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台湾統治時代の偉大な日本はドコに? ー台湾人の嘆き 台湾コロナ対策成功のモデルは日本統治時代なのにまるでダメな現在の日本ー[2021年01月31日(Sun)]
「台湾建設の英雄、児玉源太郎や後藤新平や八田与一はドコに行った」 
韓国の「Kー防疫」宣伝が世界的大ウソでも台湾のコロナ対策の成功は本当で、「台湾に学べ」との話が朝鮮の手先の日本のTVにも時たま出るが、台湾人にすれば「ナゼあの優秀な日本がコロナに何も出来ない?」「日本の台湾統治の英雄、児玉源太郎や後藤新平や八田與一は何処に行った」となる、特に日本統治時代を知る者は。今日の台湾のコロナ対策は日本統治時代の日本人が遠いモデルだと。その尊敬すべき日本は何処に行った、台湾の英雄の日本人達はドコにいったと。朝鮮人が八田与一の像の首を切り落としたように優れた日本人は皆殺されてしまったのか・・・。
 その衛生・防疫を本来の専門とし台湾でも功績を挙げた台湾統治の日本人英雄の一人「後藤新平」(台湾総督府民政長官、内務大臣相当)がコロナ下では特に注目されるが、後藤は日本人社会では通用しにくい大風呂敷で評価の低い書生上がりの元イナカ医者との経歴もアリ、日本国内では政治の駆け引き(政党政治の取引等)で邪魔され意見が通せなかったりもしたが、総督の児玉に後見され殖民地の台湾では理想が実現できた裏もある。だが、やはり日本びいきの台湾人には意外で不思議で残念なのだ、コロナ対策での日本政府の異様な無様(ぶざま)は。後藤らの記憶があるから。対中国境封鎖が遅れ春節の中国人大量流入に間に合わず、安倍の坊やの思いつき政権の「アベノマスク」に「アベノループ(給付金の遅れ)」に「アベノドウガ(オウチ動画)」では。

 この話は私に深く関係する事でもアリ、少々詳しく述べたい、時間をかけて。上記の3人の英雄の他に八田の河川工学の師匠スジにも当たる明治期の日本官学会の英雄「古市公威」についても触れる。何度も加筆を繰り返すので既述に重複もあろうが、重要事だからこそ重複する点は確認しておく。
 優れた日本人を全て殺せという朝鮮人の態度に何度も触れて地獄を味アワされた自身の経験からも、朝鮮系スパイ集団の暗躍という事実も全ての前提だ、戦後の日本人はナゼ政治行政面で劣化したのかという。「オマエが優れていれば日本の為になるからオマエを殺す」とは私が東大大学人の韓国人留学生に直接言われた事実だからな。古市や八田のような者は真っ先に朝鮮系スパイにツブされるだろうから。優秀でマジメな日本人をツブして残るのは朝鮮系の桝添のようなヒラメ(自分の成り上がりしか頭に無い)のニセモノ秀才のスパイばかりで・・・。


 日本敗戦後の台湾に侵入し支配した中国国民党の独裁支配以来の反日教育が終わり、反中感情が高まる最近は特に、今日の台湾経済発展の基礎は日本統治で築かれたと評価される、元からの反中親日の日本統治時代からの台湾人にでなくとも。特に「八田與一」(台湾南部大規模農業開発・水資源開発の英雄)、台湾総督(首相格)の「児玉源太郎」、児玉の下での民政長官(内務大臣相当)の「後藤新平」は有名で尊敬される。後藤が気風を決めた民生部の官僚から始まった土木技師の八田與一は半ばキリストのように神格化されている話は既述だ。「台湾の基礎は日本が築いた」「中国人はブタだが日本人はスゴかった」「八田(バッテン)は神様」・・・。
 その日本がコロナ対策では完全にダメで、政府は何も出来ないのはナゼだと。台湾人は「日本は仏(ほとけ)の対策を採っている」と私権の制限も罰則も無く感染が拡大する状況を評するが、これは問題ある感染者や危険な朝鮮人や汚染源の中国人にまで親切(仏)な対応ではダメとの批判、日本政府の驚くべき無為無策への失望でもあろうよ、日本びいきの国柄でもあり。戦後の日本が完全に大米帝国の属国・半植民地化されて弱体化政策が採られ、手先の朝鮮人が事あるごとにのさばって悪さをして日本を食い潰した結果だ。独立(中国化)で部外者となった台湾人には、そこまでは分からないか、外省人(侵入中国人)と戦ってきた内省人(生え抜き台湾人)には理解したくない状況なのだろう。台湾最大の英雄の八田與一(与一)の出身の東大土木工学科の河川工学の講座の教授が朝鮮系スパイで、その夫婦が全人類の神を殺そうとし続けた話までは・・・。

 最近はコロナ対策で、医者で内務省衛生局長も務め防疫が元々の専門だった後藤新平が注目される。後藤は元から政治を志し書生から始めたが、体制不備の地方の医学校の卒業のイナカ医者でもあり、東京や外国の良い学校で先端的な西洋医療を本格的に学べなかった引け目もあったとか。今で言う学歴コンプレックスか?
 しかし劣等感があったとは言え、後藤は外見の性格は山県有朋とは真逆の大胆な技術政策重視の積極派で「大風呂敷」と言われた。躁鬱症(そううつしょう)との精神分析の言葉があるが、ソウは元気が良すぎる様子、ウツは逆だと。同じコンプレックスでも後藤はソウ、山形はウツ派かね。
 その高級技師・高級専門家が嫌いとも言われた山県が超エリート内務省系土木技師で東大の河川工学の教授でもあった古市公威(きみたけ)を評価し、32歳で東京帝国大学の工科大学学長だったのを36歳で更に内務省土木局長を兼務させ、更に(今で言う次官級ポスト的な)内務省土木技監も兼任させたのは意外にも感じる者がいよう。だが、そんな草創期の国費留学組の超エリートに当時の普通の役人層が劣等感を持っても不思議はなく、その感覚が山県評に入り込んだ可能性もある。彼らの破格の出世に比べれば今の世では考えられないエリート的経歴の政治家である後藤でさえ全く平凡どころか(有名でない医学校しか出ていない)書生上がりのイナカ医者で出世が遅く、「コンプレックスがあった」とも評される訳だ。
 後藤が局長を務めた衛生局を含む日本の内務省という官界では同じ理系でも土木技師など海外留学組や工部大学出身者等の評価が圧倒的に高かった時代でもある。後藤は上司のおかげで引き上げられた面も強い。日清戦争時の大量の疫病帰還兵の疫病対策の集団検疫で手腕を発揮したのを陸軍次官の児玉源太郎が評価、児玉が台湾総督になった折に台湾の民政長官(局長)に抜擢したりと。本人の能力とは言え、幸運なイレギュラーだ。
 それに、後藤も古市も同じ内務省の局長経験者だが、「土木と警察は国家統治の二本柱」と言われた内務省で、しかも衛生や医療が軽視され社会福祉など唱えれば赤(共産主義者)とか疑われかねない時代で、官界で医者が集まったのは主に軍部の軍医でだ。内務省では衛生局長と土木局長では差があり、数学や物理の系統の学問が理系では最高とされ生物系軽視だった日本でもある。戦後も長く東大の入試でも理数系の理科一類が最難関で、生物系の理科二類は下だったのも見れば分かる。医学部系の理科三類など存在せずズッと理科二類の一部だったし。その日本の理系の頂点とも言うべき東大の工科大学の学長などの学界での地位を見ても、古市と後藤の差は巨大だった。元からが政治家志望で政界に本格参入して大臣等を歴任し長生きした後藤は最後の爵位(伯爵)等で古市(男爵)を上まわった形になるが、実力の劣る者が生き残って形式だけ上になっても意味が薄いと言えよう。
 官界の秩序が固まらない時代の産物だ、古市や後藤の異例の出世も。そして、その後藤が基礎を築いた台湾総督府の民政局に内務系土木技術官僚として(古市が教官をした)東大土木卒の河川工学系の八田が入った訳だ。後に巨大ダムや長大トンネルや巨大用水路網を建設する当時としては破格の大規模の水資源開発(農業用水)事業により、台湾南部の水不足の大平野・荒野を沃野に変えた台湾最大級の歴史的英雄となる八田だが、当初は後藤の「衛生重視」「衛生無ければ経済無し」の方針に従って台湾の都市部の上下水道等の整備に当たり、一応は清国の領土だったためもあって都市商人を中心に不潔な中国系文化がはびこり不衛生で疫病も多かった台湾で防疫を推し進め、真の統治、文明をもたらしたと。河川の治水(河川付け替えや堤防建設)も水資源開発(ダムや幹線水路の建設)も上下水道も土木工学の範疇で内務省(台湾では民政局)の管轄だったから。
 そんな台湾の日本統治で後藤が力が入れ成果を上げた「衛生」「防疫」の領域なのに、なぜコロナ渦では日本政府は無為無策で無能なのかと、台湾人はいぶかしがり、もどかしい思いなのだろうよ。
 しかし、当時の日本には台湾人が尊敬する後藤を遙かに超える武家出身のエリート達が日本を建設、改革していた。今の日本の政治屋にツメのアカでも飲ませたい者達だ。今回はそんな話も合わせて書く。

 だが、台湾という外野では分かるまいな、今日の日本の政治のテイタラクは。竹下派経世会による統治の安定より小選挙区制導入による政権交代重視という選択の結果、保守系与党の活力源であった派閥が弱体化し、派閥間闘争へのマスコミの批判が消えた代わりに、保守系与党内での派閥間での政権交代というダイナミズムが働かなくなり、派閥弱体化が保守与党の弱体化に直結した。壊し屋で朝鮮系とも揶揄された小泉は竹下派経世会の統治能力の代わりを築かず、弟子?の坊やの安倍が状況を更に悪化させ、能力過小の首相官邸に過大な権限を集中して何も出来なくなりと・・・。そして背後にあるのは何時も米帝国による日本弱体化策謀だ。己が助けた中国の脅威化で急に態度を変えたフリだが、罪は永久に消えない。



 そんな最近話題の医系の後藤と私に行政面で縁があるとすれば、看護医療面や行政の方針だけではない。後述の「生物系の発想による現地調査主義」だけでもない。主には後藤が土木系が力を持つ組織のトップに次々に抜擢されて活躍した事による。公共土木事業を管轄する上記の台湾の内務大臣たる民政長官、土木建設中心の組織だった戦前の鉄道の世界でも満州鉄道の初代総裁や日本の鉄道院の総裁、路面電車まで作った時代の東京市長、土木局を有する内務省の大臣と関東大震災後の復興院総裁と、まるで土木系幹部技術官僚出身か建設族の有力政治家のキャリアだ。ただし、公共土木事業によるインフラ整備に触れる前に、後藤の台湾での民政の根本方針の「生物学の原則に則る(のっとる)」に触れておこう。

 「生物学の原則に則る(のっとる)」のが後藤の台湾民政の原則だったとされる。後藤は例え話で「ヒラメの目をタイの目には出来ない」と語ったと伝えられる。法文系や工学系技師の強い民政局という内務省系官僚組織の上に乗るのに同じ理系といっても工学系ではない「生物系」の学問を学んだ後藤だからこその表現か。「社会(ここでは台湾)の習慣や制度は、生物と同様で相応の理由と必要性から発生したものであり、無理に変更すれば当然、大きな反発を招く。よって現地を良く知り尽くし、状況に合わせた施策を行うべき」と。その考えで後藤は現地調査や分析等に力を入れ専門家も多数招き、政策の根本方針を造った。
 これは私の基本的な考えの「民族や社会では長い歴史の中で生物的遺伝と社会的遺伝が相互に絡み合い強め合って民族の文化や性格を形造る」とは当然に合うと、最近になって知った。その上、私は経済学部から同じ東大でも農学部の農業経済学科に移ったから。そこは文系的な学問内容なのに理系の農学部にあるが、後藤と同じ生物系で、特定の専門領域が固く定まり、少人数教育も文系の大人数手抜き教育の学部とは大きく異なる(一般には)特殊な学科だった。そこの大学院で「現地調査(農村調査)重視」の方針を学んで実践した点も、後藤と通じるものだったのは、当然か奇遇か。
 この農業経済学科での経験もあって強い台湾びいきとなる私だが、八田の専門だった河川工学の深い関係者だった事もあって台湾人にとって私は極めて重要らしかった。台湾人には私と後藤が重なり合って見えても不思議ではないとしても納得できる。農業経済学科の大学院では台湾の留学生とは最も親しくし、その同窓生の中から台湾高鉄(高速鉄道)という台湾の新幹線を作った会社の人間も出た話は既述だ。台湾人には日本の有名な旧帝国大学系の大学の大学院で農業経済学を学ぶのは国家的なエリートコースなのは、八田や後藤の時代の日本統治への評価からだ、李登輝元総統が京大農業経済学科の卒業の博士であるだけでなく。これは、反日傾向が強くて素直に学ばないどころか大嘘つきで日本の実情を曲げて韓国に伝えるような者が出る韓国人留学生とは大違いだと最近になって知ったが、それでなくともチョット見だけでも異様なマナー破りの中韓人、犯罪的行為に走る者もいた韓国人留学生やカネモウケばかりの中国人留学生とは、台湾人留学生は大違いだった。

 さて、土木行政の鉄道建設の話に移ろう。後藤は日本の鉄道院総裁時代に「金に糸目を付けず」日本の鉄道のシンボルたる東京駅を立派に造ったのは有名だ。だが、それだけではない。当時の地方の鉄道路線建設優先の政治的圧力、我田引水ならぬ「我田引鉄(鉄道)」の大きな力に抗し、国の経済に最重要な主要幹線の改良の重視を唱え、後の新幹線構想である弾丸列車構想の基礎を築いたとされる後藤。英国人が残した殖民地規格の狭いレール幅の日本の「狭軌鉄道」を改良して広いレール幅の「広軌鉄道」にする案を唱えていた、実現は出来なかったが。地方路線の建設を主とし主要幹線の改良を従とする鉄道政策「建主改従」に楯突いて逆の「改主建従」の方針を採り、その時代の部下から後の広軌の新設幹線鉄道・東海道新幹線建設の十河国鉄総裁などが出たと。これは中央リニア推進派だった私とも通じるモノだ、今はリニア構想からは離れているが。
 この鉄道院(後に省)は現在の全JRグループを含む巨大現業官庁で、戦後の建設省のような徹底的な技師の城で、特に土木技師は強かった(東京駅建築は建築系技師の領域だが)。本庁舎も長く霞ヶ関でない東京駅近くという特異な性質で、既述の山県有朋の文官任用令の規制からもやや遠かったためか、政治闘争に巻き込まれやすい公共事業官庁なのに実権を握る幹部技師を守る人事構成の「技師隠し(技術系の局でも局長は事務系)」も特になかった。コレは警察を抱え政党政治のドロドロの闘争劇の道具の総本山でもあった内務省との違いか。
 鉄道省では多くの局長が技師で技術系次官的な鉄道技監が大変な権威を持ち、技術官僚がそのまま大臣になる例も複数あったと。局の構成では土木事業管轄の「建設局」と「工務局」を分け、新線建設と既存線の保守・改良を分けた。上記の「新線建設」と「既存線改良」とも繋がるが、局長は両方とも土木技師。電化路線用の電力も自前で確保したから「電気局」が水力発電所用ダム建設から担当し、その局長にも土木技師が就いた。駅舎建設等の建築学系の「建築局」等は更に別。一般の部外者には「建設局」「工務局」「建築局」は区別が付かないだろうが、機関車などの車両の設計を行う機械技師の部門等も更に別。正に鉄道院・省は工学部系の技師の城で、事務系が局長の経理局などは技師の出費の処理係で人気ある仕事ではなく、「文官試験ビリの事務官が鉄道省に入った」とか言われた、鉄道省事務官出身の首相の佐藤栄作への悪口でも。
 そんな国有鉄道組織の上に理系だが部外者の非工学系の後藤が乗って大胆な案を出し続けたのは、逆に既存の考えや人脈に囚われなかったことや、満鉄総裁という開拓地でのゼロからの出発に関わった為もあろう、広軌案などは実現できなかったが。楽天的だが地方の医者上がりという世間知らずやコンプレックスが良い面で出たのかも知れないが、遠く先に後述の古市が居た領域でもあるのだ。

 満鉄(南満州鉄道)の初代総裁は後藤の経歴でも特筆モノの一つだ、後の鉄道院総裁ポストとも関連付けて。その出発点だったとも言えよう。だが、当初は古市公威が初代満鉄総裁におされた。上記のように土木工学の神様とでも言うべき草創期の英雄の古市公威(きみたけ)は内務省系の河川技術者で、既述のように東大土木の河川工学の教授で32歳で初代の東京帝国大学工科大学学長になり、首相の山県有朋により36歳で工科大学長と内務省土木局長を兼ね、更に次官級とも言える時代の「内務省土木技監」まで兼ねた(後の土木技監は謂わば土木局内のポスト)。山県との関係での就任(ポスト新設)だから実質的には総理直属とも言え、内実は今で言うなら「内閣官房技監」だったかもしれない。内務省が官界最大最強の時代だから、このポストは特に強力だったと思われる。
 私は総理大臣の力の無さを問題視し、内閣官房に強力な調整能力を持たせる案を出していた。その例が「内閣官房技監制度」で、その元に公共事業各部門の代表を集めて固定化が問題視された予算の調整などをさせる案だった。古市なら特別の調整組織など持たなくとも可能だったと思われるし、現に内務省系の河川技師の出身なのに鉄道分野でも大きな足跡を残している点は後述する。しかし、最近の総理大臣権限強化の名目の官邸への権限集中とは人事権の集中で各官庁を縛るだけで官庁の能力を封じ、世界最高とされた日本の官僚機構は完全に萎縮した。人事権の集中は手段の一つでスタッフの集中こそ必要だったのに、目的と手段が逆転した形だ。体制貧弱な官邸に処理不可能な量の仕事を集中しても・・・。
 長良川河口堰問題でも痛感したのは都市民の公共事業の不公平感が必要な地方部の事業にも不審を抱かせていた点だった。「我々は毎朝スシ詰の電車で通勤地獄なのに、ムダなイナカの工事に大金を使って」と。だが、公共事業予算は分野間で比率が固定化し、都市鉄道分野の増額は容易でなかった。コロナ渦の今は鉄道運賃の時間別運賃値上げ等も考えられるが、昔は困難で、そんな調整を内閣官房技監の下でやらせたかったのだ。古市のような無私の広義の土木技師も現在の体制では出にくい、皆が各分野の狭い専門家として一生を送るから。
 ちなみに、古市の名の公威(きみたけ)は割腹自殺の小説家・三島由紀夫の本名でもある。三島は法学部卒で一時は大蔵省の事務官僚でもあったが、祖父が内務省官僚で古市の恩を被ったとか。
 東大土木の優秀な学生に奨学金を出し内務省に就職させたのも古市が東大の河川工学の教授になった頃の話で、これが東大が官僚養成大学になった端緒のようだ。元から工部大学校は工部省の最高幹部養成所だったから、工部大学校と東大理科大学工芸学部との合併後に元に帰っただけだろうが。元は将軍のような役所や軍の最高級幹部は各々の組織が自前の「大学校」で教育し、それ以前の東大は評価は高いが普通の学校だった。それが変わったのは、元からが最高級幹部養成組織としてスタートした工部大学校が東大に合流して土木工学科等から高級幹部候補(キャリア)技術官僚を組織的に送り出したためらしい。世俗には最も官僚養成学部とも言われる法学部(旧法科大学)は工学部(工科大学)の後追いでそうなっただけで、しかも専門性の低い事務系の通過点に過ぎない点は今も変わらず、結局は元の西洋流の法律学校が役割を多少変えただけだったようだ。
 土木工学は河川や上下水道等の水関係だけでなく、道路や鉄道や港湾などの交通インフラも全て範疇とする。土木工学の草創期の英雄の最重鎮の古市は、上記の経歴だけでなく、逓信省鉄道作業局長官を務め、日露戦争直前期に韓国統監府鉄道管理局長官となり、京釜鉄道総裁として京釜(ソウル・プサン間)鉄道も速成建設して日露戦争の勝利という世界史上の画期にも貢献したから、古市が日露戦争で日本が得た数少ない成果でもある満鉄の初代総裁に推されたのは当然だ。「末は博士か大臣か」と出世の象徴で希少価値のあった頃の博士の第一号「工学博士一号」の古市だから、権威でも一大国策会社の満鉄の初代総裁に申し分無かったろう。そして、同じ土木の世界の評価だけでなく、河川工学が専門だった古市が山県の下野に伴う官界引退の後、山県復権の後に河川の次に専念したのが鉄道の領域でもあったからだ。

 山県の造ったとされる「文官任用令」での体制について書いておく。古市が東京帝国大学工科大学学長と内務省土木局長と内務省土木技監等を30代の若さで兼任したのは今の感覚では驚異的だが、これは技師嫌いとも言われた首相の山県有朋のオカゲでもアリ、山県内閣が大隈内閣に替わったのを契機に古市は学長も局長も辞め、「制度は作ったから」とアッサリ後任に譲ったそうだ。この辺が古市を高く買った山県が文官任用令で技師を形式上のトップポストから外して政党政治のドロドロや政権交代に連動する辞職などから守り、法文系の事務官を表向きのトップとして局長等に宛てる中央官庁の「技師隠し人事」を進めたとされる背景の一つか。警察の政治介入が普通の当時は内務省の事務系(法文系)の警保(警察)局長や次官が政権交代(与野党逆転)の度に辞任するのが普通だったが、「政変の度に一朝一夕には育たぬ権威ある技師の超専門家まで辞められてはたまらない」と山県が憂慮しても無理は無い。
 山県が古市に兼任させた当時の内務省の土木技監とは後の土木局の技監ではなく、大臣の直ぐそばに居る大臣直属の幕僚的なもので、今で言うなら次官級ポストか。まさに内務技監(内務省の技師の頂上)と言うに相応しいポストだったようだ、土木技術の領域を統括するから土木技監というだけで。後の土木技監は土木局長が事務系に変えられた後の実質的な土木局長のポストで性格が異なり、今で言うなら技術問題担当の副局長か。そんな山県が単なる「コンプレックスのカタマリのヒガミ屋で高度専門家の高級技師を毛嫌い」となるのか、腑に落ちない面がある。
 この、官庁では表向きは事務官がトップで実権を握る技師は横に控える(隠れる)外形により、「文官任用令体制下で技師はトップに就けず冷遇」との世評も生じたが、実は技師の実権はそのままに貴重な高級幹部技師を(政権交代が続く戦前の)政党政治の修羅場から守る目的があったようで、山県は「技師(高級専門家)嫌い」でなく「技師隠し」どころか「技師かばい」だった意味も感じる。
 これは自身の経験からも言える。私が浅田真央の韓国冬季五輪への参加に強く反対し、北朝鮮の核ミサイル危機の頃に浅田は引退し実際に出場しなかったのだが、反対は浅田が憎いからではなく浅田を朝鮮人のテロから守るのが最大の目的だった。実際に冬季五輪では異様な日本選手ドーピングでっち上げ事件が起きて自民党の橋本に見殺しにされ、それに味を占めたと思われる反日テロでバドミントンの桃田や水泳の池江も異様な目に遭わされた。それを避けたかったのだが、山県の技師隠し人事も似た話かも知れない。
 文官任用令体制下での日本の官界での「技師隠し的人事」は、「専門知識に疎い田舎者の山県のヒガミやワガママで、専門性がなく上に逆らわない事務官を優遇し局長にする体制を造ったから」とかも評(揶揄)されるが、明治期最大の嫌われ役・憎まれ役の山県へは相当な誤解もあるようだ。

 類似の話で、陸軍の大親分だった山県が陸軍組織を徹底統制し高級軍事官僚の専門知識を軽視とも聞くのは、西洋流近代軍隊の文官統制(シビリアンコントロール)の根本を文武混合の武士の統治した日本に根付かせようと努力した結果と評価も出来る、特に後の陸軍暴走の歴史を見ると。これは私のひいき目だろうか。
 確かに、山県は陸軍統制者たる自分の跡継ぎを確保せず、システムの継続性の担保を怠って死んで後の陸軍暴走を招いたと批判もされよう。山県が陸軍の親分として威張りたかっただけとも。新兵器の発展期なのに軍事技術情報を軽視した山県に強い不満を抱いたのが陸軍中級幹部層等とされる。「山県さんの頃は全て指示通りにさせられたが、もう居ないから!」と山県亡き後に独善で勝手に動き始めて上層部も抑えられなくなり、やがて暴走したと。だが、それとて山県が配下の児玉源太郎(日露戦争時の陸軍大陸派遣軍総参謀長)を当然に後継候補と考えたのに早死された結果かも知れない。
 「歴史にIFは禁物」と言うが、やはり児玉源太郎が長生きすれば、後の陸軍の暴走や軍閥支配を緩和し、無謀な太平洋戦争を留め得たのではとも思う。思想系統的には海軍系とか分類すべき私の願望かも知れないが、児玉が良い意味で山県の遺産を引き継げば何とかと。児玉源太郎を台湾建設の英雄の一人として尊敬する台湾人には理解しやすい話だろうが。
 後述の関東大震災後の東京復興事業でもだ。またIFだが、もしも児玉や古市の様な者達が総理大臣や内務大臣や復興院総裁だったら、震災後の東京の復興も都市計画もヨリ上手くいったのではと考えたくなる。現実に内務大臣で復興院総裁だった後藤では大風呂敷を広げるだけで様々な政治的調整に十分に対応できなかったとされるから。
 
 話を戻して、この古市の鉄道行政への本格参画は日本の鉄道にとって幸だった、後藤が理想とした「広軌鉄道」の話でも。
 フランス留学時の総合工学教育の頃から古市という希代の英雄の秀才には河川工学だけが専門ではなく、官界復帰の頃から鉄道行政に本格的に力を入れていった。その初期だそうだが、「路面鉄道(路面電車)」が内務省(道路)と逓信省(鉄道)の共同管轄で、逓信省には却下されたが内務省の路面電車の規格(広軌)や法規で許可されたのが広軌鉄道の阪神電鉄なのは有名だと。山県政権が復活し古市も官界復帰して逓信省の次官や総務局長となったが、鉄道行政の長として同省の鉄道作業局長官の職にも就いた。この阪神電鉄の許可は古市が逓信次官の時代で、その辺から古市が鉄道行政に本格的に乗り出したと。
 後藤が主張した「日本の鉄道の広軌への改良」の話も、実は元はこの古市の話に関係するらしい。日本では、内務省土木部門が管轄した道路に線路を敷設する都市の路面鉄道(路面電車等)のみレール幅が広い広軌鉄道を許された。通常の鉄道は英国の殖民地規格の狭軌鉄道で基盤脆弱だが、上記のように古市が逓信省次官だった折の阪神電鉄等の許可では広軌鉄道となった。「一部でも道路の上を走るなら(高速の都市間鉄道でも)広軌規格の路面鉄道として許す」とし、後に同様の各地の民営(広軌)鉄道発達の契機になったと。この内務省系の広軌規格による阪神電鉄の許可は、路線競合等の主に経営上の理由で阪神が逓信省の鉄道作業局(国有鉄道管轄)から却下されたのを乗り超える裏技で路面電車として内務省から許可を得た結果でもあろうが、関西や東京の私鉄(例えば関西の阪神、東京の京浜急行)等々がヨリ高速運転に向いた欧米並みの広軌鉄道になれた出発点としても評価される。単に高速での安定性だけでなく、車輪の間にモーターが挟まる構造の電車ではパワーもレール幅に左右されたからだ。
 これは通常なら内務・逓信両省の管轄(縄張り)争いに発展し話自体がツブれかねない内容だが、逓信次官で内務省の超大物の土木局長だった古市が居たから両省とも収まったのだろう。通常の鉄道省の民鉄(民営鉄道)監督部門等では、たとえ国家社会に重要でも、そのような寛大で柔軟な法規の解釈や運用は望めず、とにかく規制ばかり厳しく、民鉄会社では自分らの仕事を「子孫にやらせたくない事業」と嘆いたとか。そんな話を後で追う形で新幹線という広軌別線の高速幹線鉄道の議論の基礎を築いたが実現は出来なかったのが後藤なのは、偶然なのか必然なのか。

 歴史にIFは禁物でも、古市が初代満鉄総裁に就任し、その後に更に日本の鉄道院総裁や鉄道大臣等になっていたなら、「大風呂敷(大風呂敷を広げるような話ばかり)」の後藤が主張するだけで戦後の高度成長期の新幹線建設を待たざるを得なかった国有鉄道等の日本の鉄道の主力での「広軌鉄道案、広軌改良案」が、もう少し早く実現したかも知れない。手法も性格も手堅く官学会での評価も信用も絶大な古市だから。もっとも、そんな学者肌の古市は政治の世界に野心を持たなかったから大臣なんぞにはならなかったが。
 古市が後藤のように政界にヨリ深く関わって内務大臣や関東大震災後の帝都復興院総裁になっていれば、後藤よりハルカに上手く強力に東京の都市計画・復興を進められたかも知れない。内務大臣兼復興院総裁といっても「大風呂敷」だけ?の後藤では政界への根回しの効果等が不十分で、政党政治の下で予算は大幅に削られ、部下の復興院内の積極派と消極派の幹部官僚の分裂を強力に統制する事も出来なかったそうだ。あるいは古市ならばと、上記の阪神電鉄広軌許可問題を見ても感じる。コレは後藤びいきの台湾人には理解したくない話かも知れないが、もしも台湾でのように児玉のような者が首相なら良かったと考えれば、台湾人も納得だろうよ。
 官界でも学会でも若くして頂点を極め、京釜鉄道の速成建設等で日露戦争にも大きく貢献して仕事を終えた気になっていたかも知れない学者肌の古市は、その後にも東京の地下鉄の社長などには就任したものの、何かのきっかけでドロドロした政党政治の当時の日本の政界にのめり込んで大臣になったか否か等は、正にIFだが。

 この「満鉄初代総裁人事」に戻るが、古市は明治日本の官界学界の草創期の英雄だが几帳面な学者肌で、年齢や満州での危険回避もあってか、上記の京釜鉄道を日露戦争に間に合わせる突貫工事を終えると、日露戦争の成果でもある満鉄の初代総裁は引き受けずに日本に帰り、替わって危険な開拓地の満州の新会社でも通じそうな後藤が選ばれたようだ。権勢欲のなさで古市が譲ったのかも知れないが、しがらみの無い満州という未開の地での大胆な新施設建設なら後藤は向いていたのだ。単に古市は遠慮しただけかも知れないが、大風呂敷と呼ばれ日本型社会では浮いていても古市のような超優等生のエリート土木官僚の持つ行政官としての経緯や自己規制に縛られない後藤の特色を理解していたのかも知れない。
 経済基盤脆弱で社会的地位も低い開業医が最高のエリートなどと言う朝鮮系に都合の良い間違った情報に毒された戦後の愚かな日本人には逆に見えるかも知れないが、明治当時は工部大学校系の土木技師の古市が学会でも官界でも頂点で、地方医学校卒の医者上がりの後藤は半ば海千山千扱いの正体不明な補欠でもあった訳だ。

 後藤の関東大震災後の復興院総裁時代の話は東日本大震災後に自分の復興策を出した以後は何度も触れた。後藤の復興策が政党政治や部下の分裂、地権者の大反対等で大幅に縮小された話は、東北復興事業の指揮指導に最適だったはずの小沢一郎が中枢から外された民主党政権では私の大規模復興策が全く実現できなかった話とも重なるから。

 こんな風に、後藤の公共土木行政面での指揮指導に関しても、私は後藤と縁が深いが、今回のコロナ渦で奇しくも後藤の本来の専門だった衛生・防疫にも縁が深くなった、元から看護医療分野を通じての間接的な関係者ではあったが。私が政府にやらせようとした事は、大きくは後藤がやった事と通じるし。
 だが、やはり後藤は地方の医者上がりの大風呂敷だった。発想は大胆で今の政治家に比べ行政経験もハルカに良質で豊富だったが、児玉源太郎のような優秀で大胆な上司の部下だからこそ出来た面も強かったろう。児玉のような上司がいる殖民地でもないと納得できる業績が残せない面があったのは、業績実力第一なのに潔く自分から職を辞してしまう古市とは雰囲気が違うと感じる。

 またまた「歴史のIF」を書こう。東日本大震災復興事業の責任者に推した小沢一郎は、最強と言われた竹下派の実質的な実務を仕切る実力者だった過去がアリ、選挙区のある東北では地縁血縁も豊富、地元の岩手県川崎村では私が提案した建設残土活用による地域全体の大規模盛り土事業を実際に支援指導していた実績もある。いわば、小規模でも児玉源太郎と後藤新平を併せ持ったような存在で、小沢一郎を「東日本(東北)復興総監」にでもして全権を委ねて事業の現場指揮を執らせれば、西日本大震災の巨大津波対策にもなる東日本復興事業を成功させる確率は低くなかったと思う。だが、小沢は民主党の中枢から離れ、行政能力ほぼ皆無の管が首相になった途端に襲ってきたのが東日本大震災だったのは、皮肉と言うより、人間の愚かさを突く意味で正に天罰だったのだ。

 そんな、東日本大震災を大人災にしてしまった無能無策の民主党政権の愚かさを引き継いだのが自民党安倍政権だった。民主党政権を散々批判したのに自分は更にヒドかったのだ。その状況のままコロナ渦を迎えたので無為無策も変わらず、それを引き継いだ番頭の菅の政権が大した改善も出来なかったのも当然といえば当然だろうよ。それが台湾人が嘆く日本の政治愚鈍の状況だ。
 「児玉や後藤や八田が草葉の陰で泣いている」とは、本当だろう。いや、それによる神の嘆きと怒りだな、コロナ渦を引き出したのは。

ついに変異種クラスター確認公表 ー既に相当の感染拡大かー[2021年01月31日(Sun)]
つい先ほど変異種コロナ市中感染が昨11月と書いた途端に、ついに変異種コロナのクラスターの確認、発表だ。既に確認された変異種感染者からのもの。ここに及んでも未だ日本政府・厚労省は「面的広がりを否定」だが、実際には相当に変異種が拡大とみられる、トボケルだけで。今の今まで眉中眉韓の菅・二階政権にソンタクして公表しなかったか、半ば意図的に調査に手を抜いたか、極端な人手不足を口実に。責任を取って菅・二階政権は直ちに辞職せよ。
 緊急事態宣言の効果か、一月初旬の感染者数の多さに恐れを成したか、最近はヨウヤク1日の感染確認発表者数が千人以下に減少してきたが、変異種コロナが拡大すれば元に戻るだろうよ。変異種がコロナの主流になるのは何時か。英国より2〜3ヶ月遅いとすれば、2月〜3月頃に変異種主体の感染拡大が起きようか。またまた4月頃に緊急事態宣言かね、昨年と似て。
 感染力の強い変異種の感染拡大が冬の寒さと重なれば、大変だ。感染爆発か、英国ほどではなくとも。もしかしたら、コレが私の指す天罰となるのか、現段階で医療は完全に一杯なのに。直ちに菅・二階政権は辞職せよ。もはや神は罰の手加減はしない。見てオレ。
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