわらず笑顔で迎えてくださいました。緊張している僕にキルギスの写真を一緒に見てほぐしてくださるなど本当にお心遣いもいただいて感謝の気持ちで一杯です。またらためて皆さまには国会でのディスカッションについてお知らせいたします。
 
 阪口直人衆議院議員とは一昨年からのお付き合いで、世界一大きな授業に出させていただいた時から、フィンランドのノーベル平和賞を受賞した元大統領が来日し講演をしてくださったときを始めとした途上国や戦争・和平という分野においても繋がりがあり、3月11日以降では宮城県名取市閖上での繋がりもありました。さらには福島第一原子力発電所事故の事故収束に向けた有志が集まる福島原発行動隊の院内集会(議員会館内で行われる集会)でもご一緒するなど、積極的に社会活動に取り組んでおられる阪口議員とはなぜか切っても切り離せない関係でいます。

 阪口議員は、電気のないところで2年間生活をされるなど精力的かつ斬新なアイディアで、心のそこの想いからアクティブにNGOなどで活動されておりそこから国会議員になられた方です。
前にこのブログでご紹介した糸数慶子議員とも似ているところがありますね!こどもの権利においても、原子力発電を含めたエネルギーの政策のことについても阪口直人議員とは近いところを目指しているのでお互いに協力できることをやっていこうと誓いました。こどもの権利のことでは、ほんとに阪口議員にはお世話になっていますので、その恩返しもできるようにがんばります。また、ご報告やお知らせをいたしますのでよろしくお願いします。
posted by clubwpj at 11:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 富樫泰良

2012年05月04日

ご飯を一緒に食べることがキーワード

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 先日、情熱大陸や行列のできる法律相談所でおなじみのロシナンテス会長の川原尚行さんと東北本部長の大島一馬さんのお話を伺いに行ってまいりました。

 僕がロシナンテスの方とお会いしたのは宮城県名取市閖上にある閖上まちカフェで第一回目の閖上復興こども会議を開催した際に、閖上中学校の慰霊碑の前でロシナンテスの方とお会いしたのが初めて関わるきっかけとなった日でした。閖上に毎回訪れる際は必ずといっていいほど一番最初に閖上中学校前の慰霊碑で手を合わせます。あの日、多くの人が閖上中学校を目指し走りました。そして沢山の命も失われました。閖上でリーダーを務めるひろき君もあの日は閖上中学校に向かって走りました。そして数秒の奇跡で助かりました。しかし、閖上中学校では14人の生徒の命が失われています。その中にはひろきの友達もいます。

 ロシナンテスのご協力によって、閖上では復興に向けての新聞が発行されたりがれきの撤去、震災直後の医療支援など、閖上で大活躍されました。もともとは途上国の支援を行っているNGOとして動いていたそうで、その経験を今回は活かすことができたと語っていました。

 またロシナンテスの川原医者は、被災地で活動する仲間と一緒にご飯をたべること、これで仲良くなってコミュニケーションがとれて、活動もスムーズにいったとお話をされていました。たしかに、CWPJでも一緒にご飯を食べる。一緒に短い間でも生活をするだけで、仲良くなれてしまいます。しかも、ただ食べるだけでなく一緒に苦労してだと更に仲良くなります。ロシナンテスさんとは、これから閖上で閖上のこどもたちが中心となって活動を始めていくにあたって、僕たちの活動もご支援いただけるそうです。

 こどもということもあり、なかなか閖上まで出かけることはできませんけども、東京でもこうやって繋がりを作って行くこともできます。それぞれが出来ることから復興に向けて一歩ずつ前に進んでいくことこそが復興への道だと思います。これからも、復興に向けて学び、動き、動かせるように活動していきたいと思います。

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そして、絶対に閖上中学校の前に書いてあったこの言葉を忘れません。復興はとても大事なこと、だけども沢山の命がここにあることを絶対に忘れない。次の世代にも、その次の世代にもことのことを伝えていく、残していくのは僕たちの使命なのかもしれません。
posted by clubwpj at 11:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 富樫泰良

2012年04月28日

世界一大きな授業 国会議員向け

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 先日は「世界一大きな授業」に先生役(ファシリテーター)として参加させていただきました。これは子どもたちが「先生」になり、いつもは「先生」と呼ばれている国会議員に生徒になってもらって世界の途上国の教育の実情・現状について理解を深めてもらう試みです。同じテーマについて、世界中で1000万人以上の人々が問題意識を共有することから、このような名称で呼ばれるようになりました。世界で6700 万人の子どもが学校に通っていない現状に対し、教育の普及を訴える「世界中の子どもに教育を」キャンペーンは180カ国で開催されています。

 今回は、衆議院第二議員会館にて岡田副総理らにもご出席いただきながら
スマトラ島沖地震での津波被害のところから、教育を受けることができる男の子、できない男のと、教育を受けることができる女の子、できない女の子というふうに国会議員のみなさんに役をしていただく形でワークショップを行いました。文字を読むことができないために、赤ちゃんにミルクではなく農薬などの有害物を買ってしまい飲ませることによって実際に赤ちゃんが病気になったり死亡してしまったりするということが起きています。それを、国会議員の方には中身が見えないコップに水・ウコンジュース・お茶をいれといたものを飲んでもらうというような形で表現しました。

 僕は今回で2回目の参加でしたが、また新たに僕自身が学んだことも多くありましたし、アクティブに活動していたものですから知り合いになっている国会議員さんも多く、この世界一大きな授業でもお会いすることができ、話が弾みました。

 日本も世界も、大きな問題を抱えています。そしてその問題を解決していくためにはお互いに助け合って引く必要があると思うのです。先進国にも途上国への責任はもちろんあります。いままでの支援方法を改善していく、たとえばODAもただお金の額を増やしていくのではなく用途を選びもっと良いものへとしていくニーズがあるもににたいして行っていく必要があるのではないでしょうか。
posted by clubwpj at 11:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 富樫泰良

2012年04月26日

閖上への想い

 宮城県名取市閖上。
最近、僕のブログをご覧の方はこの地名をよく目にすることではないでしょうか?
いま、僕は閖上の復興に向けてほんとに微力ではありますが、閖上のこどもたちと一緒にできることから手助けをさせていただいています。

 閖上は東日本大震災前、かつては「活気のある漁港」で、人口はおよそ7000人ほどの街でした。東日本大震災で甚大な被害が出た名取市閖上地区では、指定避難場所とされている閖上中学校ののほんと目前で、津波にのまれた人が多くいたと。閖上公民館に避難した人々が「ここじゃ危ない」ってなってから閖上中学校に誘導され、指示に従って移動していたところを震災による津波が襲ったと聴かされています。閖上地区は津波のサイレンすら聞こえなかったと聴きました。津波に音は無く、大人のひとの声で無我夢中ににげたのだと。

 閖上中学校では14人の生徒が失われました。僕が閖上中学校を初めて訪れた際に心に残ったメッセージがあります。それは慰霊碑が建てられる前のことで、机の上に「まちの復興はとても大切なことです。でも沢山の人たちの命が今もここにあることを忘れないでほしい、死んだら終わりですか?生き残った私たちにできることを考えます」と書いてあったことです。

 先日、閖上中学校の遺族会会長の丹野さまからあたたかいコメントをいただきました。それは僕とひろき君へのメッセージで、すぐにひろきにも伝えさせていただいて、ひろきと2人で僕たちができること、やることってなんだろうか話しました。ひろきも3月11日は公民館から閖上中学校へ逃げたひとりで、そのときに丹野さんの息子さん公太君も一緒にいたそうです。僕は震災直後は全くお役にたてるような活動はできませんでしたが、これからでもできることはやっていこうと思っています。ほんとに微力ですし、閖上のことは全然いまは知りません、しかも当事者ではないので完全に同じ想いをもつことはできません。しかし、少しでも近付くことができるように学び、伝え、お役に立てるようにがんばらせていただきます。

 いま、僕と閖上まちカフェの柳澤さん、そして中心となっている閖上の同い年の学生とともに「閖人」ゆりんちゅという名前で最初は「閖上復興こども会議」を行って、そこで決まった「こども神輿」の復活と次の祭りでの出展に向けて活動を行っています。津波で街が流され、がれきは仮置き場に運ばれ、街に何も無くなり一年がたったけども、まだ復興への道のりを歩むことができていない。それどころか、市と住民とで意見の違いもある。そんななか僕たちは、人が集まる、こどもが集まるためになにをすればいいかと想い街づくりを話していくこども会議を開催することにしました。震災から一年がたっての開催ではありましたが、決して遅くも早くもなかったのではないかと思います。東京から、ときどきしか閖上には出向けませんがさせてくださっている早稲田の研究員のかたとともに、東京のこどもとともにサポートさせていただきます。


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posted by clubwpj at 22:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 富樫泰良

2012年04月23日

こどもからこどもに伝える責任

 
なかなか更新することができず申し訳ありません。
東日本大震災で被害を受けた宮城県名取市でのこども神輿の復活やこども会議の開催等などがあったほか、家の引っ越しが重なるなどしてなかなか更新することができませんでした。

 東日本大震災から一年を迎えた今年の3月11日に、大人が作る記録映像もいいのだけどもこども目線でこどもからこどもに伝えていく記録映像も必要ではないかと思い、ショートバージョンではありますがNF-TVにて公開させていただきました。公開までにご協力いただいた皆様には多大なる感謝を申し上げます。そしてあらためて東日本大震災で被災されたみなさまに心からお見舞い申し上げます。

 ぼくたちが伝えることのできることは、ほんのわずかなことでなかなか伝えたいことが伝えられないだけでなく本当のことを伝えなくてはならない事を伝えられているのかはわかりません。しかし、なにもしないのでは無責任ではないかと思い、作成に踏み切りました。ぜひご覧いただければと思います。




【編集は】宮城県名取市閖上、911人の方が津波により犠牲にあわれいまもまだ見つかっていない方々もいます。閖上には仙台・名取支部のリーダーを務めている籠島君が住んでいたところで、本人は津波が来た時に閖上中学校まで走り、ほんとに数秒の奇跡で助かりました。籠島君、そして地元の方々と、閖上中学校に通っていたこどもたちと話をしているうちに、ドキュメンタリーを作り多くの方に知ってもらう、そして未来のこどもたちに残していく... それが僕のやるべきことではないかと想い撮影させていただきました。

 閖上には最初、大雪のなかサポーターのかたの車で、高速道は大雪・福島第一原発事故の影響で利用できないために一般道を利用し道が限られたため福島第一原子力発電所事故による警戒区域のスレスレを通り向かいました。ドキュメンタリーの最初の方に標識に双葉・川俣と見えるためお気づきのかたもいらっしゃたかと思います。僕自身、震災後に福島市に訪れたことはありましたがギリギリを通ったことはもちろんなかったために正直不安もありました。しかし、伝えていかなくてはならないことがある。だから警戒区域すれすれのルートであろうともいくことに決めました。(閖上の線量は都内より低い、もしくは同じくらいです) 沢山の想いがこもったドキュメンタリー、今回はショートバージョンでの公開となりましたが、ロングバージョンにはもっと僕たちの伝えたいこと、伝えなければならないことを充実させていきますので、ぜひ見ていただければと思います。
posted by clubwpj at 22:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 富樫泰良