これも「9.11」だったのだな。神を軽んじたホンの罰だよ! 昨日の9.11首都圏南部豪雨では東京南部のいわゆる高級住宅街の周辺の自由が丘や緑が丘など低地の商店街にも浸水被害が多発、盛んにTV屋のネタにされる。が、小川を下水本管にして埋めた細長い緑地公園?の周辺は元からクボ地、それもその川が削った谷地だから水の集まる洪水に弱い場所で、大豪雨では浸水被害はムシロ当然だった。あるTV局の現地レポでは「周囲に大きな川もないのに」とかTV屋がのたまったが、「お前の居る場所が元の川だよ!」と言ってやりたかった。普段は大きくなくとも洪水時には多くの水が流れる川だったのだ!
●追記
TV屋は自己正当化か埋められ公園化された市街地の川などを「見えない川」とか言い出した。街の中に長細く続く不自然な緑地を現地で見れば「元・川では」とか直ぐ分かるはず。見えないのでなく無知や忘れたフリなのに。「見えない」のでなく「見ない」だけなのに。
●追記
電動アシスト付き自転車の故障を放置していた頃はトニカク坂を登る台地を通りたくなくて元・川の緑地公園沿いに移動したものだ、桜並木にもなっているし。だが、それが今回の洪水被害の元・川だったわけだ。
・・・・・追記終わり
大量進出した日本企業の工業団地を多数水没させた「2011タイ大洪水」の折に書いたよな。タイ人は日本の自動車会社を中心とする集団進出で奇跡の経済成長を遂げたは良いが、国土構造まで洪水の少ない欧米型のものを手に入れたつもりになり、大河川の大洪水が極めて肥沃なタイの大平野を造った自国の地理や歴史を忘れ、都市周辺の田んぼを埋め立てた標高も床も低い(自動車利用に便利な)住宅街に住んでいて50年に一度は来る程度の大洪水でタイ史上最悪の巨額の損害を受けた。昔は洪水に対応した小高い丘の上の高床式住居だったのに。しかもソノ50年に一度の確率の大洪水が翌々年にも続いて中国系政権が倒れと。そんな無知や油断が災害大国で用心深いハズの日本人も一部では同じとは。中韓人でもあるまいし。中国系建設会社が同じく中国系資材メーカーの不良資材(鉄筋等)を使って首都バンコクに建設中だった官庁(会計検査院)ビルが長周期振動とは言えワズカ震度3で崩れたタイと同じか? とんだ予算の無駄の節約だが、普通の建設現場で死者80名の犠牲者多数の腐敗し遅れて危険なタイと日本がワズカでも同じとは情けないぞ!
今回の9.11豪雨の被災地含め江戸の西は台地を多くの小川が洪水時に削り土砂を運んで出来た複雑な地形で、その谷を田んぼにしたり、田にも出来ないヌカルミだとハスを植えたり放置されたり。そんな湿地を天然の堀として各地の豪族(武士)がソバの丘の上に館や砦を築いて地域統治の拠点としたり。そんな地域の農地が明治維新後に一部の地域で大規模に区画整理(耕地整理)された後に宅地化され、悲惨な火災被害の関東大震災の後の避難的な移住(中心部回避)ブームに乗って「高級住宅地」となったのが世田谷や直近の田園調布だったわけだ。
だが、水害に強い丘の上だけが元来の高級住宅街で、すぐ周辺の低地の元湿地は丘の上と続けて区画整理されたものの、丘の開発で出た残土等で(客土し)埋めたりして湿地でなくなっただけ。昔は丘の上と下では全く別の土地利用形態で、下は畑や果樹園や銭湯や病院や建設資材置き場や安アパートだったり。畑や果樹園や植木置き場の緑地や小さな排水路が多い低地に囲まれた丘の上の大区画(最低一戸百坪)の邸宅街こそが当時理想化された「田園都市」だった。その名は現在の東急田園都市線等に継がれている。関東大震災前なら都心への通勤が(当時としては)極端に不便な単なる「ド田舎」だったろう。勤め先に近い都心部の住居から徒歩や路面電車での短距離・短時間の通勤が普通だったから。だが、大震災の火炎地獄を見た安定収入層には絶好の恒久・高級(こうきゅう)避難先が東京南部等だった。ド田舎が逆手に取られた形だ。畑や果樹園等の農地は火災対策の防火帯ともなり、排水路には水が流れ、大火災を怖がった者には有り難かったろうよ。そんな丘の上に昔の我が家を造った石炭成金(石炭関連企業社長)がおり、その家が戦後の大米魔の米軍の都市無差別空襲による極端なオフィス難の時代に日園連の初代事務局兼幹部住宅となったわけだ。しかし周囲の元湿地に多く走る農業用の元の小排水路は、昔の小川も含めて高度成長期には悪臭を放つドブ川と化した。開発で川の水源の地下水が減るだけでなく、夏は更に水量も減り川や水路の底の泥の腐敗も進み、部屋に冷房がない時代だから窓を開けると悪臭が侵入し、直近は生活環境は最悪、不動産価値も最低だったか。それが下水道の整備で小川が埋められ緑地公園になり排水路も蓋をされ埋められて歩道になると、逆に周辺が緑に囲まれた高級なオシャレな優れた街になった、かのように見えたわけだ、標高が低く水が集まる事を忘れて。
私の住んでいた周囲では低地でも浸水被害はあまり聞かなかったが、その元・小川(九品仏川など)が少し下流になると洪水の危険はマダ相当に残っており、それが今回は露呈した。自由が丘とは高級感あふれる有名な街として当然に安全かのようにも見えるが、あそこに大井町線や東横線の交差点・乗換駅が出来たのは水流が減った後の小川「九品仏川」が洪水時に削ったり土砂を運び残したりして出来た不動産価値の低い湿地だったのが一因だろう。地価が安く用地買収が楽で線路が作りやすかったのだ。その自由が丘周辺の元・小川の長細い緑地公園沿いに店、特に地下店舗など造れば浸水被害は当然なのを、日本人は忘れていただけだ。
●追記
バカで無知な大ウソ中国赤魔ネット宣伝屋が中国の後進性や経済大崩壊を誤魔化そうと「日本は貧乏だから住宅街の電線が地下化出来ない」とかわめく。が、そんな洪水危険領域を周辺に抱えれば丘の上の有名な高級住宅街で電線を地下化しても直近の元湿地の谷では電線のままにする方が浸水の危険が少ない。丘の上では地下化出来る電線でも谷地形で急に地上に出すと逆に手間や危険が増し、無駄が大きいのがわからないのだ。高級住宅街では流石に買いにくいから、元湿地に住んでいるか、単なる無知だろうが、赤魔独裁の反日ウソ政治宣伝には合理性や正確さなど全く必要ないからな。
●追記
中国人のウソは無知にも基づく。各地の領主の武士が岡の上に館を持つ各地域が自給自足の中世封建時代を経ないし知らない中国は今でも古代から進歩せず、自称進歩派の古代型の赤色帝国という狂った支配体制で、民主主義どころか近代に程遠い。だから腐敗とウソとニセサツだらけで世界の嫌われ者になる。当然に複雑な地形ほど重要地や高級住宅になる事情などわからないしウソ宣伝には真実など不要なのだ。
●追記
丘の上と下の土地利用の違いは最近は薄れた。丘の上は地下上昇で相続税負担が巨大化して分割相続や分割利用が普通になって小区画化が進み、丘の下は排水路の地下下水道化が進んで悪臭の源もなくなり昔の湿地の悪い記憶も薄れて高級住宅街の名を使える不動産物件となり宅地化が進んだ。しかし緑地や畑や資材置き場などの防火帯になる空間も減ったのに道幅は昔の農村地帯のままで消防車は入りにくく、火災に最も弱い木造家屋密集地域「木密」になってしまった。いくら資材の難燃化が進むとはいえ、昔の「家が広く大火災の危険が小さい田園都市」ではなくなったのだ。これは不安だな!
・・・・・追記終わり
そんな細長い元・川の公園沿いに地下の店など「狂気の沙汰」と分かるはずなのに、知識があれば。自由が丘周辺が世田谷区でなく目黒区なのは昔の室町時代の超有力豪族で世田谷を拠点とした吉良氏(足利将軍家の分家筆頭・副将軍家格、秀吉の北条攻めで世田谷退去)の所領から外れていたのが起源らしい。良い土地とはみなされなかったのか。同様に直近の有名な田園調布が大田区であって世田谷区でないのも荒れ地あつかいの地だったためらしい。地価が安いから鉄道会社や開発業者が買いやすかったのだろう。人のいない田舎の日吉の丘を慶応にタダ同然に安く売って東横線沿線に学校を誘致し周辺開発の一助としたのも似た背景だ。田園調布の住宅街の奥のハズレに田園調布双葉学園を誘致したのも同様だろう。
●追記
我が家の先祖が関東地域将軍・副将軍格の鎌倉公方になるはずだった足利政知の補佐役・側近として東国(伊豆止まり)に来たのは既述だが、その子孫が東京で足利一族内の副将軍家格の吉良家の館の跡地に住むとは、私は足利の副将軍と余ほど縁があるらしい。
●追記
田園調布雙葉学園は場所が奥過ぎて名の通りの田園調布駅(東急の東横線)より裏手に当たる別の路線の九品仏駅(東急の大井町線)の方が最寄りとなり、私が使っていた大井町線で自由が丘に行くと途中の同駅で制服の子供(少女)が多く乗ってきたのを覚えている。ドコの学校かとかはまるで関心なかった、というより朝鮮人という悪魔に廃人化され、特に女と接しようものなら徹底した虐待だったから、それどころではなかったのだが。その同学年の女子生徒の中に皇后雅子様が居られたのかね。
・・・・・追記終わり
吉良氏の所領は農地として良い土地だったのだ、特に水害の危険が薄いとかの意味で。私の育った家は吉良氏の南東の所領統治の拠点の館の跡地だったから良く分かる。この「谷地形の湿地の近くに重要地域が出来る」は渋谷等も同じ。「春の小川」の歌詩で有名な小川が洪水時に丘を削り土砂を運んだ渋谷という谷の湿地を天然の堀とし直近にソビエ立つ丘の上に拠点を築いたのが渋谷一族だから。そんな事情で渋谷再開発では地下に大きな治水用貯水槽を設けたのだ。すると「自由が丘」の地名も地形に即せば「自由が谷」かね、水害の危険が少ない付近の丘の上にあった自由ヶ丘学園から取ったから丘なのだが。この自由が丘駅は当初は九品仏駅だったのだ、現在の九品仏駅がなかった昔は。
●追記
私の居た家の丘の周囲を掘ったのは自由が丘に水害をもたらした「九品仏川」の上流部分だったもの。その川の水を有史以前に等々力渓谷の「谷沢川」が奪ったため我が家の丘の周辺では土砂や腐った植物を流せなくなって湿地化が深化、川筋も見えにくくなって川の名さえ消え、田にも出来ない所には作物を植えようにもハスくらいしかなかったが、ソコに吉良氏が拠点として目をつけた。水量豊富だった頃の川がしっかり谷を削りながらソノ後は川の流れの変化により深いヌカルミになったのは比較的珍しく防御上は最高だったのだろう。我が家から見て旧・九品仏川の谷を隔てた隣だった丘は吉良氏の砦(とりで)の奥沢城で吉良氏退去後の徳川時代に地名の九品仏で有名な浄真寺に土地が寄進され現在に至る。自称・妹はこの寺の幼稚園に通い後にプロテスタントの日曜学校に通った変節者だが。なぜだか私がカソリック的な聖体拝領の儀式に遭遇してキリストの肉と称する薄いパンと血と称する甘い液体(ロゼワイン?)を飲んだ教会だよ。この九品仏の砦だけでは超名門の吉良氏には手狭だったか軍事専用だったかで隣の丘に居館(役所)が築かれ、その土地が畑になって表舞台から消えたズット後に宅地化され現在に至る。この九品仏川の流れを奪った等々力渓谷の「谷沢川」も今回の9.11豪雨で氾濫を起こし映像が拡散。その九品仏川の谷の北の谷には下流部分は地下化・緑道化された「呑川」(非地下化の上流部分は公園化され建設大臣賞受賞)があり、自由が丘の隣で同じく浸水被害があった緑が丘の付近で「九品仏川」と合流する。「水まきが大変」と訴えた直後に水害、しかもみな子供の頃から慣れ親しんだ川ばかりなのは偶然か意図的か。
・・・・・追記終わり
もう遅いが、日本人は自分の住む国土の成り立ちくらい学べ。いや、思い出せ、水害を異常気象だけのせいにして誤魔化すのでなく。「異常気象の豪雨が原因」とはウソではないが、自分がいる土地が洪水で出来た地形だと知れば最低限の警戒は出来たはず。ソレを怠っての被災なら自業自得だ、「日本は神国だと忘れて神罰を食らう」と同じでな。正に自業自得の神罰。ソレを免れたいなら神に降伏しろ。朝鮮人のニセ神のカルトではないぞ!